その内側にはハンモックや昼寝用の折りたたみ椅子が常設され氷帝に一時のやすらぎを提供していた。
ところが、それらをもっとも多用している跡部が今日は切り株に腰掛けて憮然としている。
理由は簡単。が、まだ戻らないのだ。
食事の支度もあるし、何よりも日が落ちると危険なので、いつもは必ず明るいうちに戻っていた。
しかし、もう夕方になるというのにが帰る気配がない。嫌な予感が跡部の感情を刺激していた。
「ジローの奴、何してやがるんだ。あれほどの見張りを厳命しておいたのに」
「跡部ー!」
噂をすれば影だ。ジローが大声を張り上げながら走ってきた。
「遅いじゃねえか。は一緒じゃねえのか?」
「が、が!」
「に何かあったのか!?」
「が洞窟の中で行方不明になっちゃったんだ!!」
テニス少年漂流記―31―
――数時間前――
「あれ、越前。これ何だよ?」
堀尾が1枚のメモ用紙を拾った。それはジローが所持していた地図だ。
「これがなけりゃあの人達困るじゃん。俺、届けてやるよ」
「おい越前、待てよ」
堀尾はついついリョーマを追いかけてしまった。
しばらく歩くと見知らぬ洞窟が見えた。中を覗くとかなり深く広い。
「どうやら間違えてここに入ったみたいだね」
「何でわかるんだよ?」
「ほら、入り口に足跡が二つある。こっちは芥川さんのだろ。もう一つは一回り小さいサイズ、女の人の足だ」
「なるほど」
越前は携帯していた小型の懐中電灯で中を照らすと歩き始めた。
「ちょ、ちょっと待てよ越前、中に入るのかよ!」
「入んなきゃ用事済ませられないじゃん。いいよ、堀尾は帰れば?」
リョーマはさっさと洞窟内に侵入した。
「……お、おい越前」
一人っきりになった堀尾。背後の茂みからガサガサと妙な音がした。
その途端、堀尾は「越前〜!」と大声を張り上げながら慌てて、その後を追った。
「……え、越前〜何か冷たくないか?」
「そう?涼しくていいじゃん。それよりくっつくなよ」
数分後、穴がいくつにも枝分かれしていた。
「おい、もしかして二人は迷ったんじゃないのか?」
「その可能性はおおいにあるね。芥川さんは右から二番目の穴に入ったみたいだ」
「何でわかるんだよ?」
「足跡」
「じゃあ
さんも一緒かな?」
堀尾はその穴に入った。ほんの数メートルほど歩いた時だ、何かにぶつかり尻餅をついた。
顔をあげると影が立っている。堀尾はちびりかけた。
「青学の一年?ここで何してるの?」
「ぎゃ〜!!」
堀尾は恐怖のあまり慌てて別の穴に入っていった。
「だから帰れって言ったのに」
「あれ越前?何でここにいるの、は?」
「それはこっちの台詞っすよ。どうやら芥川さんはさんと一緒じゃなかったんですね」
「はぐれちゃって。ところであの子は?」
「ああ堀尾ならこっち。さんも、こっちの道に入った見たいっすね」
かがんだリョーマの視線の先には靴底の後があった。
「兄貴ー!た、大変だ!!」
「どうしたの裕太、息を切らせて?」
不二はハンモックに寝そべりながらトロピカルジュースを飲んでいた。
「佐伯さんがもしかしたら海に落ちたかもしれないんだ!」
「海?」
「そうなんだよ。立海の幸村さん達が崖の上に佐伯さんの靴が片方だけあるのを見つけたんだ!
あそこから落ちたらひとたまりもないよ。とにかく、すぐに現場に行こうぜ!」
不二はゆっくりと上半身を起こした。
「……海に」
「兄貴、何してんだよ。佐伯さんは兄貴の親友だろ?」
「ああ、そうだったね」
「ひぃぃ……ど、どうしよう」
堀尾は恐怖のあまり頭が真っ白のまま全力疾走した。おかげで迷ってしまったのだ。
「え、越前ー!助けてくれえ!!」
光がまるでないため方向すらわからない。ただ目がなれてきて、うっすらと周りの景色だけは見えてきた。
「こ、ここどこだよ?え、えーと……入り口は」
見えるのは岩壁にごつごつした地面ばかり。だが、そんな中、堀尾は妙なものを発見した。
「何だ、これ?」
手にとってみると靴だとわかった。それもサイズからして女物だ。
「何で、こんな物がここにあるんだ?」
その時だ、堀尾の耳に微かな呻き声が聞えた。誰かが崖の下にいる。
堀尾は恐る恐る崖の下を覗き込んだ。深すぎて何も見えないが、確かに人の声が聞える。
しかし、その声もどんどん小さくなり完全に聞えなくなった。
「あ、あの〜誰かいますか〜?」
話しかけてみるが返事がない。どうやら意識を失っているようだ。
「た、大変だ。助けないと!」
しかし一人では無理。リョーマを呼ばなければならない。
するとナイスタイミングなことに人影が見えた。だがリョーマではない。
おまけにその謎の人影は堀尾を突き飛ばし靴を奪うと逃げたのだ。
ほんの一瞬だったが堀尾は確かにみた。逃げる謎の人物の後姿を。
「……か、神尾さん?」
堀尾は地面に頭をぶつけ、そのまま意識をうしなった。
直後にリョーマとジローがやってきた。二人は意識不明の堀尾は発見したが崖下にいるには気づかなかった。
「二人だけじゃ駄目っすよ。もっと大勢の人呼ばないと」
二人はいったん洞窟を後にした。
「俺は先輩達を呼んで来るから芥川さんも氷帝の人たち呼んできてくださいよ」
「うん、わかった!」
「が洞窟内で行方不明になっただと!!」
「うん、だから早く皆で探さないと!」
「幸村なんかに係わるとろくなことにならねえ!」
「跡部、今はそんな事いってる場合じゃねえだろ!!」
宍戸がたしなめる前に跡部は全速力で走っていた。
「宍戸さん、俺達もすぐに行きましょう!」
「下克上だ!」
「よし。ジロー、おまえは忍足や樺地に知らせてくれ」
「ええか、まずは不二と幸村から潰す」
忍足は紙に図式を書き込んだ。
「跡部は手強い。けど不二と幸村は所詮はか弱い男の子や、暴力に訴えれば俺の敵やない」
「侑士……我がいとこながら恐ろしい奴」
「恋敵に情けは無用や。ただ幸村には真田がついてるのが厄介やな……あの邪魔な親父には薬でも盛って」
「くそくそ侑士、何やってんだよ!」
怪しい作戦えお練るのに夢中になっていた忍足は向日の接近に気づかなかった。
慌てて紙をびりびりに破り、「何の事や?」とシラをきる。
「それどころじゃねえんだよ、が洞窟の中で行方不明になったってジローが!」
「な、何やて!!」
「四天宝寺も探すの協力してくれよ!」
「わかった。すぐに白石達に知らせてくるわ!」
謙也は「スピードスターや!」と絶叫しながら走っていった。
「じゃあ佐伯を探しに行こうか。一応」
そんな不二の決意を一瞬で覆す出来事が起きた。
リョーマが走ってくる。その尋常でない様子に青学の面々は何事かと首をかしげた。
「部長、大変っすよ」
「どうしたのだ越前?」
「氷帝のさんが洞窟内で行方不明になったんっすよ」
「何だって僕のさんが!!」
不二はリョーマの肩をつかんで激しく詰問した。
「どこの洞窟だい、早く案内してよ!」
「あ、兄貴、佐伯さんはどうするんだよ?」
裕太の声も今や不二には届かない。
「……案内するから離してください不二先輩」
「……うっ」
は目を覚ました。
「誰か助けて!」
叫んでみたが相変わらず反応は無い。皮肉なことにジロー達は十数分前に目と鼻の先にいたのだ。
だがが目覚める前に彼らは洞窟から出ることを選択してしまった。
――私、どのくらい眠っていたのかしら?
――今、何時なのかしら?
――いえ、それよりも……早く外にでないと。
もうすぐ(いや、もしかしたらすでに)夜がくる。危険な夜行性動物が動き出すのだ。
(焦っちゃいけないわ。とにかく落ち着いて整理しよう)
自分に言い聞かせるようには何度も頭の中で考えを整理した。
そのうちに目がなれてきて、ぼんやりとだが周りが見えてきた。
(……自力では登れそうもないわ。他に道はないかしら?)
は歩き出した。だが延々と同じ景色が見えるだけ。
(あの時、確かに誰かが私を突き落とした……誰なの。誰が私を?)
この無人島なら犯人を断定する事はそう難しい事ではないが、それは嫌なものだった。
なぜなら、今この島にいるのは氷帝の仲間と、他校ではあるがテニスを通じて戦ってきたライバルだけではないか。
氷帝の皆は疑うまでもない。四天宝寺も同様だ。
青学とは不二以外とはあまり係わってないし、立海とだって幸村以外とはほとんど接点がない。
それに、こんなマネをされるほど恨みを買う覚えもない。
(待って、恨み……)
恨みを買う覚えは無い、直接は。だが間接的、もしくは逆恨みならどうだ?
(もしかして比嘉校の人たちが?)
恨みならこっちの方こそあるが、跡部達に手痛い折檻をされたようだし逆恨みしていない保証は無いだろう。
(それに不動峰の……)
跡部が橘にしたことで、その元凶として自分が復讐のターゲットになった可能性は考えられる。
もちろん可能性こそあるが物的証拠は何もない。
(……今はこんな事考えている場合じゃないわ。ここから脱出しないと)
しばらく歩くと行き止まりに突き当たった。
「……困ったわ。あら?」
行き止まりではなかった。穴がある、何とか潜り抜けられそうだ。
は身を屈めて穴の中を進んだ。やがて微かに光が見えた、の速度も自然に増す。
同時に穴のサイズも徐々に小さくなっていく。もう屈んだくらいでは先に進めないくらいだ。
ついに地面に手をついて這うような態勢になった。
「ここで終わり?」
ボール大の石が積み重なったような壁がの歩みを完全に止めた。光は確かにこの向こうから差し込んでいる。
は力の限りを岩壁を押した。何が何でもここからでないといけない。
「……くっ」
がらっと音がして壁が崩れた。同時にの体は前のめりになって壁の向こうに押し出された。
「……ここ」
明るい。だが地上ではない。小川らしくものが流れている。
鍾乳洞だ。出口ではなかったことには激しく落胆したが真っ暗闇の崖下よりはマシだ。
きれいな水を見ていると喉がカラカラになっていたことに初めて気づいた。
水を両手ですくって口に含むと生き返ったような気になる。
「……これからどうしよう?」
自力で脱出するのがベストだろうとは思うが、よくよく考えると今外に出るのは危険なのではないか?
(ジローは大丈夫かしら?私のように迷ってないといいけれど)
もしもジローがツリーハウスに帰っていれば、きっと自分が洞窟で迷った事を跡部に告げているだろう。
跡部はすぐに探しに来てくれるだろうか?それとも用心して一夜明けてから来るだろうか?
(この鍾乳洞から外に出る道はないかしら?)
見渡すとそれらしきトンネルのような道がみえた。すぐに走ってその中に飛び込んだ。
だが、数十秒後には鍾乳洞に舞い戻ってきた。その後を数匹の蝙蝠が追いかけてくる。
「こっちに来ないで!」
必死に手を動かして追い払ったものの、蝙蝠は群れで行動する動物だ、二度とあそこを通る気にはなれない。
(蝙蝠は病原菌もってる可能性があるもの……どうしよう、困ったわ)
はへたへたとその場に座り込んだ。
「……景吾、助けて」
洞窟前には気を失った堀尾が横たわっている。
「詳しく事情を聞かせろ」
ジローは今までのいきさつを話した。
「つまり、このガキが何か見たかもしれないんだな……おい、起きろクソガキ!」
跡部は堀尾の胸倉をつかみ揺さぶった。しかし堀尾が目を覚ます気配は無い。
「ちっ、役たたずめ」
跡部は懐中電灯にロープ、さらには松明を手に率先して洞窟に入った。宍戸達も後に続く。
しばらくすると枝分かれしている場所に出た。
「手分けするぞ。いいか、何が何でもを見つけろ」
「ああ、早く探さないとやばいからな」
この暗闇の中、不用意に歩き回って事故にあい怪我をしているかもしれない。
それより、この広い洞窟がもしも狼の棲家だったらとしたら最悪の展開も覚悟しなくてはならないかもしれない。
――待ってろ。必ず助けてやる。
「不二はこないだと?たるんどる!!」
真田は怒りのあまり持っていた懐中電灯を真っ二つに折ってしまった。
「……貴重な備品がまた副部長の逆鱗の八つ当たりになったすね」
切原は溜息をついた。
「兄貴はどうしてもはずせない用事ができて……」
裕太の口調は歯切れが悪かった。
「用事?俺達に佐伯の捜索をさせておいて友達の不二は探さないなんて。
親友よりも大事な用事って何なのさ?」
幸村の質問は最もだった。だが裕太はそれに答えることは出来ない。
『さんの事、幸村には黙ってて』
『兄貴、どうして?』
『いいから黙ってなよ。いいね裕太?』
「用事が済んだらすぐに兄貴も来ると思いますから……」
「怪しいな」
幸村の第六感が告げていた。これは何かあると。
「……間違いねえ。はこっちに来たんだ」
跡部は慎重に靴の跡を辿っていた。しかし、その足跡は途中で消えている。
松明で周囲を照らすと近くに崖があった。まさかと思って覗き込むがはいない。
だが跡部の眼力は、そこにがいたという痕跡を発見した。
(あれは……!)
跡部は滑るように崖を降りた。岩に布がひっかかっている、が着ていた服の一部だ。
しかし肝心のがいない。跡部はすぐに追跡を開始した。
(ここで皆を待つ?それとも――)
怪しい気配を感じは振り向いた。トンネルのような穴の中から唸り声が聞える。
もはや選択をしている暇などない。は走った。殺気を放ちながら暗闇の中から狼が群れをなして襲ってきた。
あっという間には囲まれた。武器になるようなものは何もない、絶体絶命の大ピンチだ。
「来ないで!」
の精一杯の強がりは狼達には通用しない。ついに一匹が飛び掛ってきた。
「!!」
ギャンという悲鳴と共に狼の体がふっとんだ。
「景吾!」
「大丈夫か?」
「え、ええ」
「行くぞ!」
跡部はの手をつかみ走った。狼は追ってくる。
「駄目よ、景吾。そこには蝙蝠が!」
「他に道はねえ、来い!」
今度は蝙蝠が襲ってきた。だが跡部は松明を振り回し撃退、蝙蝠は逃げていった。
狼はまだ追ってくる。跡部は懐から瓶を取り出し地面に叩きつけた。
「景吾、それは?」
「油だ」
松明をかざすと一直線の炎のバリゲードができた。火の向こうで狼がうろうろしている。
「これでしばらくは持つ。さあ来い!」
走った、はてしなく走った。そして別の鍾乳洞に出た。
「……痛いっ」
は限界だった。その膝からは流血している、崖下に落ちたときに負傷したのだ。
「大丈夫か?」
跡部はすぐに手当てをした。
「悪いな無理させて。もう少しの辛抱だ、高い場所に上るぞ」
跡部に抱きかかえられながら安全な場所に移動した。
もしも跡部が助けてくれなかったらと思うとはぞっとした。
「寒いのか?」
跡部はを引き寄せると抱きしめた。
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