「リズム野郎が何の用だよ。おまえ殺されたいのかよ」
「おまえなんかに用はない。俺は立海のアリバイを調査しにきたんだ」
「だから、おまえが犯人だろ。いい加減に吐いてすっきりしろよ」
「違うって言ってるだろ!」
「騒がしいよ赤也、どうしたんだい?」
自称・病弱のためベッドで横になっていた幸村が起き上がってきた。
神尾を一目見るなり幸村は途端に不機嫌になった。
「何しにきたんだい?」
「あんたは俺を疑ってるけど、あのひとを襲ったのは俺じゃねえよ!」
幸村は神尾の潔白宣言を他人事のように「ふーん、そうなんだ」と軽く聞き流す。
「信じてくれよ!」
「だったら証明しなよ」
テニス少年漂流記―35―
「美恵、今日も青学に行くのかよ?」
「ええ、桜乃ちゃんと朋香ちゃんに料理教えて欲しいっていわれて」
跡部は不機嫌そうに眉をよせた。
「おまえが教えなくても婆さんがいるだろ。一応女を50年以上やってんだ、料理くらい作れるだろ」
「竜崎先生は他の事で忙しくて食事は2人に一任してるのよ。
でも、こんな無人島じゃあ材料も調理法も限定されちゃうでしょ?
私は2人よりも、この島での生活長いもの。色々とアドバイスして上げられるわ」
美恵は楽しそうだった。しかし跡部は相変わらずムッツリ顔だ。
「俺もついて行くからな。少しは自覚しろ、おまえは狙われているんだぞ!」
「だから、あなたが一緒にいてくれるんでしょ?」
とても命の危険があるとは思えない美恵の態度に跡部はいらついている。
「一体、何を考えてやがるんだ。普通の女なら怖がって引きこもりになるもんだ」
「生憎、普通の女の子と違って可愛くない女ですから」
「冗談言ってる場合じゃねえ。少しは自覚しろ!」
跡部は思わず美恵の腕を痛いくらいに掴んでしまった。
「ええ、そうよ。だからジッとしているのはしょうに合わないの」
真っ直ぐに跡部を見つめる美恵の瞳に秘められた決意。それを跡部は理解した。
「……犯人をおびき寄せようって事かよ」
「拷問なんて手段で片っ端から調べるよりも、ずっと健全な方法でしょ?」
「証明?」
「ああ、そうだよ。実は嘘発見器を作ったんだ」
「嘘発見器?あの刑事ドラマとかによく出てくるアレかよ?!」
幸村の意外な才能に神尾は驚いた。同時に思った、これで無実が晴らされると。
「すぐに俺を嘘発見器にかけてくれ!」
「もちろんさ。さあ、こっちに」
幸村は神尾を伴い洞窟の奥深くに足を運んだ。
意気揚々と後に続く神尾だったが、姿を現した嘘発見器を見て愕然となった。
それは古ぼけたベッドのようなものだった。
四箇所に鉄の輪が埋め込まれている。位置からして首、両手首、そして足首を固定するものらしい。
「……お、おい……これって……」
神尾はごくっと固唾を飲んだ。よく見ると、ベッドの中央に血痕らしき物がある。
(……こ、これって……どう見ても嘘発見器じゃなくて……)
――拷問機具なんじゃねえのか!?
「心配しなくても安全性は確認済みだよ」
「……か、確認……済み?」
「天才的……だろ。あははは……」
丸井がベッドの陰にいた。体操座りして何かブツブツ言っている。
「丸井で実験したからね。安全は保証するよ」
「…………」
「さあ、さっさと横になれよ。俺は気が短いんだ」
「……う」
「うわぁぁー、助けてくれ。殺されるうー!!」
神尾は全力疾走で逃げ出した。
全くリズムに乗ってない無様なフォームだったが、皮肉にも神尾の生涯の最速記録を更新していた。
「……逃げたね。心にやましいことがなければ逃げないはず」
幸村は確信した。やはり神尾が犯人だったと。
「追うんだよ赤也!あの連続無差別殺人野郎を逃がすな!!」
「イエッサー!!」
どうでもいいことだが、幸村の中では神尾は美恵襲撃犯から無差別猟奇殺人魔に格上げされていた。
「炭水化物だけはしっかりとらないとね。お米や小麦粉には限りがあるから」
美恵は、この島で採ったイモ類を元にした料理を伝授していた。
「いやあ、やっぱり女の人がいると華やかになるっすね」
大食いの桃城は美恵の来訪をある意味誰よりも楽しみにしていた。
「桃城君もやってみる?男の子も今は料理の一つもできなきゃ駄目よ」
「えー俺っすか?そんなこと言っても……俺は食うの専門だから。跡部さんだって料理なんかしないだろ?」
「あーん、俺様はこいつが一生作ってくれるから、自分で作る必要ないんだよ」
跡部のとんでも発言。しかし何度も聞かされているせいか桃城もすっかり慣れてしまった。
「で、お2人は正式に付き合ってるんすか?」
それは桃城にとって悪気の無い一言だったが、跡部は露骨に顔をしかめた。
「……あ、俺まずい事言っちゃいました?」
その通りだ。桃城はふれてはいけないパンドラの箱をつついてしまったのだ。
昨日、美恵とはお互いの気持ちを確認しあった。情熱の篭った口付けも何度も交わした。
雨が上がらなかったら、そのまま勢いに任せて押し倒していたほどムードは最高だった。
実は実際に跡部は美恵を押し倒したのだ。美恵を抱きしめ唇により深く重ね舌も入れてやった。
『駄目よ……っ。やめて景吾』
『やめるわけねえだろ。おまえが欲しいんだよ』
美恵の中に自分への愛情が残っていた。その事実に跡部は狂喜していた、もう止まらない。
ところが美恵は必死になって跡部の胸を押し返したのだ。跡部は途惑った。
『……雨があがったわ。帰りましょう』
美恵は跡部の求愛を拒絶したのだ。
(……美恵は以前は俺の気持ちを疑っていた。だから俺を拒絶していた)
自分の愛の言葉をつり橋の恋ゆえからくる妄想だと疑い跡部を受け入れなかった。
だが今度は違う。自分の愛情が本物だと美恵はわかっているはずだ。
それなのに跡部の愛を受け入れなかった。跡部は混乱していた。
(……美恵は純情な女だ。結婚前のセックスに踏み出せなかったのか?)
心から愛し信じた男にしか体を許さない女だ。将来を共にしたいと本気で思えるような相手にしか。
つまり――俺はそれに値しないって事かよ?
子供の頃からお互い好意を持っていた。だが跡部は美恵を悲しませて、あまりにも女遊びをしすぎた。
(だから愛情は持てても信頼は出来ないって事か……そうなのかよ美恵?)
「待ちやがれリズム野郎!逃がしゃしないぜ!!」
「待ってたまるかー!!」
切原と神尾の鬼ごっこはまだ続いていた。
「大人しくお縄になりやがれ殺人鬼!!」
「俺じゃないって言ってるだろー!!」
「嘘つきやがれ!犯人じゃなかったら逃げるわけねえだろう!!」
「ふ、ふざけるな!俺でなくても逃げるに決まってんだろ!!」
(立海の連中は全員頭がおかしいんだ!つかまったら間違いなく殺される!)
神尾はますますスピードをあげにかかった。恐怖が加速する度に神尾の走力もスピードアップした。
「甘いんだよ!」
切原はラケットを振り上げると小石を打った。小石は物凄いスピードで神尾の踵にヒット。
神尾は転倒、慌てて起き上がろうとしたがジャンプした切原が腹部に落下。
そのまま首を押さえつけられた。もう逃げられない。
「部長!幸村部長、捕まえましたよ!」
恐怖で心を塗りつぶされた神尾が見たのは、チェーンソーを手にした幸村の姿だった。
「ありがとう天瀬。おかげで俺達もようやく人並みの生活を送れそうだ」
手塚は「こんなものしかないがお礼に受け取ってくれ」と水筒を差し出した。
「何これ?」
「乾が作った栄養剤だ」
「え”?」
「冗談だ」
手塚でも冗談が言えるとは。意外な発見に美恵は思わず微笑んだ。
「実は不二が作ったフルーツジュースなんだ」
「不二君が?」
「ああ、不二がおまえの飲ませたくて作ったそうだ。世話になったから、そのお礼にと言っていた」
不二の名前を出され美恵は洞窟内での事を思い出し赤面した。
「不二は直接渡したかったが、天瀬が自分を避けているから渡して欲しいと頼まれたんだ」
「そんな不二君を避けるなんて……」
美恵は否定したが、思い当たる事はたくさんある。
跡部とのラブシーンを見られてしまったせいで、不二の顔をまともに見れなくなっているのは事実なのだ。
なるべく平静を保とうと努力してみたが、どうしても赤面してしまい俯いてしまう。
立場的には千石も同じなのだが、明るくジョークを言える千石と違い不二はまるで捨てられた小犬のような目で美恵を見るのだ。
まるで責められているようで辛い。だから、今は不二の顔がまともに見れない。
そんな気持ちを不二は見抜いていたのだろう。
「ありがとう手塚君。遠慮なくいただくわ」
「うむ。そうだ不二が言うには、精神が安定するから落ち着かなくなった時に飲んでくれということだ」
「……不二君にはいつも良くしてもらって。お世話になっているのは私の方だわ」
――不二君は優しい。不二君を好きになれば、幸せになっていたかもしれないわね。
「天瀬、何か悩みがあるのか?」
「え?」
「あるんだろう?良かったら聞かせてくれないか?」
手塚にもわかるくらい顔にでていたのだろうか?
「天瀬、こう見えても俺は大勢の人間をまとめ上げてきた人間だ。
人間関係のことなら人並み以上にわかるつもりだ。俺を信じて油断せずに打ち明けてみろ」
「……手塚君」
個人的な恋愛であまり親しくも無い手塚に相談べきか迷ったが……美恵は思い切って打ち明けてみた。
「……そうか。天瀬は跡部と」
チームメイトの不二の気持ちを知っているだけに手塚は複雑だった。
「何となく気づいていた。テニス大会がある度に跡部と天瀬を見ていたが、遠目から見ても2人は恋人そのものだったからな。
しかし、それなら何を悩んでいるのだ?おまえ達は両想いなのだろう?」
「それはそうだけど……今まで色々あって。それに景吾は強引で性急すぎるし……」
跡部が女に手が早い性格ということは重々承知しているが過去の事もある。
自分は切り換えの早い性格ではないのだ。美恵は何よりも今は自分の気持ちを大切にして欲しかった。
できるなら自分が以前のように心を開くまで待って欲しい。
静かに話を聞いていた手塚だったが、一通り話を聞くと少し強い口調で言い出した。
「それは贅沢なんじゃないのか?」
「ぜ、贅沢?」
「おまえ達は両想い。お互いフリーで、その上年齢もつりあっていればコブもいない。
何の障害もないではないか。跡部が40も50も年上で子持ちであれば悩むだろう。
しかし跡部は若々しい同年代。何を悩む必要がある?
禁じられた愛の苦しみは恋わずらいなどとは違う。素直に跡部の胸に飛び込めばいいだけの話ではないか。
だが勿論油断せずに飛び込むことだ。それ以外はどうでもいいではないか」
「……手塚君、あなたもしかして障害のある恋でもしてるの?」
手塚は無表情だった。何の変化も見られない。
(違うのかしら、私の勘違い?)
手塚はふいに立ち上がると歩き出した。
「手塚君、止まって。その先は……あっ!」
手塚は真正面から大木に激突した。額から血が流れている。
「大丈夫手塚君!?」
「大丈夫だ。俺は油断せずに歩いていた」
無表情ではあったが心の中ではかなり動揺していたらしい。
「手塚君も苦しい恋をしてたのね」
「……ばれてしまっては仕方ない。俺にも好きな女性はいる、しかし年上なのだ。おまけにコブ付きだ」
「まさか人妻?」
「違う、断じて違うぞ!彼女は未亡人なんだ」
「ごめんなさい。でも、それなら手塚君にも希望があるんじゃないの?」
「何度もそう思おうとした。だが彼女は俺を子ども扱いしている。一人の男としてみてはくれないのだ。
だが跡部は違う。テニスにかける情熱に劣らないくらい天瀬を想ってくれているではないか。
怖がらずに一歩踏み出してみるんだ。油断せずに行こう」
「ありがとう手塚君」
(こ、殺される!杏ちゃん、俺、こいつに虐殺されちまうよ!!)
神尾はもはや発狂寸前だった。
「おまえ達、何をしている?」
「あ、真田副部長」
トカゲを何匹も背負った真田が現れた。
その目に映ったのはチェーンソーを持って仁王立ちしている幸村。
神尾に馬乗りになり、その首根っこを押さえつけている切原。
そして恐怖でこれ以上ないくらい白くなっている神尾の姿だった。
「た、助けて!助けてくれ!」
神尾は必死になって助けを求めた。
「助けろ?どういう事だ神尾。貴様は何かに生命を脅かされているというのか?」
「何かって、この構図をあんたを何だと思っているんだー!」
「何かとは……うーむ、見たところ木を切り倒しにきた幸村。
それについてきてうっかり転んでしまった貴様と赤也。そんなところか?」
「おまえの目は節穴かー!」
神尾はもう泣きたくなってきた。
「神尾、おまえのところの小娘がおまえを探していたぞ。幸村と遊んでいる場合ではないだろう」
遊んでなんかいないと神尾は叫びたかったが、もはや言葉にならなかった。
「悪いことは言わん……帰れ」
――帰してちょうだいよ!
「じゃあ帰るぞ美恵」
「ええ」
美恵の表情が随分と明るくなっている
「おい手塚に何を言われた?」
「別に。それより景吾」
美恵は跡部の腕に手を通した。跡部は驚いている。
「腕……組んでいい?」
驚いていた跡部だったが、やがて「ああ、いいぜ」と微笑んだ。
「景吾、もう少し待って。私、素直になるから」
「ちっ、しょうがねえな。その代わり、後でサービスさせてやるからな」
2人の後姿を手塚は満足そうに丘の上から眺めていた。
「これでいい。油断せずに行こう」
「何がいいのさ」
絶対零度の口調!手塚は反射的に硬直した。
「……そ、その声は……ふ、ふ……」
手塚は肝心な事を忘れていた。
(天瀬は不二の想い人だったんだ!それを綺麗さっぱり忘れていたとは手塚国光一生の不覚!)
い、いや、不二もわかってくれるはずだ。愛し合う恋人同士に割り込むなど野暮な事。
共に戦ってきたチームメイトを信ぜずして何が部長だ。
部長はたとえどんな時でも部員を信じぬくことが使命のはず!
手塚は不二を信じ腹を割って話し合うことにした。
「実は不二、あの2人は――」
「随分と余計な事をしてくれたね手塚。君には失望したよ」
振り向くなり手塚はすごい勢いで胸を突き飛ばされた。
「だから君はもういらない」
手塚の足元に地面はなかった。そのまま手塚は真っ逆さまに海中に落下していった。
後に残されたのはボチャンという音だけ。
「不二せんぱーい食事ですよ。あれ手塚部長はどうしたんっすか?さっきまでここにいたのに」
「知らないよ。海水浴でもしてるんじゃないかな?」
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