「俺のデータによると猟奇的殺人鬼が侵入直後に取る行動は……っと」

ポケットから取り出したメモ帳を慌ててめくりだす乾。

「殺人鬼が無敵なのは暗闇などを利用して相手のふいをつくからだ。
よって姿をさらけ出した後はお粗末なものと相場が決まっている。
と、言っても相手は武器を持っているから油断はできない。
中にはハロウィンのマイケルみたいな超人もいるだろう。
そして何故か殺人鬼は打たれ強いという共通点がある。だから攻撃は頭部に集中して――」

殺人鬼が手斧を投げつけてきた。
石から作った手斧だが、まともに当たったら出血だけではすまない。


「危ない乾先輩!」
「何?」

ごん!と刺激的な音がして手斧の柄の部分が乾の額に直撃。


「……り、理屈じゃない」


ラッキー千石顔負けの幸運というべきだろうか?
乾の意識はそこで完全に途切れ、その場にうつ伏せになって倒れ込んだ。
殺人鬼の興味から完全に排除されたのだから、やはり乾は運がいいといえるだろう。

「さすがは乾先輩……予想通りの展開っすよ」

リョーマは殺人鬼を睨みつけた。


「俺がびびるとでも思った?生憎と最初からそのひとは頭数にはいってないんだ」

リョーマは冷静だった。
まっすぐに殺人鬼を見据えている。


「まだまだだね」




テニス少年漂流記―57―




「跡部、美恵の姿は影も形もないぜ!」

岳人は樹の上でジャンプしたが、捜索は完全に手詰まりだった。
範囲を広げ懸命に捜索が続いていた。しかし殺人鬼も美恵も見つからない。
跡部は苛立ちながらも、氷帝の面々を集合させ、もう一つの命令の結果を報告させた。


「それがさあ、俺、ずっと乾を見てないんだ」
岳人が乾の名前を出した途端に、次々に「そういえば俺も見てないぜ」と言葉が続く。
「……乾か」
乾には美恵を襲う動機はない。だが、乾は存在そのものが怪しい。


「猟奇的連続殺人事件起こす奴は純粋殺人者って相場が決まってるんや!
あの電波なら、そのくらいのことしてもおかしくあらへん!!」


忍足は力説した。確かに疑いだしたら乾はとことん怪しい人格。
まして乾は不動峰を殺人鬼と決定づけた証拠の提出者。
そういえば、不動峰のイカダが発見された時に現場にいたのも乾だったではないか。
何よりも美恵を一度はあの世に送りかけたのは乾汁だった。
動機以外はこれでもかというほど状況証拠は揃っている。


「……乾か」

腑に落ちない事もあるが、乾は怪しい。跡部の決断は早かった。

「おい樺地。俺は青学のキャンプに向かう。おまえは引き続き美恵を探せ、いいな?」
「ウス」














「ぎゃあああ!リョ、リョーマさまあああ、あたし、まだ死にたくないぃぃー!!」
「と、朋ちゃん落ち着いて!」

ついに青学の仮の家は殺人鬼の侵入を許してしまった。
殺人鬼は倒れている乾を踏みつけ近づいてくる。
此方にはこれといった武器もない。相手はおそらく完全武装だろう。


「手塚部長が生きてたら『ラケットは戦闘のための道具じゃない』って融通の利かない文句いうだろうね」


リョーマは深々と帽子をかぶり直した。
「けど、俺、死にたくないから」
リョーマは小石を3個同時に空中に投げた。
次の瞬間、同時にラケットでうったのだ。凄まじいスピードで小石が殺人鬼を襲う。
小石は殺人鬼めがけて勢いよく飛んだが、殺人鬼はスピードのある小石を軽々と受け止めた。
リョーマは僅かに眉間を歪ませたが、予測していたのか「ふうん、さすがだね」と呟くように言った。
リョーマは冷静だった。すぐに、そばにあったテニスボールを手にすると打った。
地面にバウンドしたボールはイレギュルラーな動きで殺人鬼を攻撃する。
並の人間ならば今度こそ打撃を受けることだろう。
だが殺人鬼は壁に掛けてあった手塚のラケットを手にして打ち返してきた。
ボールは椰子の葉で作られた壁など簡単に貫通して野外に飛んでいった。


「こ、この不埒者め!」
スミレが素手でテニスボールを投げつけた。
しかし、これまた簡単に打ち返された。
しかもボールが消えたのだ。スミレはぎょっとなった。
正確にいえば物理的に消えたわけではない、スミレの視界から消えただけだ。
おまけにボールはスミレのボディにヒット。
「お、お婆ちゃん!」
スミレは「む、無念……」と呟くと、乾同様に、その場に倒れた。


「ふうん、やるじゃん」
殺人鬼はお遊びは終わりだと言わんばかりに、じりじりと距離を縮めてくる。
「ねえ、あんた達」
リョーマは振り向かずに言った。
「俺が相手している間に逃げてくんない?」
「リョーマ君!?」
美恵は躊躇した。自分は役に立たないだろうが、自分のせいでリョーマを犠牲にしたくはなかったのだ。
リョーマを自分のせいで死なせるわけにはいかない。


「あなたの目的は私なんでしょう!?」
美恵は一歩前に出た。
「だったら私だけを殺しなさいよ。リョーマ君や、この子達には手を出さないで!!」
「無駄だよ」
「リョーマ君?」

「こいつの正体に気づきかけている俺をそのまま放置してくれるわけないじゃん」

確かにそうだ。この殺人鬼は最初はいかれた殺人者を装っていたが、その実、計算している。
冷徹な知能犯なのだ。リョーマを見逃してくれる道理がない。
「わかったなら、さっさと逃げてよ。あんた達がいるとお荷物だからね」
桜乃と朋香は抱き合って震え上がっている。


――そうだ、この子達だけでも逃がさないと。


美恵は意を決して壁を壊し人間が屈んで通れるほどの穴を空けた。
「二人とも、早くここからでるのよ!」
「……ひっ」
「さあ早く!」
顔面蒼白になってガチガチに固まっていた二人だったが、我に返り慌てて穴から外に出た。
美恵も後に続く。
殺人鬼はそれを見ると破壊された入り口から外に出ようと向きを変えた。
だが同時にラケットが殺人鬼の後頭部めがけ飛んでいた。


「……う、うーん…理屈じゃない」
意識を取り戻した乾が起きあがっていた。その顔面にラケットが見事にヒット。
乾は絶叫と共に再び意識を失い今度こそ深い眠りに落ちた。

「……いい人すぎるよ乾先輩。いかれた殺人鬼をかばってあげるなんてさ」

殺人鬼はナイフを構えた。対するリョーマは素手。
「君が悪いんだよ」
殺人鬼が喋った。変声器で声色は変わっている。
だが、その口調はリョーマにとって馴染みのあるものだった。

「恨むなら、僕にさらかったら自分自身を恨むんだね」




「二人ともこっちよ、早く!」
跡部達の元に美恵は急いで走っていた。殺人鬼から逃れる為だけではない、リョーマを救う為にも。
「だ、だめぇ……も、もう、走れない……」
しかし朋香が早々とダウン。こんな野山の中を駆け抜けるのはきつかったらしい。
まして先ほどの恐怖体験のせいで精神的にダメージを負っているのだ。無理もない。
「朋ちゃん、頑張って」
「そ、そんな事……い、言ったって……限界」


(困ったわ。朋香ちゃんを置いていくわけにはいかない。どこかに二人が隠れるような場所はないかしら)


もうすぐだ。もうすぐ氷帝の皆の元に戻れるのに。
こんな所でぐずぐずしている暇はない。


「誰か、いるのか!?」


それは聞き覚えのある声だった。
「あ、あの声は……大石先輩だわ!」
木々の間から大石が姿を現した。
天瀬さん、良かった無事だったんだな」
「え、ええ。でもリョーマ君が殺人鬼と戦っているの」
「え、越前が!?そりゃ大変だ」
「景吾達に知らせてリョーマ君を助けないと」
「そ、そうだよね。じゃあ急いで……と、言いたいけど、そっちの二人は、もう限界みたいだな」
桜乃と朋香はもうへとへとだ。


「二人は隠れるんだ。もう少し行ったところに茂みがあるから、そこに。
跡部達の所には、俺と天瀬さんだけで行こう。
こっちには近道があるんだ。崖沿いの道だけど、普通に山道を歩くより半分の時間でつく」
「だったら、その道を行きましょう。じゃあ、二人は隠れててね」
こうして美恵は大石と共に崖沿いの道に向かった。
足場は危険だったが今は贅沢を言っている暇はない。


天瀬さん、足元に注意しなよ。ここは断崖絶壁だ、もし落ちたらひとたまりもない」
下を覗き込むと岩壁に激突する波が白い牙のように生々しかった。
大石の言うとおり足を滑らせでもしたら即死、死体もあがってこないだろう。
天瀬さん、早く。急がないと越前が殺されてしまう」
「ご、ごめんなさい」
頑張ってはいるが、どうしても女の足では後れをとってしまう。


「でも大石君、まだここを歩くの?そろそろ山道に戻らなくていいの?」
「大丈夫だよ。乾と歩いててたまたま見つけた近道なんだ。もうすぐ山に入るから」
「……そう」
「きつい事を言うようだけど、もう少し速度を上げて……うわっ」
大石がつまずいて転んでしまった。
「大石君、大丈夫!?」
「あ、ああ、大丈夫だよ」
「でも血がでてるじゃない」
酷い怪我でなければいいが、出血だけでも止めておかないと。
美恵はハンカチを取り出し、「ちょっと見せて」と強引に大石のずぼんの裾を上げた。














「……つい熟睡しちまうところだったぜ」

赤也はゆっくりと立ち上がると川の水で泥を洗い落とした。
腕、脚、それに髪の毛。最後は顔だ、ばしゃばしゃと盛大に洗顔。

「あーあ、とんでもない目に合ったぜ。に、しても、しつこい野郎だったぜ。
天瀬さんも厄介な野郎に目を着けられたもんだぜ。
粘着質な怖さはうちの幸村部長と張り合うレベル……って、おい!?」

顔を上げた赤也は目を疑った。ひとが流れているのだ!


「ちょっと待てよ、あれって……」

四天宝寺の白石ではないか。助けてやらないと溺れてしまう。
赤也は流れがゆるやかな方に泳ぎ着くことに成功したから助かった。
だが白石は川の中央の急流にはまってしまっているではないか。
泳ぐどころか浮く事すらも困難。
赤也は慌てて近くにあった蔓を小石に縛り付けて白石を追いかけた。

「これにつかまれ!!」

即席で作ったロープは意外にも人命救助に役に立ってくれた。
白石にロープは届き、赤也は無事に白石を引き上げることに成功したのだ。




「……ど、どうなる事かと思ったぜ。あんた、何だって、流されてたんだよ!」
「色々あってなあ。切原クンのおかげで助かったよ、おおきに」

赤也の機転で九死に一生を得た白石。
しかし命拾いした事で感傷に浸っている暇などない。


「犯人に襲われたんや」
「ええ、あんたもか!?」
「しかも変装前の犯人になあ。今頃は俺を殺してホッとしてるとこやと思う」
「変装前って……それじゃあ、あんた」
「ああ、ばっちりわかったでえ、犯人の正体」


「行くで切原クン。はよう犯人の身柄を拘束せんと美恵ちゃんが危険なんや」




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