「うぎゃあああ!!」

残酷な舞台の主演男優に急遽場的された観月は迫真の悲鳴を上げた。
その絶叫は観客・祐太を恐怖に陥れる素晴らしいものだった。
だが悪役はさらに観月に華のある演技を強要してきた。
観月を突き飛ばすと、そばにあったテニスラケット(観月私物)を手にしたのだ。
逃げようとする観月の頭部に渾身の一撃が降り降ろされた。
衝撃で視界がかすむ観月。だが、とどめをさすかのようにラケット往復びんた炸裂!
観月は視界は真っ赤に染まり、彼は力なく地面にうつ伏せに倒れた。


「ゆ、裕太君……た、助け……」


絞り出した声に硬直していた裕太はハッと我に返る。
しかし時すでに遅し。
殺人鬼は必死に這って逃げようとした観月に徒歩で余裕で迫るとラケットを高々と上げた。
がんと鈍い音がして、観月の後頭部にラケットがふり降ろされた。


「み……観月さん!!」


観月はぴくりとも動かない。殺人鬼が此方を振り向いた。
やばい、今度は俺だと裕太は瞬時に悟った。
すぐに走った。殺人鬼がいると皆に知らせなければ!
が、逃げる裕太目掛けて殺人鬼はラケットを剛速球で投げていた。
ラケットは裕太の頭に直撃。そこで裕太の意識は消えた。
殺人鬼は観月の右足首を掴むとずるずると引きづりながら立ち去った――。




テニス少年漂流記―51―




(……美恵さん)

幸村は空しそうに星空を眺めていた。
本当はわかっていた。こんな事をしても彼女は手に入らないと。
こんな場所でいつまでも監禁できるわけじゃないことも理解している。
跡部が美恵を抱いた事実に頭に血が上り冷静さを失っていた。


仁王の言うとおり、美恵は跡部の女だ。諦めるのも一つの選択肢だったかもしれない。
でも、どうしても出来なかった。例え跡部に穢されても嫌いになれなかった。
美恵さえ手に入れば過去の事は目をつむってもいい。
跡部の事など忘れて二度と思い出さなければいい、そう覚悟を決めた。
それなのに肝心の美恵が跡部を忘れてくれないのだ。
これは許しがたい仕打ちだ。幸村は愛する者に裏切られたという思いで心が引きちぎられそうだった。
だが、それでも美恵を憎む気持ちにはなれない。
まして手離す事などできない。
もう贅沢は言わない。そばにいてさえ居てくれればいいとさえ思い始めていた。




「……奇麗だな」

満天の星空は人間の想いなど無視して神聖な輝きを放ち続けている。
それと比較すると自分のどろどろした感情は小さく醜い。


(俺の想いは、あの星空のように純粋で美しいものだったはずだ)

幸村は思い出した。美恵への愛情を。

「……俺は憎しみのせいで大きな過ちを犯すところだった」


美恵を閉じ込めて何になる?
自分がしていることは、美恵を苦しめているだけだ。
そんな単純な事に幸村は、やっと気づいたのだ。
夜空を見つめる幸村の瞳は、かつて美恵が優しいと言ってくれた昔の幸村の目に戻っていた。


「俺が間違っていた。美恵さん……ごめん」

そんな言葉が自然に口からこぼれていた。


「跡部がこの世から消えれば済むことだったんだ。それなのに君を傷つけてしまった」


幸村が改心し美恵に危害を加えることは止めようと心に誓った瞬間だった。














「おい宍戸、いつまで寝てやがるんだ!」
「……ん、何だよ跡部」

宍戸はゆっくりと上体を起こした。まだ薄暗い。

「さっさと帰るぞ」
「まだ早くねえか?」
「あーん?何を言ってやがる。俺様はもうこれ以上は我慢ならねえんだよ!」


美恵の顔が見たい。思いっきり抱きしめたい。
跡部はすでに限界だった。宍戸は「わかったよ」と髪の毛をかき上げながら立ち上がった。
連日、労働したせいかテニスで鍛えている宍戸もさすがに疲労を隠せない。
ところが跡部はさっさと帰り支度を済ませている。元気いっぱいだ。
宍戸は素直に愛の力はすごいなと感心した。


「ほら行くぞ」
「わかってるって」
歩きながら跡部は美しい花を発見。美恵への手土産に一輪手折った。
「あいつの美しさにはかなわねえがな」
「……はあ?」
「ふっ、てめえも恋人ができりゃわかるぜ」
「そんなもんか?」


今まで跡部は数多くの女がいたが、そんなにハイにはならなかっただろと宍戸は思った。
しかし、相手が美恵では、しょうがないとも思った。
一度は失いかけた大切な女なだけに、めでたく結ばれたことが余程嬉しいのだろう。


「てめえも鳳に土産の一つでも持ってってやれよ」
「そうは言われても何やっていいのかわかんねえよ」
「おまえがやるっていえば小石でも喜ぶぜ」
「……おいおい、勘弁してくれよ」
そんな調子で2人は山を下りた。獣道を抜ければ、ツリーハウスまでもう少しという所まで来た。
「帰ったらベッドで、もう一眠りだな」


宍戸は自然と歩く速度を上げた。その時だ、跡部は何かがきらっと光るのを捉えた。
見間違いではない。跡部のインサイトは確かに見たのだ。


「宍戸、止まれ!」


テニスで鍛えただけあって反応がいい。宍戸は即座に停止した。
「何だよ跡部?」
「……下がってろ」
宍戸は訝しそうに後ろに数歩下がった。


(糸……ピアノ線か?)

跡部は足元の小石を手にすると思いっきり投げた。
見事に命中。その途端にひゅんと空を切り裂く嫌な音がした。


「……なっ!?」
宍戸は驚愕して思わず立ちすくんだ。
「……ふざけやがって」
ピアノ線に石が触れた途端に鎌が飛び出す恐ろしいトラップ。
気づくのが遅かったら首と胴が離れていたかもしれない。
「……だ、誰が……誰がこんな事を!」
「誰だと?」
心当たり数人……跡部は憎むべき恋敵達の顔を思い浮かべ拳を握りしめた。














「大変だ、大変だー!!」
美恵の捜索に疲れ切っていた面々は、突然の大声に神経を尖らせた。
声の方角に視線を向けると裕太と木更津が全速力で走ってくるではないか。
「何があったか知らんけど、こっちはそれどころやないんや!」
理性を失いかけている忍足にとっては、2人はほとんど敵にすら見える。
「ほ、本当に大変なんだ。で、出たんだよ!」
「何が出たんや!こっちは美恵が出てこなくて困惑してるゆうのに!」
「マスクの殺人鬼が観月さんを襲ったんだよ!!
俺が気が付いた時には観月さんの姿がなくて、きっと奴にさらわれんだよ!!」


「マ、マジかよ!?」
向日は恐るべき連続殺人鬼への恐怖で身震いした。
「観月が襲われたあ?そんなどうでもいいことで俺を煩わせるなんて、どういう神経してるんや!」
しかし美恵以外眼中にない忍足にとっては、どうでもいい些細な事だった……。
「で、でも観月さんが行方不明で……」
「だから、それが何やというんや。いい加減にせんとしばくで!!」
忍足は切れる寸前。白石が「まあまあ」と宥め出した。
「なあ忍足、もしかしたら美恵さんの失踪と無関係じゃないかもしれないんやで。落ち着いて話きいてみよ、な?」
美恵の名前を出した途端に忍足は冷静さを取り戻した。
同時に恐ろしい可能性に気付いた。


「……待ってくれや。あの殺人鬼が出現して美恵の姿が消えたんいうことは」
最悪の予感が忍足の胸をよぎった。
美恵が姿を消してから半日はたっている。生きていれば自分達が呼ぶ声を聞きつけ反応するはず。
「……ま、まさか……まさか美恵は殺人鬼に」
「侑士、しっかりするんや!」
謙也の声も今の忍足には聞こえない。




「何の騒ぎだい?」




それは立海にとっては馴染み深い声だった。
「幸村、心配していたんだぞ。どこに行っていたんだ!」
もう一人の行方不明者の幸村が突然姿を現したことに、立海の面々は少しほっとした。
「どこって、ちょっと迷ってしまってね。暗くなってから動き回るのは危険だから洞窟で一晩過ごしたんだよ」
「うむ、賢明な判断だったぞ。実は天瀬が行方不明なのだ。
その上、観月が例の殺人鬼に拉致されて生死不明なのだそうだ」
「何だって?」
「安心しろ。この真田弦一郎がいる限り、殺人鬼の好きにはさせん!」
「そうか。頼りにしているよ真田」
「うむ、まかせろ」
真田は頼もしく自分の胸を叩いて見せた。




「……どういう事なん幸村?」




忍足の口調がやけに低くなっていた。
その場にいる誰もが半ば怯えながら忍足を見つめた。
忍足の目は敵意と疑心で見ている。


「どういう事って、どういう意味だい?」
「……自分、美恵に惚れてたんやないんか?何で心配せえへんの?」


誰もがハッとした。
ただ真田だけが意味が理解できなかったのか首をかしげている。


「……美恵が行方不明なのに、何で取り乱してないんや?
美恵が消えたんのを初めから知ってたとしか思えんな」

忍足の言いたいことを誰もが悟った。
ただ真田だけが忍足の真意に気付いていない。

「……何が言いたいんだい?」
「簡単な事や……美恵が消えたんは、自分が何かしたからやろ!!」




「てめえら、何を騒いでいやがる!」




その声に今度は氷帝が敏感に反応した。
「跡部、どうして?!予定より、ずっと早いじゃないか!」
「あーん、美恵の事が心配で急ピッチで作業終わらせたんだよ。
おまえらの声が聞こえたから来てみたら、随分と大騒ぎしてんじゃねえの。
一体、何があったっていうんだ?」
反射的に全員が無口になった。その反応に跡部は渋い表情を見せた。


「何だ、その面は?俺には理由が言えねえって言うのか?」


跡部の留守中に美恵が消え、さらに例の殺人鬼が再び姿を現したなど簡単に言える事ではない。
もっとも隠し通せるはずもない。跡部のインサイトを駆使せずとも、ただ事でないことはバレバレなのだ。
跡部は一番近くにいた裕太の襟首をつかみ上げた。


「おい不二弟、何があったのか言ってみやがれ」
「……じ、実は……観月さんが行方不明で……」
「観月が?」
跡部にとっては正直どうでもいい事だったらしく、裕太はすぐに解放された。
「……観月さんは襲われたんです。マスクを被った謎の人物に」
だが裕太は、その台詞を吐いた途端に再び跡部に捉まった。


「何だと!?」
「俺は気を失って、目が覚めたら観月さんがいなくて」
跡部は疑いの眼差しで、その場にいる面々をじろっと睨みつけた。
「偶然だなあ。俺も帰宅途中に妙なトラップで殺されかけたばかりなんだ」
跡部の告白に誰もが驚きを隠せなかった。
ただ幸村だけは心の中で「ちっ」と舌打ちしている。


「俺様に生きて戻られたら、よっぽど困る野郎がいるらしいなあ」
「でも跡部、おまえを狙ったとは限らないじゃねえか」
向日の言うとおりだ。跡部があの道をあの時間に通るなんて偶然にしては出来過ぎている。
他のルートを通っていたらトラップは何の役にも立たなかった。
「無差別殺人に決まっているじゃないか。跡部達は運が悪かったんだよ」
すかさず幸村がもっともらしい発言をした。
「おお、さすがは幸村!」
真田はぽんと相槌すらうっている。


(跡部が通るだろうルートに片っ端からトラップ仕掛けただけさ)


跡部はまだ疑っているが幸村は平気だった。
証拠は一切残してない。だから強気だったのだ。




「え、越前~、俺、もう島にいたくねえよ」
「何、それ?泣き言いったって脱出できるわけないじゃん」
堀尾は立て続けに起きた事件にすっかり怖気づいている。無理もない。
「だって行方不明者はでるし殺人鬼はいるし、俺もう嫌だよー!」
「俺だって嫌なんだけど」
「観月さんだって生きてるかどうかわかんねえぜ!跡部さん達を殺しかけたのだって、絶対にそいつだよ!
すっげー性格悪いよ。最凶だよ、この島で最凶の男だぜ、きっと!!」


「何、最強の男?」
堀尾の言葉の意味を間違った方向にとった男が1人いた。


「俺、もうわけわかんないよ!だって不動峰はいないんだよ、誰が犯人なんだよ!」
いつもは大人しいジローが興奮気味に叫んだ。
美恵が行方不明という時に、不動峰の事を知らせるのは控えた方がいい。
そう判断したリョーマの進言で、今のところ彼等の事を知っているのは青学の人間のみ。
その為、ジローの疑問は誰もが抱いた謎でもあった。
「そうじゃのう。不動峰がおらんのに殺人鬼が出たという事は、俺達は間違っていたということになる」
誰もが口々に言いだした。その中で唯一、殺人鬼の正体に確信を持ってしまった男がいた。


「……そ、そうか。そういう事だったのかー!!」
「あーん、真田。てめえ、何を絶叫していやがるんだ?」














「……幸村君、出掛けたっきり戻ってこないわね」

カツーン……足音が洞窟の入り口から聞こえてくる。
美恵は幸村が戻ってきたのだと思い、再び懇願してみた。

「お願い幸村君、ここから出して!」

だが返事はまるでない。ただ淡々と足音が此方に近づいてくるだけだ。


「……幸村君?」

おかしい……妙だ。美恵は直感的に何かおかしいと気づいた。

「……ゆ、幸村君なんでしょう?」

返事がない。ゆっくりとだが確実に近づいてくるだけだ。
そして、ついに相手が姿を現した。

「……そ、そんなっ」

美恵はがくがくと震えながら、その場に座り込んだ――。














「すまん皆!実はっ」
真田はその場に土下座した。予想外の真田の行動に誰もがぎょっとした。


「実は俺がその殺人鬼だったのだー!!」


……シーン……。
静寂が辺りを包み込んだ。

「殺人鬼は、この島にいる人間で最強の男……これほどの証拠はあるまい」
白けた空気に真田だけが気づいてない。
「俺自身も驚きだ。まさか俺が殺人鬼だったとは、だが真実がわかった以上、大人しく罰を受け――」


「おい、その殺人鬼の目撃者は不二弟だけなのか?」

「跡部ー!貴様、どういうつもりだー!!」
「あーん?まだ、何かあるのか真田」
「俺が潔く自白しておるのに、なぜ今更不二弟に事情聴取などするのだ!?」
「うるせえ、てめえは黙ってろ。こっちは忙しいんだ!
てめえのうわ言に付き合ってる暇はねえ、引っ込んでろ!!」




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