険悪なムードではあったが、やがて夜が近づいてきた。
美恵は不二達の為に新しい寝床を用意している。
クルーザーから予備にと寝具も全て運びだしたのが幸いした。
「美恵さん、そのカーテンの向こうは?」
「その向こうは私の寝室なの。皆が気を使ってくれて」
「僕もそこで一緒に寝てもいいかな?」
テニス少年漂流記―24―
「青学が到着した場所はここ、立海はこっちだ」
跡部は地面にこの島のおおまかな地図を描きこんでX印を二つつけた。
選手たちを詰問して得た情報とイカダを発見した場所から推理したというわけだ。
「と、いう事はこの近くに立海や青学の連中がいるってことか?」
「ああ、間違いないぜ。ここは、あのダブル腹黒が
美恵と再会した花畑にも近いしな」
「どうする跡部?」
「決まってるだろ。明日にでも、あいつらを探し出して不二と幸村を引き取らせる」
「そうなると美恵に他校の存在もばれるぞ。真田と切原を捕獲してるんだからな」
「……背に腹は変えられねえ。あいつらを出すしかねえな」
「跡部」
背後から声をかけられ跡部は地面に描いた地図を足で踏み消した。
「何の用だ幸村」
「うん、実は折り入って大事な話があるんだ」
「美恵さんを俺に譲ってほしいんだ」
「不二君、そんな冗談は……」
「冗談じゃないよ。実は僕は枕が違うと眠れないタチで、誰かに添い寝してもらわないと――」
「そこまでだ!」
不二と美恵の間に宍戸が両腕を広げて割って入った。
「……どういうつもり?君も跡部と同じ穴のムジナなの?」
「そうじゃねえけど、いい加減にうちのマネージャーにちょっかい出すのやめろ。
跡部や忍足の機嫌が悪くなるだろ。板挟みになる美恵の気持ち考えろよ」
「美恵さんの気持ち?」
不二は美恵の顔を見た。何だか困惑しているようだ。
「もしかして困らせた?」
「……ごめんね不二君」
「……そう、ごめんね。まだ、早すぎたんだ」
(……ま、まだ早すぎた、だあ?そういう問題じゃねえだろ、こいつの頭どうなってやがるんだ?
そういえば、俺はこいつの事あまり知らなかったが、今ようやくわかったぞ。
はっきり言って、この野郎は異常だ。しかも、その自覚が全くねえ)
「そんな怖い顔しなくてもいいよ。それより美恵さんと二人きりで話がしたいから、しばらく消えてよ」
「……そういうわけにはいかねえんだよ。跡部の厳命でな」
不二は「ふーん、そうなんだ」と大人しく引き下がった。
だが、その際、不吉な一言を放ったのだ。
「僕は誤解していたよ。跡部と忍足さえ何とかすればいいと思っていたのに」
それは宍戸にだけ聞こえる程度の小声だった。宍戸は心底ぞっとした。
「じゃあ僕はもう寝るよ。おやすみ美恵さん、さっきはごめんね」
そして美恵には陽光のような笑顔と口調で挨拶をして眠りについた。
「よっぽど疲れていたのね不二君、もう寝てる。まるで天使みたい」
「……ああ、そうだな」
実際、その寝顔だけ見ると先ほどの事を忘れてしまいそうな宍戸であった。
「……幸村、てめえ誰に向かってそんな口をきいてやがる」
跡部はこれでも随分と我慢してきたつもりだった。だが、それも限界にきていた。
「いいじゃないか。君は長い間、美恵さんに冷たくあたってたくせに、今更よりを戻そうなんて図々しいよ」
「じゃあ訊くが、ただの顔見知りの赤の他人の分際で美恵に手を出すてめえは図々しくないのかよ」
「俺は赤の他人じゃないよ。美恵さんだって言ってたじゃないか、俺は恩人だって」
「あいつは義理堅いから必要以上に恩義を感じているだけだ!」
「そうでもないんだよ跡部。俺がいなかったら美恵さんは今頃笑ってなんていられない身の上だったかもしれないんだ」
「何だと?」
幸村は跡部にとんでもない事を告げた。
「俺が、あの夜彼女を助けなかったら、不良達に拉致されていたかもしれないんだ」
「……何だと?」
跡部は一瞬言葉を失い、忍足は意味がわからず幸村と跡部の顔を交互に見詰めた。
「あの夜、彼女は泣いてたよ。1人で公園でね」
勘のいい跡部は、それがどういう事なのかすぐに気付いた。
あの日の事だ。美恵との約束を破り傷つけた、あの夜。
跡部は美恵に手を出そうとした二人組の不良を見つけ尋問した。二人は女には逃げられたと言い張った。
しかし、今にして思えば、あの二人は何かを隠していたような様子だった。
あの夜、跡部は一晩中美恵を探した。美恵のマンションの前で朝まで待ち続けた。
美恵は夜明けと共に無事な姿を見せてくれたが、一晩中どこにいたのかは不明のままだった。
「……まさか」
「勘がいいね跡部」
友達の家に泊まったと言っていた美恵。跡部もそれ以上は追及しなかった。
「そういうことさ。彼女は俺に家に泊まったんだよ」
――幸村は全て話した。あの日、何があったのか。
「離して、大声だすわよ!」
美恵は不良達に必死に抵抗した。しかし、そんな事で怯むような可愛い連中ではない。
「いいじゃねえか俺達と遊ぼうぜ。可愛がってやるよ」
周囲には人影もない。美恵は絶体絶命だった。
女一人の力で勝てるはずはない。そのままでは危なかっただろう。
「その手を離しなよ、坊やたち」
聞き覚えのある声に美恵はハッとした。声の主は幸村だった。
「幸村君、どうしてここに!?」
「退院したから会いに来たんだ。そしたら――」
幸村は不良達を睨みつけた。その冷たい目の色に不良達は僅かに怯んだ。
「彼女は俺の大事なひとなんだ。さっさと消えなよ」
「ちっ、覚えてろ!」
不良達はお決まりの捨て台詞を残し、あっさり退散した。
美恵は助かった安堵感と緊張の糸が切れたせいで、その場に崩れるように座り込んだ。
「美恵さん、大丈夫?良かったよ、俺がたまたま通りかかって」
「あ、ありがとう幸村君……幸村君がいなかったら私……私……」
「それにしても、どうしてこんな夜中に公園に?」
美恵は跡部にされた仕打ちを思い出した。
自分がこんな辛い目に合っている時に、跡部は彼女と楽しい時間を過ごしているのだ。
そう思うと悔しかった。たまらく悲しかった。
そんな美恵の気持ちを幸村は敏感に察し、美恵の頭を自らの胸に抱き寄せた。
「辛い時は泣いてもいいんだよ」
「……幸村君」
「俺がいるから。跡部なんかいなくても、これからは俺が守ってあげるよ」
美恵は泣いた。幸村の胸の中で――。
「よくやってくれたな。ほら、約束の金じゃ」
その頃、立海の詐欺師こと仁王は二人組の不良に金を渡していた。
「へへ、どうも」
「くれぐれも、この事は他言無用じゃ。いいな?」
「わかってますよ。へっへっへ」
「……てめえが美恵をあいつらから助けただと?」
「ああ、そうだよ。君が美恵さんをほったらかしにしている時にね」
跡部は何も言い返せなかった。
「俺がいなかったらどうなっていたから、そのくらい想像つくだろう?
君は美恵さんを守ってあげなかった。彼女を守ったのは俺だ、彼女の手を取る権利だって俺にある」
「……て、てめえ」
(……あ、あの跡部が言い返せないなんて)
忍足にとっては信じられない光景だった。
「やっと理解したようだね跡部。彼女の手を一度離した君には、もう彼女を愛する資格はない。
彼女は俺がもらうよ。この島から救出されたら、すぐに立海に引き取るから、そのつもりでいてよ」
「ちょお待ち!美恵は跡部一人のマネージャーやないで。氷帝皆の大事な存在や!」
幸村にくってかかったのは忍足だった。
「……口出しするんだ」
「当然や、美恵に惚れてるんは跡部だけやない!」
「だったら言うけど、あの夜、俺と彼女は一つ屋根の下にいたんだよ。何かあったと思わない?」
跡部と忍足は同時に顔色を失った。
「美恵さんは傷ついていた。俺は一晩かけて彼女を慰めたんだ」
女が一番落ちやすい時は、愛する男に裏切られ傷ついた時だと言われている。
「幸村、てめえ、あいつに何しやがった!」
跡部は幸村の胸ぐらを掴んだ。
「企業秘密だよ」
「てめえ、ふざけてるのか!!」
「そうや、ええ加減にせえよ!
美恵を助けたなんてほざいてるけど案外自分が襲わせたなんてオチやないのか!?」
幸村の口の端が僅かに引きつった。それは常人には全く気づかない程度の変化だった。
しかし跡部のインサイトは、それを見逃さなかった。
「……幸村、てめえ、まさか」
幸村は俯き、「今日は遅いから続きは明日」と跡部の手を自分から離そうとした。
「逃げるつもりか答えろ幸村!」
「そんな事あるわけないだろ。俺が美恵さんに、そんな酷い事するわけがないじゃないか」
堂々と、かつ淡々に幸村は答えた。しかし心中は穏やかではない。
まさか、こんなあっさりとカラクリがばれてしまうとは予想外だった。
なぜばれたかといえば忍足が幸村と同レベルの黒い人間だったからだ。
つまり忍足もそういう卑劣な事を普段から考えるような男だから咄嗟に思いつくことができたのだ。
「……幸村、よくもやってくれたな」
跡部は完全に切れる寸前だった。
最後の境界線を越えなかったのは、自分も同罪という後ろめたさがあるからだろう。
そして突き飛ばすように幸村から手を離した。
「……てめえは俺を完全に敵にまわした」
「……俺は最初から敵のつもりだよ」
「不二もろとも、近いうちに地獄に送ってやる。せいぜい覚悟するんだな」
――次の日――
「どういう事だ!なぜ四天宝寺だけが解放されるのだ!!」
真田は鉄格子を握りしめ怒りで震えた。
「すまんなあ真田。こっちもわけありで、ほんま悪いな」
謙也は一応謝罪したが、もちろん真田は納得していない。
しかし狭い牢獄から解放された四天宝寺の面々は大喜びだ。
「ケンヤくーん、やっぱりアタシを見捨てたんじゃなかったのね。小春嬉しいvv」
「浮気かー!!」
夫婦漫才も健在だ。謙也は早速本題に入った。
「ええか、おまえら。二度と囚われの身になりとうなかったら、俺の言う事ようきけよ。
ここから出してやれたんも俺が氷帝の鬼畜……もとい天才・忍足侑士のいとこだからや。
苦労したで侑士を説得するんは。だから、これからは侑士に協力してやってや」
「協力?何や、それ?」
「金ちゃんにもわかりやすいように説明したる。はい、全員これに注目~」
謙也は紙芝居を取り出した。昨夜、夜なべして作り上げたらしい。
手作りの上、一晩で仕上げたとあって落書きのような酷い出来だった。
「むかーし、むかし……いや、昔じゃないな。今や今」
そんなボケから紙芝居は始まった。 紙芝居の内容は要約するとこうだ。
氷帝に新しいマネージャーが入部し跡部の恋人になったこと。
その彼女のせいで跡部達が美恵に冷たくなったこと。
(ここまでは事実だった。だが、その後は少々忍足の脚色が入っていた)
そんな中、忍足だけが俄然と跡部達に立ち向かい美恵を守り続け、二人はいつしか愛し合う仲になったこと。
ところが今になって跡部が後悔して愛し合う二人の邪魔をしだしたこと。
そして合宿に向かう航海の途中、嵐に遭い遭難し今にいたったというのだ。
「――と、いうわけなんや」
単純でまっすぐな四天宝寺の面々は、あっさりとその話を信じてしまった。
「何や、あの跡部って奴はそんなあくどいことしてたんか?」
「そうや。部長ってことを傘にきて俺のいとこを退部させるとまで脅迫してるんやで。
美恵ちゃんは優しいから愛する侑士の為に嫌々今は跡部と仲良くしてるんや」
「酷い!アタシ達女の敵よ!!」
「小春、おまえの敵は俺の敵やで!!」
「わかってくれたか、おまえら。頼むから、俺のいとこの味方してや」
「もちろんやケンヤ、そんなあくどい人間、俺は許せんタチなんや!」
「そうよ、そうよ!アタシ達が忍足君と美恵ちゃんのキューピットになってあげるわ!」
「小春がそういうなら俺も!」
「おおきに金ちゃん、小春、ユウジ」
(ほんまにまっすぐなアホやな、おまえら。感謝するで)
あまりにも上手くいきすぎて謙也は内心怖いくらいだった。
「ケンヤ、ちょっとええか?」
そんな時、白石が毒手をあげた。
「何や?」
「その跡部の恋人ってのは?」
「ああ、捨てられた前の彼女な。これまた悪質な女でな、死んだら地獄行きは間違いないって話らしいで」
「その女、俺、見たかもしれへんで。向こうの島で」
「ほんまか白石!」
「ああ、カブトムシ追いかけとったら女が走るの見えたんや。しかも男が追いかけとった」
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