「あなたは……青学の越前君」
「そういうあんたは跡部さんの彼女だったよね?」
美恵は少し頬を赤くし慌てて否定した。
「違うわ。景吾とは幼馴染で単なるマネージャーよ」
「ふーん、それにしては合同合宿の時の跡部さんの態度はすごかったけど」
「景吾が何かしたの?」
「まあ、いいや」
リョーマは岩から飛び降りると焚火に砂をかけ消火した。


「見晴らしがいいからここでのろしあげたけど蛇の巣だったんすよ。さっさと離れた方がいいよ、あんた達も」
確かに、ここにいたら先ほどのように襲われかねない。早々に離れることにした。
安全な場所までくると美恵は改めて越前との再会を喜んだ。
「でも本当によかったわ越前君が生きていて。きっと不二君喜ぶわ」
「不二先輩、あんた達と一緒にいるんですか?急にいなくなったと思ったら」
「いなくなった?不二君とははぐれたんじゃなかったの?」
「勝手にいなくなったんすよ。だからこうして目印にのろしあげて不二先輩を探してたんだ」




テニス少年漂流記―28―




「なあ宍戸、幸村は何で肉体労働しないんだよ」
「気分が悪いからって寝てんだよ」
「またか。よくそんなんでスポーツ選手になれたな」
「文句言わずに優しくしてやれ。美恵の頼みだ」
「ちぇ」
向日は不満そうに舌打ちした。朝から家庭菜園に精をだしている身としては無理もないかもしれない。
しかし美恵の頼みとあっては無下にもできない。




その頃、幸村はベッドに座り静かに本を読んでいたが、馴染みのある気配を感じ顔を上げた。
そして静かに本を閉じる。
「何か新しい情報をもってきたのかい?」
「真田が解放されたぜよ。直に追い出される、今後の身の振り方を考えた方がいい」
「……何だって?」
「俺は住み家に戻るぜよ。ぷりっ」
幸村は手にしていた『チャタレイ夫人の恋人』を真っ二つに引き裂いた。














「部長、ただいま戻ってきました。お客さんも一緒っすよ」
リョーマに案内されたのは浜辺に建てられたテントだった。害獣除けの柵も作られている。
テントからやつれた手塚が姿を現した。大石もいる。
「……て、手塚君?」
生きていたのねと再会を喜びあえるような雰囲気ではない。二人とも半死人ではないか。
「ど、どういう事?」
満足に食料をとれず栄養失調になったのだろうかと思ったが、そう考えるには矛盾がある。
それはリョーマは健康そのもので元気いっぱいということだった。
生活を共にしている以上、栄養失調が原因だとすればリョーマも飢えて衰弱しているはず。
そうではないということは何か別の理由があるのだろう。


「越前君、一体何があったの?」
「どうもこうもないっすよ。青学で今五体満足なのは俺を含めてたった二人だけ。
あ、行方不明になって難を逃れた不二先輩も含めると三人ですけどね」
「二人?越前君ともう一人は?」
その時、美恵は影に覆われた。背後に人の気配を感じ慌てて振り返る。


「いらっしゃいませ~」
「あ、あなたは!」


逆光の中、異様なシルエットが大きなコップを手に壁のように立っていた。
「い、乾君!」
「どうだい。君も一口」
それは青学の電波……もとい乾だった。手にしたコップの中には紫とも緑ともわからぬ液体が満たされている。
「新開発した、スーパーウルトラ乾汁だ。これを一口でも口にすれば三日はほとんど飲まず食わずにいられるという優れもの」
美恵はごくりと唾をのみ込んだ。額からは汗がにじみ出ている。


「一昨日は乾先輩の食事当番だったんすよ。俺は自分で言うのもなんだけど疑り深いタチなので食わなかったんだ」
「……ま、まさか」
美恵は改めて手塚と大石を見た。そして全てを悟った。
「無人島では暮らすには画期的な飲料だと思わないか?これさえあれば少量の食糧だけで生きていける。
その証拠に手塚達はここ二日水を少々飲んだだけで何も食べていないのだよ。ふふふ」
「……乾君、それってお腹壊して食物摂取できなくなっただけじゃないの」
「そうとも言うかもしれない。さあ君も一口」
差し出されたコップ。それだけで食欲が失せるような気がした。














「すっごい、ここが跡部達の仮の家?まるでログハウスじゃん」
千石は人間らしい生活を営んでいる氷帝に羨望の眼差しを向けた。
「何、これ。家庭菜園?すごいなあ、栽培までしてるなんて本格的じゃん。
ここに住めば衣食住には不足ないよね。跡部に見つかって俺ラッキーだったよ」
はしゃぐ千石に跡部は冷たく言い放った。
「あーん?何でてめえがラッキーになるんだ、ここに住むわけでもねえのに」
「え?だ、だって跡部、俺達をここに連れてきたのは共同生活に加えてくれるつもりで……」
「都合のいい想像してんじゃねえ。俺はいったはずだ、幸村を引き取れとな。
その為にここに一時的にここに連れてきたにすぎねえ。
おい真田、あいつを引き取って二度と戻らせるな。返品はいっさいきかねえぞ」
跡部はツリーハウスに向かって怒鳴った。


「幸村、てめえの仲間を連れてきてやったぜ。約束通り、今すぐ出てってもらうからな!」
「幸村、もう心配はいらないぞ。さあ我々の巣に帰ろう」
だが幸村は降りてくる気配はない。痺れを切らした跡部は吊り梯子を上って行った。
幸村はシーツにくるまってベッドに横たわっている。

「往生際が悪いぞ幸村、起きろ!」

跡部はシーツを奪い取った。幸村は体を丸めてかすかに震えている。
見ると額に脂汗、呼吸も随分と乱れているではないか。

「この期に及んでまだ仮病か幸村。さっさと起きろ!」

跡部は幸村の腕をつかんで強引に立たせようとした。
「景吾、何してるの!?」
いつの間にか帰っていた美恵が慌てて跡部の腕をつかみ制止をかける。


「あーん?何って、約束通りここから出て行ってもらうだけだ」
「幸村君の様子がおかしいじゃない!」
「仮病に決まってんだろ。いい加減に気づけ」
「症状まで演技でできるわけないわ。見てよ、幸村君、凄く顔色が悪いじゃない!」
美恵は幸村の額に手を置いた。強い熱を掌に感じる。


「……すごい熱。幸村君、大丈夫?」
「……美恵さん」

幸村はようやく目を開けた。

「……気分が急に悪くなって……でも跡部との約束だから、すぐに出て行かないと」
「何言ってるの。こんな体で動くなんて無茶よ、すぐに横になって」
「……でも跡部が」
「病人を追い出すほど景吾は心の狭い男じゃないわ。幼馴染の私が保証してあげるから大丈夫よ」
「何!?」
当然のように跡部は顔をしかめた。
「そうでしょう景吾?」


(……ここで拒否したら美恵が俺に反発しやがる)


幸村を追いだしたい。しかし美恵には嫌われたくない。ジレンマが跡部を襲った。
「お願い景吾」
「……ちっ」
跡部は面白くなさそうに舌打ちした。
「これも借りだぜ。後でまとめて返してもらうからな、わかってんだろうな。あーん?」
「ありがとう景吾」
手放しで喜ぶ美恵に跡部は複雑な気持ちになった。

「断っておくが俺様の利子は高くつくぞ」




「うっわー、すげえ。奇麗な家具そろってんじゃん」
幸村があまりにも遅いので千石と真田まで上ってきてしまった。
「嘘、信じられない。テレビあるよテレビ!」
文明の利器を発見し千石は興奮気味に叫んだ。
「テレビ、テレビちゃーん!いいな、美恵ちゃん達、こんないい生活してたんだあ」
「あの千石君、電波がないからDVDしか見れないのよ」
「それで十分だよ!ああ、見たい、見たいなあ!」
「あーん?いいぜ、好きなだけ見せてやる」
「跡部、マジ?!」
千石は目を輝かせた。


「ああ。ただしだ、てめえにやれる時間は一時間。それから電力だが――」
跡部は親指でクイッと地面の方を指差した。見下ろすと自転車がある。
「バッテリーとあれをつなげて自家発電装置作ったんだ。てめえで見る分は、てめえで何とかしろ。
そうだな。一時間分の電力を作るには半日は自転車のペダルを回してもらうぞ」
「は、半日!……でも、それでAVが見れるのなら……!!」
千石はすぐに作業に取り掛かった。
「……景吾、どうしてあんな嘘いうのよ」
「かまうもんか。これで二日分の電力ができる」
「第一、AVなんてないのに……」
千石のスケベ心の自業自得だと跡部は冷たく言い放った。




「幸村君、大丈夫?雑炊作るわ、食べられる?」
「……美恵さんがフーフーしてくれたら喉を通ると思うよ」
「何だと幸村、てめえ調子に乗ってんじゃねえ!」
激高した跡部は幸村の胸ぐらを掴んだ。
「ちょっと景吾やめてよ。幸村君は病人なんだから優しくして!」
それから真田に「そういうわけだから、しばらく幸村君はうちで預かるわ」と言った。
「うむ、仕方あるまい。幸村を頼む」
邪魔者が1人減ると目論んでいた跡部は面白くない。
追い出すどころか美恵は幸村につきっきりで看病すると言いだしたのだ。

「幸村君、何でも遠慮なく言ってね」
「すまない美恵さん。苦労かける」


「その症状……乾が開発したハイパー乾汁を飲んだ時にそっくりだね」


いつの間にか不二が後ろで立っていた。
「僕が知る限り幸村は元気だったよ。そうだな、たった20分ほど前までは」
不二は妙な事を言い出している。しかし美恵は不二の顔を見て大事な事を思い出した。


「不二君、喜んで。見つかったのよ、青学の皆が!」
「……え?」


「皆元気だったわよ……あ、いえ元気ってわけでもなかったけど命に別状はないわ」
それは不二にとっては最悪の、そして跡部にとっては最高の報告だった。
「良かったじゃねえか不二」
途端に跡部はご機嫌になった。幸村を追いだせなかったのは頭にくるが、その代わり不二がいなくなるのだ。
「案内するわ。皆、ずっと不二君のこと探していたのよ、早く会いたがってる。暗くなる前に行きましょう」
すると、これまたいつの間にかいた忍足がそそくさと不二の荷物をまとめている。


「忍足は気が利くのね」
「まあな。それが俺の長所やねん。俺もほんまに嬉しいで」
美恵、餞別に食料もわけてやれ」
何と跡部が初めて不二に好意的な発言をした。美恵は嬉しかった。

(きっと手塚君が見つかったことも跡部は嬉しいんだわ。ライバルだものね)


ちなみに跡部は手塚の事は完全に忘れていた。
「さあ行きましょう不二君」
「ちょっと待ってよ美恵さん」
「おい樺地、不二の荷物を持って行ってやれ」
跡部は指をぱちんと鳴らした。
「ウス」
こうして不二は無念にも仲間の元に帰ることになったのだ。














「不二先輩、おかえりなさい。心配してたんすよ、手塚部長達」

リョーマは相変わらず可愛げのない生意気な表情と口調で不二を出迎えた。
しかし不二が行方不明になり、もしかしたら事故にでもあって死亡したかもと思っていた他の部員は大喜び。
特に苦楽を共にした三年生達の喜びは一層大きかった。
「不二、無事でよかった。おまえまで河村の二の舞になったかと思ったぞ」
手塚は部長としての責任から不二の事をどれだけ心配していたことか。


(良かったわね不二君、手塚君)


「……美恵先輩、そろそろ帰りましょう」
不二の気持ちを無視して樺地は美恵に帰宅を促した。
「そうね。遅くなったら危険だもの。不二君、何かあったら遠慮なく言ってね。これからも協力しあいましょう」
「……そうだね」


「じゃあ、さよなら不二君。またね」
「……あ」


不二は無意識に腕を伸ばしたが美恵には届かなかった。
美恵は歩き続け、不二との距離がどんどん開いていく。
その距離は不二の目には、まるで周囲の人間の悪意によって作られた二人の関係の溝のように見えた。
そして、ついに美恵の後ろ姿さえも見えなくなった。
美恵は不二を置いて帰ってしまったのだ。跡部が待つ場所へ。
「…………」
不二は俯き拳を握りしめた。




「不二、どうした。早くテントの中に入れ。夜になると狼が襲ってくるぞ」
「手塚の言う通りじゃ。早死にはしたくないだろう」
不二はハッとた。なぜなら、その声は聞きなれた青学テニス部の者ではないからだ。
「ぷりっ」
振り向いた不二が見たのは、リョーマが用意した焼き魚を頬張る立海の詐欺師の姿だった。


「……どういう事?なぜ君がここにいるの?」
「乾とばったり森の中で出会ってのう。せっかくだから夕飯をご馳走になっているというわけじゃ」


「……ふーん、そういう事。謎が全て解けたよ」


不二が開眼した。おまけに禍々しいオーラを全身から放っている。
仁王は思わず後ずさりした。これはいつもの不二ではない!

「……ふ、不二……話せばわかる、話せば……」
「……僕は追い出されたのに幸村は今頃美恵さんの手厚い看護を受けているんだ」




『幸村君、はいあーんして』
『俺は幸せだよ』





おぞましい想像が不二の邪悪な妖気を倍増させる。
「ど、どうしたというのだ不二……様子が変だぞ」
手塚が恐る恐る近づいてきた。
「……ねえ手塚」
「な、何だ不二?」




「僕がいつ君達に生きててほしいなんてお願いしたの?」




「……ふ、不二?」
「君達が今頃になって出てこなければ僕は幸せだったんだよ」
「待ってくれ不二、何の話だ?」


「……何の権利があって僕の幸せを踏みにじるの?僕に何の恨みがあって、こんな仕打ちするのさ」


手塚はわけがわからなかった。それは手塚だけではない。
大石がおろおろしながら不二のそばにきた。

「不二、さっきから何を言ってるんだ。俺達が何かしたのか?」
「何かしたかだって?僕と彼女の仲を引き裂くようなマネをして……」




「ふざけるなよ!!」




突然、不二は大石を襲った。大石を突き飛ばすと馬乗りになって、その首をしめたのだ。
不二の華奢な腕からは想像もできないほどの恐ろしい力だった。

「ふ、不二……何を!やめろ、大石が死んでしまう!!」

慌てて手塚が止めに入る。だが、その手塚に盛大な平手打ちが炸裂された。
驚愕の眼差しで見上げる手塚に不二は冷たい言葉を放った。


「うるさいよ。この役立たずの豚!!」




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