「うん、だいぶ落ち着いたよ」
リヴァイとハンジは時がたつのも忘れて話をした。
ハンジは内地にある自宅で静養していた。ウォール・マリアの崩壊と共に彼女の実家は全てを失った。母方の祖父がシーナ内でも商売をしていたのが幸いし、店舗として使用していた家屋をリフォームしたものが今の自宅だそうだ。
一般的な庶民の家と比較しても特別大きいものでもなく、まして豪奢なものではないが広い庭がついている。両親亡き今、長年仕えてくれた乳母が留守を守っていたらしい。
しばらくは調査兵団に顔を出すつもりはなかったのだが、ファーランとイザベルの訃報を知り駆けつけてくれたのだ。
ごろつきの初恋
「1年半も休職するんだろ。何の病気だ?」
ハンジは困惑したようにリヴァイから目を逸らした。
「ナナバは知っているんだろう?あいつに言えて俺には言えないってことは……やっぱり、あいつと」
ファーランから引き継いだ願いはいきなり暗礁に乗り上げた。
「誤解してるようだけどナナバは親友だよ」
「……だが」
「女性だよ。生憎、私もナナバも同性愛者じゃないんだ」
「……女?」
いざというときには冷酷に徹することができるエルヴィンが微妙な形でナナバに頭があがらなかった理由をリヴァイは意外な形で知ってしまった。
そして心の底からほっとした。
「もしかして嫉妬した?」
「……ああ、どうにかなりそうだった」
リヴァイはハンジを抱きしめた。その行為は言葉はなくてもハンジを喪失した期間が、どれだけリヴァイに孤独だったか雄弁に物語っていた。
「で、おまえの病気はなんなんだ?」
リヴァイにとっては、より重要な問題だった。
「……あなたと同じくらい大切な人を授かったの」
ハンジとの絆を取り戻したと内心歓喜していたリヴァイにとって、その言葉は実に残酷な響きを伴っていた。
「……それは誰だ?」
リヴァイの声は震えていた。
「……ここにいるよ」
ハンジは、そっと腹部に手を添えた。最初、リヴァイはハンジの言葉の意味がわからず混乱した。
「リヴァイ、本当は、あなたには黙っているつもりだったんだ」
ハンジは、まっすぐリヴァイの目を見つめていた。
「知っているのはエルヴィンとナナバと医者だけだよ。
エルヴィンは私一人の問題じゃないから、あなたも含めて相談するべきだって主張したんだけど私はその気になれなかった。
ナナバが味方してくれてエルヴィンを黙らせてくれたんだけど……」
ハンジはファーランの遺書を握りしめ、「これを読むまでは、それしか選択肢がなかった」と辛そうに言った。
「でも、今は、あなたを信じることができる。だから、おちついて聞いてほしい」
リヴァイは緊張に震える心を抑えながら、ハンジの次の言葉を待った。
「あなたの血のつながった家族ができたんだよ、リヴァイ」
リヴァイにはあまりにも衝撃の真実だった。
「……妊娠したんだ。あなたに知られるのが怖くて、こっそり生んで一人で育てるつもりだった。でも、あなたが私だけでなく、この子も受け入れてくれるなら――」
リヴァイはうまくまとまらない頭をフル回転させ記憶を辿った。伝え聞いたハンジの症状、何を隠していたイザベル、エルヴィンの意味深な言葉。何よりハンジと愛し合った日々を。
家族とは無縁の半生を送ってきたリヴァイにとって肉親とは未知の領域のはずだった。幻のように実体を持たず想像もできない存在だった。
ゆえに考えもつかなかったが、確かにハンジは言った。リヴァイの子を身ごもっていると。
「生んでくれ」
自分でも驚くくらい簡単に言葉が飛び出した。
「俺は学も財産もねえ、巨人を削ぐしか脳がないごろつきあがりだ。性格もこの通りひねくれている。
まともな家庭をもつ資格なんかこれっぽちもない。おまえを幸せにしてやれる自信すらない。
だが、おまえたちは何があっても俺が必ず守る。相手が巨人だろうが何だろうが、それだけは約束する。だからハンジ」
リヴァイは決定的な言葉を放った。
「俺と結婚してくれ」
ハンジはリヴァイを抱きしめた。
「大丈夫だよ。私があなたを幸せにしてあげるから」
愛しい女のぬくもりを全身で感じながらリヴァイはファーランの幸福リストから叶った願いを2項目削除した。
『リヴァイとハンジ・ゾエをなかなおりさせる』
『かぞくをつくる』
やがて月が満ち、ついにその時がきた。
リヴァイとハンジにとって人生最高の日が。
ハンジが陣痛を訴え、リヴァイに手を握られながら分娩室に入ってから丸一日激痛は続いた。
痛みに耐える根性は人一倍あると自負しているハンジだったが、それでも出産という大仕事は彼女から体力と気力を奪いつくした。
耐え抜けたのは兵士として鍛えぬいた根性ではなく、女性が生まれながらに神より与えれた母性によるものだろう。
ハンジよりも付き添っていたリヴァイの方が生気を失っていた。
それでも室内に元気な産声があがると、リヴァイはほっと安堵の息を吐いた。
「男の子ですよ、お父さん」
誕生したのは息子だった。リヴァイにとって初めて肉親と呼べる存在だ。
「ハンジ、男だぞ」
リヴァイは歓喜の声をあげたがハンジの顔から苦痛の色が消えない。
「おいハンジ、大丈夫か?」
焦るリヴァイ。看護師が「もう一人います」と大きめの口調で言った。
「何だと?」
苦しみがまだ持続するのか?ハンジの体力はもつのか?
リヴァイの顔はたちまち焦りと不安で塗りつぶされた。
「……大丈夫だよ、大丈夫だからリヴァイ」
ハンジ本人は疲労困憊しながらも、再び出産という大仕事にすでに全力を注ぎ込んでいる。母は強しといきくが事実だった。とても男は女にかなわないとリヴァイは心底思い知った。
やがて産室に再び元気な産声が湧き上がり、看護師が「女のお子さんですよ」と言った。
「男と女か……そうか」
一人誕生しただけでもリヴァイにとっては奇跡のような喜びだ。それが男女一人ずつ。地下街出身のごろつきあがりに運命が信じられない贅沢なプレゼントをしてくれた。
「ハンジ、よく頑張ったな」
「そりゃあ、もう。巨人と戦うより骨が折れたよ。かわいいね。
みてみて娘は私に目元がそっくり、息子はあなたに瓜二つだね。よかったね、娘があなたに似てなくて」
「ああ、俺もそう思う」
「珍しい、素直なあなたなんて明日は大雪じゃないかな?」
リヴァイとハンジはスヤスヤと眠る愛しい我が子たちの顔をのぞき込み何時間も飽きることのない会話が続いた。
「ねえ、そろそろ名前教えてよ」
命名はリヴァイ担当だった。リヴァイは最初博識なハンジが縁起のいい名前を与えてやればいいと考えていたが、ハンジが是非リヴァイにと強く望んだのだ。
「何か一つでもいい。この子たちに父親の愛情の証をあげたいんだよ」
少し悲しそうな笑みをみせるハンジに、リヴァイは否とは言えなかった。
「男はルーク、女はレイアだ」
平凡ながらもリヴァイが懸命に考えた名前だった。何より愛情だけは籠っている。
「……ルークにレイアか」
「気に入らなかったか?」
「まさか、とてもいい名前だよ。ただ、私はてっきりあなたは他の名前をつけると思ってた」
ハンジの言いたいことがわかった。二つのかけがえのない命を失った直後に知った新しい二つの命の存在。まして男女の赤ん坊。偶然とは思えない。生まれ変わりのような錯覚すら覚えた。
「私はそれでもいいと思った。あなたがそうしたいのなら、喜んであの二人の名前をこの子たちにって思ってた」
リヴァイも一度は同じことを考えた。
「あいつらはあいつらだ、こいつらはファーランとイザベルじゃねえ。間違えたくなかったんだ。こいつらには他の誰かの代わりなんかじゃなく自分の人生を生きてほしい。それが正しい選択だ」
リヴァイは愛しい我が子たちの頭をそっと撫でた。
「……そうだね。あなたの言うとおりだよ」
真っ白な人生を新しい名前で歩んで欲しい。それが父親としてのリヴァイの思い。
「ルーク、レイア」
ハンジは改めて子どもたちの名前を呼んだ。
「最高だね。すごく滾るよ」
リヴァイは、その日は付き添いとしてハンジの元で一晩すごし、一睡もせず子供たちの顔を眺めた。
翌朝、窓の外が薄暗くなるとリヴァイは音をたてないように慎重に立ち上がり扉に近づいた。
「……もう、行くのかい?」
「……起きてたのか」
リヴァイは振り返らなかった。もう一度子供たちの寝顔を見れば、きっと決心が揺らいでしまう。そんな予感がした。自分を抑える自信がない。
「そいつらを頼む」
ゆっくりとドアノブを回すと、安眠していたはずの子供たちが急に泣き声をあげだした。
廊下に出て急いで扉をしめると、ずっと待っていたらしいエルヴィンが長椅子から腰をあげた。
相変わらず子どもたちは泣いている。鼓膜が痛い。
「……待たせたなエルヴィン」
「すまないなリヴァイ」
「……てめえのせいじゃねえだろ」
「では行こうか。外に馬車を待たせてある」
リヴァイは、いつになく沈んだ面持ちで先導するエルヴィンの後に続いた。産院から離れても子どもたちの悲しそうな泣き声が頭から離れなかった。
BACK
TOP
NEXT