「奴らに襲われかみ殺されたのか、それとも血を吸い尽くされて死んだんかは正確にはわからん。
けど、奴らのお仲間になるには一度死んだ後にゾンビとして再び蘇る必要があるんや」
「つまり?」
「つまり菊丸君は人間として生きている以上、今はゾンビにはならへんやろ」
「……今は、か……なんか、めちゃくちゃ適当な安全意見っすね」
「そうやけど、ええやないか。自分だって苦楽を共にした先輩をできるなら殺したくはないやろ?」


リョーマは渋々納得したのか、「拘束は解かないけど、殺したりとかはやめときますよ。今はまだね」と言った。
白石は少しほっとしたが、本心はリョーマ同様だった。菊丸に対して強い警戒心を持っている。
菊丸の今の症状は、あの時、ゾンビになる寸前に高校生の身におきたものと酷似している。決して安心などできない。
白石はそれを重々わかっていた。
もしも菊丸の今の状態が奴らに襲撃された結果だとしたら危険すぎる。確かめてみる必要があった。
白石は菊丸に近づくと穏やかではあるが単刀直入に尋ねた。




「正直に答えてや。自分、ゾンビの皆さんに襲われたんか?」
菊丸は見るからにギクッと反応した。もはや答えを聞く必要もないほどだった。
「噛みつかれたんやろ?」
菊丸は頭をぶんぶん左右にふった。否定する態度は、皮肉にも白石の推測を雄弁に証言してしまっている。
「菊丸先輩ほど嘘をつくのが下手なひともいないゾンビのね。隠しても無駄だよ。何だったら身体検査しようか?」
リョーマの言葉に菊丸は観念したのか、がくっと頭を垂れて真実を語り出した。


「そうだよ……確かにやられたよ」
しかし、すぐに頭を上げ、「で、でも、ほんのちょっとだよ!」と悲鳴のような声をあげた。
「俺はあいつらの仲間にはならないよ。ねえ信じてよ」
信じてやりたいのは山々だし、その言葉は菊丸の本心からの叫びだろう。
「本当にちょっとかじられただけなんだ。歯形がちょっとついただけで血だってあんまり流れてない」
リョーマが菊丸の袖をまくりあげた。なるほど歯形がある。その箇所は肌がドス黒く変色しており、まるで化膿しかけているようだった。
白石は思った、これは時間の問題ではと。


(おそらく菊丸君は発症が遅れているだけで、遅かれ早かれゾンビになる運命や。
かわいそうだけど俺たちにはどうすることもできひん……いずれは)


時間がたてば全身にゾンビ菌がまわり死亡するだろう。
そして今度は敵として即座に蘇る。
理性など一片も残っておれず、かつての同胞をただ襲うだけの凶暴な本能だけの怪物に。
人間でいる間に何とかすべきかもとは思うが、非情な決断など簡単にできるものではない。




「とりあえず菊丸君も山荘につれてこう」
「白石さん、危険だよ」
「まだ菊丸君がゾンビになるって完全に決まったわけやない。万が一の場合は拘束を強力にすれば済むことや」

白石は菊丸自身の運命に賭けてみることにした。




Panic―9―




「君って男を本当に見損なったよ。まさか俺たちを置き去りにしようとはね」
「僕は最初からわかってたよ。跡部は僕たちを煙たがって見捨てるチャンスを狙ってたんだ」

純粋無垢で人間関係のゴタゴタを計算できない金太郎が口を滑らせたおかげで、跡部と、幸村と不二との関係は、ますます悪化する羽目になった。
「なあ、ねえちゃん。あの三人、何か仲悪くないか?」
「……そうね」
肝心の金太郎もさすがに三人が犬猿の仲だという気配は感じているものの、自分が一枚かんでいることには全く気づいてない。
「金太郎君、その山荘は遠いの?」
「大丈夫、大丈夫。もうすぐそこや」
「え、でも……」
眼前に迫ってくるのは切り立った岩壁だ。行く手を阻むようにそびえ立つ崖に美恵 は呆気にとられた。
金太郎は野生味あふれる俊敏さで岩壁をよじ登りだした。


「ほら早く。この崖登ればすぐや」
美恵 は言葉もなかった。
「おい小僧!」
美恵 に代わって声をあげたのは跡部だった。
「馬鹿か、てめえは。正規のルートを案内しろ!」
「正規?」
「まともな道まで連れてけと言ってるんだ!」
金太郎は首をかしげながら、「俺、いつもここ登ってたで」と言った。
「野生児のてめえを基準に考えるんじゃねえ!」
「他の皆も全員登ってたで」
「俺たち選手はよくても美恵 には無理なんだ!」


「何や、ねえちゃん、登れんのか」
「……ええ、ちょっと……いえ、だいぶ無理だわ」
「そっか。だったら遠回りになるけど、壁つたいに左に進めば道にでるで」
「さっさと言え。よし美恵 行くぞ。幸村、不二、てめえらは、あのガキについていけ。崖なんて登れないなんて言うんじゃねえぞ」
不二は納得できず反論した。
「どうして君が美恵 さんと別ルートに行くんだい」
「あーん。美恵 を一人きりにできねえだろ?こういうのは彼氏の役目だ」
「とっくに別れたくせに」
「勝手なこというな。俺は別れたつもりはないんだ。さあ幸村、てめえも――」
突然、幸村が、がくっと体勢を崩し、その場に片膝をついた。




「幸村君、どうしたの!?」
美恵 は慌てて駆け寄った。幸村は苦しそうに途切れ途切れの息をしている。
「……大丈夫だよ。持病の発作が出ただけさ。安静にしていれば治まるから」
「てめえ、病気は治ったはずだろ!」
跡部がすかさず突っ込みを入れたが、幸村は「完治はしてないんだ」と言った。
「幸村君、少し休む?」
「大丈夫だよ。ただ、こんな体じゃ崖を登るなんて無理だ」
「そうね。途中で発作が起きたら転落してしまうもの」
跡部は「な、何だと?この魔王野郎……ふざけやがって」と吐き捨てるように言った。














「侑士、何してるんや?」
「何って目印に決まってるやろ」
忍足はハンカチを細かく切り裂いて、木の枝に縛り付けていた。
「そんなものなくても帰り道くらいわかるやろ」
「浅はかやなあ謙也は。俺たちじゃなくて他の連中や。これを見つけて山荘にくるかもしれへんやろ」
「なるほど」
「俺としては美恵 さえ見つかってくれたら言うことあらへん」
「せやな。跡部と美恵 が別れた以上、後は早いもん勝ちっちゅーことや」
「当然、勝者は俺や」
とは言いうものの美恵 どころか今のところ猫の子一匹発見できていなかった。


「女の子があの化けもんから逃げきるんのも難しいしな。俺もこんな事いいたかないけど、侑士、一応覚悟を――」
謙也は、はっとして言葉を飲み込んだ。
「何や?」
「侑士、あれ」
忍足は謙也が指さす方向に視線を送った。
「あれは……煙?」
消えかかっているが確かに煙だ。と、いうことは生存者がいたのだ。
「もしや美恵 か!?」
忍足は期待に胸を膨らませ猛ダッシュ。スピードでは誰にも負けないと自負している謙也ですら驚くほどの速度だった。




美恵 !!」
目的地にたどり着いた。たき火がある。忍足の期待は、ますます膨張した。
「どこや、どこにいるんや美恵 !」
周囲にはひとの気配はない。
「なあ侑士、このたき火、消火されてないか?」
よく見ると確かに砂がかぶせてあり、消火された痕跡がある。
「彼女が生きとる可能性がぐんとあがったことは確かやけど、少なくても、もうここにはいないで」
忍足はがっくりと肩を落とした。
しかし、もうすでに美恵 はゾンビによって命を落としているかもしれないことを思えば些細な行き違いだ。


「残り火がくすぶっとるっちゅうことは、まだ、この近くにいる可能性は十分ある。探すんや謙也」
「そうやな。足跡とか残っとると助かるんけど」
「謙也、静かに」
忍足に制され謙也は黙った。微かだが物音がする。その音はどんどん大きくなってきた。
足音が近づくてくる。それも、かなりのスピードで。
「誰かが走ってくる」
美恵 !!」
忍足は歓喜のあまり音がする方角に向かって全力疾走。茂みをかきわけながら進んだ。
そして人影を視界にとらえた瞬間、思わず抱きしめた。
美恵 、心配したで!無事でよかった!!」
温かい人肌の感触に忍足は胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。




「……あのー」
「はぁ?」

しかし、その感動の再会は残酷な結末で幕を閉じた。

「……何してくれるんすか。俺、男に抱きしめられる趣味なんてないっすよ」
「……お、おまえは立海の……何でやねん!!」

忍足は全力で赤也を突き飛ばしていた。














「幸村君、具合大丈夫?」
「うん、苦労かけるね。俺が健康ならよかったのに」
幸村を心配する美恵 、嬉しそうな幸村、苦虫を潰したような跡部は崖沿いの坂道を移動していた。
「何が健康ならよかっただ。ふざけた野郎だぜ」
「景吾、どうして幸村君に悪態つくのよ。幸村君は病気なのよ、肩くらい貸してやったらどうなのよ」
「何だと、てめえにはこいつのドス黒い本性がわからねえのか!!」
「酷いこといわないでよ。幸村君は優しいひとよ。浮気ばかりする誰かさんと違ってね」
美恵 らしくない皮肉だったが、跡部のせいで散々泣かされたのだ。
このくらいの嫌み腹いせにもんらないだろうと美恵 は思っていた。
それに跡部が嫌みの一つくらいで堪える人間ではないことも知っている。
せいぜい多少の文句で応酬して終わりだと思っていた。




「……ふざけやがって」




だが予想に反して跡部の口調はぞとするほど冷たかった。


「……景吾?」
「だったら、てめえは何だ?恋人だってのに、いつまでも幼馴染扱いで、おまけに」




「跡部!」
幸村に言葉を遮られ跡部は明らかにむっとしていた。
「今はそんな過去のことにこだわってる場合じゃないだろ。俺たちは今、生きるか死ぬかって状況だってことを忘れないで欲しいな」
「……ちっ、てめえに言われなくてもわかってるぜ」
跡部は「急ぐぞ」と一言放つと、さっさと歩きだした。




(おまけに……?景吾、何を言おうとしていたの……私に何か非があるとでも?)




美恵 は跡部を大切にしてきたつもりだった。恋人になる前からずっとだ。
跡部が不満を抱くようなことをした覚えはない。
まして跡部のように浮気なんて、もちろん天地神明に誓って全くない。


(そうよ。私は景吾に悪いことなんてしてない……はずだわ。浮気した景吾が悪いのよ)


跡部の戯言なんて気にする必要はないと思いながらも、美恵 は胸の奥にしこりができたような気分になっていた。




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