「……橘さん、なんか雲行きが怪しくなってきましたよ」
「風がリズムに乗ってきたな」

黒雲が幾重にも重なり、それと供に風が危険な臭いを運んでくる。

「お兄ちゃん、雨が降ってきたわ。嵐になるんじゃない?」
「そうだな。しっかり荷物をロープで縛っておかないといかんな」
「橘さん、ロープはこれでいいですよね?」
神尾が手にしたロープを上げて見せた。
「……神尾、そのロープどこから出した?」
「え?どこって、ここにあったんですけど」

神尾はハッとした。ロープはあったのではない……イカダを組んでいたロープが切れていたのだ!


「な、何で……!何でロープが切れ……!?」


閃光が空中を切り裂き大波にイカダが大きく揺れた――。




「幸村部長の天気予報大当たりっすよ。ほら嵐が来る」
「ふふ……そうだね」

その頃、幸村は楽しそうにナイフを壁の的に向かって投げていた――。




テニス少年漂流記―46―




「おい、さっさとしろ。嵐が来てからじゃ遅いんだ!」
跡部の指揮の元、ツリーハウスはシートで覆われ板で補強された。
「大丈夫かしら?」
「あーん、安心しろ。俺が守ってやる」
跡部は 美恵をしっかりと抱きしめた。


「……私が心配してるのは他校の人たちよ」
「何だと?」
「幸村君達は洞窟に住んでいるから大丈夫だと思うけど……」

足りない材料で掘っ立て小屋のような仮住まいに住んでいる者もいるのだ。
特に浜辺で椰子の葉で適当に作った小屋に住んでいる青学が心配だった。


「……不二君、大丈夫かしら?」
「不二なんかどうでもいいんだ。おまえが心配してやる義理なんかねえ!」
「景吾、何を言うのよ。不二君は私の大事な――」
「友達なんて向こうは思ってねえ!もう不二の事は考えるな!!」
「……景吾」




確かに不二の気持ちは美恵のそれとは違う。
跡部と恋人関係になってしまったことで、不二は美恵に失望すらしている。
今ではもう友達とすら思ってくれてないかもしれない。

(……不二君とはずっと仲のいい友達でいたいと思っていた。
それは私の独りよがりなの?もう、友達ではいられないの……?)

一人ぼっちだった美恵を救ってくれた不二の眩しい笑顔は、もう二度と見られないかもしれない。
そう思うと美恵は無性に悲しかった。

美恵、余計な事は考えるな。おまえには俺がいる」

抱きしめてくれる跡部の腕は温かく力強かったが、美恵の心には冷たい風が吹いていた。














次の日、美恵は朝早く目覚めた。
暴風雨の音が激しくて、なかなか眠りにつけなかったが、跡部が一晩中抱きしめてくれたおかげで少しは眠れたようだ。
窓を開けると嵐がどれほど凄いものだったのか一目瞭然でわかった。
枝が裂け、葉が落ち、地面は沼のようにぬかるんでいる。


「……酷いわね。畑もぐちゃぐちゃだわ」
昨日のうちに作物を採っておいてよかった。
「朝食の前に掃除しないと……大変だわ」
美恵は着替えると下に降りた。
「おい美恵!」
跡部も目を覚ましたらしく慌てて降りてきた。


「あんまりうろうろするな。嵐で多分トラップが壊れてるだろうからな。
下手に動いて矢でも飛んできたらどうする?」
「……あなた、そんな危険な罠仕掛けてたの?」
「当然だ。おまえの命を狙ってる奴らに情けは無用、ぶっ殺して何が悪い?」
「……時々、あなたの過激な所が怖くなるわ」
「とにかく、ここにいろ。俺がいいって言うまで迂闊に動くなよ」
跡部は罠の見回り。予想以上にすごい事になっていた。




「ちっ、半分以上壊れてやがる。もう一度最初から作らなきゃならねえな」
跡部は溜息をつきながら、とりあえず壊れた罠を回収しようと身を屈めた。

「跡部」
「……!」

跡部の目つきが鋭くなった。

(……空耳なんかじゃねえ。確かに今声が聞こえた)

360度見渡しても誰もいない。しかし気配はある、微かだが確かにある。


「……跡部、ここだ」

今度はどこから聞こえて来たのかはっきりわかた。真上だ!
跡部が頭上を見上げると、何かが落ちてきた――。














「……い、家が……俺達の家が」

大石は全壊した小屋を呆然と眺め砂浜に座り込んだ。
今回の嵐の一番の被害者は間違いなく青学だろう。
南の島ゆえに寒さには無縁だった為、雨さえ凌げればと簡単な小屋しか作らなかった事が裏目に出たのだ。
しかも食料調達に便利だからと砂浜だったことが、さらに被害を拡大させた。


「大石先輩、泣いたって何にもならないっすよ」
「……え、越前」
「こんな事で落ち込むなんてまだまだだね」
「……どうして、おまえはそんなに気丈でいられるんだ」
「本来なら航行中に嵐で難破して死んでたかもしれない身だからね」

それに比べたら今回の事は大したことは無いとリョーマは思った。
家なんかまた作ればいい。
むしろ浜辺に建てる事に最初から反対だったリョーマにとっては、案の定といった結果だった。

「それより不二先輩と乾先輩は大丈夫かな。
不二先輩は弟の所にいるかもしれないけど、乾先輩にはつてなんてないんだ。
嵐だってのに、一体どこに行ってしまったんだか」














「あ、跡部~助けてくれ~」
「……い、乾?」

右足首にロープを巻きつかれ逆さ吊り状態の乾。
そんな彼が真上から落ちてきたのだ。さすがの跡部もびっくりした。
地上まで後10cmというところでストップ。ロープが枝にひっかかり九死に一生を得た乾。


「てめえ、ここで何してやがったんだ?」
「……ふ、不二が帰宅しないから探してたら眼鏡を落としてしまってな」

よく見たらレンズにひびが入っている。

「視界が悪くなって道に迷ってしまい気がついたら罠にかかってこの様だ」
「てめえ、一晩中この体勢でいたのか。暇な野郎だぜ」
「……理屈じゃないんだ」

跡部は呆れながらも乾の足にまとわりついているロープを切断した。
乾は地面にうつ伏せに激突。次の瞬間、ブリッジの体勢から直立した。
「おかげで助かったよ」
眼鏡はヒビだらけになっていた。
乾は掃除を手伝う代わりに朝食にありつけることになった。




「断っておくが食い終わったら、さっさと帰れよ。不二のスパイかもしれねえ奴なんかおいておけねえからな」
「景吾、乾君に失礼なこと言わないで」
「俺は青学の人間は信用しない事にしてるんだ」
美恵は溜息をつくしかなかった。いくら説得しても跡部の気持ちは変わりそうもない。

「あの乾君……不二君が帰宅してないって?」

跡部の目つきが瞬時に鋭くなった。此方を睨んでいる。
下手に跡部の嫉妬心を煽るような行為はしたくなかったが、かといって跡部に内緒でこっそり尋ねるのは避けたい。
幼馴染として跡部の事は誰よりも知っている。
跡部は鋭いインサイトを持っている。黙っていても、すぐに気づいてしまうだろう。
隠していたことがばれる方がはるかに怒りが大きいのだ。
何も跡部を裏切りやましい事をするわけではない、だから堂々としていればいい。
跡部の機嫌を損ねる事は間違いないが、それが最善の方法なのだ。
実際に跡部はムスッとしているものの我慢している。そのくらいの良識は残っているという証拠だろう。


「それなんだが、不二の奴、傷ついた、もう誰も信用できないから1人になりたいと言って去って行ったんだ」
美恵は思わず俯いた。不二の失踪は間違いなく自分が原因だ。
「おまえが気にする事は全くないぜ」
美恵の気持ちを察し、すかさず跡部は強い口調で言った。
「そうだ。不二を探している途中、珍しいものを見たぞ」
「珍しいもの?」
電波な乾が珍しいというからには、本当に凄いものに違いない。


「不動峰がイカダで沖を航行しているのが見えたんだ」
「何だと!あいつら、さては処刑が怖くて逃げやがったな!!」
「景吾、何て事をいうのよ!」

跡部はやると言ったら本当にやる男だ。
そんな危険に怯えながら無人島生活を続けるよりは一か八か脱出を図った彼らの気持ちはわかる。
だが、それは海が穏やかであればの話だ。


「昨夜は嵐だったのよ。イカダで大海を横断しようなんて……自殺行為だわ」
美恵は顔面蒼白になった。
「……おい、やばいんじゃないのか?跡部のクルーザーだって、この海域の嵐には耐え切れなかったんだぜ」
宍戸も彼等の安否を気遣い口調に覇気がない。
「話の続きはまだあるんだ」
乾はズボンのポケットに手を入れた。


「不動峰が根城にしていた場所をさぐってみたら、こんなモノが出てきたんだ」


乾がポケットから出したものを見て、美恵は思わず声を詰まらせた。
そんな美恵に代わってジローが立ち上がり叫んだ。

「そのマスク!俺や美恵を襲った殺人鬼がつけてたハロウィン用のマスクだよ!」














「何だって、不動峰が犯人だという物的証拠が出てきた?」

幸村はだるそういベッドから上半身を起こした。
剛丸の散歩に出かけた真田が、ばったり乾と遭遇して聞いたのだ。

「うむ。これで殺人事件も一件落着だな。行方不明になっている連中もおそらく奴等がかどわかし殺害したのだろう」
真田は両手を合わせ、「手塚よ。やすらかに眠れ」とライバルの為に合掌した。


「じゃあ美恵さんは、もう自由に歩けるのかい?」


美恵は殺人鬼に執拗に命を狙われていた。
だが、その肝心の殺人鬼が島から去ったのだ。もう美恵は晴れて堂々と外出できる。

「それがな、乾が言うには跡部は念には念を入れて、外出禁止はしばらく続行だと宣言したそうだ」
「……そう、跡部も随分と用心深いね」

幸村は不満そうに呟くと再びベッドに横になった。














嵐の日から一週間が過ぎた。あれから謎の殺人鬼は一度も姿を現していない。
おかげで島には久々に平和が訪れていた。
やはり不動峰による犯行で、他に犯人はいないだろうと誰もが思った。
そして美恵に対する外出禁止令も、ようやく解かれることになった。
跡部は、まだ反対だったが向日やジローが美恵に同情して跡部を説得してくれたのだ。


「ねえ跡部、もう安全なんだから、美恵にもたまには散歩くらいさせてやらないと可哀相だよ」
「そうはいっても俺は宍戸と一緒に島の見回りに行かなきゃいけねえんだ」

以前、忍足と一緒に島を一通り探検した際、跡部は見晴らしのいい場所にSOSのメッセージをいくつか作っていた。
嵐によって、それが破壊されているなら作り直さなければならない。
忍足とは現在別居中。跡部しか、その場所を知らないのだから跡部が行くしかない。
かといって険しい道のりに美恵を同行させるのも酷な話だ。
だから美恵を連れて行くわけにはいかない。かといって大切なSOSを後回しにするわけにはいかない。
美恵には今まで通り大人しく留守に徹してもらうのが跡部には一番なのだ。
かといって、確かにジローが言う様に、いつまでも閉じ込めるのも可哀相だ。


「大丈夫。俺達がついているから」
「どうだかな。その言葉を信じて今まで何度危険な目に合わせた事か」
「くそくそ跡部、何だよ、俺達の事、少しは信じろよ!」
長い話し合いの結果、結局跡部は折れた。

(殺人鬼はもういないんだ。確かに俺は少し神経質になっているかもしれねえ)

それに樺地が目を離さず護衛するという。樺地なら大丈夫だろう。
跡部はくれぐれも美恵から目を離さないように念を押すと宍戸と供に出発した。
「気をつけてね。なるべく早く帰って来てね」
2日留守にするだけだが、少し寂しそうに手を振る美恵が跡部はたまらなく愛しかった。
同時に妙な胸騒ぎもした。本当に離れて良かったのかと――。




「ねえ美恵、久しぶりに遠くに行ってみようよ」
ジローは凄くうきうきしている。美恵と外出など本当に久しぶりで嬉しくてたまらないようだ。
「なあ北の森に行こうぜ。あの嵐で結構打撃受けただろ、薪もロープも飛んでいっちまってさ」
どちらも無人島で生活するにはなくてはならないものだ。
「そうね。じゃあ昼食作って皆で出掛けましょう」
「わーい、うれC!」
ジローは大はしゃぎ、鳳と日吉を留守番に残し、美恵達は出掛けた。
ジローはるんるん気分で歌まで歌っている。
そんなジローをみていると美恵も和んだ。ただ不二の事を考えると平和が訪れたとは到底思えない。


(きっと弟さんの所だと思うけど……でも、それなら青学の人たちが今だに探してるなんて変だわ)


不二に頼まれ、裕太が不二はいないと嘘をついている可能性もある。
しかし、よく考えると聖ルドルフの観月は不二を煙たがっていた。
いくら裕太の兄でも、観月まで嘘をつくなんて事があるだろうか?
だとしたら不二は聖ルドルフにもいないということになる。
だったら、たった1人でどこでどうしているのだろう?


(……不二君)


跡部達と仲違いし寂しい思いをしていた美恵に優しくしてくれた恩人だけに心配でたまらなかった。
乾の話では人が変わったようになってしまったらしく、それも気になる。
(跡部は「は!あいつは最初から胡散臭い人格なんだよ。騙されるな」と冷たく突き放していたが)




「あれ?」

向日が立ち止まって首をかしげた。

「岳人、どうしたの?」
「何か……影みたいなものが、木々の間を横切ったような気がしたんだ。
俺の勘違いだったみたいだ。さあ行こうぜ」

気を取り直して再び歩き出した。


美恵達は気づいてなかった――。
少し離れた場所からナタを手にじっと彼らを見詰めている人間がいたことに。




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