「この建物と第一施設は二階が渡り廊下でつながっている。そこから第一合宿棟に行くんだ」
「待ってよ景吾、ここがゾンビだらけなのよ。第一合宿棟だってきっともうゾンビたちに占領されてるわ」
「それはどうかな」
跡部は自分の考えを説明した。
第一合宿棟は最新のシステムを備えた建物。この合宿所でもっとも強固な砦となる。
乾を囮にしたという高校生グループも、おそらくそこに籠城しているはずだと。
「彼らと合流すれば、きっと頼もしい味方になるってことね」
「ふん、甘いな。乾を囮にするような連中だぜ。期待はしないほうがいい」
Panic―18―
「バスの鍵を手に入れるためにも、遅かれ早かれ、あそこに行かなくてはいけないんだ」
「でも渡り廊下をつかっても、あっちには入れないでしょう?
防火扉がついてたじゃない。
きっと厳重に戸締まりしてるはずよ。もしかしたらバリゲードだって組んでるかもしれないわ」
「その時は窓づたいに侵入する。道具をそろえる必要があるな」
「奴らから逃げきれるかしら?」
「だから乾が必要なんだ。奴に囮としてゾンビどもをひきつけてもらう」
「乾君はどうなるの?」
「乾には最上階まで逃げてもらう。最上階のベランダから非常階段で外に逃げられるだろう。
明朝、日が昇って奴らが姿を消したのを確認したら、乾も屋内に入れてやる。それで問題はない」
「夜の間に乾君が襲われるじゃない」
「奴らは乾を襲わない。それはわかってるだろう。がたがたいうな」
「それは……そうだけど」
乾が絶対に襲われないという確証もない。
それでは乾がかわいそうだし、第一、乾がそんな自己犠牲的な役目を引き受けてくれるだろうか?
「やるしかねえだろ。乾には奴らの繁殖方法を教えてやる」
「何をいうのよ景吾!乾君にそんな酷いことを……」
「何も知らずにゾンビのお仲間入りする方がずっとおかわいそうじゃねえか。
だが、ここから脱出すれば助かる可能性は残されている。
後は時間の勝負だと正直に教えてやのが親切ってもんじゃねえのか?
選ぶのは乾だ。奴がこのまま何もせずに、ただ時間を浪費したいっていうのなら俺たちは別行動をとる」
「これはゲームじゃねえ。生きるか死ぬかの戦争なんだ。乾にも命をかけてもらう、それだけの話だ」
「……ど、どうしよう、アタシたち、もう終わりなの?」
小春はがたがたと震えながら己の末路を予想したのか、へなへなと、その場に座り込んだ。
「金色、貴様も男ならば覚悟を決めるのだ!大日本帝国万歳!!」
まるで神風特攻隊のごとく決死の決意を固め、めらめらと燃えている真田。
もう誰も彼を止められない。
「真田、静かに。奴らに居場所をかぎつけられるだろ?」
真田とは逆に幸村は実に沈着冷静だった。
三人は今テニスコートの観覧席の間に身を潜めていた。
コートを照らす強烈なライトのおかげで、ゾンビはここには近づいてこない。
もちろん、それは存在に気づかれていないからであって、もし見つかれば、たちまち恐怖の鬼ごっこがスタートするだろう。
「ねえ、このまま、ここに朝まで隠れてましょうよ」
「何を言う金色!玉砕覚悟で全面戦争に決まっておろうが!!
俺はやるぞ。おのれも俺の後に続くがいい!!」
「無茶言わないでちょうだい真田君。多勢に無勢じゃない」
「戦いは数ではない!根性で決まるのだ!!」
「あ、あかん……アタシ、あなたにはついていけないわ」
小春は幸村の腕にとびつくと、「あなた立海の部長でしょ。何とかしてちょうだい」と懇願した。
幸村はため息をつくと、「ねえ真田。本当に戦争やる気あるのかい?」と尋ねた。
「無論だ!」
真田が二つ返事で即答すると、幸村は「わかったよ」と言った。
青ざめたのは小春だ。ふらふらと倒れこんだ。
「いやぁ!やっぱ超体育会系の立海とアタシは合わないわ!」
もはや泣き叫ぶことしかできない。
「落ち着きなよ金色。戦争するっていっても俺は真田の希望通り死んで散ろうなんて思ってないよ」
「ほんま?」
「ああ、そうだよ」
真田が「臆病風にふかれたか幸村!」と叫んだ。幸村は真田の口をおさえると「聞けよ」と言った。
「奴らは光を恐れる。だけど絶対的な弱点でもない。
このままここにいても、見つかったが最後、絶対に襲ってくる。それはわかってるだろ?」
小春は首を傾げた。
「え、ええ。何で今更、そんなことを?」
「逆にいえばさ。ライトを消したら、奴らは人間を捜しにここにくるってことだろ?」
小春はおびえた。眼鏡がずり落ちそうなほど、一瞬でやつれたと思えるくらいに。
「だからあえて誘ってやるのさ。勝負は早めにつけた方がいい」
美恵は紐を何重にも編み作った細い即席ロープを作った。
「景吾、ロープはこれでいいかしら?」
跡部は強度を確認すると、「ないよりはマシだ」と言った。
他にも武器になりそうなものを集めた。準備は可能な限り整った。
「おまえは相手が化け物でも刃物で応戦は無理だろう。これで身を守れ」
跡部はモップの柄を差し出してきた。
「荷物は最低限の量に抑えておけよ」
「わかってるわ。それより景吾、本当に乾君を囮にするの?」
「あいつも、この最悪な状況を理解くらいできるだろう。電波だけに、その気になってくれるかもしれん」
「あーよく寝た」
冷凍室の扉が開き乾が姿を現した。相変わらずゾンビ化する気配は微塵もない。
「乾、話がある」
跡部は「てめえが大声だしたらまずいから冷凍室ではなす」と言った。
「何だ?」
乾はきょとんとしている。
「いいから入れ」
「ま、待ってくれ跡部。様子が変だぞ」
さすがに怪しい雰囲気に何かを感じたのか乾は青くなっていた。
そんな乾を跡部は無理矢理冷凍室に押し込め、自らも入った。
(乾君、きっとショックを受けるわ)
しばらくすると、「そ、そん――」と驚愕しきった声が聞こえ、しかも途中で途絶えた。
おそらく真実を聞かされた乾が絶叫しかけ、跡部が力づくで黙らせたのだろう。
その後もぼそぼそと微かに声が聞こえてきたが、台詞まではわからない。
「かわいそうな乾君……壊れなきゃいいけど」
同情はしたものの美恵は実はそれほど心配してもいなかった。
跡部が指摘した通り、乾は菊丸と違い感染者とは思えないほど元気いっぱいだ。
その様子を見ていると、乾は大丈夫なような気がしたのだ。
それでも、本人は己の立場を知らされ恐れおののくだろうと思うと不憫ではあるが。
(絶対に作戦を成功させないと……ここから脱出さえすれば、乾君は病院で治療を受けられる。助かるのよ)
冷凍室の扉が開き、跡部と、まるでこの世の終わりのような暗い表情をした乾が、ゆっくりと出てきた。
「全部話した。乾は喜んで囮になってくれるそうだぜ」
「……ふ、ふふふ、ゾンビが一匹、ゾンビが二匹、いや俺を含めたら三匹かな?」
(喜んで?……とても、そうは思えないわ)
乾の精神的ショックは美恵の想像以上だったようだ。
「しっかりしろ乾、そんな様じゃあ役目をこなせないだろ」
「景吾、乾君の気持ちも考えなさいよ」
「いいんだよ美恵さん……跡部は全てが片づいたら氷帝に自由に出入りする権利をくれたんだから」
乾は「ふふふ」と不気味な笑い声を発した。
「氷帝のデータを堂々ととれるのだ。それだけじゃあない。立海も四天宝寺も跡部が話をつけてくれるというじゃないか。
こんなチャンス滅多にない。データ取り放題、ふふふふふ」
乾は半分壊れかけていた。
「ちょっと景吾、大丈夫なの?」
美恵は別の意味で心配になり、小声で跡部に囁いた。
「安心しろ、もともと電波でおかしい野郎だ。このくらい本性が出たと思えばどうってことないだろ」
「乾君、ショックのあまり発狂してるんじゃないの?」
「とにかく、やるしかねえだろ」
跡部は黒板に簡単な見取り図を描いた。
「ここが今俺たちがいるところだ。そして渡り廊下がここだ」
幸いにも今は廊下にもゾンビの気配はない。だが渡り廊下は美恵と跡部が逃げてきた方角にある。
つまり、ゾンビたちの群が今もあると考えた方がいい。
「こことは反対側だ。俺と美恵は天井裏を使い移動できる位置まで行く。
その間に乾は行動を起こして、連中を反対方向に引きつけておけ。いいな?」
「……ふふふ。データ収集……俺破滅……はめつ、ハメツ……は、はめ……」
「おい乾、聞いてるのか?」
乾はハッとして「も、もちろんだ」とずれかけためがねをなおした。
想像以上に乾は動揺しているようだ。無理もない。
今の乾に囮役などという過酷な役目は荷が重すぎるとしか思えない。
「景吾、今、無理をしなくても夜明けを待って行動した方がいいんじゃないの?」
「何、言ってやがる。太陽が昇るまで、後何時間あると思ってるんだ。
今はゾンビどもは俺たちを見失った場所に集まっているが、そのうちに分散して徘徊を再開する。
ここも直に見つかる。襲われるより先に行動するに限る」
「でも今の乾君じゃあ作戦だって成功するとは思えないわ」
「こいつもいざとなったら根性が出せる男だ。全国制覇は軟弱野郎には果たせない。そうだろ乾?」
「そ、そうだな。俺も……そう思っていたよ。うん、きっとそうだ、そうに……決まってるだろうか?」
(乾君、まるで人事みたいに……かなりテンパってるわね。本当に大丈夫かしら?)
「おや?」
「どうした乾?」
「俺の気のせいかもしれないが……うーむ、何か通じるものがある……懐かしいような、そんな感じ」
「何のことだ?」
「扉の向こう側から感じるんだ」
扉についている小さなガラスの部分が割れ腕が入ってきた。それはもう何度も見てきたおぞましきゾンビのものだった。
「ちっ、もう嗅ぎ付けやがったのか!」
「景吾……!」
命を懸けた恐怖の鬼ごっこが再開されようとしていた――。
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