「……美恵、どこに連れて行かれたんや!」
忍足はこの五日間、寝る間も惜しんで美恵を探し続けた。しかし影も形も見付からない。
「侑士、少しは休んだらどうや?」
「休むやと!?こうしている間にも美恵の肉体は跡部に……そんなん嫌や!」
忍足は発狂寸前だった。島中の洞窟という洞窟を探しまくった。
それだけではなく木の上や崖下なども探した。だが美恵どころか人が住んでいる形跡すら見付からない。


「跡部め、どこや、どこにいるんや!出て来い、卑怯者!!
こんな置手紙一枚で俺から美恵を奪って……ん、手紙?」

忍足はハッとして跡部の手紙の内容を思い出した。

(もし俺が跡部の立場だったら素直に隠れ住む場所を書き残すわけがない。
跡部がおるんは洞窟やない。もっと違う場所や、一番見付からん場所)

忍足は仮にもチームメイトとして跡部と何年も一緒にいただけに跡部の性格をよくわかっていた。
隠れ住むなんて行為自体、跡部の美学から逸脱している。
しかも美恵が一緒にいる以上、2人で生活できる最低限の環境でなければならない。
いや、あの跡部が最低限なレベルで我慢できるわけがない。

(俺達に見付からず、まともな暮らしができる場所……そんなん、この島にはどこにもない)


――この島には

忍足はハッとした。

「……わかったで謙也」
「侑士?」
「船や!イカダでもええ、今すぐ作るんや!!」




テニス少年漂流記―40―




(景吾と2人きりの生活、何だかんだいっても慣れてしまったわね)
美恵は手を腰におき、上半身を左右に回してみた。
(……痛みがひいてきて良かったわ。本当に景吾って手加減ってものを知らないんだから)
「おい」
背後から尊大な声が聞こえ、美恵は思わずびくっと反応してしまった。
「さてはてめえ俺様に対してろくでもない事を考えてやがったな?」
「な、何よ。景吾が悪いんじゃない、この島に到着してから三日も人を散々……!」
「あーん、散々何だ?」
「……さ、散々……ああ、もういいわよ!」
ニヤッと勝ち誇った笑みを浮かべている跡部には何をいっても無駄だ。
美恵はバケツを持つと砂浜に向かった。わかめや昆布、それに貝を採るのは美恵の仕事だ。


「おい待てよ。俺も行くぜ」
跡部は水中眼鏡と銛を手にして同行した。途中、美恵の腰に手を回し引き寄せる。
それも、この島では御馴染みの光景になっていた。
「景吾、ついてこなくても私1人でも大丈夫よ」
「あーん。昨日、波にさらわれかけたのはどこのどいつだ?」
「……大袈裟なこと言わないでよ。岩場から落ちただけじゃない」
「第一、腹痛で辛そうにしてるのはどこの誰だ?体調が戻るまで大人しくテントで寝てろ」
「病気じゃないんだから、そういうわけにはいかないの」
「おまえは働きすぎなんだよ。二日目はきついんだろ?」
「……どこでそういう知識を仕入れたのよ」

(……何て愚問よね。この男が付き合ってきた女は星の数ほどいるんだから)

跡部に毎晩(どころか朝も昼も)貪欲に責められたのは記憶に新しい。
昨日から月のものが始まり体調を崩した美恵を心配してか跡部は家事や食料調達を自ら進んでほとんどしてくれた。
夜は大切そうに抱きしめて添い寝してくれる。

(もしかして私に無理させたこと気にしているのかしら?)

その意地っ張りな性格から絶対に認めないだろうが、きっとそうなのだろう。




砂浜には数分で辿り着いた。跡部はシートとパラソルをセットしている。
「おまえはここにいろ」
「でも」
「いいから休んでろ。今日はエビの網焼きとウニご飯だ、いいな」
跡部は美恵を残して海中に身を投じた。
口は悪いが本当に美恵を大切にしてくれる。それがとても嬉しかった。
潮風が心地よい。美恵は何気に左手を顔の前まであげた。薬指のリングがキラッと眩しい光を放っている。
初めて体を重ねた夜、美恵が気を失っている間に跡部がはめてくれたのだ。


『おまえが俺の女だという証だ』


そう言って跡部は薬指のリングにキスを落すと嬉しそうに美恵を抱きしめる。
美恵と結ばれたのが嬉しくてたまらないらしい。美恵も内心幸せいっぱいだった。
このまま救助がくるまで跡部と2人でこの島で暮らすのも悪くないと思えるほどだ。
しかし事はそう簡単にはいかない。美恵は心配事があった。
あの島に残してきた仲間たちのことだ。きっと心配して自分達を探しているだろう。
それを思うと、やはり戻った方がいいと考えてしまうのだ。
だが、それは同時に命の危険が再然することでもある。
それを思うとぞっとする。いくら気が強いといっても美恵も女なのだ。


(それに景吾が承知しないわ)

跡部の性格は熟知している。絶対に折れないだろう。
思わず溜息をつくと、「おい妙な事は考えるなよ」と声がした。
いつの間にか海から上った跡部が獲物を手に目の前に立っている。

「てめえの事だ。仲間の事が気になってんだろ」
「ええ、そうよ」
「絶対に駄目だぞ」

思っていた通りの答えに美恵は俯いた。すると跡部が顎をつまんで顔を上に向かせ、強引に唇を重ねてきた。

「……景吾」
「俺は二度とおまえを危険な目にあわせたくねえんだよ」
「わかってるわよ……景吾の気持ちは」
「それに、せっかく2人きりになったんだ。邪魔されたくねえ」














「何を油売ってんねん!」
忍足は怒りに任せて貝殻を投げつけた。見事に向日の後頭部に命中。
「いってえ!何するんだよ侑士!」
「暴力ふるわれたくなかったら労働をさぼるんやない!」
忍足の指示の元、氷帝と四天王宝が共同でイカダ作りにとりかかっていた。
目指すは沖合いに見える小島。そう元・悪魔達の住む島(忍足曰く、悪魔とは不二と幸村のことらしい)


「盲点やった!けど、あそこなら食料に困窮せえへんし……跡部め!」


「おい樺地、何してんだよ」
「……すみません宍戸さん」
「せっかく結んだ弦が切れちまった。また最初からやり直しだな」

(すみません宍戸さん……でもお2人の邪魔をさせるわけにはいかないんです)

樺地はさりげなくイカダ製造の邪魔をしていたが、そんなものは時間稼ぎに過ぎない。


「もういいから、おまえはあっちで休んでろよ。後は俺達がやるから」
「……いえ、自分も手伝います」
「いいって、器用なおまえがこんな失敗繰り返すなんて疲れてんだろ?だから、おまえは――」
宍戸はぎょっとなった。次の瞬間、樺地は息苦しさに襲われた。

「樺地、自分やっぱり跡部とグルやったんやろ!?」

忍足が(どこで見つけたのか)ピアノ線で樺地の首を締め上げる。


「ば、馬鹿よせよ忍足!」
宍戸が慌てて二人の間に割って入るも忍足の殺気は治まっていない。
「……おかしいと思ってたんや。あの跡部が樺地にまで内緒でいなくなるなんて。
裏切り者!ようも今の今まで俺を騙してくれたな、覚悟は出来てるんやろうな!?」
「お、おい落ち着けよ忍足」
「……いいんです宍戸さん。忍足さん、黙っていてすみませんでした」
「やっぱり!」
「……でも自分は跡部さんを裏切ることはできなかったんです。お願いですから2人の邪魔をしないで下さい」
「邪魔?俺が邪魔やと?!違うやろ、俺と美恵の仲を跡部が邪魔してるんや!!」


「ほら、さっさと運ぶんだよ!」


「……ん?」
森の中から嫌な声が聞こえだし忍足は反射的に身構えた。
「ふ、不二!?」
姿を現したのは忍足命名・悪魔一号……もとい不二。その後ろには木材を手にした青学の面々。
忍足は嫌な予感がして露骨に眉をひそめた。不二も此方を見るなり同様に顔をしかめる。

「何だ、忍足さんも気づいたんですね。跡部さん達の居所」

リョーマの言葉に忍足はやっぱりと思うと同時に遅れを取ってなるものかと仲間の尻を叩く。
それは不二も同じらしく、「ほら、さっさとしなよ!」とチームメイトたちに圧制を強いていた。
この様子では忍足命名・悪魔二号こと幸村もおそらく同じ行動をとっていることだろう。
リョーマは拉致魔(不二命名による跡部の別称)捜索からの解放感に素直に喜べなかった。
跡部と美恵が見付かるのはもはや時間の問題。漂着以来最大の修羅場もセットで味わう事になるだろう。














「はい景吾」
新鮮なウニがたっぷり乗ったご飯。伊勢海老に似た大きなエビに海藻サラダ。
無人島にいるとは思えないご馳走がテーブルの上に並んでいる。
跡部がその生まれや育ちとは不似合いな根性の持ち主だということはわかっていた。
それでも財閥の御曹司にサバイバル能力があるのか不安だったが取り越し苦労だったようだ。
仲間に頼らなくとも跡部は2人が文明的な食事をとるのに必要な食糧を難なく調達してくる。
何よりも美恵は料理上手で、工夫を凝らした愛情料理を作る。
普段からきついマネージャー業で鍛えられていたことも幸いしててきぱきと家事をこなすのだ。


「体の具合はどうだ?」
「大丈夫よ。病気じゃないんだから」
「そうか、早く本調子に戻れよ。俺とおまえは体の相性もばっちりだしな」
「……景吾、断っておくけど生理が終わっても駄目だからね」
美恵は念のため釘を刺した。跡部も理解はしてくれているが内心不満そうだ。
「こんな事なら出国する時、避妊具も持ってくるんだったぜ。
おまえと仲直りすることで頭がいっぱいで、帰国前にこうなるとは思ってなかったからな」
美恵はがくっと肩を落とした。やっぱりわかってない。


「……それもあるけど、私は健全な交際をしたいのよ」
「あーん?」
「家族や友人に祝福されて神様の前で永遠の愛を誓い人生の伴侶になって結ばれる。
古い考えかもしれないけど、そういうのが理想だったのに」
「あーん、何が神様だ。てめえが愛を誓う相手は神じゃなく俺様なんだよ。
だから、おまえをいつどこで抱こうが俺の自由だ。モラルなんか知った事か」
美恵はこれからもきっと跡部のペースになるであろうことを予測して溜息をついた。




「ねえ景吾……私」
美恵は、静かに箸と茶碗をテーブルに置いた。
「どうした?」
「……私って自分でも気づかない内にひとの恨みを買っていたのかしら?」

二度も殺されかけたのだ。余程の殺意がなければ何度も命を狙われるわけが無い。
鳳は「あまり気にしない方がいいですよ」と慰めてくれた。
向日も「ジュースは誰かが入れ間違えたんだって。気にするなよ」と言ってくれた。
宍戸も「もう忘れろ。俺達が守るから、安心していいぜ」と励ましてくれた。
その証拠に跡部のみならず、氷帝の誰もが美恵のそばに常にいる。鉄壁のガードといってもいいくらいだった。


おかげで一番不安に苦悩するはずだった美恵はそれほど酷い恐怖や焦燥を感じる事はなかった。
でも怖くないといえば嘘になるし、こんな酷い事をする犯人の正体を突き止めたい気持ちもある。
しかし跡部と2人きりになって命の危険と一時的にしろ離別する事ができた今、自分が狙われる理由が気になりだした。
ひとに恨まれる様な事をした覚えは無い。
しかし、それは自分が気づいていないだけかもしれないと思うと溜まらなく気持ちが沈む。
跡部の前の恋人。あの性悪マネージャーも、自分がなぜ煙たがれているのかわかっていなかった。
もしかしたら自分もそれと同じ様に他人に酷いことをしていたのかもしれない。


「そんな事考えるな。おまえが恨みをかうわけがねえ、あるとしたら妬みか逆恨みだ」
跡部は美恵の頬に手を添えるとキスを求めてきた。
「ん……景吾」
「おまえは誰かに愛される事があっても恨まれる人間じゃない」




「もっともおまえを愛する男は大勢いるが、愛される男は未来永劫俺だけだ」




キザねと思いながらも美恵は跡部の首に腕を回した。跡部も美恵の腰に腕を回して抱き寄せる。

美恵、愛してるぜ」
「景吾、私も愛してる」

2人がさらに深く唇を重ねようとした時だった。




「……何だ?」
「どうしたの景吾?」

跡部が何か妙な気配を感じ立ち上がった。この島に来てから初めて感じるものだった。
それが人の気配だと気づくのに時間はかからなかった。つまりばれたのだ。
跡部は舌打ちした。いずればれるだろうと思っていたが、予定よりも早かったのだ。
「景吾?」
不思議そうに跡部を見上げる美恵。
跡部はその額にそっとキスをすると、「ここで待ってろ」と1人で海岸に出かけた。














美恵ー!俺や、運命の王子様が助けにきたでー!!」
砂浜にはイカダや小船が三艘上陸している。
乗船者は忍足、不二、幸村、そして漕ぎ手として酷使されたチームメイト達だ。
「幸村、これを見ろ。焚き火の跡だ!」
真田の発見に幸村は走っていた。
「……間違いない。この海岸の近くにいるんだ」
「うむ。しかし、2人は自分達の意志でここに住むことを選択したのだろう?
ならば余計な干渉はしなくてもよいのではないか?俺達とは赤の他人なのだし――」
「うるさいよ!」
真田は最近幸村は怒りっぽくなったと思った。
おそらく病気の後遺症だと思い大目に見る事にしている、何と言っても幸村は儚げで病弱な男。
守ってやるのが副部長の義務なのだ。
「さっさと探すんだよ。俺の美恵さんを一刻も早く――」




「あーん、誰の美恵だって?」




その尊大な口調に全員がいっせいに1人の人物に視線を集中させた。
この五日間、血眼になって探していた憎い男がそこにいる。
「跡部!ようも、自分、俺の恋人をかどわかしてくれたな!!」
「人聞きの悪いこというんじゃねえ。あの島にいたら殺される危険があるから2人で避難したまでだ」
跡部は全く悪びれずに言った。


「第一、美恵は俺様の女だ。もう心だけでなく全て……な」


その意味深な台詞に忍足は青ざめ、不二や幸村は目を大きく開き硬直した。
宍戸や謙也達は赤面、ただ真田だけが意味がわからず不思議そうに周囲の変化を観察している。


「み、皆、どうしてここに?!」


女の声、全員の視線が跡部からそれた。
美恵、どうしてここに来た?!」
「だって、あなたの様子がおかしかったから」
美恵!」
忍足が駆け寄ってきた。

「会いたかった、心配したんやで!……ん、そ、その指輪は!?」

左手の薬指にはめられたリングに忍足は愕然とした。
何よりも異性との交際で妙な経験値が高い忍足は美恵がやけに色っぽくなったことを本能で感じた。
先ほどの跡部の言葉もあり、忍足は今にも倒れそうになっている。
「ちょうどいい機会だから言っておくぜ」
跡部は美恵の腰に手を回すと抱き寄せた。そして美恵の左手を持ち上げると挑発するように指輪にキスをした。




「俺と美恵はもう他人じゃないんだ。二度と美恵にちょっかいだすんじゃねえぞ」




真っ赤になって跡部に抗議する美恵、言葉も無い忍足達、不敵な笑みを浮かべる跡部。
そんな中、真田だけが状況を把握できず「他人じゃない、どういうことだ?」と考え込んでいたが、やがてぽんと手を叩いた。

「おまえたちが兄妹だったとは知らなかったぞ」

男女関係の知識がほとんどゼロの真田だけがやけに浮いていた――。




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