「……不二先輩、菊丸先輩が」
「……様子が変だね」

クローゼットの中からうめき声と重苦しい物音が聞こえてきた。 しかも徐々に大きくなってゆく。
「何が起きてるんだ?ねえ越前、様子を見て来てよ」
「しょうがないっすね」
リョーマが渋々立ち上がった瞬間だった。
突如として窓ガラスが割れ、腕がリョーマの首めがけて延びてきたのだ。


「う……っ」
突然、喉を圧迫されたリョーマは途端に苦悶の表情をみせた。
「越前!」
不二がフライパンで腕を殴打。一瞬、腕力が落ちた隙をリョーマは逃さず、腕を振り払うと窓から距離をとった。
「あいつらだ。気づかれたんだ!」
ゾンビたちが集まりつつある。そして次々と窓ガラスを割りだした。
もはや侵入してくるのも時間の問題だ。
「逃げよう越前!」
それは、もはや唯一の選択肢だった。
二人は踵を返すと玄関に向かって走った。その瞬間を狙っていたかのように、すさまじい唸り声が聞こえた。
窓の外ではない。クローゼットの中からだ。

「……まさか」

リョーマの最悪の予感を再現するかのように、クローゼットの扉をぶち破りモンスターと化した菊丸が出現した。




Panic―17―




「いい加減にして景吾、そんな大声だしたら、あいつらに私たちの居場所を教えているようなものじゃない」
跡部は軽く舌打ちした。
「ああ、わかった。だが乾、てめえに対する尋問を中止するわけじゃあないぜ。 てめえ、いつ、ゾンビどもにおそわれた?」
「この騒ぎが始まった次の日に。何とか合宿所に向かおうとトンネル通ったら一斉に襲われて、この様さ」
「あ、あそこを通ったの?」
「ああ、そうだよ。最短距離じゃないか。夜明けと同時に動いたのだが、太陽の光が届かない位置に奴らは大勢潜んでいたのだ」
「よく逃げ切れたわね」
「うむ、それだ。どういうわけか、俺に散々噛みついて気が済んだのか、奴らは俺を離したんだ。
その隙をついて全力疾走してきた。トンネルを抜ければ合宿所は見える。後は安全だったよ」
「……てめえ、奴らがどうやって繁殖してるのか知ってるのか?」
「それは俺も疑問に思っていた。実に興味深い研究対象ではあったが、俺は傷の手当てを優先させて赤チンを塗っていたんだ」


「そこに彼らが現れた」


「彼らって?」
「例の高校生さ。俺は相手が誰だろうと仲間ができたことを素直に喜んだ。ところが彼らは逆だった。俺をいきなり拘束したのだ」
乾はゾンビたちが増加する方法を全く知らないようだ。そして、自分がすでに感染していることも。


「しかも俺を生け贄にしてゾンビたちをここに閉じこめた。
そう……今の俺はデータマンなどでなく哀れな子羊。よかったらスケープゴートマンと呼んでくれ」
こんな状況だというのにピントがずれたことを言う乾に美恵は半分呆れ半分感心すらしていた。
「ただ、ここに封印されたゾンビどもはおとなしい連中が多くてな。
いったんは俺をつかまえたのに、あっさりと俺に対する興味を失ったようなんだ。 だから簡単に逃げることができた。
と、言っても殺されなかっただけで、奴らが凶暴で油断のできない化け物にはかわりない。
だから、冷凍室の電源を落とし隠れていたというわけだ」


美恵と跡部はお互いの顔を見つめあった。
言葉はなくてもお互い考えていることは同じようだ。
「しかし助かったよ、こうして君たちと合流できて。あいつらにいつ襲われるかと思うと気が気じゃなくて、ろくに寝てないんだ」
「私たちが見張りをするから休んだら?」
「そうさせてもらうよ。じゃあ、さらば」
乾は冷凍室に戻ると扉を閉めた。眠りに入ったようだ。 美恵は小さな声で跡部に言った。




「景吾、乾君をどう思う?」
「……奴も菊丸と同じだ。いつゾンビになるかわからねえ危険人物だ」
「ゾンビたちは乾君のこと半分仲間だと認識してるのね。だから襲ったのに簡単に逃がしてくれたのよ」
「だろうな」
「乾君のことも菊丸君のように拘束するの?」
跡部の性格から間髪入れずに「当たり前だ」と言葉が返ってくると美恵は考えていた。


ところが跡部は「腑に落ちねえ」と呟くように言った。
「菊丸と比べて随分症状が違うと思わねえか?」
言われてみれば菊丸は半死人のように歩くのがやっとの状態だったにもかかわらず乾は元気いっぱいだ。
しかも菊丸よりも、ずっと早く感染し、傷の度合いも酷いというのに。
個人差という言葉では片づかないほどレベルが違う。


「菊丸は、いつゾンビ化してもおかしくない様子だったが、あいつは、そんな気配は全くない」
「もしかしたら乾君は特異体質でゾンビ化しない肉体の持ち主なんじゃないの?
きっと、そうだわ。ゾンビ菌は乾君の体内で消滅したのよ」
「その可能性は少ないな。ゾンビどもは完全とはいわないが乾を同類とみなしている。保菌者には違いないはずだ」
「だったら、どうして……?」
「わからねえが、ゾンビが奴を襲わないのなら俺たちの脱出口になる」
「景吾、乾君を囮にして逃げようっていうの?!ダメよ、そんなことは。いくらなんでも非人道的すぎるじゃない」
「こんな状況だ。乾を利用する手はねえだろう。断っておくが乾にはきちんと話して協力してもらうだけだ。
逃げるときは乾も連れていく。それなら問題ねえだろう?」
跡部には何か考えがあるようだ。

「それに奴には、まだ何かあるような気がする。それがわかるまでは突き放すわけにはいかねえんだ」














「英二!」
飛びかかってきた菊丸。その恐ろしい形相には、明るく愛らしいかつての菊丸の面影はなかった。
不二は菊丸の攻撃を紙一重でかわすと、その背中にフライパンをフルスイングした。
菊丸は、その勢いで壁にとばされるも、くるっと華麗に一回転して垂直に壁に接触、そのまま壁をけって再び不二に襲ってきた。
リョーマがタオルを菊丸の顔に投げつける。視界を遮られた菊丸は動きが鈍くなった。
その隙をついて不二とリョーマは菊丸に飛びかかった。


「ゾンビ化してもアクロバットは健在なんて厄介な奴だな」
「不二先輩、拘束して、さっさととんずらしようよ」
二人は菊丸の手足を縛ろうとした。だが窓をぶち割りゾンビたちが一斉に侵入してきた。
もはや選択肢は一つ。逃亡だ。
二人は裏口から飛び出すと外から鍵をかけ全力疾走した。


「先輩、どこに逃げます?」
「決まっているだろ。中央の施設だよ。あそこは一番設備が整っているし籠城するには、もってこいだ。
裏庭を通れば時間もさほどかからない。問題はゾンビだ。僕たちの行く手を遮らないで欲しいけど」
背後からばきばきと木がきしむ音がした。リョーマは肩越しに扉を破壊して飛び出した菊丸をみた。
菊丸を先頭にゾンビ集団は、恐ろしい勢いで追ってくる。
「菊丸先輩、こっちだ!」
リョーマは突然左折した。


「そっちは遠回りじゃないか」
「こっちにはテニスコートがある。この時間は自動的に照明が点灯するんだ。こっちの方が安全だ」
まぶしい光が二人を迎えた。なるほどテニスコートを照らす大型ライトはゾンビたちの追走を鈍らせた。
おそらく他のゾンビたちも、ここには近づいていないだろう。
もちろん安全圏に入ったと安心することはできない。奴らが決定的な弱点としているのは太陽の光。
人工の光も嫌ってこそいるが、撃退するほどの威力はない。 すぐに屋内に逃げ込む必要があった。
「急ごう越前」
二人はライトに照らされたアスファルトを走った。 程なくして目的の建物が見えてきた。




「不二先輩、シャッターが降りてる。あれじゃあ入れない」
「誰かが降ろしたんだ」
つまり、その誰かが建物を封鎖して籠城しているという証拠。
二人は正面玄関に備え付けられた監視カメラに向かって叫んだ。

「開けてくれ、早く!」

こんな非常事態だ。おそらく、その誰かはゾンビの侵入を警戒して常時モニタールームから外の様子を伺っているはず。
自分たちの姿を確認したら即座に中に入れてくれるはず。
二人は必死に両腕を広げ、その時を待った。
しかしシャッターは降りたままで動く気配が全くない。

「どうして開けてくれないんだ!」

普段は冷静な不二だったが、さすがに焦ってきた。














「24時間体制っていうのも負担かかるなあ。まあ、しゃあないか。命かかってるんやから」
モニタールームには浅黒の肌をした男があくびをしながら眠たそうにモニターを見ていた。
「……ん?何や、こいつら」
必死になってカメラに手を振っている二人組を確認。
「こいつは驚きや……まだ外に生存者がいたんや」
男は少し困ったように考えていたが、「人命救助が最優先かな。やっぱ」と立ち上がった。

「それは早計すぎるよ」

しかし背後から現れた一人の男がとんでもないことを言った。

「僕たちの安全のために、この建物は完全封鎖したんだ。余計な情けは捨てて欲しいな」














シャッターがあがる気配は微塵もない。こうなったら自力で屋内に入るしかなかった。
「不二先輩、あれ」
リョーマがトラックを発見した。
「あれを土台にして二階の窓から入れば」
「何言ってるんだい。距離があるじゃないか」
「坂だからサイドブレーキを解除すれば動くだろ?」
「そうか!」


二人はトラックに走るとサイドブレーキを解除。トラックは少しずつ動き出した。
さらに荷台部分を背後から押すと、徐々にスピードをあげた。
二人が荷台に飛び乗ると、追いついてきたゾンビたちがトラックに飛びついてきた。
二人は運転席の真上に飛び乗った。ゾンビたちも車体にあがりだした。
二人はほぼ同時にジャンプして窓に飛びついた。
そのままトラックは坂道を走り、建物からどんどん離れていった。




「……後ちょっと遅かったら足首つかまれて終わりだったね」
「間一髪だったよ。さっさと中に入るよ越前」
不二は手首にタオルを巻き付けると窓ガラスを殴り小さな穴を開けた。
その穴から手を通し鍵をあけて中に入った。
「色々あったけど、これでとりあえずは安全圏っすね」
「すぐにモニタールームに行こう。合宿所の定点カメラを全部使って美恵さんを探すんだ」
二人はモニタールームのある地下フロアーに向かった。

「不二先輩、ちょっと気になりませんか?」

こんな状況だ。モニタールームには絶えず見張りがいるはず。
にもかかわらず自分たちを助けようとはしなかった。
そして今だに、その姿を見せようとしないことに何か違和感を感じる。


「僕も怪しいと思うよ。でも理性を失って殺人鬼集団と化したゾンビたちよりはマシさ。
敵にまわすにしても、多勢のゾンビより少数の何者かの方が僕たちが勝利できる確率は高い」
「だといいんだけどね」
一階フロアまできた。そして地下に続く階段を下りだしたその時!
突然、暗闇の中から人影が飛び出したのだ。
そして白い泡状のものが二人を襲った。

「な、何だ、これ!」

バブルに包まれ視界が完全に遮られた。呼吸も苦しい。
二人は慌て泡をかきわけた。その最中、背後から重みを感じ二人は床に押さえつけられた。

「だ、誰だ。なぜ、こんなこ――」

ちくっと小さな痛みが走り、二人はそのまま意識を失った。




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