「白石、それホンマか?!」
「ああ、一瞬やけど月明かりで氷帝の校章が光ったのをバッチリみたんや。
せやさかい、てっきり氷帝もあの島に漂着したとおもっとったんや」
白石からもたらされた情報に忍足の心は躍った。


(あのバカ女と跡部を復縁させれば自動的に美恵は俺のもんや!)


が、すぐに考え直した。
(……いや、そんな上手いこといくわけないな。跡部はあいつに愛想つかしてたし。
今じゃ美恵の心を取り戻すことに必死や。下手に復縁をあおって跡部を刺激したら暴走するかも)
跡部は美恵の存在の大切さに気付いた。もう他の女に、まして美恵との不仲の元凶には、もう振り向かないだろう。


「ところで白石、あの女はどうしたんや?」
「それがなあ。俺もカブリエル二号追いかけとったし……その後は一度も見かけんかったよ。
小さい島やから生きてさえいれば会わないっちゅうことはないはずなのに」
「……生きてさえいればか」
確かにそうだ。もしかして事故にでも遭って呆気なく違う世界に旅立ったのかもしれないと忍足は思った。
「あの女を追いかけとったちゅう男なら事の顛末知ってるやろ。誰や?」
「それが男の顔は全然見えなかったんや。声なら少し聞こえたけど、誰やったかな?
どっかで聞いたような声だったんやけど……あかん、思い出せん」




テニス少年漂流記―25―




美恵さん、何か手伝う事ある?」
「じゃあお皿を並べてくれる?」


「……あ、あの野郎」
「お、おい跡部……そんなに怒るなよ。手伝ってるだけじゃないか」
「宍戸、てめえはあの偽天使の魂胆がわからねえのか!手伝いにかこつけて美恵に近づきやがって許せねえ!!」
「だったら、おまえも手伝ってやればいいだろ」
「てめえは俺に給仕やれってのか!」
「……おまえのそういうところが不二に遅れをとる原因だと思うぞ」
嫉妬に燃える跡部。だが、さらに跡部の感情を逆なでする人物がやってきた。


美恵さん、俺も手伝うよ」
「ありがとう幸村君、それじゃあサラダを――」


「幸村、美恵に近づくんじゃねえ!!」


跡部は美恵と幸村の間に割り込み、幸村を突き飛ばした。
「景吾!」
驚いたのは美恵だ。跡部が幸村のことを快く思っていないのは知っていたが、この態度は異常すぎる。
「景吾、何をするのよ。幸村君は何も悪い事してないじゃない!」
「よく聞け美恵、こいつは不良を使っておまえを襲わせたんだ!」
「……え?」
突然の告白に美恵は戸惑った。


「おまえの気を引くための自作自演だったんだ。いいか、二度と幸村に近づくな。
こいつとは話をするな。顔も見るな、わかったな!」
「な、何を言ってるのよ……景吾?幸村君がそんなことするわけないじゃない」
「事実だ。この野郎はおまえが思っているような人間じゃねえ!」
美恵は幸村を見た。すると幸村は悲しそうな顔をしている。
「幸村君、本当なの?」
「違うよ美恵さん。跡部は誤解してるだけなんだ。俺がタイミングよく君を助けたから妬まれてしまって……」
「何だと幸村!いい加減いいこぶるのはやめろ、この堕天使野郎!!」
もはや我慢の限界とばかりに跡部は幸村に掴みかかった。


「……うっ」
途端に幸村はせき込み、その場に片膝をつき倒れこんだ。
「幸村君!」
美恵は慌てて跡部に駆け寄る。
「……だ、大丈夫だよ。いつものことさ、俺は気管支系が弱くてね」
「……幸村君」


こ、この野郎……絶対に仮病だ!


跡部は本能的にそう感じた。
だが美恵が絡んでいなければ、跡部でさえ騙されてしまっていたのではないかと思えるほど幸村の演技は完璧だった。
美恵、そんな奴を気遣うな!」
「何をいうのよ景吾、幸村君は病気なのよ。どうして優しく接してあげれないの!」
「だから言ってるだろ。こいつはおまえを襲わせたんだ!」
「幸村君はそんなことしてないって言ってるでしょ。それに幸村君がそんなことして何の得があるのよ!」
「だから、おまえに対する点稼ぎに決まってるだろ。気づけバカ!」
「何ですって!」
美恵を怒らせてしまった。跡部はしまったと内心思ったが、それでも幸村に対する怒りは収まらない。
おまけに美恵が自分に視線を集中させているのを幸いに幸村はにやっと笑みを浮かべたのだ。
跡部は完全に切れた。




「地獄に送ってやる!!」




跡部は幸村の胸ぐらを掴んだ。
「やめて景吾、幸村君に何をするのよ!!」
美恵はすぐに跡部の腕に手を回し必死に止めた。
「邪魔するな美恵、おまえにはこいつの本性がわかんねえのか!」
「だから幸村君は!」


「いいんだよ美恵さん」
幸村は弱々しい声で美恵を止めた。
「俺が出ていくよ、それで跡部の気が済むなら……げほっ」
幸村は呼吸困難に陥った。跡部はそれも演技だと見抜いたが、その演技はオスカーに値するものだった。
「俺のせいで美恵さんが跡部に責められるなんて見てられないんだ。俺さえ消えれば済むことだから……」
「そんな幸村君……」


こ、この野郎……これじゃあ俺が美恵を苛めてるみたいじゃねえか。ふざけやがって!


「ねえ跡部」
いつの間にか背後に回っていた不二が跡部の肩を軽くたたいていた。
「何だ不二、今は取り込み中なんだ。話しかけるんじゃねえ!」
「いいから来てよ」
不二は跡部に小声で囁いた。


「それ以上は彼の思うつぼだよ」


「で、話は何だ?」
「跡部は今まで自分の思いのままにならなかったことなかったんだね」
「何だと?」
「自分が黒だっていえば白でも黒くなると思ってるんだ」
「俺が嘘ついてるっていうのか!」




美恵さんもずっとそう言って訴えてたよね」




「……!」
跡部は言葉を詰まらせた。
「でも君は無条件に恋人を信じて彼女の言い分は無視してきた。なのに自分が信じてもらえないと怒るんだ」




美恵、またあいつに冷たい態度とったな。あいつを泣かせてそんなに面白いのか!』
『違うわ景吾。逆よ、私に酷い事いうから言い返しただけよ』
『てめえはいつもそうだ。本気で俺を怒らせたいのか!』





跡部は愕然となった。今の自分の立場はあの時の美恵そのものではないか。
「やっと自分の立場に気付いたんだ。でも美恵さんは君なんか足元にも及ばないくらい辛い思い散々してたんだよ」
その通りだ。美恵は何か月もの間、いわれもない苦痛を受けてきた。
後悔し済まないと思ってはいたが、その痛みの大きさを跡部は知らなかった。
美恵が幸村を信じ自分を責めた事実に跡部は激しく苛立っている。
その理由は簡単だ。美恵が自分より幸村を信じたからだ。
とてつもなく悲しい。幼い頃からずっと一緒にいた自分より、ほんの短期間優しくしただけの幸村を信じるのかと。
だが、それは今まで自分がしてきた事の因果応報だ。
「僕は同情しないよ。美恵さんに君がした仕打ちに比べたらそよ風も同然だからね」
不二に言われるまでもない。跡部は拳を握りしめた。

「でも幸村も許せないよ」


――僕の美恵さんと一つ屋根の下で過ごすなんて。最低だよ。














「ごめんなさい幸村君、景吾が誤解して……」
「いいんだよ。跡部がしたことで美恵さんが謝ることないよ。跡部と君は赤の他人なんだから」
幸村は赤の他人という単語をことさら強調した。
「俺が思うに跡部は恋人が生死不明だからいらだってるんじゃないかな?
熱愛カップルだったんだろ?きっと別れたなんて跡部の嘘だよ」
確かに跡部と彼女は仲が良かった。別れたなんて言われても簡単には信じられないほどに。
だからこそ跡部の愛の言葉を素直に受け入れることができない自分がいるのも事実。


「跡部も可哀想な人間なんだよ……彼女が死んだかもしれないから君に逃げてるだけなんだ」
その言葉は美恵の胸に深く突き刺さった。
美恵さん、君のためを思っていうけど跡部が何言っても信じない方がいいよ。
男だからわかるんだ。跡部は今でも恋人を愛してる。君は身代りに過ぎないんだよ。
だから跡部を信じて彼を受け入れたりしちゃだめだよ。絶対に傷つく、俺はそれが心配なんだ」














『君は身代りに過ぎないんだよ』


美恵は呆然と幸村の言葉を頭の中でリピートさせていた。
美恵、美恵見てー。茸たくさん採れたよ」
「…………」
美恵、どうしたの?」
「あ……ごめんジロー、何?」
美恵、変だよ。どうしたの?」
「何でもないの。そうだ、今日は炊き込みご飯にしましょうね」
美恵は籠を抱えた。幸村の言葉が気になって食料調達もままならない。

(……駄目な女ね、私って)

心配そうに見つめるジローに申し訳ない。
「バナナでもとって帰る?バナナでデザート作るから」
「わーい、嬉C!」
ジローの明るさに救われる思いだった。
「じゃあ帰りましょう」
「うん!」
しばらく歩いていると突然、それは聞こえた。。


「きゃー!誰か助けてー!!」


絹を裂くような悲鳴。美恵とジローは二重に驚いた。
悲鳴ということは誰かが危機に陥っている。この無人島でだ。
「不二君や幸村君達以外にも、この島にきた人がいるんだわ」
「俺達の知ってる人間かな?」
「とにかく行きましょう。何かあったんだわ、助けてあげないと!」
二人は走った。茂みをかきわけると水の音が聞こえてくる。
やがて目の前に幅20メートルほどの川が姿を現した。だが問題はそこではない。


美恵、あれ!」
「あれは四天宝寺の小春君じゃない!」


川の中央に流木が重なってできた即席の中州に必死にしがみついている坊主頭は間違いなく小春だった。
「た、助けて~!!」
今にも流れに飲み込まれそうだ。
「どうしよう美恵!」
「ジローは皆に知らせに行って!」
「うん、わかった!」
ジローは走り、美恵は辺りをきょろきょろと見渡した。


(ジローが皆をここに連れてくるまで早くても20分はかかるわ。それまで小春君がもつとは思えない何とかしないと)


美恵は木の蔓を発見すると力任せに一気に引っ張った。
そして先端に小石を縛り付けると小春に向かって投げた。
うまい具合に流木に絡みついてくれた。すかさず美恵は小春に向かって叫んだ。
「小春君、その蔓につかまって!」
「助けて~アタシまだ死にたくない。だって、まだぴっちぴっちの乙女なのよ~!」
「小春君、蔓を体に巻きつけて!」
「だ、駄目よ。怖くて手を離せないわ~!」
「このままだと流されるのは時間の問題よ。早く蔓につかまって!」
「そ、そんなこと言われても……いや~アタシ死んじゃう~!!」
今にも小春は流されそうだった。もう一刻の猶予もない。
美恵は蔓を木の幹にしっかり結びつけると、それに足をかけ小春の元に向かった。
そして小春の頭上までたどり着くと手を伸ばした。


「小春君、つかまって!」
「だ、駄目よ。アタシもうだめ~!」
「大丈夫よ。私が手助けするから早くつかまって。このままじゃ流されるわ、早く!」
その時だった。ぶつっと不吉な音がして美恵の体が宙に舞った。
視界が180度回転する中、美恵は蔓が切れるのを見た。

(そんな、あんな丈夫な蔓が切れるなんて!)

そう思った時にはすでに水中に飲み込まれていた。途端に息苦しさに襲われる。
何とか体勢を立て直し岸に泳ごうと試みるも流れが速くて体の自由が利かなかった。

(く、苦しい……っ)

美恵の意識は霞の向こうに飛んだ――。














「……ん」
瞼を開くと目の前に忍足の顔があった。おまけに明らかに近づいてきている。
そのあまりにも近い距離に美恵の意識は瞬間的に覚醒した。
「何をするのよ!」
美恵の平手が忍足の頬に盛大に決まった。
「何するんや!」
「それはこっちの台詞よ。馬鹿!」
「馬鹿とはなんや!俺は自分が呼吸停止したから人工呼吸しようとしただけや!」
「……え?」
「スケベ心で変な事しようとしたわけやない……でも、ええわ。
信じてもらえんのは悲しいけど美恵の意識が戻ってくれただけで俺は十分やで」
ふと気づくと周囲に四天宝寺の面々がいるではないか。小春の姿もあった。


「小春君、良かった……」
「アタシも忍足君が助けてくれたのよ。ああ、でもあなたに見せてあげたかったわ。
忍足君ってば、あなたを助ける為に自分の命も顧みず川に飛び込んだのよ」
美恵は驚き改めて忍足を見つめた。確かに忍足はびしょ濡れだ。
「……忍足」
その時、忍足が腕を押さえていることに気付いた。
「どうしたの?まさか怪我したんじゃ」
「気にすることないで、ただの打撲や。流木が突っ込んできてなあ」


「どうして、そんな無茶なことしたのよ。腕はテニスプレイヤーの命じゃない!」
「確かに俺にとってテニスは命や……でもな美恵、俺にとって自分は命よりずっと大事な存在なんや」


美恵は胸が痛くなった。忍足には何度も求愛されたが、本気とは思えない怪しさがあった。
だが忍足は自分の為に何の迷いもなく、あっさりと命を懸けたというのだ。


「ほんまに侑士は美恵ちゃんのこと好きなんやで。ほんまにほんまやで」
謙也は必死に訴えてきた。
「この際だから言うけど美恵ちゃんを幸せにできるんは侑士しかいない。
跡部や、まして不二や幸村なんて絶対あかん!」
謙也はポケットから携帯電話を取り出した。
「これが証拠や、あいつらの本性をこっそり盗聴しておいたんや!」


『女の子を騙すなんて青学の天才の僕にかかれば簡単だね』


「……不二君?」
美恵は耳を疑った。
「これだけやないで!」
謙也は再生ボタンを再度押した。


『神の子って呼ばれる俺にかかれば女1人洗脳するのは三日もかからないさ』


「……幸村君……嘘でしょ?」
「嘘やない!そして、これが本日の目玉!跡部の――」




「俺様が何だって?」




全員がギクッとなった。この場所からツリーハウスまでの距離を考えると跡部の登場はあまりにも早すぎる。
「な、何で自分がここにおるんや!?」
「ジローが顔面蒼白になって全力疾走で帰ってきたんだ。場所だけ聞いて飛んできた」
跡部は美恵をチラッと見てから、再び忍足達を睨みつけた。
「こいつはお人よしなくらい優しい女だ。そのオカマがどうなろうとしったことじゃねえ。
だが、こいつなら助けようと無茶すると思った。だから全速力できた。理解できたか、あーん?」
跡部は謙也に近づくと携帯電話を強引に取り上げ再生ボタンを押した。


『俺様も最近たまってるからな。しょうがねえから美恵の体で性欲処理でもしてやるか』


如何わしい言葉だ。しかし当の本人の跡部は平然とし、忍足達の方が青くなっている。
跡部は何を思ったのかボリュームを最高にして再び再生ボタンを押した。


『俺様も最近たまってるかならな』『ユウくんかっこいーvv』


先ほどの再生では聞こえなかった妙な声が混ざっている。一氏と小春は同時に硬直した。
「なるほどなあ。そこのモノマネ野郎の仕業だったのか。こんな、ふざけたことを考えつくのは――」
跡部は忍足の胸ぐらを掴み持ち上げた。


「覚悟はできてるんだろうな忍足!!」




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