「だ、誰だよ、あいつ!?」
「何者だ!!」

逆光で顔が見えない。1人ではない、2人で並んでいる。

(誰なんだ。まさか、あいつが殺人鬼?そんなはずなねえ。を襲った不動峰はここにいるんだ)

謎の2人組。彼らは悠々と此方に向かって歩いてきた。
やがて彼らの正体が明らかとなり、達は愕然となった。


「気持ちの良い朝だな剛丸!」
「ぎゃっぎゃっ!」


お互い肩を組む人類と爬虫類。数日間彼らは死闘を繰り広げた。
その結果、男達はわかりあえたのだった――。




テニス少年漂流記―45―




「何い?が橘の妹をいじめているだと?」
遅い朝食を呑気に食べている真田。その顔には死闘を終えた充実感で満ちていた。
「そうなんすよ真田副部長。不動峰は、あの女の言いなりですからね。
だから頭っから、その話を信じてさんを責めたんだけど跡部さん達も黙っちゃいない。
あっちはあっちで不動峰がさんを殺そうとした殺人鬼だって言い張ってるんですよ」
「妙な話になったものだな。おい仁王、塩とってくれ」
「ぎゃぎゃ」
差し出された塩を受け取る真田。


「真田副部長、それ仁王先輩じゃなくてイグアナっすよ」


実に妙な光景だった。立海は、いつの間にか食い扶持が1人、いや1匹増えている。
しかし幸村はどうでもいいらしく何も言わない。
そして幸村以外に真田に特に文句をいう人間もいなかった。
「しかしだな。は人を虐めるような人格には見えなかったぞ。
一体、奴等は何を根拠にそんな事を言い出したのだ?」
「橘妹が虐められたってわめいてるんですよ。もちろんさんは違うって主張ですよ。
跡部さんは完全に怒り狂ってましたよ。白石さん達が止めなきゃ、マジで神尾や伊武を殺してたかも」














「観月さん、そろそろ一雨きそうですよ」
「そうですね。じゃあ、さっさと片付けましょう。木更津君、さあ薪をしまって。
裕太君、君はひとっ走りいって果物を採ってきてくれませんか?
僕はビタミンを多く摂取しないと眠れないんですよ。
こんな無人島で……ああ、もうそろそろ正気を保てそうもありませんよ」
「……観月さん、そろそろ慣れて下さいよ。嘆いたってベッドやお風呂が出てくるわけじゃないんですから」
「この島は呪われてるんですよ裕太君……この島から脱出しないと皆死ぬかもしれませんよ。ふふふ」
裕太は溜息をついた。元々、神経質な性格だった観月だが、急激に様子がおかしくなった。
それは真田とイグアナの死闘を目撃したからに他ならないが、裕太には知る由もない。
「じゃあ俺、果物を採ってきます」




「……観月さんは人一倍奇麗好きだからアウトドアなんて、もう限界なんだろうな」
裕太は椰子の葉を編んで作ったカゴに新鮮な南国フルーツを次々にいれる。
潔癖な観月は果物が主食なのだ。いくら採っても足りないくらいだった。

(そういう点じゃ、見かけは優男の兄貴は意外と図太いんだよな。
図太いどころか殺しても死なないくらい逞しいっていうか……)


「ねえ裕太」


裕太はびくっと反応して振り向いた。
「何だよ兄貴、驚かせないでくれよ」
「元気でやってるかい?」
「ああ、観月さんがちょっと限界っぽいけど、何とかやってるよ。
兄貴の方は大丈夫なのかよ?ちゃんと栄養とってるのか?」
「僕は大丈夫だよ。ただ、今は単独行動でね」
「単独行動?青学の連中と喧嘩でもしたのか?」
「別に。ただ1人になりたくてね」
不二は多くを語らなかった。裕太も特には聞かなかった。


「食い物ちゃんと取れてんのかよ?」
「それは大丈夫だけど、その果物ちょっともらっていいかな?」
「ああ、かまえねえけど……」
「ありがとう裕太」
不二はいきなりカゴごと持ち上げた。


「おい兄貴……」
「じゃあね裕太」

不二はそのまま歩き出した。だが、少しだけ足を止める。


「そうだ裕太……1つ忠告しておくけど、あまり他校の人間とは係わらないほうがいいよ」


「どういう事だよ?」
「何でもないよ」
それは裕太でなくても納得できない答えだったに違いない。
さらに裕太は、気になるものを発見してしまった。


「兄貴、その腕どうしたんだよ?」
「腕?」

不二は腕を上げてみた。派手な擦り傷ができてる。

「怪我するなんて兄貴らしくないじゃないか」
「……気にすることないよ。ちょっと転んだだけさ」














「跡部、そんなにカリカリせんと、な?落ち着こう」
「白石、てめえは黙ってろ!」
跡部は完全に怒り狂っていた。を殺しかけただけではなく、言いがかりを付けられたのだ。


「女だからって容赦しねえ!てめえも簀巻きにして海に捨ててやる!!」
「な、何よ……!本当なんだから、本当にいじめられて……!」
「まだ言うか、この女!」
跡部は理性がふっ飛ぶ寸前だった。反対に言いがかりを付けられている自身は冷静だった。
最初はショックで声が出ないだけだったが、今は落ち着いていた。


(……こんな事、前にもあった)


自分でも不思議なほどなのは、これが初めてではない気がしたからだ。
「……でも、何もなかったら橘妹が虐められたなんて言うのもおかしくないっすか?」
桃城が疑いの目でを見詰めた。
「だから最初から言ってるじゃない。本当なのよ!」
杏はついに泣き出してしまった。

(……この状況……似てる、あの時と)

は思い出した。それが何なのか――。




「だから、その女が嘘ついてんだろ!杏ちゃんが嘘つくメリットなんかないって気づけよ!!」

神尾は全面的に杏を支持。こうなると被害者というポジションである杏の方が同情をひきやすい。
なぜか人間は事件が起きると被害者を主張する人間の言い分を真実だと思い込む傾向がある。
それをは、ある女から嫌と言うほど教えられたいた。


――そう、自分をテニス部の嫌われ者に仕立て上げた、あの女に。


トラウマがを襲った。長年、信じていた仲間が自分から離れた心の傷が。
宍戸は、岳人は、ジローは……皆は今度も自分から離れるのだろうか?


「いい加減にしいや!俺のは、そんな女やない!!」

(……侑士!)

「忍足の言う通りだ。第一、はずっと俺達の誰かと一緒にいたんだ。
おまえなんかと接触なんかしてないってのは俺達が一番よくわかってる。
何の目的でを貶めようなんて企んでるんだ!!」

宍戸も力強く叫んでいた。大丈夫、仲間との絆は切れてない。
は嬉しかった。思わずホッとして涙ぐむ。


「安心しろ、俺達がついてる。誰にも、おまえを傷つけさせはしねえ」
跡部はを抱きしめた。
(……景吾)
「もう二度とおまえを疑ったりはしない。そう約束しただろ?」
「……ええ」


(大丈夫……景吾はもう二度と私を裏切ったりしない)


跡部が、仲間がついてくれている。その事実がを強く支えてくれた。
「橘さん、どうして、そんな嘘を言うの?」
あの女と違い杏に自分をはめる理由はない。橘の復讐だとしても、随分とお粗末な嫌がらせだ。
それににはいくつか腑に落ちない事があった。
橘に直接危害を加えたのは跡部だ。それなのに杏の狙いは跡部ではなく


「……う、嘘じゃないわ……嘘じゃない」
杏は怯えていた。演技でないほど震えている。
「……嘘なんかついてない」
「じゃあ聞くけど私がいつあなたに危害を加えたっていうの?」
「……そ、それは……!」
杏は黙り俯いた。そして両手で顔を覆い号泣した。
「もうやめろよ!杏ちゃんに何の恨みがあるんだ、杏ちゃんは……!」
神尾だけは、まだ杏を信じているようだ。




「あ、いたいた。えちぜーん、ももせんぱーい!」

堀尾が走ってくる。彼も大石の命令で不二を探していたのだ。
皆の視線が一瞬堀尾に移動した。
その一瞬をチャンスとばかりに杏が泣きながら逃げ出していた。
「あ、杏ちゃん!」
神尾と伊武が慌てて後を追っていった。


「あの女逃げる気だな。誰が逃がすか、つかまえて鮫の餌に――」

跡部も逃がすかとばかりに踵を翻した。


「……あ、あの後姿は、洞窟で……!」

堀尾が杏の後姿を指差し硬直した。


「……洞窟だと?」
「俺が見た犯人の後姿はあれっすよ!!」




「杏ちゃん、待てよ。何で逃げるんだよ!」
神尾はリズムに乗った。瞬く間に杏を追い抜かし、その前に立ちふさがる。
「これじゃあ杏ちゃんが悪いってことになっちまうだろ。戻って正義を立証しなきゃ」
「……で、でも」
「大丈夫。氷帝がどんなに恐ろしい連中でも、ちゃんと説明すりゃ他の学校の奴はわかってくれるさ」
「…………」
「何で黙ってるんだよ。あいつに虐められたんだろ?」
「……あ、あのね神尾君」


「やあ、こんな所で何してるの?」


繊細で優しい声。しかし杏はびくっと反応した。

「あんたは……青学の不二さん」
「久しぶりだね。聞いたよ、君達、近々、この島から脱出するつもりなんだって?」


それは事実だった。橘の調子が戻ってからというもの、神尾は強硬に脱出を主張した。
殺人鬼扱いされて散々いたぶられたのだ当然といえば当然だった。
しかし伊武は危険すぎると反対した。橘もだ。
無人島での生活は楽ではないが、ここにいれば食料の心配はない。
狼という危険生物もいるが、海の脅威は狼以上に命の危険がある。
それでも脱出の決意を固めたのは、最近、杏がこの島に以上に怯えているからだった。
橘は妹可愛さに死と隣合わせの船旅を決意したのだ。
しかも他校には内緒にして欲しいと杏は兄にせがんだ。
脱出するなら皆一緒の方がいい。そう思った橘には杏の気持ちがわからなかった。
しかし妹が泣き喚いて頼むので渋々了承したのだ。
だが、たった4人ではろくな船もつくれない。やっとのことでできたのは粗末なイカダだけ。
とてもじゃないが大洋を航海できるようなものではなかった。


「……ふ、不二さん……あ、あの……その自分達だけ逃げるとかじゃなく……て」
杏はガタガタと震えた。異常なまでの怯えようだ。
(杏ちゃん可哀相に……自分を虐めた女の仲間に殺人呼ばわりされたんだ、無理もない)

「僕は名案だと思うよ」
「……え、ふ、不二さんは反対しないんですか?」

杏は恐る恐る質問した。


「反対も何も部外者の僕に君達の行動を制限する権利はないじゃないか。
むしろ危険な大海に繰り出そうという君達の勇気には感心してるんだ」
不二はニッコリと笑みを浮かべた。
「僕は君達の船出を祝福するよ。それにやるなら今しかないね」
「今しかないってどういうことだよ?」


「僕は見てたんだよ。君達と氷帝の口論をね……今、逃げないと殺人鬼扱いされて本当に殺されるよ」


「……確かに今逃げないと跡部はマジで俺達を」
まだ出港準備はできてない。食料は十分では無いし、どの方角に行くのかも決めてない。


「跡部は怖いよ。僕は君達以上に彼の事はよく知っている」


神尾の背中に冷たいものが走った。

「悪いことは言わない。すぐに逃げるんだ。僕は人が傷つくのは見たくない」
「そ、そうだな。逃げるなら、今だ。行こう杏ちゃん!」

神尾は杏の手を握り締め走り出した。不二は笑顔で手を振った。


「僕は全部見てたんだよ――役立たずめ」














「景吾……私」
「酷い目にあったな、だが俺達がおまえを守ってやるから心配するな」
跡部はを抱きしめた。
「けど彼女、何か様子が変やったな」
白石が首をかしげた。


「当たり前だろ。ふざけた嘘ついてを嵌めようとしやがったんだ。
少しくらい良心が残っていれば、まともでいられるわけがねえ」
「いや、そういう事じゃなくて……何ていうか、何か隠してる、そんな感じだったんや。
それに、どう見ても人をはめる才覚持ってるようには見えへんかったなあ」
白石の話を聞き流そうと思っていた跡部だったがハッとなった。


(……この状況は)
そしてを見た。の怯え方、それは辛い過去を思い出したに他ならない。
(あの女のやり方と似てる……を、この島でのけ者にしようとしたのか?)
その時、跡部は思い出した。かつての恋人の事を。
頭が切れるわけじゃなかったのに、自分達の心理を巧みに操りとの仲を裂くことに成功した事を。

――あいつの裏に誰かいる。俺は、そう感じた。
――目的は俺達とを引き裂く事だったのか?














「幸村、おまえもこっちに来て食え。少しは食わぬと体に悪いぞ。
仁王、おまえからも幸村を説得せんか」
「ぎゃぎゃぎゃ!」
「……真田副部長、それは仁王じゃなくてイグアナですよ」


「……ふふふ」


「幸村部長、何が面白いんすか?」
「別にただ……海は危険だから近付かないようにするんだよ赤也」




――その夜、不動峰はイカダに乗って無人島から離れた。




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