「ちっ、思ったより距離があるな。おい切原、本当に、この方角で間違いないんだろうな?」
「大丈夫っすよ。多分」
「多分だと?てめえの記憶だけが頼りなんだ。やっぱり間違えてますじゃすまねえぞ」
「……そう言われると何か自信が」
「何だと、このクソガキ。ふざけてるのか!」
跡部は赤也の襟首を持ち上げた。
「ちょっと景吾、乱暴はよしてよ。こんな広い山中なのよ、時間がかかるのは仕方ないじゃない」
すかさず美恵
がかばうと、跡部は面白くなさそうに赤也から手を離した。
Panic―12―
「大丈夫や、切原の記憶は合ってるようやで」
忍足は枝に縛られている目印を手にとり、そう言った。
「これは俺がつけておいたもんや。この近くで俺と切原は遭遇したんや。な、切原」
「よかったぁ、えっと……確か、たき火の方角は」
「あっちやあっち」
忍足が指さした方角を確認した赤也は、しばらく考え込んでから「こっちっすよ、こっち」と歩く速度をあげた。
「本当に大丈夫なんだろうな?」
跡部は半信半疑だったが、赤也の記憶は正しいことが間もなく証明された。
水が流れる音が微かに聞こえてきたからだ。つまり谷川が近くにあるということだ。
「もうすぐっすよ。あの谷で副部長はひっかかってるんだよ」
赤也は走り出した。
「副部長、お待たせしました!」
森を抜けると確かに渓谷が姿を現した。
「……いない」
だが肝心の真田の姿はどこにもいなかった。
「切原君、本当にここなの?位置が違うんじゃない?」
「いや、間違いないっすよ。俺、この崖の形を覚えてますから」
赤也は身を乗り出した。
「ほら、あそこ。あの突き出たような形状の岩壁。あそこに副部長はつかまってたんだ」
なるほど、確かにかろうじてつかまっていられるような突起がある。
しかし真田がいないのでは何の意味もない。
「やっぱり全て遅すぎたんですね」
切原は、完全に諦めたらしく両手を合わせ「どうか副部長が成仏しますように」とほざきだした。
「待ってよ切原君。まだ、諦めるのは早いわ。川に落ちて流されたかもしれないし、もう少し探しましょう」
「えー、探すんですか?俺、無駄な努力はしない主義なんですよ。
大丈夫だって、副部長は、きっと今頃は三途の川を『たるんどる』って絶叫しながら元気に遠泳に励んでますよ」
「せやなあ。あいつの事だから、地獄の鬼相手に大暴れしてるかもしれへんなあ」
「侑士まで」
美恵
は跡部に視線を移動させた。跡部はどう思っているのだろう?
「真田は推定死亡。こうなったら早々に戻ることが最優先だな」
「……あなたまで」
「当たり前だろ。もう予定時間をかなりオーバーしているんだ。
真田どころか俺たちまで三途の川を渡る羽目になったらどうする」
「そうそう。さあ、さっさと戻りましょう」
赤也は踵を返すと元気よく歩きだした。
「……あーかーやー」
「……へ?」
赤也の顔色が一瞬で青白く変色した。
「……今の声、まさか」
美恵
は一瞬空耳かとも思ったが、振り返ると跡部も忍足もぎょっとしている。
あの妙な声を聞いたのは自分だけではない。空耳でも幻聴でもない。
確かに不気味な声がした。それも、どこかで聞いたような声だった。
「たるんどるぅぅ!!」
前方の茂みの中から大ジャンプで飛び出した一つの影!
「ぎゃぁぁ!!」
その恐ろしい形相をまともに見てしまった赤也絶叫。
真田!真田だ。身に纏っている服はびりびりに破れ、目は血走り、まるで絶食したかのようにやつれ、それが凄みを増している。
「さ、真田副部長ぉぉ、迷ったな!な、南無阿弥陀物、南無阿弥陀物!怨霊退散!!
俺が悪かった、謝ります!だ、だから、どうか迷わず成仏してください!!俺をとり殺すのだけは勘弁し――」
「おい切原落ち着け。よく見ろ、幽霊じゃあないぞ」
跡部にそう言われ切原は、もう一度真田をみた。
「ほら、ちゃんと足ついとるで。残念ながら生身の人間や」
忍足にも指摘され赤也は、じっと真田を見つめた。
恐ろしい姿をしているが、確かに幽霊ではなさそうだ。
「遅かったな赤也、待ちくたびれたぞ」
「……ふ、副部長。生きてたんすか?」
「無論だ!おのれ赤也、たるんどる!!貴様のせいでエネルギーを無駄に消費したのだ。鉄拳十発でもたらぬくらいだぞ!!」
真田は拳をふりあげて赤也を追いかけだした。赤也は「どっちに転んでも迷惑だ」と叫びながら逃げている。
「よかった、真田君が無事で。でも、どうやって単独で崖をはいあがってこれたのかしら?」
真田が根性を振り絞った結果という可能性も捨てがたいが、ならば、あれほどやつれる前に登ってこれたはず。
「美恵
、美恵
じゃねえか!それに跡部に忍足も!」
「おまえら無事だったのか、心配してたんだぜ」
美恵
の疑問に答えるかのように森の中から宍戸と岳人が姿を現した。
「亮、岳人、よかった。こっちこそ心配してたのよ」
思いがけない再会だった。
聞けば宍戸と岳人は、ずっと二人で行動していたらしい。
他の生存者を探し森の中を歩いていると、どこからともかく「たるんどる!」とエコーしてきたので、ここまで来たそうだ。
「真田が崖から落ちかけていたから俺たちで助けたんだ」
「そうだったの。ねえ、樺地君や日吉君は一緒じゃないの?」
「いや、あいつらも負け組にいたから、この森のどこかにいるんじゃないかって探したんだがさっぱりだ。
そっちこそ長太郎やジローは一緒じゃないのかよ?あいつらも合宿所にいたんだろ」
「それが突然こんな事態になって慌てて逃げたから……景吾たちと合流できたのだって本当にラッキーだったくらいだもの」
「そうか……まあ、あいつらが簡単にくたばるとは思えないし、きっとどこかで頑張ってるって」
「そうね」
それは気休めの言葉かもしれないが、そう祈らずにはいられなかった。
「でも跡部と忍足が一緒でよかったぜ。ん?何か、おまえら、ちょっと雰囲気悪くないか?」
恋愛沙汰には鈍感な宍戸でも跡部と忍足の間に流れる妙な空気には気づいたようだ。
「悪いもクソもあるか。このダテめがねは俺様の女に手を出そうとしてたんだ。
氷帝の選手でありながら、部長の俺に対する立派な裏切り行為。俺の機嫌が悪くならないわけがねえだろう」
「……ほんま自分勝手やわ。とっくに美恵
とは別れたくせに」
「美恵
が勝手に主張しているだけだ。俺は別れたつもりは一切ねえ!」
「あ、あの……ぉ!」
氷帝の会話を遮るように赤也が必死に呼びかけてきた。
「た、頼みますか……ら!この状態何とかしてくだ、痛ぇ!」
「たるんどるぞ赤也!たかがコブラツイストごときで根をあげるんじゃあない!!」
赤也の顔がほどよい感じでドス黒く変色している。
良くも悪くも手加減をしらない男・真田。美恵
が止めなかったら、切原は黄泉の国へ旅立っていたかもしれない。
「すぐに戻りましょう。思ったよりも時間をロスしてしまったわ。きっと白石君たち待ちくたびれているわよ」
「白石たちも生きてるのか?」
「ええ、白石君だけじゃないのよ」
時間がないので移動しながら美恵
は宍戸と岳人に説明した。
宍戸と岳人は真田を発見するまで、ずっと二人きりだったこともあり、生存者が多数いることに驚きと喜びを隠せなかった。
「希望が見えてきたじゃねえか。このまま全滅なんて激ダサな結末はごめんだって思ってたんだ」
「ああ、このまま山から脱出して救助を要請すればジローたちだって助けてやれるぞ」
しかし明るい情報だけではなかった。宍戸と岳人も、この数日間、ゾンビと化した者たちに襲われ続けた。
ほとんどが暗闇だったこともあり、顔も覚えてないが、中には顔見知りの相手もいたそうだ。
「ひが中の甲斐とタニシを見たぜ。シルエットだけだったが、体型で一目瞭然だった」
「山吹中の……名前なんだっけ?あの地味な奴もいたな。ぶっちゃけ人間だった時よりも身体能力あがってたぜ」
「ゾンビになっても人間だった時の記憶があるのか、同じ学校の奴同士つるむみたいだな」
ゾンビと化した者たちは太陽さえ出ていなければ恐ろしい勢いで襲撃してくる。体力も無尽蔵なのか疲労するということを知らないらしい。
反して、こちらは生身の人間。体力的にも精神的にも疲労はどんどん蓄積されてゆき格段に運動量は減ってゆく。
何より、どんどん増殖してゆく連中とでは多勢に無勢。
やはり、まともに相対しては勝ち目など全くないだろう。
今は一秒でも早く脱出を成功させる。それしか、もはや生き残る道は残ってないだろう。
「急ぐぞ」
跡部も同じ考えなのか、美恵
の手を握ると歩く速度を速めた。
「なあ跡部、合宿所の方はどうなってんだ?」
宍戸は心配そうに尋ねた。
「バスの鍵は合宿所の受付にあるんだろ?もし合宿所の中がゾンビだらけになってたら脱出どころじゃなくなるじゃねえか」
「だから昼間のうちに勝負を決めようって言ってんじゃねえか。受付は玄関を入ってすぐの場所だ。昼間なら日当たり良好なんだぜ」
「それもそうだな……だったら早いこと合宿所に行こうぜ。こんなサバイバルはもうごめんだ」
根性の男・宍戸もさすがに連日のゾンビとの鬼ごっこには相当まいったらしい。
「何をほざくか!貴様等たるんどるぞ、あんな死人ども一生相手にして勝ち残るくらいの根性がなくてどうする!?」
真田だけは、あんな目に合ったというのに方向がずれたポジティブさを見せていた。
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