「怪我はしてねえだろな?!」
美恵はおそるおそる扉をひらいた。外道がうつ伏せになって倒れている。
「まさか殺したの?」
ゾンビ相手に妙な質問だったが、それ以外言葉がみつからなかった。
「後頭部にきつい一撃をお見舞いしただけだ。すぐに動くだろうから逃げるぞ」
跡部はネットで外道を拘束すると物置の中に放り込んだ。
「皆は?」
「他にも大勢ゾンビが出てきやがって、全員散り散りだ。入り口を探して、さっさと逃げ込まないと俺たちも危ない。行くぞ」
美恵は跡部に手を引かれ走った。あちこちからうめき声が聞こえてくる。
奴らが活動を始めたのだ。
Panic―15―
「景吾、あの角を曲がると正面玄関よ」
幸いゾンビの姿は見あたらない。美恵は期待を胸に角を曲がった。
「そんな……!」
美恵の期待を裏切るようにシャッターがいっせいに降りていた。
「……どうやら中で籠城している奴がいるみてえだな」
確かにゾンビなら、こんなマネをするはずがない。
玄関にたどり着くと美恵は辺りに警戒しながら叫んだ。
「お願い開けて!」
しかし反応がない。
「どうしよう景吾」
「裏口にまわるぞ」
二人はすぐに裏手にまわった。しかし裏口の扉もしっかり施錠されている。
美恵は呼び鈴を何度も押したが、まるで反応がない。
「景吾、このままじゃあ……」
うめき声はどんどん大きくなっている。かなりの数のゾンビに囲まれているはずだ。
跡部はディバッグからボールを取り出すと紐でしばりラケットで二階のバルコニーめがけて打った。
ボールは柱の周りを二周した。跡部は紐を強く引き、安全だと確認すると、まず美恵に昇るよう指示した。
美恵がバルコニーに無事に昇るのを確認して跡部も後に続こうとしたが、それを許してくれるほど今の状況は甘くなかった。
「景吾、早く。あいつらが来たわ!」
見覚えがある顔がいくつもあった。合宿所に来てからというもの、跡部たちが倒してきた高校生たちだ。
跡部を逃すまいと凄い勢いで襲ってきた。
「景吾!」
跡部は応戦しているが多勢に無勢。このままでは上ることもできない。
(何か、何かないの?!)
美恵は顔面めがけてテニスボールを投げつけたが、女の細腕で放ったボールの威力などたかがしれている。
(どうしよう、どうしたら……!)
窓一枚を隔てた屋内に視線を移すと消火器とホース収納庫が見えた。
窓は鍵がかかっており、おまけに強化ガラス製なのでラケットで殴りつけてもびくともしない。
「……あれは」
唯一、ぶち割れそうな窓を発見した。
かなり上方ではあるが、通気用の小窓がある。女の自分なら何とかくぐり抜けられるかもしれない。
美恵は柱をのぼって何とか小窓までたどり着くと渾身の力を込めて蹴った。しかしガラスが振動しただけで変化はない。
「どうして壊れないのよ。時間がないのよ、こっちは!!」
ただ蹴るのではダメだ。美恵はいちかばちか賭にでた。
屋根の縁に紐の先端をひっかけると、その紐につかまり窓をおもいっきり蹴ったのだ。
美恵の体は一端は窓から離れるが、振り子の原理で勢いをまし元に位置に戻ってきた。
そのまま美恵は小窓にスライディングを決めていた。
派手な音と粉々に粉砕されたガラスの中、美恵は屋内に突入。
そのまま廊下に落下した。
「痛い……」
体のあちこちがずきずきするが、今は泣き言を言っている暇はない。
「しつこい連中だな。命がかかってるんだ、いい加減にしないと、こっちも容赦しねえぞ!!」
跡部に蹴られ殴られ、それでもゾンビたちは、ゆっくりと立ち上がり再び襲ってくる。
「……本当に頭を破壊するぞ。どんな化け物でも、そこまですれば二度と立ち上がれねえだろうからな」
徐々に増えだしたゾンビたちに跡部は覚悟を決めかけた。
ところが突然白い泡状のものがゾンビたちを襲った。視界を遮られ、さすがの怪物たちも跡部をとらえられなくなっている。
「何だ?」
「景吾、今のうちに早く!」
跡部はすぐに紐に飛びついた。しかしゾンビの数が多すぎる。
消火器攻撃を免れたゾンビたちは、なおも跡部に襲いかかる。
「しつこい連中ね!」
美恵は今度はホースを手に取ると狙いを定めて放水した。
水圧に大勢のゾンビたちはバランスを崩し総崩れとなり、その隙をついて跡部は素早く二階にのびると紐を回収した。
「景吾、怪我はない?」
「ああ、もう大丈夫だ」
跡部は美恵を強く抱きしめた。
「……景吾、はなして。それよりも」
美恵はぞっとした。この光景が夢ならばと、何度も思った。
「ちっ……何て数だ」
ゾンビに襲われたことは何度もある。だが、せいぜい数匹だった。
しかし、今、目の前で徘徊してるゾンビの群は何十、いや何百という凄まじいものだった。
「安心しろ。どうせ連中は昼間はいなくなる。その間に脱出すればすむことだ」
「そうね……ここまで来れば、あと一息だもの」
脱出さえすれば全てが終わる。この恐怖の惨劇も終幕まで後僅かのはずだ。
「皆は無事に屋内に逃げ込めたかしら?」
「さあな。祈るだけだ」
「まずは皆を探しましょう」
合宿所は広大で、いくつもの棟から成っている。その全てはそれぞれ渡り廊下でつながっていた。
二人は、屋内に入ると鍵をかけた。あれほど活気にみちていた合宿場所だったのに、まるで廃墟のように静まり返っている。
その静寂さが、あまりにも不気味だった。
「まずはバスの鍵を手に入れましょう。皆も鍵を求めて移動しているはずだわ」
「そうだな」
建物は内側から鍵がかかっていた。そしてシャッターも降りていた。生存者がいる証拠だ。籠城している人間がいるのだ。
(景吾も同じことを考えているに違いないわ)
跡部は美恵の手を引きながら慎重に廊下を歩きだした。
「なるべく音はたてるんじゃねえぞ」
しばらく歩いていたが、生存者の気配はおろか猫の子一匹いない。
おまけに跡部は廊下の曲がり角に来る度に、神妙な顔つきになっている。
安全圏に入ったはずなのに、まるで緊張感が解けていないのだ。
美恵は言いようのない違和感を感じた。
「景吾、いったい何を考えているの?」
「あーん、何がだ?」
「私に隠し事してもむだよ。だてに十年も幼馴染やってるわけじゃないわ。
ここにはゾンビはいないのに、それどころか仲間がいるはずなのに、あなた慎重すぎるわ。まるで何かに怯えているみたい」
跡部はじっと考え込んでいたが、観念したようにため息をついた。
「これが他の女なら何の疑いもなくおとなしくしてるだろうぜ」
「何を隠しているのよ」
「もっと奥にある新設された建物は自動式のシャッターだが、こっちは古い建物なんだぜ」
確かに作りは頑丈だが、新しく建築された奥の建物とは比較にはならいほど設備は旧式だった。
シャッターにしても機械ではなく手動なのだから。
「……手動」
美恵は、ハッとした。同時に跡部が考えていることがわかり、徐々に顔色を失っていった。
それでも恐怖で己を見失ったりすることはない。
「おまえがそういう女でよかったぜ。さすがは俺が惚れた女だ」
「ちゃかさないで景吾……つまり、この建物は外側からしかシャッターが閉まらない。
おまけに私たちが侵入してから、いるはずの生存者に一人も出会っていない」
「そうだ。俺の悪い予感がもし当たっていれば、ここは籠城のために閉鎖されたわけじゃねえ。それどころか――」
前触れもなく二人の真横に位置していた木製の扉が破壊され、血に飢えたゾンビが飛び出してきた。
跡部は消火器でゾンビの頭を殴打した。
「ゾンビどもを閉じこめた奴がいるんだ」
さしものゾンビも強烈な一撃に床に沈んだ。だが、奴らの悪魔的なタフさを知っている二人は決して安堵などしていない。
それどころか、ゾンビは間違いなく他にも大勢いるはずだ。
たった一匹だけを閉じこめるために厳重に施錠しているはずがないからだ。
「景吾、あれ!」
廊下の先にうめき声と共に月明かりに照らされた人影が見える。それも一つや二つではない。かなりの人数だ。
「……逃げ込んだつもりが、蜘蛛の巣だったわけか。ふざけやがって」
おまけに倒れていたゾンビもゆっくりと起き出した。
「景吾、逃げるのよ!」
隣の建物と通路でつながっている。今はそこに逃げ込むしかない。
「ダメだ。そっちからもくるぞ」
挟まれた。こうなったら階段で一階に逃げるしかない。だが階下からもゾンビのうめき声が聞こえてくる。
まさに絶体絶命だ。
「囲まれたな」
「どうしよう景吾」
「こっちだ」
二人はとりあえずそばにあった部屋に飛び込むと家具でバリケードを作った。
「ちっ、集まってきてやがる」
木製の扉がいつまでもつか時間の問題だった。かといって窓から外に出るのも自殺行為。
現にカーテンの隙間から見えるのは、おびただしい数で徘徊するゾンビたちだった。
「景吾、あれ」
美恵は天井の隅にある網目の枠を発見した。
「あそこから天井裏にいけるんじゃない?」
「跡部財閥の御曹司にネズミみたいに狭くて薄汚い場所を逃げ回れっていうのか」
「ええ、そうよ」
跡部は忌々しそうに「それしかないようだな」と吐き捨てるように言った。
「そっちの様子はどうだい越前?」
「大丈夫っすよ。今のところ猫の子一匹いないから」
不二とリョーマと菊丸は無事だった。と、言ってもかろうじて今の時点でというだけだ。
パーティが散り散りになったあの時、皮肉なことに青学陣の彼らだけのトリオになってしまったのだ。
そして小さな建物に飛び込んだ。コーチや選手が普段休憩所として使用していた30畳ほどの多目的施設だ。
施錠してカーテンで外界からの視覚を防ぎ今にいたる。
「どうします?」
リョーマは小声で単刀直入に言った。
「ゾンビたちは主要な施設から離れないみたいっすよ。
人間だったときの習性なのか、この離れには興味ないみたいだから朝までここで隠れてるのもいいかも」
「何言ってるの越前?君はよくても、美恵さんはどうなるんだい」
「美恵さんなら跡部さんが守ってるだろうから心配ないって」
「それが困るんだよ!吊り橋効果でよりが戻ったら、どう責任とってくれるんだよ」
「……不二先輩、あんた、この世の終わりがきても生き残るタイプっすね」
リョーマは帽子をふかぶかとかぶり直し「まだまだだね」とつぶやいた。
とは言うものの、朝まで無事に済む保証などないことはリョーマもわかっていた。
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