ハンジは服装チェックなどとは無縁のおおらかなタイプだろうが、仮にも女の部屋に招待を受けたせいか己の恰好が気になり妙な緊張感に包まれている。
改めて二回ほど扉を軽く叩くと、すぐにハンジが明るい笑顔で出迎えてくれた。
「待ってたよ。さあ遠慮なく入って」
「……ああ」
ごろつきの初恋
古めかしい書籍や使い古された機材などで溢れかえってはいるが、掃除された努力の跡はあった。
一見、殺風景な部屋の隅にはハンジの住居空間だと主張するようにカーテンで仕切られているスペースがある。意外にも淡い桃色の女性らしい布地だった。
何だか秘密の花園に足を踏み入れるような感覚さえ覚えた。
「どうぞ」
カーテンの向こう側に存在したのは、小さなテーブルと椅子が二脚、ベッドに小型のタンスと、本当に必要最低限の家具だけだった。
そんなシンプル極まりない空間において、テーブルにかけられたおしゃれなテーブルクロスに安置された一輪の花とおしゃれな蝋燭が、やけに目を引いた。
「ナナバとリーネがこのくらいしろってアドバイスしてくれてね。あ、二人とも私の同期なんだ。今度、紹介するよ」
例のブツさえ入手できれば、今度なんて日は来ないが、リヴァイは「ああ、頼む」とぶっきらぼうながらも話を合わせた。
「じゃあ、始めようか」
次々に運ばれてくるご馳走は、見た目も、その味も、いい意味でリヴァイの期待を裏切ってくれた。
女らしさとは無縁のイメージのハンジだ。まずくなければいい程度の望みしか抱いていなかったが実に美味い。
「一通りの家事くらいできるさ。訓練兵団に三年間も在籍してたんだからね」
食事の合間に交わされた会話も悪くなかった。言葉を発するのは、ほぼハンジで、リヴァイは専ら聞き手だったが温かい雰囲気がそこにはあった。
「あなた、いい人だね」
「変な女だな。他の団員はどいつも俺を蔑むか怖がるか、なのに」
「まあ、最初はしょうがないね。あなた達が地下街出身の犯罪者あがりなのは事実だから」
あっさり本音で語るハンジ。いっそ清々しいくらいだった。
「私だって正直言って地下街の住人にいいイメージは持ってないよ。大半の連中はレッテル貼られてもしょうがない人間なんだろ?」
「ああ、否定はしねえ。だが、おまえの目には不快な色がねえ」
「話は最後まで聞いてよ。大半と言っただろ、つまり全員がそんな奴らじゃない。例外は必ずいる。私は、君はその例外だと思っているんだ」
「……てめえは馬鹿か。会ったばかりの危険な野郎に警戒心はねえのか?」
「だって君は危険な調査兵団に入団してくれたじゃないか。他人の事なんかどうでもいい人間ができることじゃない」
本当に馬鹿な女だ。エルヴィンから入団の経過を聞いてないのか?
「勘違いするな。何も知らないらしいが、俺が入団したのは人類のためなんて崇高なもんじゃない、ただの――」
「司法取引のこと?」
リヴァイはぴくっと反応し言葉を止めた。
ハンジは全てを知っている。尚、それでもリヴァイを信じようとしている。その心情が理解できずリヴァイは、ただじっとハンジの顔を見つめた。
「ミケから聞いてるよ。エルヴィンを恨んでいるだろうから、彼のお気に入りの私も注意しろってね」
ますますわからない。そんな男と個室に二人きりなんて自殺行為だと思わないのか?
「きっかけなんてどうでもいいよ。私は現場にいたわけじゃない。伝聞でしか、君の入団理由を知らない。
唯一、私が知っている真実は、君は逃げなかった。それだけさ。
24時間、仲間を人質にとられているわけじゃないだろ。逃げようと思えばできたはずだ。でも君はエルヴィンとの約束を守ってここにいる。
君は出自や過去には不似合いな義理堅い人間ってことだろ?
そして巨人に立ち向かう勇気も持ち合わせている。
あなたは、その経歴とは逆に高潔な人間だって感じたんだ。まあ、口や態度は悪いけどね。おまけに目つきも。
少なくても安全な場所から私たちを罵ることしか能がない王都の貴族や憲兵団なんかより、ずっと立派だと思うよ」
それは裏の理由があるからだとリヴァイは心の中で叫んだ。
エルヴィンを殺す、賄賂の証拠品を奪う、その計画に疑念などない。躊躇もない、容赦するつもりもない。
だが、真っ直ぐな瞳で対話を試みるハンジに、心にもやもやしたものが渦巻いた。
『あいつがエルヴィンの腹心の部下なら、何か知ってるかもしれない。何とか聞き出してくれよリヴァイ』
出掛ける前に懇願されたファーランの言葉が脳裏をよぎった。
「君は強い。その強さを正しいことに使えるひとだよ」
「正しいだと?」
「あなたが巨人を倒してくれなかったら大勢の同志が死んでいた。あなたは命の恩人だ」
感謝に満ちた眼だった。
『おまえのことを信用させて油断させるんだ。ここから
さっさとおさらばするために利用できるものは利用しようぜ』
再びファーランの言葉が頭の中で再生された。嫌な気分だ。
「だから、あなたの過去なんて私には些細な問題なんだ。
仲間を守ってくれてありがとう。心から感謝してる」
誠実に接してくれるハンジを利用しなければ達成できない目的に意味があるのか?
リヴァイは信じていた仲間の提案に初めて疑念を抱いた。
「リヴァイ、うまくいったか?」
戻るなりファーランが期待を込めた目でそわそわと聞いてきた。
「…………」
リヴァイは返事をする気にもならなかった。それが答えだと察したファーランは、がっくりと肩を落とした。
「……駄目だったか。まあ、昨日の今日でいきなり事がうまくすすむとは思ってなかったけどよ。
でもチャンスはできたわけだ。これからも、あの女とうまくやって油断させて賄賂の証拠品の情報を……って、おいリヴァイ?」
ファーランの話に乗る気になれずリヴァイは無言でベッドに潜り込んだ。
「おい、どうしたんだよ?」
もうリヴァイにはファーランの声は聞こえなかった。思い出すのはハンジがくれた言葉だった。
『あなたは、その経歴とは逆に高潔な人間だって感じたんだ』
真実を知ったら、あの女は王都の貴族や憲兵団以上に俺を蔑むのか?
あの濁りのない瞳が俺への憎悪と嫌悪で満ちた色で染まるのか?
リヴァイは毛布を頭部の位置までひっぱりあげた。ファーランの溜め息が聞こえてきた。
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