「……僕の目を盗んで何してたの?」
「あーん、てめえには関係ないだろ。なあ美恵?」

開眼の不二を挑発するように、跡部は美恵を抱き寄せ見せ付けるように、その額にキスを落とした。


「……まさか僕に言えないような事をしてたんじゃないだろうね?」
「ち、違うわ!」

慌てて否定したのは美恵だったが不二の顔をまともに見れない。
その態度は不二の心に疑心を植え付けた。


「もう一度聞くけど、本当に何もなかったの?」
「……それは」


正々堂々と否定するには、あまりにも度が過ぎたことを跡部にされすぎてしまった。
本意ではなかったとはいえ全力で跡部を拒絶しなかったことも事実。
困惑する美恵。反して跡部は平然としている。


「景吾、あなたからも何か言ってよ」
「あーん?不二なんかにいちいち言い訳する必要あるか」
「そんな意地悪言わないでよ」
跡部としてはこのまま不二が誤解してくれたままでも全くかまわない。むしろ好都合だった。
だが、これ以上美恵を追い詰めると自分に対する心証が悪くなりそうだ。

「そんなに真実を知りたかったら、あいつに聞け」

跡部は親指で背後の岩を指差した。
美恵と不二は振り返る。すると暗闇の中、確かに何かが動いた。




テニス少年漂流記―33―




「冗談じゃないっすよ!」
神尾は激怒してそばにあった木の幹を拳で叩いた。
「あんた達、俺を疑っていたのか!いくら何でも女の人を闇討ちにするなんて俺はやんねえよ!!」
神尾の叫びに大石など温厚な中立派は同情すらした。だが幸村には全く通用しない。

「君が女性を襲わない人格かどうかなんてどうでもいいよ。俺は誰も信じないからね。
問題はただ一つ。ギルティ・オア・ノットギルティ、それだけさ。
それを決めるには物的証拠がない。こうなったら自白しかないね」

「だから自白も何も俺はやってねえって言ってるだろ!」
「俺は誰も信じないっていったはずだよ。拷問を伴わない尋問で得た証言なんて信憑性ないね」

拷問という単語が飛び出し誰もが顔面蒼白になった。もちろん一番驚愕しているのは神尾本人だ。


「ちょっと待って下さい部長」
切原が挙手した。もしかして幸村の暴走に苦言を呈するのだろうかと神尾は期待を込めた眼差しを向ける。
「素手でやったら部長の手が傷つきますから、これ使って下さい」
切原はどこから持ち出したのか金属バットを差し出した。
「ありがとう赤也。君は気の利く子だね」
「喜んでもらえて嬉しいっす」
微笑む二人。やばい台詞さえ聞き逃せば微笑ましいシーンだった。


「切原、おまえ何て事を!」
「何だあ?文句あるのかよ。どうせ跡部さんに直接復讐しても返り討ちが関の山。
だから腹いせに跡部さんの彼女を殺してやろうって思ったんだろ?」
「切原ー!!」
神尾は切れて切原に襲い掛かった。

「もう一度言ってみろ!!」
「何度でも言ってやるぜ!いいこぶってないで白状しろよリズム野郎!!」

大石と桃城が慌てて二人を止めにはいった。
「やめるんだ2人とも!」
「そうだぜ、頭冷やせよ!」
流血は避けられたが、幸村はむすっとした。

「どうして止めるのさ。もしかして大石も俺の敵なの?だったら容赦しないよ」
「……ど、どうして、そういう結論になるんだ幸村。落ち着いて話し合おう」














「はは、ばれちゃってたのか。ひとが悪いよ跡部~」
岩陰からばつが悪そうに現れたのは千石だった。
「せ、千石君。どうしてここに!?」
「俺も美恵ちゃんを探してたんだよ。で、別の洞穴から入ったんだけど俺も迷子になっちゃってさ。
当てもなく歩いていたら跡部と美恵ちゃんを発見したってわけ」
「だったら、どうして声を声をかけてくれなかったの?」
「どうしてって……邪魔しちゃ悪いと思って」
美恵は赤面した。千石は一体いつから現場にいたのだろうか?


「……せ、千石君……いつからいたの?」

美恵は勇気を振り絞り質問した。
「えーと……『こうすれば寒くねえだろ』くらいからかな?」
つまり見られたくない場面は全て千石に筒抜けだったということになる。
パニックになりかけた美恵だが、同時に跡部は千石の存在に気づいていた事を思い出した。
「景吾、いつから?」

一体いつ?いつから気づいていたのだ?

「あーん?いいだろ、そんな事はどうだって」
「よくないわよ!千石君がいたのに、どうしてあんなマネを!」

「あんなマネ?」

不二の目つきが鋭くなり美恵は恥かしさで眩暈がした。


「いいじゃねえか。千石からは俺達の姿はみえねえ、声が聞えていただけだ。だから続けた」
「よくないわよ!」

跡部も跡部だが千石も千石だ。美恵が襲われかけたというのに助けてもくれなかったとは。
ちなみに千石は音声のみとはいえリアルポルノの邪魔する気にはなれなかった。
あわよくば楽しもうと思っていたのだ。
跡部も跡部で、せっかくのチャンスを中止する気になれず行為を続行したのだ。




「そんな事はどうでもいいよ。千石、2人はどこまでいったの?
まさか一線を超えてはいないよね?」
「……不二、おまえ怖いよ。安心しろよ、美恵ちゃんは無事だった」
「本当だろうね?」
「うん本当本当。今の時点ではね」
不二は一応安心したようだが何だか含みのある千石の最後の言葉に不快そうに眉を寄せた。
「と、とにかく戻ろうよ。皆心配してるだろうからさ」
千石はとにかく場の雰囲気を明るくしようと必死だった。
「千石君の言う通りだわ。私のせいで皆には迷惑かけて……ごめんなさい」
美恵、おまえのせいじゃねえよ」
「そうだよ。美恵さんは何も悪くないよ」














美恵、美恵……俺の美恵」
「侑士、落ち着けって」
「これが落ち着いていられるか!俺の花嫁が洞窟で姿消したんやで!」
必死に洞窟内を探していた忍足は美恵が戻っているかもしれない可能性に期待していったん外に戻った。


「なあ堀尾、本当におまえを襲ったの神尾さんだったのか?」
「……うーん、そう言われるとちょっと自信が」
「俺じゃないって言ってるだろ!」
「橘を殺された仕返しだろ。いい加減に観念して吐いちまえよ」
「橘さんを勝手に殺すな!」
美恵はいなかったが進展があったようだ。神尾と切原が争っている。
「自分らどないしたん?」
「忍足さん、それがお宅のマネージャーを神隠しにしたのは神尾らしいってもめてるんすよ」
桃城の説明を聞いた忍足は途端に阿修羅の顔になった。
「……何やて?」




「なあ不動産の二年坊主。ほんまに自分無駄にリズムばっかりやなあ」




謙也は思った。あの馬鹿、侑士を本気で怒らせたと。

「死ぬで。あのガキ殺される。俺は知らんぞ」

忍足のドス黒いオーラ。手塚ですら、どうしたらいいかわからない。
そのままほかっておいたら最悪の場合死体が生産されていただろう。




「あ、美恵!」
ジローが歓声をあげ駆け出した。
美恵、心配したよ!」
美恵が洞窟から出てきた。随分と身なりが汚れてしまっているが無事のようだ。
「ごめんなさいジロー心配かけて」
「ううん。俺、嬉C」
美恵は抱きついてきたジローを抱きしめた。


美恵、俺も心配したんやで!!」
忍足が美恵目掛けて飛び掛ってきた。
「きゃああ!!」
「俺の女に何しやがるんだ。この歩く30禁野郎!!」
が、跡部に邪魔され呆気なく撃沈。
「何でや!ジローとは熱い抱擁かわしておいて、何で俺とはしてくれへんの!?」
「ジローの半分でも白くなってから抗議しやがれ、この変態!!」
「俺の心は漂白剤より真っ白や!」
「無自覚な分、てめえはタチ悪いんだよ!」
美恵が無事だったことに誰もがホッとしている。その只ならぬ様子に美恵は不可解なものを感じた。




「何かあったの?」
「何かあったのじゃねえよ。おまえが見つからなかったら、あいつ殺されてたぜ」
宍戸が神尾を指差して今までのいきさつを話した。
「なあ美恵、洞窟の中で何があったんだ。おまえから全部話せよ」
「……それは」
これは非常にまずい展開だ。何者かに突き落とされたなんて言えば自動的に神尾はまずいことになる。
その神尾は不安と怒りが入り混じった表情で此方を見ている。
暗闇で一瞬しか見なかったが……あのシルエットは神尾と似てなくもない。
美恵は怖くなって無意識に跡部の腕に縋った。
犯人が神尾なら自分を恨みに思っているということだ。
だが恐怖と同時に辛い立場に陥っている神尾に同情もした。


(今は言えないわ)

誰もが感情的になっている。美恵は、この場を丸く治めるために事実を隠す事にした。
「実は……」

美恵は何者かに崖から突き落とされたんだ」

だが美恵の気遣いを何と跡部があっさりと一瞬で打ち砕いてしまった。
途端に誰もが疑心から確信に満ちた目で神尾を凝視。その集中された視線に神尾は恐れおののいた。


「お、俺じゃないぞ!」
「だからそれを証明したかったら大人しく俺の尋問に付き合いなよ」
幸村は金属バットを持ち上げた。
「あんたのは尋問じゃなくて拷問じゃないか!」
「ご、拷問?優しい幸村君がそんな事を……?」
幸村の本性を知らない美恵は驚愕した。すると幸村はハッとした。
(そうだ。美恵さんの中では俺は天使だったんだ)
幸村は「これは赤也のバットなんだ。赤也がどうしてもやるってしつこくてね」といけしゃあしゃあと言った。

(幸村部長!)

切原は少しショックを受けたが、そんな彼に幸村はこっそり折りたたんだ五千円札を渡した。

「そうでした。俺が拷問やろうと思ったんすよ。部長は優しいから止めたんですけどね」




「おまえ達、何をごたごたやっとるんだ?」
一触即発の空気の中、帰りが遅い手塚達を心配して竜崎がやってきた。
「竜崎先生。実はかくかくしかじか」
手塚が簡潔に全てを話した。
「そうか……話はよくわかった。おまえ達にもそれぞれ言い分はあるだろうが、今日のところは全員家に帰れ」
「竜崎先生のおっしゃる通りだ!従わないものはグラウンド100周だ!」
いつもの条件反射で青学の選手は慌てて走って帰った。ただ1人、不二を除き。


「どうした不二。おまえも帰るぞ」
「お言葉ですけど。僕は納得できてないので」
「俺もこのままうやむやにするわけにはいかねえな。俺の女が殺されかけたんだ。
今すぐ犯人を断定して二度と歩けないようにしてやらねえと安心できねえ」
「跡部、美恵さんは君の女じゃないだろ?」
青学では監督して絶対的な権力を持つ竜崎だったが、さすがに他校(それも一癖もある連中は)には通用しない。


「犯人探しなら明日からでもできるだろう。
跡部よ、今は犯人探しよりも疲労しているこの娘を連れ帰って介抱してやるべきじゃないのか?」
確かに美恵は精神的にも体力的にもまいっている。竜崎の言い分はもっともだ。
「……ちっ、仕方ねえな。今日のところは婆さんの顔をたててやるぜ」
跡部は美恵を抱き上げた。公衆の面前でのお姫様ダッコ。
「ちょっと何するのよ!」
「暴れるんじゃねえよ。今のおまえは歩くのも辛いだろ、俺様が運んでやるっていうんだ感謝しろ」
「いいから降ろしてよ。皆がみてるじゃない」
「あーん?見せ付けてるに決まってんだろ」
跡部は美恵の拒否を完全無視して歩き出した。

「おっと念のため言っておくが――」


「俺は絶対に犯人を突き止める。神尾も含めて、てめえら全員容疑者と思え。覚悟しておくんだな」














美恵先輩、大丈夫ですか?」
ツリーハウスに戻るとすぐにベッドに降ろされ鳳が手当てしてくれた。
足首を捻挫してしまったが歩けないわけではない。後はかすり傷だけだ。
「骨折してなくてホッとしましたよ。こんな島じゃ治療もできませんから」
「ありがとう鳳君。ごめんなさい心配かけて」
「気にしないでください。それにしても誰なんでしょうね、先輩を突き落とした犯人って」
「……わからないわ。でも、今は犯人を吊るし上げるようなことはしたくないの」
美恵先輩は優しいですね。でも、いくら先輩が許しても跡部部長達は許さないですよ。
部長達の気持ち俺には痛いほどわかるんです。
もしも突き落とされたのが宍戸さんだったら、俺、犯人を箱につめて海に捨ててましたから」
「……鳳君はいい子だけど時々怖いわよ」


カーテンが開かれ、跡部が「鳳、後は俺がやる」と言外に席をはずすよう促した。
鳳が素直に従い2人きりになると跡部は美恵を抱きしめた。

「……景吾?」
「今後は俺が片時も離れず、そばで守ってやる。二度とこんな目には合わせねえから安心しろ」

跡部の胸の中で美恵は黙って頷いた。今はただ跡部の優しさに甘えていたかった。














夜が明けた。美恵の足は少し腫れていた。
ベッドから足を床を下ろすと僅かだがズキンと痛みが走った。
(昨日は歩けたのに……)
朝食の用意をしなければならない。昨日は自分の捜索で皆疲れているはずだから栄養のあるものを作らないと。
それに捜索に参加してくれた他校の皆にもお礼をしたかった。


「先輩、まだ起きないほうがいいです」
樺地が朝食を載せたトレイを持って姿を現した。
何とピンクのエプロンをつけている。もしかして樺地が朝食の用意をしてくれたのだろうか?
「さあ食べて下さい」
「ありがとう。これ、樺地君が?」
「自分と忍足先輩が作りました」
「ごめんなさい。食事は私の当番なのに」
「いえ先輩は疲れてますし怪我もしてますから、どうか休んでいてください。
しばらくは自分達が家事をします。先輩は自分の体のことだけを考えて下さい」
カーテン越しに空っぽのベッドが見えた。跡部達はとっくに起床したようだ。


「もしかして私寝坊したの?」
慌てて時計を手にすると、目覚しき機能がOFFになっている。
「跡部さんの命令です」
「景吾の?」
跡部の気遣いに嬉しい反面、自分と樺地以外の面々の姿がない事に気づき美恵は慌てた。
もしかして早速犯人を捕まえて酷いことをしているのでは?そんな不安が胸を過ぎったのだ。
「景吾……景吾達はどこ!?」
木の下に下りようとする美恵を樺地は止める。
「景吾達はどこに行ったの?!まさか不動峰の所に……!」


「あーん、騒々しいなあ」


跡部だ。ツリーハウスから身を乗り出すと、ちょうど真下に跡部がいた。

「……景吾、いたの」

ホッとする美恵に跡部は言った。


「言っただろ。これからは片時も離れねえってな」




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