「生きて帰れたら食事をおごるよ」

ハンジ・ゾエ、中性的ではあるが整った顔立ち、屈託ない笑顔、ゴロツキ相手に臆さず偏見すら持たず接してきた変わり者。
入団してからというもの、団員たちはリヴァイたち3人に常に見えない境界線を張っていた。犯罪者だと蔑み見下し距離をおく。
もともと本気で仲間になるつもりはなかったリヴァイにとって都合はよかったが、それでも気分のいいものではない。淡々としていられたのは、地下街に巣くっていた頃から、そんな環境に慣れていたためだ。
ハンジは、リヴァイたちが下賤な出自であることを感じさせなかった初めての人間だった。予想もしてなかった出会いにリヴァイは内心戸惑い、無意識にハンジの背中を見つめていた。
「変わった奴だな」
ファーランもハンジには何か感じたようだ。イザベルはといえば深く考えず貰ったクッキーを美味い美味いと貪っている。
「……ハンジ、か」




ごろつきの初恋




翌朝、長距離索敵陣形のミーティング中もリヴァイはハンジのことが頭から離れなかった。
「おまえら、ちゃんと頭に叩き込んだのかよ」
城外に出るとサイラムがつっかかってきた。相変わらず喧嘩腰ではあったが、昨日までの侮蔑と嫌悪に満ちた口調ではなかった。
「あ、リヴァイ!」
明るい声に引き寄せられるように振り返ると、ハンジが馬上から手を振りながら近づいてきた。
「期待してるよ。私の班とは離れているから、君の華麗な立体起動がみれないのは残念だけど」
「…………」
「じゃあ、お互い頑張ろう。ファーランもイザベルもね」
仏頂面なリヴァイにハンジは一度も笑顔を崩すことなく馬を駆けて去って行った。
「ハンジさんは、随分、おまえに入れ込んでるんだな」
リヴァイは、それまで無視していたサイラムにちらっと視線を移した。
「同じ新兵で入団した経過も似てるからって得体のしれない人間に親しげに接するなんて……そこがあのひとのいいところなんだろうけど」
サイラムが発したのは何気ない台詞だろうが、聞き捨てならない情報が含まれていた。
「どういう意味だ?」
「何がだよ?」
「入団した経過が似てるだと?」
思い出すだけで頭に血が上るような、強要に近いエルヴィンとの司法取引。
そしてエルヴィンに殺意を抱いた動機。
無論、一兵卒であるサイラムにリヴァイが入団せざる得なかった事情が詳細に伝達されているはずがない。



「あの人も新兵なんだが俺と違って憲兵団入団を上から切望されていた成績上位者だったんだ。
調査兵団入りを譲らなかったせいで数週間所属未定だったんだよ。本人の意思を汲み取って調査兵団に連れてきたのがエルヴィン分隊長だったんだ。
俺たちより1ヶ月遅れの入団だった。おまえらは、さらに異例の中途入団だったけどな」
「エルヴィンが連れてきただと?」
「そうだよ。おまえらと同じだろ?」
ファーランとイザベルは冗談じゃないとばかりに表情を歪ませたが、不穏な雰囲気に気づかずサイラムは続けた。
「エルヴィン分隊長はハンジさんの頭脳を高く買ってるんだ。リヴァイ、おまえもそうなんだろ?」
確かに本来憲兵団の職務である盗賊団の逮捕に調査兵であるエルヴィンが乗り出したのは、今にして思えばリヴァイ獲得が目的だったとしか思えない。
「ハンジさんはエルヴィン分隊長の大のお気に入りなんだ。分隊長の考えを理解できるひとは上にも滅多にいない。
だから分隊長は何かとハンジさんに相談事を持ち込むし、ため口、呼び捨てを許可するほど信頼している。
新兵にして分隊長の右腕候補なんだ。だから、あんまり失礼な態度は控えろよ」
「……エルヴィンのお気に入りだと?」
ならば突然近づいてきたのはエルヴィンの密命か?
「もっともハンジさんは、おまえらが何かしたって告げ口するようなひとじゃないけどさ。変わってるけど、すごくいいひとなんだよ」
「いいひとだと?」
そんなもの地下街では絶滅種といっていい人種だ。
「その証拠に周り見てみろよ。おまえらを見る目が変わってるだろ?ハンジさんが受け入れた人間なら信用できるかもしれないなって、皆、思っているんだ」
その言葉は嘘ではなかった。相変わらず好奇に満ちた視線に溢れていたが、そこに不快なものは無かった。










「はぁ……結局、例の物は入手できなかったなあ。まあ、生きて戻ってこられただけでもよしとするか」
ファーランは、がっくりと肩を落としていた。
リヴァイたちの初の壁外調査は目的こそ達成できなかったが無事に生還できた。死亡率の高さで知られる調査兵団においては、まずは上々といったところらしい。
「なあ兄貴、これからどうする?」
「どうするもこうするもねえだろ。エルヴィンは殺す、物は手に入れる。計画に変更はない」
幸いリヴァイは、この壁外調査で新兵としては異例の戦果を出し、調査兵団において確固たる立場を手に入れることに成功した。
焦ることはない。今まで地下で這いずり回っていたことを思えば時間はたっぷりある。
「けどリヴァイ、あんまり長居はごめんだぜ。今回は生きて帰ってこれたが、俺は正直いって巨人と対峙するのは二度とごめんだ。臆病者と罵られてたっていい。あんな化け物相手にしてたら、命がいくつあっても足りないぜ」
確かに巨人の恐るべき食欲は、こちらの都合など考えてはくれない。
「やはりエルヴィンの野郎が肌身外さず持ってると考えるしかねえだろう。奴を殺して奪うんだ」
「けど失敗したらやばいぜ。奴だって始終持ち歩いているわけじゃねえし。入浴中とかにおそってやろうか?……」

「ねえ、何の話?」

危険な密談に突然割り込んだ第三者に、3人は一斉に身構えた。
「……ハンジ・ゾエ」
しまった、聞かれたか?リヴァイは懐に隠し持っているナイフの柄を反射的に握りしめた。
「……何の用だ?」
「何って約束したじゃないか。生きて帰ったら食事をおごるって」
ハンジは警戒心皆無とばかりにリヴァイの腕に触れると、「奮発するよ。さあ」と誘った。
「君のことはエルヴィンから色々聞いてたよ。私の想像以上の逸材だったけどね」
「エルヴィンの野郎から?」
エルヴィンの名前を聞いただけでリヴァイの負の感情は右肩上がりになったが、無愛想な表情に変化があったわけではない。
「そうだよ。聞きたいこといっぱいあるんだ。さあ」
リヴァイはつれなく腕を振りほどいた。
「あいつの飼い犬に用はない」
「飼い犬って酷いなあ。仲間だよ、仲間」
「てめえの噂をきいた。エルヴィンのお気に入りだそうじゃないか。新兵なのに個室まで与えられているってな。やつに脚を開いて手に入れた待遇なのか?」
我ながら辛辣な言葉だと思った。イザベルはきょとんとしているが、ファーランはあからさまに口元を引きつらせている。
ハンジはというと、僅かに俯いたためメガネの反射光が邪魔して表情が見えない。


「……へぇ、驚いた。私のこと初見で女だって見抜く奴いたんだ」
やや低い口調ではあるが、言葉通り驚いているのか、怒っているのか判別はできない。
「私を悪く言うのはいいよ、でも……」
ハンジは右手を振り上げた。切れのある動きだったが喧嘩慣れしているリヴァイは顔面に接触する寸前で手首をつかみ防御も万全だと証明してみせた。
「君とエルヴィンに何があったかなんて知らないけど、よっぽど腹がたつことだったんだろうね。
でも、だからって、そんな下卑た事言うなんて最低だ。見損なったよ!
断っておくけど私は個室をもらったわけじゃない。研究室に住み込むことを許可してもらったんだ。巨人の研究に必要だからね」
「巨人の研究?」
「ああ、そうさ。やみくもに戦うだけじゃあ無駄な犠牲者を増やすだけだ。
巨人の生態や弱点を解明できれば、もう仲間を失うこともない。人類の勝利だって夢じゃなくなる。
塀の中で家畜のように屈辱に甘んじる状況を打破できるんだ。
土地が足りなくて飢える人間だっていなくなる。貧富の差が激しいのだって、土地が足りないのが一因なんだ。
地下街出身の君ならそこのところ理解してると思ってたけど買いかぶりだったみたいだよ」
リヴァイの眉がぴくりと動いた。
華やかな王都の陰惨な裏の部分で生きてきた境遇から、自然と光と影の差別に敏感になっていることを突かれ内心動揺すらした。
下水にまみれた深い穴の底から抜け出し自由に満ちた光を浴びたいと切望している。ハンジは、その社会の仕組みそのものを瓦解しようともがいているのだ。
リヴァイは自身がどうしようもなく下劣な人間に感じた。



「邪魔したね」
リヴァイは踵を返したハンジの手を無意識につかんでいた。ハンジは、はっと目を見張ったが、それにも増してリヴァイ自身、驚愕していた。
「……何?」
「…………」
舌が絡まったように言葉がうまくでない。自らの行動が意味するものが理解できずリヴァイはハンジから目を逸らし俯いた。
一番近しい仲間であるファーランやイザベルも動転しているだけで助け船を出せず、ただリヴァイを見つめている。
「……ねえ」
気まずい静寂を打開したのは意外にもハンジだった。
「レストランをと思ってたけど、よかったら私の手作りでいいかな?家庭料理くらいしかできないけど」
顔をあげるとハンジの微笑があった。噂にきいた聖母の笑みとはこんなものだろうかと一瞬錯覚するほど今のリヴァイにはありがたいものだった。
「……ああ、悪い」
「じゃあ今夜、研究室で。腕によりかけるから楽しみにしててよ」






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