翌日未明、ファーランは早速ハンジの私室に出向いた。乱暴な勢いでノックしたが反応がない。
まだ熟睡中なのだろうが出直すわけにはいかない。他の兵士たちが起床する前に二人だけで話をしたかった。
ファーランは先日と同様、針金で開錠し入室した。
ベッドに近づくと気配を察したのか覚醒したハンジの口を間髪入れずに手で塞ぎ、もう片方の手を指を一本たて自分の口元にもってきて「喋るな」と合図を送った。
ハンジが頷いたのでファーランは手を離した。

「……君は……どうして」

ハンジは、まるで化け物を見るような目で見つめてくる。自分の行動を考えれば無理もないだろう。
信じてもらえないだろうが、「夜這いじゃないから安心しろよ」と告げた。
それでもハンジは警戒を解かず後ずさりして壁に接触した。

「単刀直入に言う。リヴァイと別れて欲しいんだ」

ハンジは、ハッとして、たちまち表情を険しく変化させた。




俺には見えない




「俺たちは、ある目的のために入団したんだ。最初から崇高な理想なんかとは無縁だった。でもリヴァイは変わった。あんたのせいだ。あんたと恋に落ちて死に急ぎ野郎になっちまった。
頼むからリヴァイと別れてくれ。あんたは、まだ若いんだから、他にいくらでも男つくれるだろ?
何もリヴァイみたいな地下街出身者を相手にすることないじゃないか。
俺はあいつを死なせたくない。あんただって、本当にあいつを思っているんなら死なせたくないだろう?」

情けないほど口下手な説得だ。しかし熱意だけは伝わったと思う。しかし悲しそうな瞳でハンジはきっぱり言った。


「それがリヴァイの意思ならね」


望まぬ答えにファーランは、カッとなってハンジの両肩を鷲掴みにした。


「何でわかってくれないんだよ!あいつは大事な仲間なんだ!」
「私にとっても彼は大事なひとなんだ。代わりなんていないんだよ!!」

そしてハンジは決定的な台詞を言った。



「今のリヴァイにとって調査兵団は家族なんだ。リヴァイ自身がここに根をおろしている。わかってくれ」



ファーランは項垂れた。

「……わからねえよ」

ずっと一緒だった。ずっと頼りにしてきた。

「……わかりたくもねえよ!!」

でもリヴァイは離れていった。
振り返ってくれない。言葉もかわしてくれない。もうリヴァイの心は取り戻せない。
もう住む世界が違う。
リヴァイは英雄への階段を駆け上がり、自分たちは自由の翼のマントを羽織っただけで中身は変わらずゴロツキのまま。


「……それでも大事な仲間なんだ」
「……それはリヴァイもわかってるよ。ただ、どうしようもないこともある」

カーテンの隙間から朝日が差し込んできた。

「そろそろ時間だ……君は元の場所に戻った方がいい」

ファーランは項垂れたまま、ハンジから手を離した。
ゆっくりと扉に近づきドアノブに手をかけた。もしリヴァイが、この事を知ったら、どう思うだろう?
最愛の女の寝込みを襲って別離を強要したと知ったら避けられるどころか完全に嫌われる、いや憎まれるだろう。



「……今回の件にイザベルは一切関与してない。だからリヴァイには」
「言わないよ。言ったところで何も変わらないからね」

ありがたい言葉だった。もうリヴァイの事は諦めてイザベルと二人で兵団を出ることをファーランは決意していた。


「……リヴァイのこと頼むな。あいつ、あんたに本気なんだ。どうか捨てないでくれよ」
「惚れてるのは私のほうだよ。命をかけてね」
「それを聞いて安心したよ。ただ最後に、もう一度だけ、あいつと腹を割って話したかった」
「話してごらんよ」
「けどリヴァイは……もう、ずっと前から俺に愛想つかしてたんだろうな」
「それは違うよ。リヴァイは今でも君とイザベルのことを大切に思っている。真摯にリヴァイに気持ちを伝えてみればいい」

還るべき場所に行く前に試しに行動してごらん。ハンジは、そう言った。


その言葉に押されてファーランはイザベルを伴いリヴァイに別れを告げに行った。
イザベルは、最初こそ兄貴と離れたくないと泣き喚いていたが、リヴァイとの間に見えない壁ができていたことに気づいていたのだろう。案外、簡単に折れてくれた。
最後なんだ。第三者に邪魔されたくない。リヴァイが一人きりになるのを待つつもりだったが、機会は予想外に早くきた。
リヴァイが私服で外出したからだ。二人は、すぐに後を追った。乗合馬車を利用して到着したのは墓場だった。



「兵士専用の墓場……か」
入団した頃が嘘のようにリヴァイは団員たちに慕われている。
守ってやれなかった部下たちの墓参りだろう、ならば話はその後でいい。ファーランたちはリヴァイと少し距離をとって待つことにした。
しかしリヴァイは、ある墓の前に立ち止り、なかなか動かない。

「なあ、兄貴、どうしたんだろう?」
「……さあ」

ちょっと時間がかかりすぎじゃないのか?
ファーランは、ゆっくりと歩を進め、リヴァイのすぐ後ろまできた。


「……リヴァイ、大事な時間を邪魔して悪いが、俺とイザベルは調査兵団を出ていくよ。だからお別れを言いに来たんだ」

リヴァイは無言のままだった。その背中を見つめながらファーランは、さらに続けた。

「でも、おまえには愛する恋人も慕ってくれる仲間もいる。安心して俺たちは去ることができるよ」

リヴァイは相変わらずだった。やっぱり何も言ってくれないのか、覚悟していたとはいえ寂しかった。


「俺たちは、おまえみたいに英雄にはなれなかったけど、少なくても犯罪はもうやらねえよ。
おまえの名前に泥ぬるマネだけはしないさ。そして巨人がこの世からいなくなったら自慢してやるんだ。
『人類最強のリヴァイは俺たちの友人だったんだ』ってな」

いいよな?そのくらい許してくれよ。

「じゃあな……元気で」

踵を返した瞬間、頬に冷たいものが流れる感覚があった。



「ファーラン、イザベル」



空耳ではない。確かにリヴァイの声だ。ファーランは振り返った。

「おまえたちは俺にとって初めての仲間だった。できれば、ずっと一緒にいたかった」

リヴァイは振り返りこそしなかったが、確かに言った。言ってくれた。


「……リヴァイ」

「おまえたちを失い、二度と仲間は得られないと思っていた。だが違った。
調査兵団はかけがえのない存在なんだ。俺は今度こそ守りたい。多くの仲間の意思を、ハンジを――」



「おまえたちの分まで」



「……え?」

何かがおかしい。ファーランは突然芽生えた違和感に戸惑った。

「また来年くる」

踵を返したリヴァイはファーランの脇を通り過ぎてゆく。

「リ……」

リヴァイが花を添えた墓石に刻まれた名前を見た。


――ファーラン・チャーチ
――イザベル・マグノリア


「……おい、何の冗談だよ?」





『私たちが見ているものと実際のものは違うかもしれないって』


怖いくらい鮮やかにハンジの言葉が頭に浮かんだ。
もう何年も応えてくれないリヴァイ、目も合わせてくれないリヴァイ。


「……まさか」


あの夜、そして今朝……自分の姿を目撃し異様に怯えていたハンジ。


「……俺は、俺たちは」



『還るべき場所に行く前に試しに行動してごらん』



何で忘れていたんだ。そうだ、俺は、俺とイザベルは……あの日、あの嵐の中、巨人の群れに襲われて――。

認めたくない真実を思い出した瞬間だった。



「俺たちは死んでいたんだ」



墓石に供えられた一本の花が視界の隅に入った。
真実を知ったのだ。還らなくてはいけない、本来いるべき場所に。



「来いよイザベル」

きょとんとしているイザベルの手を取りファーランは距離を広げていくリヴァイの背中をじっとみつめた。

「……おまえは俺たちを忘れたわけじゃなかったんだな」

ずっと大切に思ってくれていた。それさえわかれば、もう未練はない。



「さよならリヴァイ、彼女と幸せにな」



ファーランとイザベルは今度こそ消えた。完全に、この世から――。










「おかえりリヴァイ」

兵舎の前でハンジは待っていてくれた。

「寒いだろうが、何で外にでてやがるんだ。このクソメガネ」

手を取ると冷たい体温が待ち続けた時間を証明していた。

「あなたこそ寒かったでしょう。暖炉で部屋を暖かくしてあるからおいでよ。あなたの好きな紅茶もあるから」
「ああ、そうだな」

リヴァイはハンジの鎖骨部分に顔を埋めた。冷たい肉体と反比例するかのように、心に温かいものを感じた。


「なあハンジ」
「何?」
「おまえだけは俺より先に死ぬなよ」
「……努力するよ」

何も持たなかったリヴァイ。唯一、仲間といえる二人を失って本当に何もなくなったと思った。
再び得ることができた宝物をリヴァイは力強く抱きしめた。

「奇妙な話があるんだ」
「珍しいね。あなたの口から、そんな話」
「信じられないかもしれねえが、ファーランの声が聞こえたような気がした」
「信じるよ」
「……そうか」

リヴァイは、それ以上は何も言わなかった。


(さよならだ、ファーラン、イザベル)



『さよならリヴァイ、彼女と幸せにな』



――ああ、必ず幸せにする。
――ハンジを生涯かけて守り抜く。この心臓を捧げてでも。





END




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