「幸村君、早く元気になってね」
「……苦労かけるね」
美恵にとって幸村は恩人。かいがいしく看護をしていた。

「本当に悪いと思ってるんなら、さっさと体調戻して出ていくことだな」

「景吾、何てこというのよ!」
「ふん!」

跡部は面白くなかった。そう思っている人間は跡部だけではない。




テニス少年漂流記―29―




「不二先輩、そろそろ落ち着きなよ」
リョーマの何気ない一言でようやく不二の暴走は止まった。

「……初めてなんだ。女のひとを好きになったのは」


――僕はひとを愛せないと思っていた。でも彼女は違った。
――愛することも愛される術も知らない僕に神様がくれた光、救い。
――誰にもわたさない。邪魔する人間は……。


「皆殺しだよ」


リョーマは心底ぞっとした。やはり不二は悪魔だったと再確認した。
青学テニス部に入部した時から不二には言い知れぬ恐怖を感じていた。
しかし他の部員にとって不二は天使だった。心底不二を信頼し慕っている。
不二の本性に気付いたのはリョーマだけ。
手塚や乾ですら不二を虫も殺さないほど優しく大人しい男だと信じている。

(いや他校のひともきっとそうだ。この件をばらしても俺が嘘つき呼ばわりされるだけだな)

手塚達は翌日にはこの惨事に関する記憶を失っていた。
乾汁の副作用か。それとも強烈な暴行によるショックなのかは神のみぞ知る……。














美恵ちゃーん」
「おはよう千石君」
「いやあ、今日もかわいいね。ねえ、後で俺とデートしな――」


「千石、てめえ何しにきやがった?」


千石は慌てて「幸村の様子を見に来ただけだよ!」と訂正した。
「そ、それに……ほら、俺達ってこの島に慣れてないだろ?
だから、この島での生活を美恵ちゃんに教えてもらおうかな……って」
千石はそれ以上何もいえなかった。跡部は憤激やみがたい様子でいつ噴火するかわからない。

(うっわー、超マジギレ寸前だよ。跡部がこんなに嫉妬深い男だったなんて……)


「いいわよ千石君」
しかし結果的に美恵は協力を申し出てくれた。
「立海の皆は元気?今はどこに住んでいるの?」
「う、うん。洞窟で暮らしてるよ。真田が逞しいから生きていく分にはいいんだけど文化とは無縁すぎて辛いんだ。
食い物なんか塩すらつけずに丸かじりでさ。酷い時には肉や魚ですら生で食えって強要されて……」
立海は体育会系の上、あの真田が陣頭指揮をとっているのだ。想像するだけで凄まじそうだった。


「もし良かったら私が料理を――」
「ふざけるな!あんな連中の巣におまえを行かせられるか!!」
当然のように跡部は反対。美恵は溜息をついた。
「景吾もついてくる?それならいいでしょう?」
もちろん跡部は同行した。まともな食事に飢えていた立海の面々は大喜び。
ただ仁王が何があったのか呆然と洞窟の隅に座っていた事だけが気がかりだったが……。


「景吾、これからも他校の人達と仲良くしましょう。こんな状況だからこそ助けあわないと」
「…………」
正論だ。正論だが跡部は面白くない。こうして、常にそばにいないと心配でたまらない。
しかも跡部の危惧する事が起きだした。立海の事を聞いた他の学校が図々しいお願いをしてきたのだ。
「何だと、美恵を借りたいだ?佐伯、てめえ殺されたいのか!?」
「そんなに怒る事ないだろ。借りるなんて大袈裟な……料理を教えてもらおうと思っただけで」
「それがふざけてるって言うんだ。一昨日きやがれ!!」
佐伯を盛大に追い出したものの、今後も同じ事が起きると想像しただけで跡部は頭が痛くなった。


「……跡部、あいつら調子に乗ってるんとちゃう?自分らの立場わからせてやった方がええで」
「忍足……てめえに言われるまでもねえ」














跡部は次の日、大事な話があると全員を呼び出した。

「この島では俺様がルールだと言っておいたな。
だが青学の連中も新しく加わった事だし改めて、てめえらの頭脳に教えてやる。
初にいっておく。重要な話だから私語は一切禁止だ、俺様の言葉にじっくり酔いしれな」


跡部は美恵の肩に腕を回すと一気に抱き寄せた。
おかげで美恵は大勢の人間の目の前で跡部の胸に抱かれた体勢になった。
恥ずかしさのため、盛大に赤面する羽目になった。




「いいか、よく聞け。こいつは俺様の女だ!帰宅したら籍も入れる!!」




ざわざわと皆が此方を見ながら小声で話だした。
その視線に耐えきれず美恵は跡部が離れようとするも、跡部がそれを許さない。

「待てよ跡部、それには同意できないな」
「そうだよ。君は単なる幼馴染だろう?」

幸村と不二は即座に反対意見を言った。しかし跡部は妙な自信を持っている。
「俺はこいつと結婚の約束もしたし、一緒に風呂にも入ったし同じ布団で寝た事だってあるんだぜ」
「それは子供の頃の話じゃない!」
誤解されたら困る。慌てて美恵が跡部の発言を訂正した。
そんな美恵に言い聞かせるように跡部はさらにとんでもない発言をした。




「あーん?だったら、つい最近したばかりの裸の付き合いを暴露してもいいのかよ?」




その場の空気にびしっと亀裂が入った。ただ千石はやけに期待してわくわくしている。

「いい機会だから、てめえらにも言っておく。いいか、この島に来てから俺様は――」


「こいつの全裸を見たんだぜ!!」


幸村と不二は青筋をたて、千石は何を想像したのか笑っている。


「な、何を言うのよ景吾!!」
だが一番ショックを受けたのは勿論美恵本人だ。しかし跡部はあくびれずにこう言った。
「あーん、本当の事だろ?」
「……そ、それはそうだけど、あれは事故で」
美恵は皆の顔を見た。自分を見つめる目がいやに痛い。


「……跡部、本当に美恵さんのオールヌードを見たのかい?」


不二が開眼した上で質問した。それに対し跡部は自慢げに言った。

「ああ、ばっちり見たぜ。隅から隅まで舐めるようになあ」


たまらなくなって美恵は俯いた。ところが、この悲劇は序章ではなかったのだ。


「それが何や!!」

忍足が立ち上がった。その威勢の良さに美恵は、とんでもないくらい嫌な予感がした。




「俺なんか美恵に全裸見られたんやで!!」




(……終わったわ)

美恵は倒れそうになった。実際、跡部が抱きしめていなかったら崩れ落ちていただろう。
ざわめきが何倍にもなった。観衆の声を聴いた忍足は勝ち誇ったように言った。


「どうやら俺の方がインパクト強かったようやな」

負けず嫌いな跡部が引っ込むわけはない。

「それがどうした!俺はこいつと何度もキスしたし生で胸も揉んでやったぜ!!」
「俺だって押し倒して合体直前までいったんやで!!」


誰もが美恵を嫌な目で見つめる中、千石はやけに喜んでいる。どんな想像をしているのやら。


「いい加減にしろよ、おまえら!美恵がかわいそうだろ!!」
「くそくそ、跡部、侑士、おまえら鬼かよ!!」
氷帝の連中が見かねて助け船をだした。
「おまえら勘違いするなよ、美恵はそんな女じゃないんだ!」
「そうだそうだ!跡部は水浴覗き見しただけだし、侑士に至っては全裸で追いかけただけだろ!!」
途端に美恵に向けられた意味ありげな視線が今度は跡部と忍足に向けられた。


「そんな事だろうと思ったよ。美恵さんは、そんな女性じゃないからね」
不二は気を取り直したが、その目からは怒りの色は消えてない。
どんな状況だろうと、美恵が跡部に肉体を見られたり触れられた事は事実なのだ。
「……ふん、何とでもいえ。近いうちに、もっと凄い事をしてやるからな」
ぴしっと空中で火花が散った。その場にいる者は後世でこう証言している。

『跡部と不二は殺し合いをしてもおかしくない迫力がありました』――と。




「とにかくだ」と跡部は話を元に戻した。
「こいつに近づいていい男は俺だけだ。いいか、美恵にちょっかいだしたら俺が承知しねえからな!
美恵の半径五メートル以内には近づくな。美恵と口をきくなんざ俺が許さねえ。
姿を見るのも我慢できねえくらいだ。もし警告を無視しやがったら、この世で後悔できなくしてやるぜ」
「景吾、何を言うのよ!」
跡部の無茶苦茶な要求に最初に抗議したのは美恵本人だった。


「どうして皆と仲良くできないのよ。こんな無人島で遭難した者同士協力するのが当然でしょ!」
「こいつらがゲイか女だったら俺もこんなこと言う必要ねえ。男に生まれたこいつらが悪いんだ!」
「……何てこというのよ!」
「てめえが警戒心無さすぎるから恋人の俺が守ってやるしかねえだろう!
比嘉校の連中に襲われてゴーヤの生贄にされかけた事、もう忘れたのか!?」
「それは……!」
「こいつらだってやりたい盛りの野郎なんだ。そんな連中がおまえに近づくなんてお断りなんだよ」
跡部の言い分は、美恵が襲われる事が前提になっている。犯罪予備軍扱いされた人間が面白くないはずがない。


「跡部、言いすぎだぞ。俺達が彼女に酷い事をするはずないではないか」
最初に反論したのは手塚だった。
「俺達は健全なスポーツ選手だ。テニスは婦女子を襲うためにあるものじゃない」
「世の中、そんな奇麗事が通じるほど甘くねえんだよ手塚」
「跡部、おまえはひとを疑いすぎる。比嘉校のせいでが人間不信になっているのもわからないではない。
だが俺達には熱い戦いを通じて芽生えた友情や信頼があるだろう。
それを壊してまで、おまえの大切な女性を襲おうなんて考えている人間はここには一人もいないぞ」
手塚の言葉は誠実で、その場にいる多くの人間が感動した。最初に賛同したのは桃城だ。


「部長、俺達を信じてくれるですね!そうっすよ、跡部さんは人を疑いすぎなんですよ。
いくら年頃だからって跡部さんが考えてるような事件が二度も起きるわけがないって」
「ふん、こんな無人島に女は美恵1人。しかも美人でグラマーと来ている。
そんな女に絶対に欲情しないっていう保証なんかねえだろ!!」
「何いってんすか跡部さん?女は他にもいるじゃないか」
桃城は指を折りながら「うちのばあさんだろ。その孫に友達、それに橘妹も」と付けくわえた。

「じゃあ訊くが桃城」


「あのばあさんの裸を想像してみろ」
「え?」


予想もしてなかった質問。だが桃城は不運にも想像してしまった。
「おえっ!!」
桃城撃沈。もう二度と跡部に反論することはなかった。


「見たか、てめえら。これが男の本音だ」


それは百の言葉よりも説得力があった。しかし手塚はまだ納得していない。
「桃城、なぜ!?」
「……手塚、てめえは馬鹿か?理由が知りたかったら、てめえもばあさんの全裸を想像してみろ」
「何、竜崎先生の痴態を?」
手塚は想像した。あられもない竜崎の姿を――。


……手塚はぽっと頬を染めた。


「……はぁ?」
予想外の出来事に跡部は驚愕した。いや跡部だけではない、そこにいた全ての者がだ。
数秒後、手塚はハッとして正気に戻った。
「りゅ、竜崎先生の裸は想像するためにあるんじゃあない!」
「……手塚、てめえ」
この瞬間、跡部はライバル手塚に心の中で別れを告げた。
「それがてめえの気持ちだったのか……わかったぜ、てめえだけは信用できる。
てめえなら美恵に手出しはしないだろう。だが……違う意味でやばいから美恵に近づくんじゃねえ!!」
「跡部、それはどういう意味だ?」
「うるせえ!もう、てめえは俺様のライバルでも何でもねえ!!」




「おい樺地」
「うす」
樺地は椅子を持ってきて美恵を座らせた。跡部講座はまだ続く。
「全員黙れ!」
一斉に静かになった。
「とにかくだ。これでわかったと思うが今後絶対に美恵には近づくな、わかったな?」
不二や幸村、それに忍足はうんとは言わない。千石も「おしゃべりくらいはいいじゃん」と言いだす始末。
本人たちは真剣だが無関係の者にとっては迷惑なイベントでしかないだろう。
不動峰の橘は思わず隣にいた神尾に「まだ続くのか?」と尋ねた。
その不用意な一言を跡部は見逃さなかった。


「橘!」


跡部の口調の鋭さに橘はびくっと硬直した。その額目掛けてキラリと怪しい光が飛んだ。




「私語してんじゃねえ!!」




「きゃー、お兄ちゃん!!」

杏が悲鳴を上げる中、橘はふらふらとよろついたかと思うと、その場に仰向けになって倒れた。
橘の額にはナイフが刺さっていた。
跡部はゆっくりと橘に近づくと、身をかがめナイフの柄を握ると、ゆっくりと引き抜いた。
その瞬間、恐怖で震えていたギャラリー達は悲鳴を輪唱させ我先にと走り出す。
そしてお互いにぶつかり将棋倒しになって転倒する者続出、一瞬にして地獄と化した。


「俺様に逆らう奴がどうなるか、てめえらこれでわかっただろう?」




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