「お帰り美恵さん」
「心配したんだよ」
不二と幸村が両腕を広げて出迎えてくれた。
「てめえら何のつもりだ、さがれ」
すかさず跡部が牽制をかける。
「おお幸村、無事だったのか」
「真田、赤也から話はきいてたよ。災難だったね」
「うむ、どういうわけか、赤也が戻ってこなかったのでな。
幸い向日と宍戸が来てくれたおかげで九死に一生を得たというわけだ。
この通り俺が復活したからには泥船に乗ったつもりでいるがいい。
ゾンビどもなど、この俺が撃退してくれるわ」
「あのー真田副部長。泥船に乗るなんてめちゃくちゃ不吉な例えやめてくれます?」
つっこみを入れる赤也とは反対に小春は「アタシを守ってくれるのね」と妙な事を口走っている。
「さあ出発や。今から急げばぎりぎり夕方には合宿所につける。時間がない、行くで」
白石に促され、謙也とリョーマの案内で合宿所を目刺し歩きだした。
Panic―13―
(長かったけど、これで、この地獄から解放される……よかった)
「足場が悪くなるから注意してよ」
リョーマが警告してきた。なるほど確かに拳大の石がごろごろしており気を抜くと転倒しそうだった。
「坂道になるで。いっそう注意してや」
謙也の警告に従って慎重に歩いたつもりだったが、足下が崩れるような感触を味わい美恵はバランスを崩した。
「危ねえ!」
跡部が支えてくれたので転倒は免れたが靴が脱げてしまい、おまけに坂道を転がっていくではないか。
「気をつけろと言っただろ。だから、てめえは」
「悪かったわね、愚図で」
「そこまで言ってねえだろ」
本当は助けてくれたお礼を言いたかったが、美恵は跡部に対して意地になっていた。
「靴を拾ってくるから離してよ」
「かわいげのない女だな」
跡部が手を離すと美恵は坂道をくだった。
「美恵、大丈夫か?俺が手をひいてやろうか?」
忍足が心配そうに申し出てくれた。
「大丈夫よ、ありがとう侑士」
忍足に対しては素直な態度も跡部の気に障ったのか、もともと不機嫌だった跡部の表情はますます険しくなっていく。
(何よ、拗ねれば私が折れると思っているのね。悪いけど、子供のころならいざ知らず、今は違うのよ。勝手に拗ねてればいいわ)
美恵は懐中電灯を照らした。どこにも靴が見あたらない。
(この辺りに転がっていったと思ったのに。もっと先かしら?)
「美恵さん、あんまり遠くに行かない方がいいよ」
不二が注意してきたが、ここにはゾンビなどいない。ただの杞憂だと美恵は考えた。
「あった」
岩の陰に靴はあった。
「美恵さん、見つかったの?」
不二は相変わらず心配して声をかけてくれる。
「ええ、あったわ。ごめんね不二君、心配かけて」
靴を履いていると背後にひとの気配を感じた。
美恵は、その気配の主を不二だと思った。だが不二が驚愕した声で「美恵さん!」と叫んだ。
その距離間からして、背後にたっている者は不二ではない。そして他の仲間でもない。
そうであれば不二がこんな悲鳴にも似た声をあげるはずがない。
それらが物語っていることは一つ。今、自分の背後に立っている人間、いや『元人間』は――
「美恵!逃げろ!!」
跡部が叫んでいた。美恵は振り向く余裕もなく駆けだしたが、背後から伸びてきた腕に髪を強烈な力で引っ張られ転倒。
顔をあげると、懐中電灯の光の中、ドス黒い腕が首に伸びてくるのが見えた。
もうダメだ。絞殺か、ゾンビの仲間入りか、美恵は己の人生の結末を想像し恐怖のあまり、ぎゅっと目を閉じた。
「バカ野郎、何をしている!」
だが跡部がゾンビの背中に強烈な蹴りを炸裂させ、ゾンビは地面を数メートルも滑走し岩に激突した。
「今のうちに逃げるんだ。さっさと立て!」
跡部に手を引かれ美恵は立ち上がった。そして見た、自分を襲ったゾンビの正体を。
「ひ、平古場君!」
その形相には以前の平古場の面影はない。しかし間違いなく平古場だった。
「走るんだ、早く!」
ここはゾンビなどいない安全地帯だと思いこんでいただけに美恵は驚愕し、とっさに体が動かなかった。
「死にたいのか、さっさと走れ!」
美恵は、ハッとした。そうだ、今は恐怖の渦に飲み込まれている場合ではない。
「行け、全力疾走だ!」
跡部に背中を押され美恵は駆け出した。
「景吾?」
しかし跡部が走ってこない。ふりかえると本能だけの怪物となった平古場が跡部につかみかかっていた。
「景吾!」
美恵は愕然となった。跡部が逃げ遅れるはずがない、あえて立ち止まったとしか思えなかった。
(まさか、まさか私を逃がすために?)
「嫌よ、景吾!」
美恵は引き返そうとしたが、忍足が腕をつかんで制止をかけてきた。
「逃げるんや美恵!」
「離してよ。景吾、景吾が……!」
あの勢いで襲われたら、いくら身体能力に優れている跡部でも、ただではすまない――はず。
「舐めるんじゃあねえ!」
平古場の体が大きく宙に浮かんだ。跡部は、猛然と襲ってきた平古場のパワーを逆に利用して、そのまま投げ飛ばしたのだ。
「沖縄武術だか何だか知らねえが、こっちはプロから直接戦闘の指導を受けてるんだ」
平古場は岩壁に叩きつけられ、そのまま地面に落下した。
これが普通の人間ならば、その衝撃でしばらく動けないだろう。
だが相手はもはや人間ではない。痛みなど感じているかも怪しいモンスターなのだ。
実際に時間をおかず平古場はゆっくりと起きあがろうとした。すかさず跡部は平古場の腕をとり肩をつかんで地面に押しつけた。
「おい、ロープだ。こいつを縛り上げろ!」
白石が荷物の中からロープを取り出し、平古場はぐるぐる巻きにされ完全に自由を失った。
しかし人間を襲う本能だけは失わず、まるで狂犬のように噛みつこうとしてくる。
「景吾、大丈夫?どこも噛まれなかったでしょうね?」
「俺様が、そんなドジを踏むわけがねえだろ」
美恵は、ほっと安堵の息を吐いた。しかし、どうして、ここに平古場がいるのだろうかという疑問が残った。
「他に出入り口があるのかしら?」
すかさず謙也が否定した。
「そんなわけあるわけない。三船コーチは、ここは秘密の入り口以外からは入れんと言うてたんや」
「でも実際に平古場君が」
美恵の疑問に答えたのは白石だった。
「あくまで俺の推測やけど、平古場はゾンビに襲撃されて即座に変化したわけやないんやないか?」
白石が平古場の身体検査をすると、右肩に歯形があった。
「やっぱり……噛みつかれて感染したけど、殺される前に逃げ出したんや。
そして、この洞窟に逃げ込んで時間がたってから絶命してゾンビとして蘇った。真相なんてもんは単純なもんなんや」
確かに白石の推理なら、この洞窟にゾンビが潜んでいた謎は解ける。
「じゃあ平古場君はタニシ君がゾンビになる前に再会できたってことね?タニシ君から、この洞窟のことを聞いていたんだわ」
「そういうことになるやろうなあ」
凄惨な結末だったのだろう。せっかく同校の仲間と合流できたのに、結局はゾンビと化してしまったのだから。
「まって。それなら平古場君以外にも、この洞窟にいるってこと……?」
「可能性は高いなあ。単独であいつらから逃げきれるとも思えん。
実際、タニシ君と甲斐君は逃げきれずにゾンビになったんや。
もう、ここは安全地帯やない。慎重に進まんと、平古場君の二の舞になるで」
「そうね……怖いわ。こんな入り組んだ場所では、どこから襲われるか予想がつかないもの」
「そうよ、そうよ。アタシたち乙女は特に要注意よぉ!」
小春は両手を組んで涙ながらに叫んだ。
「おい越前、てめえらは俺たち以外に、この洞窟のことを話した奴はいるのか?」
跡部の問いにリョーマはすましていたが、謙也は気まずそうな表情を見せた。
「話しやがったな」
「まあ……チームメイトやし、まさか、こんなことになるとは思わんかったから世間話感覚で」
「誰に話した?」
「一氏と財前や」
小春は「まあユウ君に?」と明るい表情を見せた。
「おいオカマ、てめえの相方が逃げ込んでて感動の再会なんてオチを期待してんじゃあねえぞ。
逆に平古場みたいにゾンビになって潜んでいる可能性だったあるんだ」
「まあ跡部君ってイケズね」
「結構だ。俺様は現実主義者なんでな。さっさと行くぞ」
跡部は美恵の手を取って再び歩きだした。他の者も足早に後に続く。
「もう、少しはアタシの気持ちをさっしてくれたらいいのに。ねえユウ君、あなただってそう思うでしょう?」
小春は一氏の肩にぽんと手をおいて同意を求めた。
「……あら?」
小春は奇妙な感覚を味わった。それに共鳴するように全員がぴたっと足を止めている。
「え……っと、そのぉ」
全員がゆっくりと振り返った。
「こ、小春……自分」
謙也は顔面蒼白になっている。
「落ち着け、落ち着くんやぞ小春」
白石は冷静を促している。
「……えっと、アタシの隣にいるのは」
もはや小春は立っているのがやっとではと思わせるほど顔色を失っていた。
「何や、そこにおったんかユウジ」
とどめをさしたのは金太郎だった。
噂をすればなんとやらというが、それにしても、あまりにもタイミングが絶妙すぎた。
「ぐおぁぁ!!」
うなり声をあげて小春に襲いかかる一氏。小春絶体絶命の危機!
「きゃぁぁ!アタシがわからないのぉ?いいえ!愛の力があればわかるはずよ!!」
小春は両腕を広げて、「ユウ君!」と叫んだ。
逃げることをよしとせず、一氏の中に人間の心が残っていることを祈り賭にでたのだ。
が、小春の期待とは裏腹に一氏は本能丸だしで噛みつき攻撃にでた。
「このアホ!」
謙也が一氏を突き飛ばさなかったら、間違いなく小春はゾンビとして新しい人生を送ることになっていただろう。
「きゃあ、ユウ君になんてことするのよ!」
「ええかげんにせえよ小春!そんな少女マンガみたいなアホな手段が通用すると思ってんのか!?」
一氏は立ち上がると再び凄まじい勢いで襲ってきた。
「ほら、さっさと逃げるで!」
やっかいな事になった。襲撃に備え警戒を怠ってはいないつもりだった。
一氏の登場が想定外に早すぎたとはいえ、結果的に迎撃できる態勢をとることができなかった。
「小春に何するんや!」
金太郎が一氏の足をつかむとグルグルと派手に回転、そのまま遠心力で一氏を遠くに投げ飛ばした。
「どんなもんや!」
「きゃぁ、ユウ君。金太郎はん、ちょっとやりすぎよぉ」
一氏は地面に激突した。かなりのダメージがあるはずなのに痛みを感じないせいか、ゆっくりと起きあがろうとしている。
「あかん、捕縛せな!」
白石と謙也は慌てて一氏を押さえつけた。
「ああ、ユウ君……あなたまで、人間であることを捨ててしまうなんて」
小春はしくしくと涙を流した。
「元気だしいな小春」
「おおきに金太郎はん。でも、やっぱり悲しくて……あなたも、そう思うでしょ木手君」
小春は、すぐ隣にいた木手に同意を求めた。
「え?」
ちょっと待ってと小春は心の中でつぶやいた。
(アタシたちのパーティに木手君っていたかしら……えっと……)
「ぬおぉ!貴様も、この洞窟に巣くっておったのか!!」
小春が悲鳴をあげる前に真田が木手にタックルをお見舞いしていた。
いくら沖縄武術の使い手とはいえ、体格のいい真田の渾身の一撃をくらって耐えられるのは容易ではない。生身の人間ならば。
「真田、離れろ!」
幸村が叫んだ。木手は体勢を崩さず、逆に真田を逃がすまいと抱きついたのだ。
そして真田の首筋に顔を近づけ、かぱっと口を開いた。
犬歯が異常に発達している。まるで伝説の吸血鬼のようだった。
「危ない、副部長!」
真田、絶対絶命。だがテニスボールが木手の口に飛んできて、真田への攻撃を防いだ。
「まだまだだね」
ラケットを手にしたリョーマは、ボールを二個同時にあげると全国を制したサーブを放った。
一つは木手のメガネに命中。その隙に真田は木手から逃れることができた。
そして二つ目は木手の背後に立っていた知念に命中していた。
BACK TOP NEXT