――感情に流されてる余裕はないわ。自覚しないと。

美恵は気を引き締め、今の状態を整理しようと考えた。
「……景吾、今、あいつらは何人いると思う?」
「奴らはネズミ算式に増える。甘く考えず、俺たちの大半は化け物になっていると考えた方がいいだろ」


「下手したら三桁台に突入してるだろうぜ」


「……百人以上」
めまいがしてきた。跡部の予測は高い確率で現実となっている可能性がある。
「私たち以外に生き残っている人たちを見つけないと」
跡部が生きていたのだ。他にも、きっと生存者がいる。
一人でも多くの仲間を探し出し協力して闘わないと。仲間が必要なのだ。
第一、今もどこかで一人で震えている者がいると思うと胸が締め付けられる。
「生き残っている仲間が気になるのはてめえだけじゃねえよ」
「……景吾」


「必ず生きのった連中全員探し出して、この地獄から脱出してやる」




Panic―5―




「いやぁぁぁー!」
森林の中、絹を裂くような乙女……もといオカマの悲鳴が響き渡った。
「ちょっとぉ!アタシを置いてかないでよぉ、ケンヤくぅーん!!」
「あほ!冗談言ってる暇あったら全力疾走や!!」
謙也と小春は無事だった。しかし今の状況は安全とは程遠い。
「アタシ、この若さで死にたくなぁーい!!」
「まだ言うか。無駄な台詞吐く暇あったら走りに集中しろ!!」


ほんまにとんでもないことになった。絶体絶命とはこの事や。
白石との勝負に負けた俺らに与えられたセカンドチャンス。最初は少しラッキーと思ったんや。
結果次第ではもう一度日本代表に挑戦できる資格が手に入るんやからな。不合格になった大学に補欠入学できたような気分だった。
特訓は鬼のしごきより大変やったけど結果がついてきたおかげで辛いとは思わんかった。 そう、あの時までは――。














「ねえケンヤさん」
「ん、何や?」
「監督がまた酒盗んで来いって」
「またか?あのオヤジ、ほんまに底なしの酒豪やな」
謙也はため息をついたが、最初の時より楽勝だと計算していた。
二度目ともなればコツや要領をつかんでいる。
それに、この地獄の特訓場にはない美味い食い物にありつけるという、ありがたいおまけつき。
「じゃ、今夜、よろしく頼むわ」




夜はすぐに訪れた。謙也とリョーマは合宿所へ通じる洞穴にむかっていた。
比嘉中のタニシも来たがっていたが、前回の失敗を踏まえ置いていくことで謙也とリョーマは一致していた。
「ケンヤさん、また果物とソーセージが手に入るといいっすね」
「俺はもっと豪勢なもの狙ってる。あいつら絶対にステーキとか食ってると思うで」
謙也はうきうきしていた。リョーマも不敵な笑みを浮かべている。
この時までは二人はハイキングでもしているかのような気分だった。




「……ねえケンヤさん」
だが、しばらくするとリョーマから笑みが消えた。
「どないしたん?」
「……何かいない?」
「何かって?」
リョーマの額から汗がにじんでいる。いつもは生意気なほど高飛車なリョーマが何かに怯えている。
「大丈夫か?」
「……気のせいだったみたい。行こうか」


リョーマの様子が変化してから二人の会話はぴたっと止まった。
(何なんや……この傲慢極まりない王子様が)
もしかしてリョーマは霊感が強くて、自分には見えない妙なものが見えるのかもしれない。
(それなら納得できるわ。と、なると霊感ゼロの俺には無害やな)
リョーマには悪いが、自分に害がないと判断した謙也は幾分楽しい気分を取り戻した。
だが、そんな余裕たっぷりの時間は数分後に音を立てて崩れた――。














「小春、あと少しや。あと少しだけ根性みせてみろ!」
「そ、そんなこといったってえぇぇ!」
「おまえも男だったら半端なことすな!」
もう少し、あと少しだ。
「小春、頭さげろ!!」
「え?」
小春は疑問符を浮かべながらも謙也にならって頭をさげた。
それを待っていたかのように暗闇の中から空を裂きながら四つの白い物体が猛スピードでむかってきた。
そして謙也と小春を追走していた高校生、いや元高校生たちの顔面に見事にヒット。



「やった!」
謙也は思わずガッツポーズをとった。
「ちょっとケンヤくん、あいつらまだ……!」
「な、何やて?」
白い弾丸と化したテニスボールをまともにくらったのに、連中は少し動きが鈍っただけでなおも襲いかかってきたのだ。
「一発だけじゃダメージないってわけか」
「いやっぁぁー!!」
完全に理性を失いあたふたする小春。対して謙也は完全に冷静さを失ってはいなかった。
「こんなこともあろうかと思って第二弾用意してたんや。おいコシマエ!」


「『えちぜん』だって言ってるのに。まだまだだね」


再びテニスボールがうねりをあげて元高校生たちに襲いかかった。
今度のボールは紐がくくりつけられており、さらにありえない角度で曲がったのだ。
元高校生たちは足元を紐にすくわれ、バランスを崩しドミノのように次々に転倒していった。
「今や小春、完全に動きを封じるんや!」
謙也と小春は紐の両端をそれぞれ握りしめると、元高校生の周囲をぐるぐると数回走った。
「今度こそ動けんやろ!」
元高校生たちは足をぐるぐる巻きにされ起き上れない。仕上げとばかりに謙也はテニスボールを大木の枝にむけ投球。
ボールが枝を超えると自動的に紐も枝を超えた。
「コシマエ、自分も手伝え」
「だから『えちぜん』だって言ってるのに」
謙也とリョーマと小春は力を合わせて紐を引っ張った。元高校生たちの身体が宙に浮き、彼らは逆さ吊り状態となった。
人間だったころの知能が残っていれば、この状態から脱することもできただろう。
だが凶暴な獣にすぎない今の彼らにできることは、ただ暴れるだけだった。




「とりあえず、こいつらは、もう大丈夫やろ」
謙也は、その場に座り込んで大きく息を吐いた。
「本当に助かったわ。ケンヤくんが助けにきてくれなかったら、アタシも今頃……」
「ところでケンヤさん。見つかったのは小春さんだけっすか?」
生存者を探していた謙也とリョーマは作戦をたて危険な夜間に活動をしていた。
連中に追われている仲間を助けるのが第一の目的だったが、同時に今や天敵と化した元選手たちを拘束し少しでも脅威を減らすためだ。
悲鳴を聞き駆けつけてみれば、小春が元高校生の集団に襲われていたというわけだ。


「なあ小春、ユウジは一緒じゃなかったんか?」
「アタシたち監督の命令で別々の場所で特訓してたのよ。だからユウくんがどうなったのか全然わからないわ」
「……そうか。もしかしたら脱落組は俺ら以外全滅かもしれへんな」
「そ、そんなぁ」
小春はハンカチを握りしめ、さめざめと涙を流した。
「合宿所に行くんや。あそこはセキュリティーばっちりなんやから、こいつらだって、あそこに侵入はできてないやろ」
「あんまり期待しない方がいいっすよケンヤさん。こいつらの感染力は半端じゃないんだから」
確かに、こんな惨事となっているのに、未だに警察もレスキュー部隊も救助にこないのはおかしい。
合宿所が自分たちの危機を把握してないのか、すでに向こうも壊滅したのか二択だろう。
「ねえケンヤくん。これからどうするの?」
「ん?もう遅いし、これ以上動くんは危険だから小屋に戻ろうと思ってる。今夜はあそこに籠城して、夜が明けたら合宿所に行くんや」
三人は周囲に細心の注意を払いながら小屋に到着した。




「ここまでくれば、もう安心や……って、何や、これ?」
「どうしたんすか?」
「内側から鍵がかかっとる」
「……それって中に誰かいるってことだよね」
おぞましい化け物と化した連中が戸締りなんてするわけがない。生存者が他にいたのだ!
「開けてくれ。俺は四天宝寺の忍足や。小春と青学のスーパールーキーも一緒やで!!」
「ケンヤさん、あんまり大声ださないでくださいよ。あいつらに聞こえたら厄介なんだから」


数十秒後、辺りを伺うように、ゆっくりと扉が開いた。
「侑士」
「ケンヤ、自分、無事だったんか!」
「おまえこそ!」
忍足と謙也は感極まって抱き合った。
「感動の再会は中に入ってからしてや。外は危険なんやで」
白石に促され全員慌てて中に入った。
「心配してたんやでケンヤ」
「それはこっちの台詞や。それにしても勝ち組のおまえたちがここにいるってことは」
「お察しの通りや」
忍足は合宿所の敷地外で襲われたことを説明した。


「じゃあ合宿所は無事なのか?」
「それが全くわからないんや。俺らは、あいつらから逃げてるうちに合宿所から遠ざかってしもうてな。
合宿所まで連中の手におちたかどうか確認はできひんかった。ただ、陥落してる可能性は高いとだけ言っておく」
がっくりと肩を落とす三人に忍足と白石は自分たちが立てた脱出プランを説明した。
「ただし、氷帝バスは合宿所の駐車場やから、まず、あそこに戻らなあかん」
溜め息交じりに話す忍足に、謙也とリョーマはどや顔で笑って見せた。
「それならノープロブレムや。俺たちは合宿所への秘密の経路を知ってるんやで」
「ほんまかケンヤ?」
「ほんとうっすよ。そのルートはちょっと危険だけど間違いなく合宿所に通じてるんだ」
希望の光が見えてきた。忍足と白石の表情は自然と明るくなった。
「よし、朝になったら、すぐに行動開始や。一刻も早く、この地獄から脱出せんとな」
「ちょっと待ってくれケンヤ」
「何や侑士?」
「半日だけ待って欲しいんや。もしかしたら、この森のどこかに俺のお姫様がいるかもしれへんから」














「足の具合はどうだ?」
「大丈夫よ」
美恵は立ち上がって健在をアピールした。実際、一晩休んだおかげで随分痛みはひいている。
「俺様がマッサージしてやった効果だな」
「……それはどうも」
しかし一歩踏み出すと違和感を感じる。まだまだ万全とはいえない。
歩くだけなら支障はないだろうが、走ったりしたら途端に悪化しそうな予感がする。
(昼間なら奴らは動かないから逃走しなければいけない危険もないし、きっと大丈夫よ)
「俺が抱いてやってもいいんだぜ」
「……遠慮しておくわ」
今は一秒だって無駄にできない。美恵は跡部に生存者の捜索を申し出た。


「ああ、俺も、それはわかっている。絶望的な状況だが、あいつらが全員やられたとは考えられねえからな」
幸い連中は昼間は隠れていて姿をみせない。昨日と違い本日は快晴で天候が崩れることもないだろう。
跡部と美恵は一時間ほどかけて薪を集めたき火をした。
細長い煙が空に吸い込まれていく。生存者が、この狼煙を見れば、きっと駆けつけてくれるだろう。
待っている間に跡部は近くの川で水と魚を調達してきてくれた。こんな状況だったから気づかなかったが、かなり空腹になっていた。
焼き魚はまともに口する二日ぶりの食事だった。塩も醤油もないが、高級レストランで食べた魚料理よりおいしく感じた。


「……二時間か」
食事を終えると跡部が腕時計を見ながら溜め息交じりに言った。
「まだ二時間よ。時間はたっぷりあるわ」
とは言ったものの、美恵は不安だった。
誰も姿を現さないのは、もはや残っている者は他にいないか。それとも、この場に来れない事情があるのかもしれない。
「怪我して動けないのかも。私もあなたがいなかったら、そうなっていた可能性高いもの」
「そうだな」
「待つより、こっちが歩いて探した方が」
「それはダメだ。この広い山中、闇雲に歩き回って偶然遭遇できるのは、よっぽど運がなければな。
実際、てめえも俺も、この二日間歩き回っていたのに他の人間に遭遇してないだろ」
「それはそうだけど……」
「体力をいたずらに消耗するわけにはいかねえんだよ」
跡部は「おまえは自分のことだけ考えろ」と突き放すように言った。


(もしかして私が足を怪我してるから?)

足手まといになっている。美恵は自己嫌悪に陥った。

(景吾は、態度は悪いけど根は優しいから私を抱え込んでくれている……でも内心は邪魔に思ってるでしょうね。
私さえいなければ、もっと自由に動けるし。本当に迷惑をかけてしまってるんだわ)




「おい」
しばらく無言で俯いていると、ふいに跡部が不機嫌そうに声をかけてきた。
「何、景吾?」
「てめえ、まさか、つまらねえことでいじけてるんじゃあないだろうな?」
跡部のインサイトは本当に的確だ。
「だって」
「断っておくが俺はおまえを邪魔なんて思ってないぞ。その逆だ。
おまえが無事に見つかって心底よかったと思ってる。だから二度と離れるつもりはねえ」
「ありがとう」
「社交辞令じゃねえぞ。俺がくだらねえ嘘は言わない人間だってことは、おまえが一番わかっているだろう」
頼もしく嬉しい言葉だったが、美恵は昔のように跡部を心から信じられなくなっていた。
愛してると言ってくれたのに心変わりをした。もう以前のように跡部の言葉を素直に受け入れられない。


「……信じてねえようだな」
跡部は不快感を隠さなかったが、責めたりもしなかった。
「まあいい。言葉より行動で示すのが俺の流儀だ」


「だが一つだけ信用しろ。俺たち以外にも生き残っている奴は確実にいる」


跡部はやけに自信満々にはっきりと言った。確証があるようだ。
「川辺に足跡があったんだ。乾き具合から、そう時間がたってないものだとわかるものだった」
奴らは太陽の元では活動できない。と、いうことは連中の魔の手から逃れることに成功している人間が確実に一人はいる。
「よかった」
「誰かまではわからねえが、今頃、この煙を見て此方にむかってきてるかもしれない」
希望が出てきた。氷帝の選手だろうか?それとも他校の人間か?高校生の可能性だってある。
でも相手が誰にしろ他に生存者がいるという事実自体が嬉しかった。
「やっと笑ってくれたな」
「え?」
自然と笑みがこぼれてしまったようだ。気のせいか跡部も随分嬉しそうだった。
「だから――」
跡部は言葉を止め「静かにしろ」と小声で囁いてきた。


「どうしたの?」
「……遠くから物音が聞こえた」
「もしかして例の足跡の……」
「きっとそうだ。言っただろ、俺たち以外に生存者はいると」
「でも、なかなか来ないわね。もしかして迷っているのかしら?」
「しょうがねえな」
跡部はラケットを取り出すと思いっきりテニスボールを打った。
「これでボールの方向を辿ってくるはずだ」
「景吾、見てボールが……!」
ボールが打ち返されてきた。よかった応えてくれたのだ。
そのボールが美恵の視界から消えた――。


「……消えるサーブ?」
間違いない、あのひとも生きていたのだ。そして、もうすぐ、ここに来る。
「……おい美恵」
喜ぶ美恵とは反対に跡部は渋い表情だった。
「……生存者がいるかもしれないってのは俺の勘違いだった」
跡部は突然地面を蹴ると、たき火に砂をかけ火を消しだした。


「景吾、何するのよ!」
「うるせえ。俺たち以外に生存者はいねえ。さっさと場所を変えるぞ!!」




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