「跡部ー!俺を犯人だと認めんとはどういう了見だー!
何の根拠もなしに俺を無視するなど許される道理がないぞ!!」
「根拠も糞もあるか!てめえが殺人鬼なんてありえねえんだよ!!」
「あ、跡部よ……貴様は、そこまで俺を信じてくれていたのか……!」

真田は感動で身を震わせた。
中学時代から、ずっと敵同士だとばかり思っていた相手。
その跡部が心底自分を信じてくれている。


「跡部よ……俺は今猛烈に感動しているー!!」
「よく聞け、真田……」

感泣している真田とは対照的に跡部は冷めていた。

「俺様に仕掛けられたトラップはガキの悪戯なんてレベルじゃなかった。
あれはプロの仕業。わかったか、犯人は知能犯なんだよ!」


「てめえのはずがねえ!!」




テニス少年漂流記―52―




「だ、誰か……!幸村君、幸村君、どこにいるの!?」

殺人鬼を前に、美恵は声を張り上げて叫んだ。しかし、その悲鳴は洞窟の奥で空しくこだまするだけ。
いくら叫んでも幸村は姿を現さない。

(ど、どうしよう……このままじゃ殺される)

背後は岩壁、どこにも逃げる場所などない。
殺人鬼と自分との間には幸村が築き上げた木製の格子があるだけ。
自分の自由を奪う監獄の象徴が、今や自分を殺人鬼から守る唯一の防壁となっている。


(今はいいけど、でもこれを壊されたら……)

相手は危険な殺人鬼。このまま、あきらめて退却するとは思えない。
その予想を実現するかのように殺人鬼はナイフを取り出した。
鈍い光を放ちながらナイフが格子に降り下される。
「きゃあ……!」
ナイフでめったざし。木を組んでいた蔓があっという間にずたずたになっていった。
このままでは殺人鬼が侵入するのも時間の問題。


(ど、どうしよう……どうしたら、いいの?)


この場所を知っているのは幸村だけ。
その幸村が帰って来ないとなると、他の誰かが助けてくれる可能性は限りなく低い。
こうなったら自分の力で何とかこの危機を突破するしか手はない。
しかし相手は武器を手にした凶悪殺人鬼。こちらは丸腰の女だ。
勝敗は戦う前から決している。まともに戦うのは自殺行為。
残された手は逃げるだけだ。しかし周囲を見渡しても逃げる場所は全くない。
格子が崩れ出した。もう考えている暇もない。
ついに殺人鬼が入れるほどのサイズまで格子が壊された。
美恵は咄嗟に足元にあった石を拾い渾身の力を込めて殺人鬼目掛けて投げた。


殺人鬼が一瞬怯み後退した。今だ、チャンスは今しかない!
美恵は幸村お手製の牢獄から脱獄する事に成功した。
そのまま全力疾走だ。殺人鬼も猛スピードで追いかけてくる。
(は、速い……!)
美恵は運動神経には自信があったが、殺人鬼はそれ以上だ。
あんな動きにくい服を着ているというのに、どんどん距離を縮めている。

(このままじゃ追いつかれる!)

――助けて!


「景吾、助けて……!!」














「幸村部長、どこほっつき歩いてるんだか。あーあ、あの人って時々理解できないんだよなあ」
赤也は他の部員と違い捜索に飽きたのか一人木の上で呑気に寝ていた。
「だいたい、あの人はほかっておいても大丈夫に決まったんだよ。
病弱という仮面をかけた最凶人間なんだから」
とはいっても、さすがにそろそろ戻らないと恐怖の副部長の制裁が怖い。
「……体罰は嫌だもんなあ」
赤也は木から降りると渋々と歩き出した。


「……ん?」
足元に何かが引っかかった。
それがピアノ線だと気づいた瞬間、足元の地面が一気に崩れていた。
「な、何だあ!?」
落とし穴だ。それも穴底に鋭い先端の杭が何本も設置されている。
赤也が人並み外れた運動神経の持ち主で、咄嗟に穴のふちに捉まらなかったら串刺しになっていたところだ。


「だ、誰だ、こんなふざけたマネをしてくれたのは……!」


まさか幸村が跡部殺害の為に仕掛けた罠の一つだとは赤也は知る由もない。
「……潰すよ」
死にかけた怒りから赤也の目は真っ赤に充血していた。
「おーい、切原じゃないか。おまえ、どこに行ってたんだよ。心配して――」
そこに運悪く桃城登場。次の瞬間、悲鳴が森にとどろいた。


「……何だ、青学の桃城じゃん。今の俺の前に姿現すのが悪いんだよ」


すっかり頭にきていた赤也だったが、ひと一人を八つ裂きにしたことで、やや冷静さを取り戻した。


「誰か……!」


「……ん、あの声は?」
女の悲鳴だ。それも、かなり切羽詰った口調ではないか。


「誰か助けて!!」


「あの声は、悪魔……もとい幸村部長が目をつけていた――」
などと言っている間に美恵が飛び出してきた。




「何があったんだよ?」
「き、切原君!さ、殺人鬼が……!」
「殺人――」
直後、マスクをかぶった黒服の怪しい風体の輩がナイフを手に飛び出してきた。


「鬼ー!?」


これには赤也もびっくりだ。
いくら切れまくる赤也といえど、今まで切れてきた相手は普通の人間。
殺人鬼と戦った経験などない。


「マ、マジかよ!とにかく、こっちだ!!」
赤也は美恵の手を取ると猛ダッシュした。
「あっちに皆いるぜ、さあ早く」
多勢に無勢、皆の元に戻れば安心だろう。赤也は単純にそう考えた。
だが、その考えが甘すぎた事を赤也は思い知る。


「は?」
足首に何か引っかかった。それは、つい先刻味わった感触に酷似していた。
赤也の額から汗が一筋流れる。

(まずい!)

赤也は咄嗟に背後に飛んだ。手を掴まれていた美恵も引っ張られる。
その2人の眼前に大木が落ちるのが見えた。
赤也の判断が僅かでも遅かったら、おそらく2人は下敷きになって怪我どころでは済まなかっただろう。
(ちなみに、その罠も幸村が跡部を殺害する為に仕掛けておいたものだった)
それに罠の存在に激昂している余裕もない。
ついに追いつかれてしまった。殺人鬼がゆっくりと近づいてくる。




「ちょっと待て、この女には手を出すんじゃねえよ!」
赤也は両腕を広げ美恵の前に出た。
「切原君?」
意外だった。美恵は、ラフプレイで相手選手をいたぶる非情な赤也しか知らない。
その赤也が体を張って自分を守ろうとしてくれている。
しかし美恵には、嬉しいという感情は湧き上がらなかった。
このままでは赤也まで殺人鬼の毒牙にかかって殺されてしまう。
その証拠に赤也の健気な態度をあざ笑うかのように殺人鬼はナイフを高々と振り上げたではないか。

「切原君、逃げなさい。こいつの目的は私なのよ!」
「何いってるんすか。あんたを見捨てて逃げたことが幸村部長にばれたら……!」




「あ~か~や~!覚悟はできてるんだろうね!?」
「ぶ、部長、話せばわかる……話せば!」
「うるさい。潰すよ、そらそらそら!!」
「うわあ、目が、耳が、手が動かないー!!」





「と、とにかくだ。あんたは俺が守ってやる!」
「……切原君」
絶体絶命だ。いくら切原が危ない男といっても、相手はもっとやばい。

(赤也君まで巻き込んだら幸村君に申し訳ない)

美恵は小石を手に取ると投げた。
しかし先ほどの二の舞は踏まぬとばかりに殺人鬼はそれを受け止める。
だが小石は囮。美恵は走り出した。


「こっちよ。私を殺したかったら追いかけて来なさいよ!」


殺人鬼はすぐに美恵を追いかけた。
「ちょっと待てよ!」
だが、その後を赤也が追いかける。

「ば、馬鹿!あなたは逃げなさいよ!」
「馬鹿はどっちだよ、そんな事したいけどできねえんだよ!!」














美恵が行方不明?!ふざけるな、それを何故早く言わねえんだ!!」

美恵の事は出来れば跡部の耳には入れたくないと誰もが思っていた。
しかし隠し通せるはずもない。だから正直に話すことにしたのだ。


「落ち着けよ跡部、今は美恵を見つける方が先決だ」
「わかってる。だが……くそ!」

跡部は眉を歪ませ感情を必死に抑えている。今にも爆発寸前だ。


(何でだ、なぜ、いつもあいつばかり辛い目に合う!?
あいつが何をしたというんだ。畜生……!)


「跡部よ、安心するがいい。真犯人の俺がここにいる限り天瀬の命は安全だ」
「真田ー!てめえは引っ込んでろ!!」


哀れにも空気を読めず跡部の神経を逆撫でにした真田は、怒りの鉄拳をくらい空の彼方の星となった。
「ぎゃぎゃー!!」
健気にも真田のペット・剛丸は真田を追いかけ地の果てに向かい二足歩行で走り去っていった。




「てめえら、雁首そろえて美恵1人発見できねえなんてどういう事だ!」
「落ち着けよ跡部、こいつらだって一生懸命やってんだぜ。なあ長太郎?」
「俺は宍戸さんにさえわかってもらえれば、跡部部長にいくら責められてもかまいません」
「……そ、そうか」


美恵、どこにいる?くそ、こんな事なら俺のそばから離すんじゃなかった)


「捜索範囲を広げるんだ!どんな小さな手掛かりでもいい、何か発見したら俺に知らせろ、いいな!?」
「あ、ああ、勿論だ跡部」
「宍戸、おまえは日吉ともっと北を中心に探してくれ!樺地、おまえは――」

跡部はリーダーシップを発揮しているが、その顔色は立っているのもやっとだった。
こんなに取り乱している跡部を見たのは氷帝の面々も滅多にない。


(ふふ、跡部め……苦しめ、苦しめ)


チームメイト達にとっては美恵は勿論の事、跡部も哀れで見ていられない程だった。
だが幸村にとっては、『心の底からすかっとさわやか』としか言いようがない。


(彼女は俺が安全な場所で保護しているともしらないで。
おまえに卑劣な手段で彼女を奪われた俺の苦しみに比べたら些細な事さ。
もっともっと苦しむがいいさ。ざまーみろ、ふふふふふ)

幸村は「じゃあ俺はこっちを探すよ」と、笑いたいのを堪えて、その場から離れた。


「……ちょっと待て幸村」
「何だい跡部?」
「……てめえ、美恵が行方不明だってのに随分と落ち着いてるじゃねえか」
「まさか。心配で胸が苦しいくらいだよ」


(……怪しい)


跡部は第六感で幸村に何かあると悟った。そして、こっそりと後をつけた。
「ふふふ」
幸村はご機嫌で鼻歌も軽快なメロディだった。


(……やっぱり怪しい。あの野郎、何か隠していやがるな)


幸村は歩き方もリズミカルになっていくではないか。
愛する女が生死不明であるには、あまりにも不自然すぎる。
その不自然さが跡部に確信させた。幸村は何か知っている――と。


(それどころか、あいつが美恵を拉致したんじゃねえのか?)

るんるん歩行の幸村の足取りがとまった。




「誰だ!?」
やはり幸村は只者ではない。気配を消したつもりだったが、感づかれてしまったようだ。
おまけに幸村はナイフまで飛ばしてきた。
「うわぁ!」
「……何だ。青学の二年生じゃないか。二度と俺の背後はとらない事だね」
「……あ、あ」
幸村は再び前を向いて歩き出した。


「……勘のいい奴だ。偶然、こいつが茂みの中で倒れてて良かったぜ」
跡部は咄嗟に桃城を身代りに仕立てた。
あやうくナイフがグサッと刺さりかけた桃城はショックで再び倒れてしまった。
跡部はいっそう注意して尾行を続けた。やがて幸村は洞窟に辿りついた。


(……まさか、あそこで美恵を監禁してるなんてオチじゃねえだろうな?)

拉致、監禁……と、なると次にくるのは決まっている。

(ま、まさか……!まさか、強姦!?)

跡部の脳裏におぞましいシーンが浮かんだ。




「いやあ、助けて景吾!!」
「叫んだって誰も来ないんだよ。さっさと俺のおもちゃになるんだね!」





「あ、あの野郎!俺の女を……!!」

跡部はついに我慢できなくなった。


「幸村、てめえどういうつもりだ!!」
「あ、跡部……!」

幸村は慌てた。美恵の監禁場所が跡部にばれてしまったのだ。


美恵は俺の女だ! てめえ、美恵に何をしやがった!!返答次第では、ぶっ殺してやるぞ!!」
「な、何の事だい?」

幸村はごまかそうとしたが、こうなっては言い訳など通用しない。


美恵っ!!」

跡部は洞窟の奥に向かって走った。美恵の無事を確認するのが優先だ。
もしも幸村に指一本でも触れられていたら、その時は幸村の命で償わせるつもりだった。


美恵、美恵!!」
「ま、待つんだ跡部……それ以上奥に入るな!待てよ、跡部……ん?」

跡部は立ち止った。呆然と立ち尽くした。

「どうしたんだい跡部?」
「……どういう事だ幸村」
「……こ、これは」
「どういう事だ幸村!美恵はどこに行ったんだ!!」

跡部と幸村が見たのは外側から破壊された牢獄だった――。














「その女に手を出すんじゃねえ!!」
切原がジャンプ。殺人鬼の後頭部目掛けて飛び蹴りの洗礼を試みた。
「……なっ?」
が、殺人鬼は振り向きもせずに頭をちょっと傾け蹴りをかわす。
のみならず、切原の足首をつかんでしまったのだ。
「うわぁ!」
そのまま大木に叩き付けられる切原。
どんと物凄い音がした。かなりのダメージだ。


「……ち、畜生」
切原は立ち上がろうとするが体がいう事をきかない。
しかし殺人鬼は非情にも、そんな切原にゆっくりと近づきナイフを振り上げた。
冷酷無比とはまさにこのこと。動けない切原にとどめを刺そうというのだ。
「やめなさいよ!」
切原を守るべく美恵は殺人鬼に戦いを挑んだ。
木の枝を手に殺人鬼と切原の間に入ったのだ。


「…………」
殺人鬼は何も答えない。ただ、じっと美恵を見つめている。
すぐに殺しにかかるだろうと思っていたのに、殺人鬼は動かない。
(……?)
様子がおかしい。何か迷っているようだ。
(今のうちに……)
隙ありとばかりに美恵は殺人鬼の面目掛けて枝を叩きつけた。
が、先ほどの切原の攻撃同様。紙一重で避けられてしまい、そのまま地面に押し付けられた。


「な、何をするのよ!」
「…………」

殺人鬼は答えず美恵を後ろ手で縛りだした。


「何をするのよ。私をどうするつもりなの!!」


殺人鬼は美恵を担ぎ歩き出した――。




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