壁外調査を一週間後に控え団内は異様な緊張感に包まれていた。
「なーんか、ぴりぴりしてんな」
分隊長Bが妙なことをほざく。
「壁外調査前なんだから当たり前なんじゃないのかよ」
「あのなあ、おまえは初めてだからわかんねえだろうが、いつもと違うんだよ。あの2人の様子が」
「あの2人?」
「団長と兵士長さ」
言われてみれば兵長はいつになく怖い面して考え込んでいた。そして団長室に籠って、団長と長時間話し込んでいる。
おまけに俺が理由を尋ねると露骨に目を逸らし、「おまえには関係ない!」と必要以上に声を荒げる。まるで俺に関わるなと言わんばかりだった。
「なあ新兵、たまには、おまえがお茶出してやれよ」
「あ?」
「いいじゃねえか、一番世話になってんの、おまえだろ?」
この俺にお茶出しだって?クソ面倒だが、Bの言い分ももっともだ。
俺は食器棚にあった粉を適当にお湯で溶いたものをカップに注いで団長執務室に向かった。
一応、ノックしてやるかと右拳を扉に近づけた時、室内から声が聞こえた。




魂の継承




「退団者全員、避難できる場所は確保できたのか?」
「ああ、ぬかりはないよ」
「壁外調査の準備がなけりゃあ、俺が直接警護してやるのに」
「だから連中は今を狙ってきたんだろ。こちらの都合を考えてくれないところは昔から変わってない。相変わらず嫌な連中だ、巨人教どもは」


巨人教、その名前に俺は古井戸の底から腐敗臭に満ちた泥水が溢れ出るようなドス黒い感覚をおぼえた。
忘れもしない、あの気違い集団。俺の、俺たち家族の憎むべき敵。


「引退した兵士たちに、すぐに連絡するんだ」
「十年前、壊滅したはずだったのに、まだ生き残りがいたなんて……本当にしつこい連中だ」

兵長は低い口調で吐き捨てるように言った。

「憲兵が捜査にあたるだろうが、連中の本当の狙いは現役の私たちだ。警戒を怠らないようにしなくては」

巨人教は狂っている。人類が忌み嫌うはずの巨人を神と崇め、捕食されることを恩恵とすら考える理解不能な狂人どもだ。
ゆえに奴らは調査兵団を神殺しの集団と呼び呪っている。
ただし、怖いのは、その狂った思想だけで、戦闘力、組織力、共に百戦錬磨の調査兵団の足元にも及ばない。
奴らも、そこは把握しており、卑劣なことをする。
現役の調査兵ではなく、怪我で引退を余儀なくされた退役兵士や、その家族を狙うのだ。
特に幼い子供は抗戦する術を持たないため、格好の餌食となる。



古い記憶の底にこびりついていた嫌な思い出が蘇った。
母さんは俺と妹の手を引いて深夜の闇の中を走っていた。雨が足跡を消してくれていたが、それでも幼子の速力は瞬く間に殺人者たちの接近を許していた。

「いたぞ、悪魔の双子どもだ!」

後方に見えた松明は灼熱地獄の炎に見えた。

「ママ、もう走れない……!」

妹は限界だった。今にも泣きだしそうだ。泣き声は奴らに居場所を特定させてしまう。
母は妹を胸に抱き懸命に走ったが、足に絡み付く泥に俺たち母子の体力は徐々に奪われていく。追いつかれるのは時間の問題だった。
森の岩場までくると、母さんは妹をおろし俺たちに岩の隙間に隠れるよう指示を出した。

「絶対に出てくるんじゃないよ、声も出しちゃあダメだ。いいね?」

母さんは木の枝で俺たちをさらに覆い隠すと、再び走り出した。
「来るな!」と、殊更大きな声をあげながら。
俺たちを追走していた怪しいマントの連中は、その声に引き付けられるように母さんの後を追いかけた。
母さんは自分を囮にして俺たちを守るつもりなんだ。でも、母さんは、誰が守ってくれるんだ?
嫌だ、嫌だ、母さんが死ぬなんて絶対に嫌だ。でも、今、飛び出したら妹まで殺される。
足音が遠のくと同時に俺は母さんの無事を確認するため行動に出た。


「おまえはここにいろ。出てくるなよ」
「……お兄ちゃん」
「絶対だぞ」

「いたぞ。ガキの声がした!」

妹の顔が一瞬で引きつった。俺も心臓が跳ねていた。

「お、お兄ちゃん……お兄ちゃん……」

無力なガキだった俺は、ただ妹を抱きしめ震えることしか出来なかった。
どうして助かったのか記憶は曖昧だが、確かなことは、今、息をしていることが不思議なくらいだということだ。
あの恐怖の一夜は俺に巨人教への憎悪を植え付けた。全滅したと聞いていたから忘れていたつもりだった。

「それで肝心の巨人教のアジトはどこにあるんだ?」
「いくつか見当はついている。すでに手は打ってあるが、問題は別働隊だ。
退団した兵士は多い。奴らに見つかる前に保護するのは難しい。もし遅れを取ればどうなるか……」

母さんたちが危ない。俺はなりふりかまわず調査兵団を後にした。




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