「じゃあ、ハンジ・ゾエは賄賂の証拠品について何も知らないっていうのかよ」
「俺はそう思う。あいつは、この件にかかわっていない。いくらお気に入りだろうが直属の部下でもあいつに、あのエルヴィンが切り札を預けておくわけがなかったんだ」
最近、ファーランは特に焦りだしてきていた。入団して一年半となるのに何の成果もないのだ。無理もなかったが、リヴァイは正直どうでもよくなっていた。
「じゃあ、何で、あの女と接触してるんだ。おまえ、どういうつもりなんだよ」
「何のことだ?」
「何がって……俺、見たんだよ。おまえが一昨日の早朝にあの女の部屋から出てくるの。それだけじゃない……夕べだって」
ファーランは、それ以上何も言わなかったが、ハンジの部屋で一夜を明かしたことを含んでいるのは確実だった。
ハンジと深い仲になって数か月、黙っていたが隠し通すことは無理だったようだ。




ごろつきの初恋




「おまえらしくないぞ。地下街時代だって、一人の女と深く付き合うことなんか一度もなかったじゃねえか。
そりゃ、いくら、おまえが潔癖でも男なら性欲処理の一つや二つあってもいいさ。でも、それなら娼館にでもいきゃあ済むことだろ?それが面倒なら他の女をあたったっていい。最近、おまえに気があるそぶりを見せる女兵士は何人もいるんだ。一夜限りでも乗ってくる奴だっているだろう。それとも何度もやるほど、体の相性がいいって言うのか?」
ファーランに悪気はないのはわかっている。それでもハンジとの関係を下卑た言葉で語られリヴァイは思わず拳を握りしめた。
「悪いことはいわねえから、彼女はやめておけ。例の証拠品の情報を入手できないんだったら、もうかかわる必要はないじゃないか。
それどころかエルヴィン側の人間なんてやばいだろ。おまえだってエルヴィンをぶっ殺してやるって言ってたじゃないか」
ファーランの危惧は理解できる、頭では。しかし心は全力で否定していた。


ハンジがいい、他の女では駄目だ。
異性関係に関していえば、リヴァイとて、その経歴上清廉などではなかった。
犯罪組織のリーダーにしては少ないものの過去に複数の女性と関係を持ったことがある。ただし、どの女とも一度きりとお互い割り切った通りすがり同然の仲で終了しており今や顔を思い出すこともない。
女に言い寄られることなんて数え切れないほどあった。ごく気まぐれに相手をするなど簡単だった。
しかしくちづけを求めたのはハンジが初めてだった。その先を自ら求めたのもハンジだけだった。
いたわるように大切に抱いたのも、情事が終了した後、ただ優しく抱きしめ眠りを共有したのもハンジだけだ。
失いたくない。



「あの女も、あの女だ。将来有望なおまえに今から取り入ろうと思ってんじゃねえのか?」
その言葉はリヴァイには酷く不快となる材料だった。
「あいつは没落したとはいえ貴族の娘だ。俺なんかと付き合うなんて、あいつにとっては利益があるどこかマイナスなんだ」
「貴族の娘?」
最下層と呼ばれる地下街出身のファーランにとっては、貴族なんて雲の上の存在だ。
「へぇ……地下の連中に聞かせたら羨望の的だな」
地下街の人間にとって地上の女をモノにするということは、一種のステータスだった。地位や富や権力が付属すればするほど、その価値はあがる。
「俺たちを普段汚物扱いしてる地上の奴らを一泡ふかせてやるのは、連中の女を抱くのが一番だもんな」
ファーランは、そういう心づもりだったのかと言わんばかりだった。



「やっとわかったよ。おまえにも、地上の連中に腹いせしてやりたいって気持ちあったんだよな?
そりゃ、おまえにも感情くらいあるもんな。だから、あの女に手を出したんだろ?なあ、そうなんだろ?」
必死に肯定を求められたがリヴァイは答える気にもなれず、眉間の皺の数を増加させた。
不穏な空気を察したのか、縋るように下手にでていたファーランは感情を爆発させた。
「エルヴィンに復讐するんじゃなかったのか?!王都に上り詰めて俺たちを蔑んだ連中を見返してやるんじゃなかったのか?
入団したのも、あの女に近づいたのも同じ理由だったはずだ!!
何とか言えよリヴァイ、あの女と寝たのは利用するためだったんだから、もう用無しなのにいつまで関係を続けるんだよ!!」
聞くに堪えない暴言にリヴァイは激昂して立ち上がった。椅子が、その勢いで転倒し嫌な音をたてた。
「な、何だよリヴァイ……俺は、ただ、おまえに目を覚まして欲しいだけで……」
ファーランは怯えていた。しかし愕然とする相棒よりもリヴァイは優先すべきものに気づき反射的に扉に振り返った。
気のせいではない。確かに今物音がした。
嫌な予感に扉を開け放つと、今一番この場にいてはならない人物が呆然と立っていた。
ハンジだった。
綺麗にラッピングされた包みと花束を手に硬直している。



「……ハンジ、今の話を」
強張っていたハンジの表情が徐々に緩んでった。悲しみという色に染まりながら。
「……地上の奴らを一泡吹かせるってところから」
エルヴィンを殺害してでも賄賂の証拠を手に入れる事までは聞いてない。ファーランは、ほっとしたが、リヴァイは違った。
悪意をもって入団したことなどより、はるかに聞かれたくなかった、聞かせたくなかったことを知られてしまった。
「本当なのリヴァイ?嘘でしょ、あなたが、そんな理由でエルヴィンの取引に応じたなんて……そのために私に近づいたなんて」
ああ、嘘だ。全部、おまえの空耳だ。そう叫んでやりたかった。
だが違う、真実だ。リヴァイは否定できずハンジから目を逸らした。
その咄嗟の行動はハンジを絶望させた。次の瞬間、左頬から乾いた音がした。ハンジの右手が宙に浮き、その瞳は涙でぬれている。
リヴァイの心にずきっと鈍い痛みが走った。叩かれた頬よりも何倍も痛い。
弁解する時間も与えずハンジは踵を返し走り出した。


「ハンジ……!」


違う、入団した動機も、エルヴィンを恨んでいた事も事実だ。だが一つだけ真実ではないことがある。
まだ言ってない、伝えてない、待ってくれ!
「リヴァイ、やめろよ!」
腕をつかまれた重みに一瞬気を取られた。その僅かな時間が全てを決めた。
ハンジは突き当りの角を猛スピードで曲がり、あっという間に姿が見えなくなった。
「……ハ、ンジ」
遠ざかっていく、ハンジの足音が。
それは生きてきた世界が違いすぎるリヴァイとハンジの間に埋まることがない溝が存在することを象徴しているかのようだった。
「これでよかったんだよ。気にするなって、別れ話つけるなんて面倒な手続きがなくなったと思えばいいさ」
リヴァイの顔も見ず、ファーランはさらに続けた。
「兵団ってのは、いつどうなるかわからないところだから恋愛感情抜きで関係もつ連中も大勢いるじゃないか。きっと彼女も巨人に殺される前にちょっと冒険したかっただけだよ。お互い楽しんだ、それでいいじゃないか。
おまえはいい奴だから、どうしたって気になっちまうだろうが安心しろよ、すぐに彼女だって新しい男見つけるだろうから――」



奥歯が軋むような鈍さを含んだ大きな音が室内に響き渡り、直後ファーランは壁に背中から叩きつけられていた。
口の端から血を滲ませから見上げるとリヴァイが拳を握りしめていた。
その瞳に宿っているのは深い悲しみだった。
「おまえ……まさか、本気で」
その問いにリヴァイが答えることは永遠になかった。
言ったところで何も変わらない。もう終わった。
もともと住む世界が違った。
人類のために心臓を捧げ戦い続ける高潔な魂の持ち主と、血生臭い殺戮と腐敗の世界で生き抜いてきたごろつきあがりとは。
違った、間違っていたのだ。
距離を縮めたことも、関係をもったことも、何より愛してしまったことも。
全てが誤っていた。
運命というやつが、それを思い知らせた、ただそれだけだ。



「何だよ、うるさないなあ」
イザベルがきょとんとしながら入室してきた。
「ファーラン、何で尻餅なんかついてんだよ。なあ、兄貴、何があったの?」
いつものファーランなら、馬鹿、黙ってろと呆れながら言い放っただろう。しかし俯き声を発することはできなかった。
「どうしたんだよ、2人とも。あれ、これ何?」
イザベルはハンジが残していった包みを発見すると拾い上げて無遠慮にラッピングを破き中身を取り出した。
「何だあ、セーターじゃん。お菓子じゃないのか、ちぇっ」
ほんの一週間前、ベッドの上でハンジに誕生日を尋ねられたことを思い出した。
セーターに添えられたカードには達筆な字で短い文章が綴られていた。



『リヴァイ、生まれてきてくれてありがとう』




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