跡部は容赦なく攻撃を開始した。

「てめえは俺の最も大事なものを壊そうとした。死んでも文句言うんじゃねえぞ!」
「……ふん、それはこっちの台詞さ!」

だが殺人鬼も冷酷無比さを発揮。ぎらっと鈍い光を放つナイフで応戦。


「そんなオモチャで俺様の命を奪えると思っていやがるのか!」
跡部は懐から銃を取り出した。


「こいつを、てめえにぶち込む日を夢見ていたぜ」


「跡部さん、それやったら殺人っすよ!」
冷静さを取り戻した赤也が忠告するも、そんなものに怯む跡部じゃない。


「うるせえ、こんな野郎生かしておけるか。二度と美恵に近づけねえようにしてやる!」


「幸村部長、これはまずいっすよ。跡部さんが殺人犯になっちまう」
「……跡部が殺人犯」


犯人死ぬ(これで美恵さんは、もう安全だね)→殺したのは跡部→当然、刑務所行き→美恵さんは一人ぼっち


「……悲しむ彼女を俺が慰めて。ふふふ」
「あのー……幸村部長?」




テニス少年漂流記―54―




「ぎゃおおおお!!」
野生の雄叫び。
「ぎゃああああ!!」
悲壮な絶叫。


からみあう肉体は茂みの中に消えた。しかし凄い叫びや吠え声は止まらない。
間違いなく劣勢なのは殺人鬼。




「ぬおおー、その声は!!」




どこから戦闘の騒ぎを聞きつけたのか、真田が滑り込むように参上した。

「さ、真田君!」
「まさしく、あれは剛丸の声……可哀想に動物虐待をされておるな!」
「あ、あの真田君、やられているのは殺人鬼の方で……」
「何い?!俺以外にも殺人鬼が存在しているとは初耳だぞ!!」
美恵は開いた口が塞がらなかった。
そこに自慢げに顔の角度斜め上のトカゲが茂みから登場。


「おお、剛丸。殺人鬼はどうした?」
「ぎゃぎゃ」
「何?そうかそうか圧勝してやったのか。しかし、あっさり負けるとは、何という情けない殺人鬼だ」


(……真田君、かっこいい殺人鬼なんていないと思うわよ)


「ふむ、殺人鬼は尻尾を巻いて逃げたのか。殺人鬼が退散したのであれば、もう大丈夫だぞ天瀬」
「……逃げた」
「そうだ。逃げたのだ」
「捕まえないと、また後で襲ってくるわ!」
真田はポンと手を叩いた。


「なるほど。追うぞ、剛丸!」
真田は猛然と追走を始めた。美恵も後を追う。
と、その僅か数秒後に真田は何かに激突した。同時に悲鳴があがった。
悲鳴は真田のものではない。相手がいたのだ。
「……痛いな。何だ、真田じゃないか」
「ぬう、貴様は大石、なぜここに!」
「なぜって……行方不明の天瀬さんの捜索がまだ終わってないじゃないか。
そういうおまえは捜索を投げ出して今までどこで遊んでいたんだよ」
大石は溜息をつきながら視線を逸らした。すると美恵が視覚に入った。


天瀬さん!良かった、無事だったんだな。跡部が心配していたんだよ」
「ごめんなさい大石君……あの、景吾が心配って?」
「ああ、跡部は君の事が心配で予定を早く切り上げて戻ってきたんだよ」




(景吾が戻ってきた!)




美恵は自然と表情がほころんだ。愛しい男ともうすぐ逢えるのだ。
「君が無事で本当に良かったよ。真田、さっきは悪かったな。
てっきりさぼっているかと思ったけど、おまえが彼女を探してくれたんだな」
「うむ、そうだ」
真田は何故か自慢げだった。
「あの大石君、こっちに黒服の殺人鬼が来なかった?」
「え、殺人鬼!?」
大石はぎょっとなった。無理もない。
「た、大変だ!向こうには、うちの一年生がいるんだ!」
大石は顔面蒼白になって走り出した。




「おーい!皆、大丈夫か!?」
「あれえ大石先輩どうしたんすか?」
堀尾達一年トリオは無事。大石はほっと溜息をついた。
「よかった……なあ、何か変わった事はなかったか?」
「え、何にもないっすよ?猫の子一匹出てないっすよ」


(殺人鬼が来なかった……確かに、こっちに逃げてきたはずなのに)


不思議な事に殺人鬼が消えた。まるで神隠しにあったように。
「……おかしいわ。確かに足音を辿って追いかけてきたはずなのに」
それなのに殺人鬼は消えた。


「……うーむ。ところで剛丸よ、何か殺人鬼を特定する手掛かりはないのか?」
「ぎゃぎゃ」
「何い!?殺人鬼の腕に思いっきりかみついただと!」
剛丸が言うには(と、言っても真田の思い込みかもしれないが)歯形がしっかりついたということだ。
しかも咬み心地や味を覚えているので、もう一度咬みつけばすぐわかるという。

「ふーむ。つまり、思いっきり咬みつけば犯人がわかるということか。
よーし、青学の一年坊主!貴様、今すぐ剛丸の餌になれ!!」

「えー!!」
堀尾は顔面蒼白になって後ずさりを開始した。
「じょ、冗談っすよね真田さん?」
「冗談などではない!俺は嘘や冗談など一切言わぬぞ、本気だ!!」
「そ、そんなぁ!」
堀尾は冗談じゃないとばかりに全力疾走で逃げ出した。
それを見た真田の眼がギラリと光った。

「拒んだな一年坊主……と、いう事は貴様が殺人鬼だったのか、逃さん!!」

真田は鬼神のごとき形相で堀尾を追い始めた。














殺人鬼は懐から小瓶を取り出した。
「何だあ?」
赤也は「まさか喉が渇いて?」などと、妙な事を想像した。
しかし跡部と幸村は、それが何かわかった。火炎瓶だ!!
「ちっ!」
跡部は反射的に背後に飛んだ。幸村もそばの大木の陰に緊急避難。
「……え?何?」
「馬鹿野郎、死にたいのか!?」
跡部の警告が効いたのか、一瞬遅れたが赤也も走った。
が、僅かに遅かったようだ。凄い音を出して辺りが煙に包まれた。


「あの野郎!」
殺人鬼の姿はない。逃げたのだ。
「……い、痛え」
赤也は逃げ遅れたせいで肩に負傷した。軽傷だったのは不幸中の幸いだろう。
「可哀想な赤也」
幸村は木の陰からぼそっと呟いた。
「……後輩見捨てて、てめえだけ逃げておいて、よく言うぜ」
赤也には気の毒だから、跡部には同情している余裕はない。


「……誰が逃すか。必ず捕まえてやるぜ」
跡部は地面に片膝をつき、じっと観察した。
(……足跡はほとんど残ってない。だが、逃さないぜ)
足跡からでも色々な情報は入手できる。
サイズ、靴のメーカー……それだけで殺人鬼をかなり絞ることが出来る。
「……俺の手でぶっ殺してやる」
跡部は決意を新たにし追走を開始した。


「……ねえ赤也、その怪我は彼女を守るためについたものだって事にしなよ」
「何でだよ?」
「彼女は責任感が強いから、罪滅ぼしに何かしたいと言いだすだろう?
そうなったら、俺との交際を要求するんだよ。いいね?」
「……幸村部長。俺をだしにするのは勘弁して下さいよ」














「捕まえたぞ殺人鬼ー!!」
「ぎゃああ!!」

堀尾は真田に馬乗りされ完全に動きを封じ込められた。
「逃さんといったであろう。観念しろ殺人鬼!!」
「お、俺は殺人鬼じゃないっすよー!」
「でたらめをぬかすな。殺人鬼でないのなら、なぜ逃げる!?」
「お、俺じゃなくても逃げますよー!!」
「ぬうう!まだ、そんな言い逃れをするとは日本男児にあるまじき行為!!
もはや堪忍ならん!卑怯者には問答無用、すまきにして海に投げ捨ててくれるわ!!」
このままでは堀尾が殺されてしまう!美恵は慌てて真田を説得した。


「真田君、そんな事しなくても殺人鬼を特定する事はできるわよ」
「何い!?」
「剛丸は腕に咬みついたんでしょう?腕に歯形がついているかどうか見ればいいだけの話じゃない」
真田は思わず「あっ」と小さく叫んでいた。
「そ、そうっすよ!普通はそう考えますよ!」
堀尾も必死になって主張した。
天瀬さんの言うとおりだぞ真田。おまえのやり方はちょっと過激すぎるんだよ」
大石など呆れるあまり溜息をついている。
「…………」
真田は無言になった。そして数秒後――。


「ふふふふふ、天瀬よ。いいところに気付いたな、実は俺も今同じことを言おうとしていたところなのだ」


真田は手始めに自分に呆れるという暴挙に出た大石に掴みかかった。
「まずは貴様だ大石、さあ腕を見せてみろ!」
「ええ!?ちょ、ちょっと待ってくれよ真田!まさか、俺を疑っているのか?!
俺が殺人鬼のわけがないだろう!変な事は言わないでくれよ!!」
「うるさい、俺は老若男女、決して誰一人として贔屓はせぬぞ!
さあ、さっさと腕を見せろ。だいたい、こんな南の島で長袖なんて怪しさ大爆発だ!!」
「長袖は日焼け防止だよ……わかったよ、ほら」
大石は仕方なく両腕とも袖をまくりあげた。歯形どころかかすり傷1つない。


「さあ、皆も真田に見せてやれ。疑いを晴らさないと、この男はしつこいぞ」
一年トリオは慌てて腕を真田に見せた。誰の腕にも傷はない。
「……うーむ。貴様らは潔白か」
「俺達が殺人鬼のわけがないだろう……でも、これで殺人鬼は特定できるじゃないか。
今、島にいる男を全員を調べれば、この事件は解決なんだろう?」




「君達、そこで何をしてるんだい?」




あまりにも真田の声の音量が大きかったのか、人を呼び寄せてしまった。
「……不二君」
美恵にとっては久しぶりと言った方がいいだろう。
跡部の事があって以来、不二とは気まずい仲になってしまった。
しかし不二は美恵にとっては恩人ともいえる大切な友人。
できれば仲直りして以前のように付き合いたいと美恵は思っていた。


美恵さん」

不二がにっこりとほほ笑んだ。
「不二君?」
不二の笑顔は以前と同じだ。美恵は安堵した。




「僕は君と跡部の事を祝福するよ」
「え……不二君、それは?」




「正直言って辛かったけど、大事な人には幸せになって欲しいんだ。
例え、それが僕自身の手でなくてもね……せめて友達として、ずっと付き合ってほしい」


「駄目かな?」
「そんな事ない!……嬉しい、不二君とはずっと友達でいたかったの」




――良かった……不二君と仲直りできた。
――これからも友達でいられる……本当に嬉しい。




「それを聞いて安心したよ。ところで何があったんだい?」
美恵は今までのいきさつを話した。
「ふーん。そうか、じゃあ、やっと殺人鬼の正体を突き止められるんだね」
不二はまた微笑んだ。完全に以前の優しい不二だ、美恵は本当に嬉しかった。
一番辛い時そばにいてくれた不二よりも、一度は自分を裏切った跡部を選んでしまった。
不二に対して強い罪悪感すら抱いていた美恵は心底ほっとした。
「じゃあ僕も潔白を証明しておくね」
不二は両腕を見せた。傷どころかシミ一つない奇麗な腕だ。
もっとも不二を信じ切っている美恵からしたら当然の結果だった。


「じゃあ真田は片っ端から犯人捜しをするんだね。美恵さんは僕と一緒に皆と離れてようか」
「え、どうして?」


「殺人鬼がわかるまで君は他の人間に接しない方がいいと思うんだ。
だって考えてもみなよ。殺人鬼は決定的証拠をつけられてしまったわけだろ?
今の奴は、すぐに正体がばれる立場。絶対に焦っているに決まってるよ。
追い詰められた人間は何をするかわからない。
今までは正体を隠して暗殺に拘っていたけど、なりふり構わず君を殺しにくるかもしれない。
だから君は殺人鬼ではないと判明している人間、つまり僕と一緒にいったん姿を消すのが最善の方法だと思うんだ」


不二の言い分はもっともと言えばもっともだった。
しかし姿を消すなんて美恵には承知しがたい理由がある。
跡部が自分の身を案じて戻ってきているのだ。跡部に黙って勝手な行動を取りたくはない。


「姿を消すなら景吾も一緒に……」
「駄目だよ。そんな暇なない、さあ行こう」


不二は美恵の手を握りしめると強引に歩き出した。


「ふ、不二君?」
「君の為なんだ。僕に従ってもらうよ」


――不二君?


不二は振り向かなかった。だから表情はわからない。
だが不二の口調……それは今までの優しく穏やかなものとは、どこか違う。

気のせいだろうか?

一瞬、凍てつくような冷たさを感じたは――。




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