ハンジの個室に忍び込むのはエルヴィンの時より、はるかに簡単だった。
ただ変わり者とはいえ女の部屋に不法侵入ってのは下心の有無関係なくひどく緊張した。
研究バカと評されるだけあって室内は本棚や資料で埋め尽くされている。見渡す限り私室というより執務室だ。
ハンジの衣住スペースは窓辺に設置されたベッドと、その周辺のみ。それなりに女に対して夢をもっていたファーランは少なからずがっかりした。
それでもデスクに安置された一輪挿しの花瓶に生けられた白い花に少しばかり心を揺さぶられた。
ベッドを見ると月明かりでハンジの寝顔が浮かんで見える。髪をまとめていないからか、それとも眼鏡をはずしているせいなのか、昼間とは全く違う女に見えた。
じっくり観察すると色白で睫が長く、閉じられた唇がやけに色っぽい。

(何、考えてんだ俺は。さっさとアレを探してとんずらするんだ)

ファーランは意識的にハンジから目を反らすと、音を立てないよう神経をすり減らしながら物色を開始した。
山ほどある書類は数が膨大で、一つ一つ確認するだけでも大変な作業だ。

(違う、これも違う……本当にここにあるのかよ?見当違いなら、すげえ労力の無駄遣いになるじゃねえか)

気がつけば月の位置がかなり変わっていた。しかし仕事ははかどってない。はっきりいって疲れた。
ファーランは頭を抱えながら、その場に座り込んだ。




俺には見えない




「……今夜中に終わらねえぞ、これ」

女の部屋に何日も忍び込めってか?やばいだろ、さすがに。

「……んっ」

ぎくっと振り返るが、ハンジの瞼は閉じられたままだ。ただの寝言かと安堵した。

(……色っぽい声だったな。って、俺は何考えてんだ!)

こんな事を何日も繰り返すなんて本能との戦いだ。想像しただけで目眩がした。


「……畜生」
「……誰?」


しまった!ファーランは一瞬で青ざめた。
慌てて本棚の陰に身を隠し息を潜めた。ハンジが目をこすりながら上半身を起こしている。
これは非常にやばい。早く逃げなければと焦ったのが間違いだった。
体を低くしながら、ゆっくりと扉に向かって移動を開始した時、手にしていた書類を落としてしまったのだ。
ぎょっとなって振り返るとハンジとばっちり目があった。いいわけできない状況にファーランは口元をひきつらせ完全に固まった。
しかしハンジはさらに青ざめている。こんな時間だ、夜這いにきたと勘違いされても仕方ないが、ファーランの想定以上にハンジは驚愕している。

「……ま、まさか……そんな……」

愕然とし全身を小刻みに震わせながら。


「ハンジ、どうした?」


絶対零度で凍りついたように張りつめた空間に、馴染み深い声が響いた。
ファーランは今度こそ声も出ないほど仰天した。


(おい……嘘だろ?)


その時、初めて毛布にもう一人分の膨らみがあることにファーランは気づいた。
膨らみがさらにそそり立ち、毛布がめくれ男が前髪をかきあげながら姿を現した。



「リヴァイ」
「……まだ夜じゃねえか」

ファーランは己の眼を疑った。上半身裸のリヴァイ、いや、よく見ればハンジも毛布を胸元まであげてはいるのでわからなかったが何も身にまとっていないようだ。
その状況証拠、何より二人の間を流れる生々しい男女独特の空気から察するに隠れている部分も何も着てない可能性が高い。
リヴァイはハンジと『そういう関係』だった。知らなかった、まるで気づかなかった。
いや冷静になって考えれば仮にも親しい男女、関係をもったとしても不思議はない。
ないのだが、リヴァイは、その潔癖すぎる性格から特定の女と交際することはなかった。少なくてもファーランが知っている限りでは。
まして情事が終了すれば身を清めて自分の巣に戻る性分だ。同衾した上に他人の前で眠りにつくなんて、以前のリヴァイなら、ありえない事だった。


「リヴァイ、今……本棚の影に人影が」
「……何もいねえじゃねえか」

リヴァイは、ゆっくりと腕を伸ばしハンジを自分の体の下に引っ張り込み鎖骨に顔を埋めた。
「ちょっと散々やったでしょ」
ハンジは非難の声をあげたが、効果はなかったようで、数分後、押し殺したような矯声をあげだした。
ファーランは耳の先まで真っ赤になって、そそくさと部屋から逃げた。










「ファーラン、すげえくまだな」
「……うるせえ」

徹夜作業よりも最後のアレがこたえた。ファーランは一睡もできずに朝を迎えた。
ハンジに覆い被さったリヴァイの鍛えぬかれた背中と、その下から聞こえる喘ぎ声が鮮明に思い出され睡眠を容赦なく邪魔してくれたからだ。

「あ、兄貴だ!おはよう兄貴!」

ファーランは逃げ出したかった。が、リヴァイは、二人と対座する位置に腰を下ろした。
気のせいか、いつも以上に不機嫌に見える。やっぱり、夕べの事、気づかれたのか?


「ファーランがおかしいんだよ兄貴」

バカ野郎!頼むから黙っててくれ!!

鉄拳ですむなら早くそうしてくれとばかりにファーランは歯を食いしばった。しかしリヴァイは何もいわない。
リヴァイの仏頂面を怖いと思ったのは初対面の時にのされた時以来だった。

「……わ、悪かったよ……知らなかったんだ、まさか、おまえが……あの女と……その」

途切れ途切れに謝罪するもリヴァイは相変わらず無口のままだ。視線が痛い。

「あ、もしかして、おまえも俺と同じ事考えてたとか?それで、あの女に近づいたのか。
うん、そうだよな。おまえが女に本気になるってありえないもんな。夕べは助けてくれたんだろ?だから、その……」

リヴァイは眉一つ動かさない。ますます、やばい。

「……な、なあ、何か言ってくれよ」



「リヴァーイ!!」



最悪のタイミングだ。ファーランは突然頭痛を発症した。
ハンジが手を振りながら駆け寄ってくるではないか。
「探したよリヴァイ」
断りもなくリヴァイの隣に座るハンジ。リヴァイは全く咎めない。
「巨人の話ならごめんだぞ」
「それもいいけど違うよ。ちょっと背中向いて」
イザベルが「はんっ!兄貴は他人に背中を絶対に預けないんだよ」と悪態をついた。
リヴァイは用心深い。ハンジも例外ではないと思った。
ところが予想に反し、リヴァイは無防備にハンジに背中を向けた。これは異例どころか信じられないことだった。
ハンジは持参していた紙袋から編みかけのセーターを取り出すとリヴァイの背中にあてがった。
「よかった。肩幅はあってるね」
リヴァイの表情が緩んでいる。実に自然な形で。


「おまえにこんな女らしい趣味があったとはな」
「ばあやに仕込まれたからね。一通りのことはできるさ。案外器用なんだよ私は」
「それはわかってる。初めての壁外調査の後、おまえが食わせてくれた手料理はなかなかのもんだった。それにイザベルが……」
「俺?」
久しぶりにリヴァイの口から自分の名前が飛び出したのでイザベルは慌てて反応した。
「イザベルが美味いっていってたな。おまえの手作りクッキー」
「……そうか」
ハンジは「冬が来る前に仕上げるから楽しみにしててね」と言った。
「ああ、そうする。おまえが去年くれたマフラーと手袋は今でも重宝してる」
「それはどうも」
冬将軍が猛威を振るう季節が近づいてくると兵士の多くは実家から防寒具が送られてくる。
身内のいないリヴァイは支給された外套だけで済ます予定だった。ハンジから心遣いの手編みをプレゼントされるまでは。


「他人から何かしてもらうのに慣れてなくて、あの時は、ろくに礼も言えなかった」
「礼なんていいよ。リヴァイが元気でいてくれたら、それが一番。今は私の大事なひとだからね」

ファーランは複雑だった。リヴァイを信頼し大切に思っている、男として憧れてもいた。

(けど、俺はリヴァイに頼るばかりだった。リヴァイにとっちゃあ重荷かもしれねえ)

リヴァイにとって与えてくれた相手はハンジだけだった。
そこがリヴァイがハンジを愛する理由だとしたら、とてもかなわない。
それでも素直に二人の仲を祝福するわけにはいかなかった。
調査兵はだめだ。誰だって早死にしたくはないだろうし、させたくはない。
あれから幾度も壁外調査に赴いたが、相変わらず死亡率の高さは兵団の中で群を抜いている。
ファーランは先月の壁外調査を思い浮かべた。





「リヴァイさん……お願いだ、巨人を……巨人を倒してくれ」

多くの兵士が命と引き替えにリヴァイをつなぎ止める鎖となって旅立った。

「約束する。俺は必ず巨人を絶滅させる」

そしてリヴァイは、必ずその思いを背負う事を誓う。
誰の目から見ても今のリヴァイは身も心も魂までも調査兵だった。





(駄目だ。こんなはずじゃなかった。もう王都なんかどうでもいい。
リヴァイを連れて逃げよう。調査兵団なんかとはおさらばだ)

ファーランは早速行動に移すことにした。

「リヴァイ、潮時だ。すぐに引き上げよう」
「俺もそう思う。また三人で悪さしようぜ」

夕食を済まし私室でくつろいでいるリヴァイに二人は切り出した(リヴァイは個室を持っていた)


「もう賄賂の証拠品なんかどうでもいいんだ。もともと王都に住む権利なんて眉唾もんだったんだからよ。
元のゴロツキに戻って楽しくやろうぜ。なあリヴァイ」

必死で訴えたがリヴァイは顔色一つ変えず何も応えない。

「おい何か言えよ!」

苛立ちから思わずきつい口調で肩をつかむと、タイミングを見計らったようにノックの音がした。



「ハンジか、入れ」
聞かれたらやばい話だ。ファーランは癇癪を起こしかけているイザベルの口をふさぎ慌てて浴室に隠れた。
「リヴァイ、大丈夫かい?」
ハンジは薬を持参していた。
「昨日の演習中に新兵を庇って、肩を少し痛めたでしょう?」
ファーランにとって、それは衝撃だった。
全く気づかなかった。リヴァイは痛みを素直に表情を現さない頑固な性格だが、その僅かな異常をハンジは見逃さなかったのだ。
洞察力が優れているのか、それともリヴァイへの想いからか。
どちらにしろ敗北感すら感じたが、それでもリヴァイを渡してやるわけにはいかない。命がかかっているのだ。


「エルヴィンから聞いたよ。あなたを分隊長に推薦するって」
団長補佐という地位についているエルヴィンは人事に強い発言権を持っていた。
とはいえリヴァイの実力と実績がなければありえないスピード出世には違いなかった。
「嬉しくないのか?」
「あなたが認められることは嬉しいよ……でも、それ以上に、あなたが背負いすぎるんじゃないか心配で。
私が、もっと早く出世して、あなたの役に立てればいいんだけど」
「おまえは必要以上に努力してるだろ。ナナバが言ってたぞ、同期の中で、おまえは出世頭だってな」
「……私はあなたの支えになってるかな?」
「ああ、十分だ」
「それなら、よかった……リヴァイ、あなたは自分一人でため込みすぎるところがあるから心配なんだ。
昔のあなたに何があったから知らないけど、私はどんな過去でも受け止める覚悟はあるよ。
私にとって重要なのは今のあなたと未来だから」
「……ハンジ」


声が聞こえなくなった。気になったファーランは鍵穴に顔を近づけ様子を伺った。
信じられない光景がそこにはあった。
常に孤高でひとを寄せ付けない雰囲気を崩さなかったリヴァイがハンジの胸に頭を寄せ抱きついている。
まるで幼子が母親に甘えているようだった。
本当に心の底からハンジを慕っていることは一目瞭然だ。
いつかのベッドシーンなどより、はるかに二人の深さを証明している。だからこそ危険だ。
ハンジ、あの女のせいだ。彼女がいるからリヴァイは、ここに留まっている。
リヴァイを説得するのは困難だ。ファーランは思い知らされた。
ならば方法は一つ、ハンジからリヴァイと別離してもらうしかない。




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