「景吾、どうしたのよ。あなたも見たでしょ、今のサーブ」
「知るか」
「あれは間違いなく青学の不――」
「いいか、俺は何も見なかった。俺たち以外に生存者はいねえ!余計な期待なんか持つな」

(何なの……まるで話にならないわ)

跡部はいったいどういうつもりなのだろう?
しかし、跡部がどれだけ拒絶しようと、せっかく生き残っている仲間と会えるチャンスを捨てるわけにはいかない。


「不二君、ここよ!」
美恵は大声を張り上げた。
美恵、てめえ、俺を裏切る気か!」
「何、わけわからないこと言ってるのよ!」
美恵は跡部に逆らって、さらに叫んだ。
「ここにいるわ!私は美恵よ、天瀬美恵よ!!」


美恵さん、生きてたんだね。よかった!!」


懐かしい声と共に前方の茂みから見知った男が飛び出してきた。
「幸村君、あなたも生きてたのね」
「うん、そうだよ。君の声がしたから全速力で走ってきたんだ」


「……てめえら挟みうちにしやがったな」




Panic―6―




「うちの大石副部長、海堂先輩、タカ先輩、ああ、それから六角のコンビも見かけたよ」
「アタシも魔物と化した財前君を見たわ」
「俺は不動峰の橘をみた、というよりいきなり襲われた。もちろん返りうちにしてやったけどなあ。
ああ、そうそう、自称・不二君の永遠のライバルってのは崖から川に突き落としてやったで」
白石をリーダーに忍足sやリョーマ、それに小春は情報交換していた。
「ほんま、あいつら何なんやろうな。まるで狂犬病、いや、そんな生ぬるいもんじゃない。ゾンビ、そう、ゾンビや、あれは」
謙也の言うとおりだ。理性をなくし狂ったように生きた人間を襲う魔物・ゾンビ。
噛みつかれたら、たちまち感染し己も動く死人の仲間入り。
しかし、ぞんびは映画の中でしか見たことがない、現実にいるはずのない怪物だ。


「ねえ十字架とかニンニクって効かないかしら?」
「あほか、小春。そりゃ吸血鬼やろ」
「だってぇ、ケンヤ君は足が速いからいいけど、アタシはか弱いのよ。つかまったら即やられちゃうわぁ」
「整理してみようか」
白石は紙とペンを取り出すと選手の名前をずらっと書いた。高校生は名前も知らない連中ばかりなので割愛した。
そして、すでにゾンビと化した者の名前は×印をつけた。
先ほど名前があがった者に忍足が昨夜動きを封じておいた神尾を加えると、中学生だけで、すでに八人が、この謎の現象の犠牲となっている。




「削除されてない奴は、まだ人間の可能性がある連中や。昼間のうちに何とか探し出すのがベストやな。
奴らは増殖しほうだい、こっちも人数そろえて迎え撃つ態勢を整えんと」
「せやな、戦争するには頭数がいる」
忍足は戦争と言った。その単語は極めて物騒な響きがあったが誰も異を唱えなかった。
誰もがわかっていた。もはや、あの化け物たちは共に切磋琢磨した仲間ではなく、命をかけて戦うべき敵なのだと。
生きて帰るか、負けて動く屍となるか、二つに一つ。
「奴らに噛みつかれたら終わりっちゅーことや。万が一の時のこと考えて最初にルール決めとこうか。
奴らと同じになったら、理性無くす前に攻撃する……それで、ええな」
謙也は非情な提案をした。
忍足はメガネを掛け直すと「……せやな。敵が増える前に始末するんはサバイバルの鉄則や」と即座に同意した。


「ねえ、これって何かの病気かしら?新種の狂犬病とか」
小春が両手を組み怯えながら言った。
「病気か……確かに噛みつかれたら奴らの同類になるってことは、ウイルスが原因の感染病かもしれへんなあ。
けど、こんな病気、俺は聞いたことも見たこともないよ。
忍足君、ケンヤ、医者が身内にいる自分たちなら何か知ってるんやないか?」
白石の質問に忍足たちは同時に手を振った。
「いや、こんな病気俺も聞いたことなんかない。親父は大学病院に勤務してるエリート医師やけど、そんな話一度もしたことない。
もっとも、こんな恐ろしい病気、政府が隠蔽してるちゅう可能性も否定できひんけど」
全員黙り込んだ。しばらくすると、それまで黙って聞いていたリョーマがとんでもないことを言った。




「ねえ、アウトブレイクって映画知ってる?」
ケンヤが「俺、知ってるで。エボラ菌の感染を描いたパニック映画やろ」と言った。
「そう、それ」
誰もがリョーマの突然の話に不可思議な表情になった。こんな時に映画の話をするなんて。
いくら感染力が強い病原菌のために大惨事となる共通点はあるものの不謹慎だ。
「政府は最後に感染した町をどうしようとしたか覚えてる?」
「どうしようって……確か軍が」
そこまで言って謙也は表情を強ばらせて黙り込み、徐々に青ざめていった。
その尋常ではない様子に忍足が「どうなったんや」と謙也に詰め寄った。

「……菌の拡大を阻止するために」
「阻止するために?」


「爆弾投下して町ごと病原菌を葬りさろうとしたんや」














「景吾、何わけのわからないこと言ってるのよ」
跡部は美恵の抗議には耳を貸さず、冷たい目で幸村を睨み続けている。
「まるで養殖場の豚を見るような冷たい目だな跡部。残酷な目だ。かわいそうだけど明日の朝は肉屋に並んでろって言いたげだね」
「わかってるじゃねえか」
「景吾、何てこと言うのよ!」
がさっと背後から物音。はっとして振り返ると不二が姿を現した。
「よかった。やっと追いついたよ」
「ごめんなさい不二君。景吾が突然走り出して」
「だと思ったよ」
人数が一気に倍になった。それは本来感激すべき幸運なのだが、跡部はまるで敵に出くわしたような態度を崩さない。
この異様な空気をなんとかしたかった美恵は重要な会話を切り出した。


「二人とも他に生き残っているひとは見なかったの?青学や立海の皆は?」
幸村と不二は、ほぼ同時にゆっくりと頭を左右に振った。
「……そう」
美恵自身、二日間、ずっと歩き回っていたにもかかわらず跡部が最初に出会った生存者だった。
もしかしたら、この四人以外、全員恐ろしいゾンビと化しているかもしれない。
不二と幸村に出会えただけでも不幸中の幸いだと思った方がいいかもしれない。
美恵さん、怖かっただろう?これからは俺が君を守るから安心していいよ」
幸村が近づいてくると、即座に跡部が立ちはだかった。


「……跡部、どういうつもりだい?」
「調子に乗るんじゃねえ。てめえのチートな能力はゾンビには効かねえだろう。
よくもわるくも、あれは生きた人間専門の黒魔術みてえなもんだからな。
仮に効果があったとしても奴らは痛みも苦痛も知らず、ただ本能に従って動いているだけだ。
視覚や聴覚を失ったところで止まるわけがねえ。つまり、てめえの出番はねえんだよ」
確かに連中は五感全てを失っても動き続けかねない勢いがあった。
映画のように脳を破壊しなければ止まらないかもしれない。
「じゃあ君は?」
「俺様のように高貴な人間はテニスだけじゃないってことだ。財閥の御曹司ともなれば危険とは背中合わせ。
ガキの頃から護身のために格闘技をならってるんだ。てめえらとは違う」
確かに跡部は自衛隊やSP出身のボディガードから護身術を体得していた。
実際に身代金目当てに近づいてきた怪しい連中をのしたことは一度や二度ではない。


「景吾、いい加減にしてよ。こんな時なのよ、皆で力を合わせないと」
不二は「その通りだよ」と、すぐに美恵に同意した。
「四人で力を合わせて戦いましょう。今はまだ太陽が高いけど、夜なんて、すぐに来るわ。
その前に一人でも仲間を見つけながら、身を守るための準備をしておかないと」
「だから、俺が守ってやるって言ってるだろ。こいつらは必要ねえ!」
「景吾、私は皆と一緒に助かりたいのよ」
「俺も美恵さんと同じ考えだよ」
「僕もそうだよ。命は大事にしないとね」幸村と不二の同意に跡部は舌打ちした。
「何よ、その態度。そんなに嫌なら――」
「……ちっ、わかったよ」
跡部も渋々承知したようだ。もっとも不満そうな表情は一切崩さなかったが。




「幸村君と不二君が無事だったんだもの。きっと他にも生存者はいるわ」
美恵さん」
幸村が険しい表情で切り出した。
「どうしたの幸村君?」
「さっき立海の人間に会わなかったと俺は言ったよね。実はあれ、半分嘘なんだ」
「どういうこと?」
「一人見つけたんだよ。昨夜にね」
幸村は同じチームメイトと再会をはたしていた。にもかかわらず行動を共にしていない。
それが意味するものは実に恐ろしい響きがあった。
「……もしかして奴らに」
あのゾンビたちの襲撃によって、すでに死人の仲間入りかと思ったが幸村の返答は違った。
「そういうわけじゃないんだ。まあ、当たらずとも遠からずってところかな」
残る可能性は一つ。つまり、その相手は、すでに幸村の仲間ではなくなっていたということだ。


「……幸村君は立海では絶対的な存在でしょ?その幸村君を襲ってきたの?」
「ああ、そうだよ。一応、『やめろ』って警告したんだ。仲間のなれの果てに」
幸村はため息をついた。
「でも俺の声は全く届かなかった。あいつは、完全に血に飢えたモンスターになってたのさ」
幸村は悲痛な表情で声を絞り出すように悲劇の結末を語った。
「……俺は化け物になったとはいえ、かつての仲間をこの手で葬ってしまったんだ」
「……幸村君」
「俺のこと軽蔑する?」
「まさか。仕方なかったのよ。私だって幸村君の立場だったら、きっと同じ事をしてたわ」
「ありがとう。でも俺はすごく傷ついたんだ。この傷を癒せるのは君の愛だけさ」
幸村はどさくさに紛れて美恵に抱きつこうとした。

「そこまでだ。美恵に近づくんじゃねえ」
「本当に、油断も隙もないよ」

跡部と不二に邪魔されて果たせなかったが。


「何とか、この地獄から脱出することが、今となっては柳生への供養だと思っている」
(柳生君もゾンビになったんだ。じゃあ、他の立海の皆も……いえ、そもそも、どうして、こんな事になったの?
何の兆候もなく突然超自然的な騒動が起きるなんて……)
単独でいた時は恐怖のため、仲間を捜し脱出ルートを確保することで頭がいっぱいだった。
しかし、こうして思いがけず複数のパーティーができたことで心にゆとりが生まれたせいか美恵はこの事件が起きた謎が気になりだしたのだ。




「どうして、こんなことになったの。皆なら知っているんでしょう?」
尋ねると、跡部が「知ったところで解決するわけじゃないぞ」と前置きした上で話し出した。
「俺たちだって全てを知っているわけじゃない。俺たちは、いつものようにジョギングをしていた。
俺様は先頭チームにいた。幸村、確か、てめえもそうだったな」
「そうだね。不二は少し離れて中間にいたかな。後方から微かに悲鳴が聞こえたんだ。
最初は誰かが転倒して怪我でもしたかと思ったよ。だから先頭チームはそのまま走ってたんだ。
今、思えば、あの時、後方にいた連中は襲われてたんだろうな。
あの日は曇り空だったし、最後に走っていたのは太陽が届かないトンネルの中だったから。
不二、君のほうが色々しってるんじゃないのかい?」
皆の視線が不二に注がれた。


「うん、はっきり見たよ。悲鳴の次にうなり声が聞こえたから、まさか熊じゃないかと思ってふりかえったんだ。
トンネルの薄暗い照明に照らされていたのは越前にのされて合宿所から追い出された高校生だった。
いや……元高校生といった方がいいかもね。初めて、ゾンビを見たときは、感情が希薄のこの僕も驚愕したよ。
彼らは目は赤く染まってて言葉も発せず、ただ本能のままに選手たちに次々に噛みつきまくってた。
襲われて死んだと思われた連中が生き返り、また他の選手を襲って、あっという間のできごとで考えをまとめる余裕もなかったよ。
ただ、生き残った連中は僕も含めて慌てて全力疾走さ。その後は散り散りに逃げて気が付いたら一人になってた。
合宿所に戻っても門は固く閉ざされ人の気配はゼロ。自力で麓に降りようかとも思ったけど、橋も道も通行止めで打つ手なし。
後は……君たちだって似たようなものだろう?原因は全く分からない」


「ただ一つわかっているのは、これは生死を賭けた魔のサバイバルだってことだけさ」




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