「跡部、崩れてるぜ」
「案の定だったな。すぐに修復作業にとりかかるぜ」

丘の上に作ったのろし台は見るも無残な姿になっていた。
いざというときには自分達の存在を示す大切なもの。
跡部と宍戸は早速作業に取り掛かった。


「……」
「どうした跡部?」

跡部が意味ありげに北の方角を見詰めている。

「おい、どうしたんだよ」
「……ああ、何でもない」


――嫌な予感がする。俺もいい加減気にしすぎだな。




テニス少年漂流記―47―




美恵は木の幹に絡み付いている蔓を強引に引っ張った。
勢い余って尻餅をつきかけた。樺地がすぐに反応して受け止めてくれる。
「……大丈夫ですか?」
「ありがとう樺地君」
「……ロープは自分が作ります。美恵先輩は力仕事以外でお願いします」
「そうした方がいいみたいね。じゃあ樺地君、お願いね」
「はい」
美恵は樺地から、あまり離れないようにしながら薪になる枯れ枝を集め出した。


美恵、美恵ー、見て見て」
ジローが鳥の巣を抱えて走ってくる。
「卵でもとったの?」
「ううん、もう生まれてる」
巣の中には愛らしい五羽の雛がピイピイと鳴いている。
「ジロー、駄目じゃない」
「だって蛇が狙ってて可哀相だったんだよ。だから助けてあげたんだよ」
「そうだったの」
ジローの優しい行動に美恵は感動した。


「おい、何やってんだよ」
しかしジローとは反対に、向日は雛を見るなり「お、美味そうじゃん」と笑みを浮かべた。
「岳人、何て事を言うのよ!」
「えー何だよ。焼き鳥にすんじゃないのかよ。だって、もうずっと肉食ってないんだぜ」
「日吉君がたまにとってくる肉食べなかったの?」
「おまえだって食ってねえじゃん。ネズミやカエル」
「……蛇やトカゲもいたわね」
美恵と向日はそろって項垂れた。日吉はいい奴だが、時々ついていけなくなる。


「動物性タンパク質といえば魚や貝ばっかだっただろ。そろそろ肉が食べたいよ」
「変な目でみないで岳人。可哀相だから見逃してあげてよ」
「ちぇ、わかったよ。その代わりに今夜の夕食は最高なの頼むぜ」
「ええ、ありがとう」
巣を元の場所に戻してやらなければ。それも親鳥が戻ってくる前がいい。
「ジロー、どこにあったの?」
「こっちだよ」
ジローは美恵の服の裾を引っ張り駆け出した。














「……ふふふ、そこで咄嗟に行き止まりである洞窟に逃げてしまい――」
「乾先輩、何ぶつぶつ言ってるんすか?」

ノート相手に妙な境地に精神トリップしていた乾だったが、いつの間にか背後に立っていたリョーマに顔色を失った。


「え、えええええ越前、い、いいいいいいつからそこに!」
「ついさっきから。それより、何やってたんすか?」


「な、何って……こ、これはその……に、日記だ!」
「日記?」
リョーマはあからさまに疑りの目で乾を睨みつけた。
「日記もデータの一種だ!」
「……ふーん、そういう事にしておきたいなら俺は何も言わないっすよ。
はっきりいって俺に迷惑さえかからなければ、先輩のプライベートがどんなドロドロでもどうでもいいから」
リョーマはラケットとボールを手に散策に出かけた。
途中、空腹を覚えると自慢のボールコントロールで、果物を器用に落としながら進んだ。


「この島も平和になったもんだ」


美恵をめぐる執拗な殺人未遂事件は不動峰の逃亡により一件落着になった。
佐伯、手塚、千石、海藤……行方不明者も奴等の仕業という事で誰もが納得している。
だがリョーマは内心納得などしていなかった。ただ自分に直接関係ないから、あまり興味もわかなかっただけだ。

美恵さんに対する殺害未遂は、跡部さんに対する橘杏の復讐ってのはわかる。
けど手塚部長達を殺す理由はあいつらにはない。第一、部長はあいつらにやられるほど間抜けじゃない)




「あれ?青学の越前やないか」
「きゃあ、そうよ。青学の天才ルーキー君じゃない」
「浮気かー!」


……騒がしい連中と遭遇しちゃったようだね。


リョーマはあからさまに不機嫌になり、表情を隠すように深々と帽子を被りなおした。
「そう煙たがらなくてもええやろ。俺達はちょーっと陽気なお兄さんなだけや」
白石はにっこりと微笑んだ。
「俺には見せかけの笑顔は通用しないっすよ。
うちの部に笑顔だけは最高な腹黒が1人いたんで免疫ついてるんでね」
もっとも、俺以外の奴は完全に洗脳されてるけどね――と、リョーマは心の中で呟いた。


(いや……されていた、と言った方が正確だろうね)

不二の豹変振りに青学の連中は戸惑っている。
しかも肝心の不二は今だに戻ってこず行方がしれない。それがリョーマには気になっていた。
大石達は跡部に美恵を奪われて自暴自棄になった不二を心配しているが、リョーマは全く逆だった。
リョーマが心配しているのは美恵の方だ。




「ねえ、あんた達、うちの不二先輩みなかった?」
「いや、ここしばらく見てへんなあ。おまえ達は見かけたか?」
「ううん、アタシ達は忍足君を慰める事に精一杯だもの」
「忍足さん?ああ、あの人も彼女の崇拝者だったよね」
「そうそう、忍足君は氷帝にも入れなくなってね。アタシ達の所に居候してるの」
「ふーん。まあ、きついだろうからね。跡部さんと彼女のラブシーン見せ付けられるのは。
でも、彼女の命気の危険が無くなっただけよかったじゃん。
自分のものにはならなかったけど、好きな女が助かったんだから」
リョーマは淡々と言ってのけた。


「そうやなあ。ほんまに美恵ちゃんの身が安全ならええんやけど」
白石は微笑んでいるが、その目は笑ってない。それどころか深い憂いを浮かべている。
「……あんた、何考えてるの?」
リョーマは白石に率直に尋ねた。
「んー、そうやなあ。俺は君のところの天才君や忍足と違って第三者だからちょっとだけ冷静に考えることができるだけや」
白石は「ちょっとうちに寄るか?」と誘った。




「なあ侑士、美恵ちゃんの事はあきらめて跡部と仲直りしたらどうや?」
「できへん!」
「おまえはイケメンやから他にいくらでも女はおるやろ」
美恵はたった1人なんや!」
「おまえの純愛には頭がさがるけど、彼女はもう跡部と……」
「それを言うな!!」


「お客さんやでー」
「ん?」
白石がリョーマを連れて帰った来た。忍足は訝しそうに眉を寄せた。
「変わったお客やろ?」
忍足は白石の意図がわからなかった。


「なあ忍足、俺はこれでも美恵ちゃんの事、心配してるんやで」
「心配せえへんでも犯人は今頃海のど真ん中や」
「不動峰の単独犯ならな」
「……どういう意味や?」
忍足の目つきが変わった。




「ちょっと事件を整理してみようか」

白石は小枝を手にすると地面に絵や文字を書き出した。

「最初の事件は洞窟やったな。美恵ちゃんを突き落とし目撃者の堀尾まで巻き込まれたんやった」
「ああ、そうや。堀尾の証言もあるし、橘の妹の犯行に間違いないやろ」

地面に第一の事件、犯人・橘杏と書き込まれた。

「第二の事件は毒殺未遂事件やったな」
「そうそう、あの時は青学からの帰りに――」

忍足はそこでハッとした。




「……妙やな。あれは不動峰の犯行というには」

乾汁を熟知し、かつ青学に忍び込み、ジュースと乾汁と取り替えたとしても、それが美恵の手に渡ると予測できるだろうか?
美恵を毒殺するには、あれが彼女の手に渡る直前にすりかえる必要がある。
それが出来るのは青学の人間だとみるのが自然だ。

「……つまり、一連の事件は同一犯じゃないゆうことか?」
「そう考える方が自然やろう?俺達は全部同一犯やと思ってた、だから安心もしてた。
けど、考えれば考えるほど矛盾が出てくるんや」

白石はさらに第三、第四の事件も書き込んだ。

「最初の事件は多分いきあたりばったりで起きただけや。
橘の妹は跡部に腹たててた。で、偶然、跡部の恋人を見て頭にきて突発的に事件おこしたんやろ。
ちょっとどいつて転ばしてやろくらいに思っただけやな。
だから美恵ちゃんが崖から落ちたことや神尾が疑われたこと知って動揺してたんや。
けど、それ以降の事件は違う。突発的やない、完全な計画犯罪や」

確かに最初の事件だけが、やたらと杜撰だ。
別人が起こした別の事件だと考えれば納得がいく。


「けど、不動峰が全く関係ないわけないやろ。例の妙なマスクかぶった殺人鬼。
奴が跡部のトラップを抜けて侵入に成功したんは、橘の妹のせいやろ?」
「そう、そこや」
白石の口調はやや高くなった。
「俺が思うに、第二の事件以降の犯人は不動峰を利用したんやないのか?」
「利用?」
「例えば弱味を握られて協力させられていたとか。
島から逃げたんは、跡部だけでなく、その真犯人が怖かったんからやないのか?」
白石の推理は実に理路整然としていた。
「なるほど。大したもんや、で、その弱味ってのは何や?」
殺人の片棒を担がせようというのだ。相当ハイレベルでなければならない。
そうでなければ、操り人形にするどころか、逆に島中にばらされて窮地に陥る。




「……天瀬さんを崖から突き落とした証拠を突きつけられたとか?」




リョーマの一言に誰もが顔色を変えた。
「跡部さんをはじめ、忍足さんも幸村さんも怒り狂ってた。
彼女は絶対に自分の犯行を隠しておきたかったはずだ」
「それが最有力やろうなあ。突き飛ばしただけのつもりが殺人未遂やったんや。
普通の人間ならびびって相手のいいなりになってもおかしくない」
「……ちょっと待てや」
忍足の中にもやもやした疑惑が芽生え出した。


「……だとしたら不動峰が逃げ出した途端、事件が起きんようになったんも真犯人の計算のうちか?
俺らを油断させておいて、警備が手薄になったところで美恵を襲おうというつもりなんか?」
「その可能性は大や。不動峰の根城から物的証拠が発見されたのも俺は怪しい思うてんねん」
「ねえ、その物的証拠って確か乾先輩が発見したんだったよね」
リョーマの言葉に誰もがキラリと怪しい光を放つ眼鏡を思い出していた。














美恵ー、ちゃんと元に戻したよ」
ジローは樹の上からスルスルと幹を伝わり降りてきた。
「こんのも見つけたよ。食べる?」
ジローの右手の中には胡桃のような木の実が数個。
「この森はあまり来た事ないけど、美味しい木の実があるようね」
不動峰の根城の近くということで、不動峰が食料調達場として重宝していた場所なのだ。
彼らとお世辞にも仲がいいとはいえない美恵は自然とこの森から足が遠のいていたのだ。


「あ、見て美恵。ウサギだよ」
可愛らしいウサギの親子が草むらから此方を見詰めている。
「可愛いわね……って、え!?」
ウサギの親子の背後から近付く影が一つ。
「きょ、恐竜だ!恐竜がウサギを狙ってる、助けなきゃ!」
ジローは猛ダッシュ。と、同時に茂みから巨大な爬虫類がジャンプしていた。


「ジ、ジロー!」
茂みに阻まれジローの姿は見えない。
だが、この世のものとは思えないおぞましい叫び声が聞こえてくる。


(ジロー!ジローが殺される!)


美恵はカゴ(果物を入れるために持参していた)の中のナイフを手にすると走った。
「ジロー!」
茂みをかき分けたがジローの姿はない。謎の爬虫類の姿もだ。
「ジ……っ!」
美恵は思わず両手で口を塞いだ。
ジローの姿はないが、代わりに何かを引きずった痕跡を見つけたのだ。
おまけに足跡もある。まるでコモドオオトカゲのような巨大でおぞましい足跡だ。


(岳人達に……いえ、そんな暇は無いわ。すぐにジローを追わないと!)


急がなければジローが謎の爬虫類の餌食になって明日の朝日を拝めなくなってしまう。
美恵は咄嗟に髪飾りをその場に置き後を追った。

「ジロー!どこなのジロー!!」














「おい樺地、美恵とジロー遅すぎねえか?」
「……はい。自分もそう思います。ちょっと探してきます」

樺地は野生の勘で歩き出した。程なくして例の地点までやってきた。
そして見つけたのだ。美恵が目印に残しておいた髪飾りを。
「……これは跡部さんが美恵先輩にプレゼントした大切な髪飾り」
美恵はしっかり者だ。こんな大事なものを落として気づかないはずはない。
わざと落としたとみるのが自然だろう。
「……これは」
樺地も例の痕跡を発見した。
「……美恵先輩、これを追えということでしょうか?」
樺地は慎重かつ素早く後を追い出した。














(ジロー、どこなの?)
草むらを抜けると何かを引きずった跡も消えていた。
(……そんな!)
謎の爬虫類に連れ去られたのだ。一刻も早く助け出さないとジローの命にかかわる。
「どこに行ったのよ……ジロー!」
大声で呼んでみたが返事は無い。ただ風が吹いただけだ。
とどまっている暇もない。美恵は直感でジローが連れ去られたと思われる方向に走った。
すると沼が出現した。はずれだった、すぐに引き返そうとした美恵だったが、ある物を発見しギョッとなった。


「……手?」

沼の中央から人間の手が出ている。泥だらけだが、確かに人間の手だ。
「……ま、まさか……ジロー?」
美恵は愕然となり、がたがたと震えながら、その場に座り込んだ。

「……そ、そんな……そんな……嘘よ」

調べなければ、美恵は何とか沼の中央に行く方法を模索した。

(早くしないと、すぐに助けなければジローが死んでしまう)

湖ならすぐに泳いでいた。だが運動神経抜群のジローが沈んでしまうとは、おそらくここは底無し沼。
無闇に足を踏み入れてはジローの二の舞になってしまう。美恵は蔓を発見し自らの体を縛り付けた。
そして倒木を沼に浮かべ慎重に沼の中央に向かった。


「……もう少し」
必死で手を伸ばした。もう少しで手が届く。
「ジロー!」
手をつかんだ。その途端、美恵は違和感に気づいた。
泥にまみれた手がすっぽぬけた。人間の手ではない、木製の手形だ。
「何よ、これ」
悪戯にしては酷すぎる。だがジローの溺死死体でないだけ、ずっとマシだ。
もう、ここには用が無い。すぐに引き上げようとした、その時だった。
命綱であった蔓が突然切れたのだ。


(早く戻らないと……!)

さらに最悪な事が起きた。ビート版代わりにしていた枯れ木まで突然真っ二つになった。


「誰か……!」

美恵の体は底無しの泥沼に引きずり込まれていった。




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