廊下からうめき声が聞こえる。一人や二人じゃない。集団でやってきたのだ。

「乾、打ち合わせ通りだ。後は頼むぞ!」
「よ、よし!まかせておけ、とは言ったものの……不安だ。あ、跡部、やっぱり俺は――」

扉には、つっかい棒がしてあったが、早くもメキメキと嫌な音が聞こえている。

「うわぁぁー!こんなデータ、俺の人生設計には存在しないのにぃぃー!!」




奴らの進入を許してしまうのは時間の問題だ。

美恵、来い!」

跡部は美恵の手を取りベランダに出た。
そして驚異的な身体能力を駆使して欄干から上の階のベランダに飛び移った。




Panic―19―




美恵、手を!」
次に美恵を引っ張りあげた。幸い、そこには、まだゾンビたちは集まっていない。
「ぎゃぁぁ!り、理屈じゃないー!!」
乾の悲鳴が聞こえてきた。かなり壮絶な目にあっているようだ。
「奴らが乾に気を取られている間に事を済ませるぞ!!」
跡部と美恵は第一合宿棟に通じる連絡通路をめざして廊下に出た。前方にゾンビ数体、背後からも迫ってくる。
跡部は調理室で手に入れた油と点火したライターを背後に投げた。
炎がゾンビたちの行く手をふさいだ。これで背後の安全は確保だ、とりあえずは。
問題は、もの凄い勢いで襲ってくる前方のゾンビどもだった。 身にまとっているユニフォームから高校生だということはわかる。
元々、身体能力に優れた連中だけに厄介だが、跡部の容赦ない攻撃の前に次々と倒れていった。
もちろん、このままで済むわけがない。
連中の強みは数だ。集団でこられたら、いくら跡部でも限界がある。
この恐るべきモンスターたちが群を作る前に逃げ切らなくては全てが水泡と帰すのだ。




「行くぞ、美恵。全力疾走だ!」
「わかってるわよ」

階段から大勢さんの足音が聞こえてくる。時間がない。
連絡通路の入り口にたどり着いた。幸いにも、まだゾンビたちはここにはいない。
だが背後からは、おぞましい足音が近づいてくる。二人は連絡通路を猛スピードで駆け抜けた。
第一施設への入り口は防災扉で塞がれていた。跡部の予想通りだ。

「窓から入るぞ!」

跡部は回廊の窓を開くと、第一施設の窓めがけて拳大の石を投げた(調理室にあったものだ。おそらく漬け物用に使用されていたものだろう)
窓ガラス破壊に成功続いて跡部は先端に重しをつけたロープを投げた。
重しは窓枠にひっかかり三回ほど回転して止まった。
跡部はロープを引き、強度に問題がないことを確認すると、ロープを柱にくくりつけた。


美恵、急げ」
ゾンビたちが迫ってくる。跡部は油をぶちまけ火をつけた。
「さっさと行け!」
美恵は飛びつくと必死に綱渡り。何とか第一施設の侵入に成功した。

「景吾、早く!」

次は跡部だ。だが跡部が窓に足をかけると火勢が弱まり一斉にゾンビたちが襲ってきた。
「そんな景吾!」
跡部は数匹のゾンビに蹴りを入れるとロープをつかみナイフを取り出した。
「あばよ」
そしてロープの先端を切断。跡部の体は振り子の法則に従い、第一施設の壁に向かって円を描くように移動した。




「景吾……よかった」
跡部はロープをのぼり美恵に続いて第一施設の床を踏むことに成功。
目と鼻の先ではゾンビたちがうめき声をあげながら手を伸ばしているが、知性のない彼らには此方にくる手段がない。
「助かったのね」
「ああ、これで、奴らの驚異は終了だ。とりあえずはな」
「乾君は大丈夫かしら?」
「あいつも朝になったら保護してやるから心配するな。まずはバスの鍵だ」
跡部は美恵の手をとり歩きだした。途中、防災扉が厳重に閉められていた。 跡部が押しても引いても扉は動かない。


「……溶接してやがる。随分と慎重な連中なようだな、先客は」
「乾君は高校生だっていってたけど……」
中学生の合宿参加に伴い、その人数は減ったといえ大勢いる。生き残っているのか誰なのか見当もつかない。

「誰なのかしら?」
「いずれわかるだろうぜ」

二人は迂回して警備室に向かった。動いているのは二人の他は定点カメラのみ、その機械音は静寂の空気の中においてはやけに不気味に感じた。
暗闇の中、慎重に階段をおりながら跡部は奇妙なことを言い出した。


「……妙だな」
「どうしたの景吾?」
「ここに来るまでにいくつ定点カメラを見た?」
「えっと……確か三台だったかしら」
「ゾンビを警戒して警備室には24時間体制で誰かいるはずだ。俺たちの侵入に気付いてないわけがない。
にもかかわらず出迎えがない。歓迎されてないみてえだな」


「その通りだよ、跡部君」














「今だ。真田、金色!」
幸村の合図で真田と小春は一斉にネットを投げた。
「捕らえたか!?」
まるで網に掛かった魚のようにゾンビたちが自由を失いもがいている。
「とどめだよ」
幸村は照明の電源レバーをおろした。コートに強烈な光が注がれ、ゾンビたちは一様に絶叫し目を押さえてうずくまった。


「よし、行くぞ金色!」
「え、ええ!」
真田と小春はネットを手にゾンビたちの周囲を猛ダッシュ。
ゾンビたちは何重にも巻き付けられたネットにより身動き一つできなくなった。
「一網打尽とはこのことだね」
幸村は得意そうに笑みを浮かべた。
テニスコートを照らすライトを一時消し、あえてゾンビをおびき寄せ動きを封じる作戦は大成功だ。
ゾンビたちは強烈な照明の光でもがき苦しんでいる。
しかし、もちろんゾンビ全員を拘束したわけではない。あくまで、この付近をうろついていたゾンビ限定だ。














突然、ぱっと階段の照明が点灯した。

「てめえは入江、生きていたのか!」

「勝手に殺さないでよ。そっちこそ生きてたんだ。思った通りしぶとい子だね君は。
でも美恵さんが無事だったのは嬉しい誤算だったよ。か弱い女性は真っ先に餌食になったと思っていたから悲しかったよ」


姿を現したのは入江だけではない。見知った顔がいくつもある。
だが歓迎されてないどころの態度ではない。彼らは銃を構えているではないか。


「熊対策の猟銃だ。この施設の警備室に厳重に保管されているものを発見したのさ。
もちろん、すでに弾は入ってるから滅多な行動はとらない方がいいよ」
「……どういうつもりだ?」
「どうもこうもないよ。生き残るために当然のことをしてるまでさ」
跡部は再三言っていた。『信用できない』と。
しかし、それは跡部の考えすぎだと思っていた美恵だったが、そうとは言い切れない状況だ。


「入江さん、どうしてこんなことをするの?!」


美恵は非難がましい声をあげた。
「言ったとおりだよ。僕たちは他人を信用しないし受け入れない。
その鉄則を守ってきたから今だ化け物の巣のど真ん中にいて生き延びられているんだ」
入江は「例の二人を」と言った。
その指令によって引きづられてこられたのは拘束されている不二とリョーマ。おまけに意識を失っているようだ。




「二人に何をしたの!?」
「安心しなよ。薬でおねんねしているだけさ。跡部君、君にも大人しくしてもらうよ。
僕たちは侵入者には慎重なんだ。いつ化け物に変化して襲ってこないとも限らないからね」
「待って入江さん、私と景吾は感染してないわ。不二君とリョーマ君もよ。だから乱暴なことはやめて」
「さらに付け加えれば感染して即発症するわけじゃないことも僕は知っているよ」
入江を説得するのは難しそうだ。美恵は種子島に視線を移した。
「いいたいことはわかるよ、お嬢さん。でもなあ、入江のやり方は少々強引やけど、俺も基本的に賛成なんや」
入江ほど強硬ではないにしろ、種子島も同じ考えのようだ。


「なにせ情に流されて保護してやった大和は見事にゾンビ化して、そのせいで俺たちは仲間を二人も失ったんや。
慎重になりすぎるのは悪いことじゃあない。教訓いうんは、辛酸なめた後から発生するもんやろ?」
「地獄を見てきたのはあなたたちだけじゃあないわ!」
美恵は思わず大声をあげた。
「私たちも、この数日間、ゾンビに追い回されていたのよ。籠城できたあなたたち以上に恐怖と絶望を味わってきたわ」
思い出してもぞっとする。美恵は無意識に震えていた。




美恵さん、かわいそうに……苦労したんだね」
入江は、さも気の毒そうな目をして美恵に近づいてきた。
「大丈夫だよ。君は僕が守ってあげるから」
両腕を差し伸べてきた入江。途端に跡部が激高して、入江の手を叩きつけた。
「……何てことするんだい跡部君。痛いじゃないか」
「うるせえ、美恵に近づくな!!」
「僕のこと警戒してるようだけど美恵さんは特別さ。だから安心しなよ。
君は拘束して地下室に閉じこめさせてもらうけど、美恵さんは僕のそばで自由にさせてあげるから。もちろん、僕の視界に入る限定だけど」
「誰が、てめえみたいに胡散臭い野郎に美恵を渡すか!美恵は俺が守る、てめえなんかお呼びじゃねえんだよ!!」
「ひどいこと言うんだな。君こそ元カレの分際で出しゃばってるじゃないか」
「俺は今も美恵の恋人だ!」
「まだ、そんなこと言ってるんだ。しょうのない子だね。美恵さんは、もう僕の恋人だってのに……」


「ねえ、そうだよね?」
「……え?」




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