「美恵さん、こんにちは。体調はどうだい?」
「幸村君、毎日ありがとう。幸村君こそ入院中で大変なのに……」
入院した病院は偶然にも幸村もいた。聞くところによると幸村は病気がちで時々入院しているとのこと。
「いいんだよ。誰もお見舞いにきてくれないから俺も寂しかったんだ」
「え?だって幸村君には慕ってくれる部員が大勢……」
跡部達にすっかり嫌われていしまった自分とは違う、そう思っていた美恵は驚くべき事を聞くことになる。
「そんなことないよ。立海は氷帝同様に弱肉強食の世界でね、部長の俺が弱るのを喜ぶ部員も少なくないんだ」
「そんな……信じられないわ。だって真田君も柳君も皆あなたを全国に連れて行くって頑張っていたじゃない」
「それは美恵さんも同じだろう?俺が知っている氷帝はマネージャーの君を大切にしていた。
それなのに君が大病を患って入院してるってのに一度も姿を現さないだろ?
そんなものだよ人の気持ちなんて。表面は仲間面してても、内心はわからないものなんだ」
「……幸村君」
テニスにかかわっているという以外全く共通点のない人間だと思っていた幸村に美恵は妙な親近感を抱いた。
(……幸村君も立海で居場所がないの?)
美恵と幸村はこうして仲良くなったのだ――。
その頃、立海では――「幸村は一体どうしたのだ?しばらく病院に顔を見せるなとは」と噂されていたそうだ。
テニス少年漂流記―23―
「よくも俺の美恵に手を出そうとしてくれたな!離れろ、美恵に近づくな!!」
跡部はすっかり興奮していた。今にも幸村や不二につかみかかりそうだ。
美恵は泣きたくなってきた。
「景吾、いい加減にして!!」
「……美恵?」
美恵は跡部の胸ぐらを掴んだ。
「どうして、そんな喧嘩腰になるのよ!言ったでしょう、二人とも私の大事な友達よ、恩人なのよ!」
「友達?恩人だと?」
美恵の勢いに一瞬たじろいだ跡部だったが、すぐに気を取り直して反論しだした。
「よく聞け美恵、こいつらは親切心でおまえに優しくしてたわけじゃねえ。下心だ!」
「何てこというのよ。不二君や幸村君は本当に優しい純粋な人たちなのよ。そんな人間じゃないわ!」
「じゃあ訊くが、幸村!不二!てめえらは、この先、何があっても美恵と男と女の関係にはならねえと誓えるか!?」
不二はしれっと「今はそんなこと考えられないよ。ただ美恵さんと仲良くしたいだけなんだ」と言った。
幸村も「それが運命じゃなければね」と曖昧な返事をしている。
(こ、こいつら。やっぱり美恵には近づけられねえ!)
跡部は美恵の腰に手を回すと強引に歩き出そうとした。
「来るんだ美恵、二度とこいつらとはかかわるな」
「やめてよ景吾!」
「二人とも私が一番辛い時にそばにいてくれたのよ!!」
跡部の足が止まった。表情が固まり美恵の目を見ることができない。
「不二君や幸村君がいなかったら私は一人ぼっちだったわ」
それは跡部にとって最も痛い言葉だった。
美恵に辛い思いをさせたのも、一人ぼっちもさせたのも自分だ。
そして、不二や幸村が近寄る隙を与えてしまったのも他ならぬ自分ではないか。
「お願いよ景吾。私の気持ちを少しでも大切にしてくれる気があるならわかって。
大事なお友達なのよ。それに今は二人とも一人ぼっちなのよ。
こんな無人島に一人でいるのは危険すぎるわ。
私たちはもう生活が安定してるんだし、二人くらい増えてもどうってことないじゃない」
確かに今の氷帝には住居も食料もある。今、同居人が数人増えても養えるくらいの余裕はある。
(……わかってる。こいつらを受け入れたくなのは俺個人の嫉妬に過ぎない)
美恵に、ろくでもない女の為に辛い思いをさせた跡部にとっては反対しにくい状況だった。
もし、ここで断固反対しようものなら不二達に恩義を感じている美恵は自分が出ていくといいかねない。
何よりも跡部はもう二度と美恵との間に距離を作りたくない。その気持ちが跡部の心を揺さぶった。
しかも決定的な一言を美恵が放った。
「景吾、お願いだから二人を受け入れてよ。その代わり私も景吾のいうこときくから」
「……それは本当か?」
跡部は美恵の両肩をわしづかみにして迫りながら尋ねた。
「……え、ええ。私にできることならだけど」
「……本当だろうな」
跡部はニッと意味深な笑みを浮かべた。
「あの景吾、もちろん無理難題じゃないことよ?」
「ああ、安心しろ。おまえにしかできない簡単なことだ」
跡部は随分精神的余裕が生まれたようだ。
「いいぜ、しばらくおいてやる。その代わり、青学や立海の連中が見つかるまでだぞ。それでいいな?」
「ありがとう景吾」
美恵は心から喜んだ。跡部が自分の頼みをきいてくれたのだ。
長い付き合いではあったが、これほど激昂し拒絶していた跡部が考えを変えてくれるなんて。
「それから、てめえら」
跡部は見せつけるように美恵を抱き寄せた。
「美恵には近づくな。こいつに用があるときは俺を通せ、いいな」
「景吾、何を言ってるのよ」
「おまえに下心がなければ簡単なことだろう。美恵は俺にとって大事な女だ、他の男が近寄ることは一切許さねえ」
それまで黙って聞いていた不二と幸村は、さも面白くなさそうな目でじっと跡部を見つめた。
「……何それ?」
不二の口調はいつもの穏やかで繊細なものとは違った。
「……そうだよ。それに跡部、君には他に恋人がいるんだろう?」
幸村もすかさず肝心なところをついてきた。
「残念だったな。あいつとは、とっくに別れた。今の俺の彼女はこいつだ」
二人はそろって美恵を凝視した。
「……本当なの?」
「ち、違うわ」
美恵はすぐに否定するものの、その口調には絶対拒絶の色が見られない。
「とにかく、こいつには近づくな。いいな」
「何やて跡部、何で自分そないな事賛成したんや!」
「仕方ないだろう。つべこべ言うな」
余計な居候が二人も増えるとあって忍足は頭痛がした。
しかも、その二人はただの居候ではない。強力な恋敵ときている。
「ええか謙也、何が何でも美恵を俺のモノにするんや。協力頼むで!」
「もちろんや!」
「あら、忍足君じゃない。忍足君も遭難してたのね」
氷帝に続き比嘉校、青学、立海、そして四天宝寺だ。
他校まで嵐で遭難してたことに最初は驚いていた美恵も今では、すっかり慣れてしまっていた。
「忍足君、四天宝寺の他の皆は?」
美恵の背後から忍足が腕を交差させてジェスチャーしている。
「うーん、それがその~……嵐の日以来行方不明なんだ」
まさか、『おたくの部員に監禁されました』などと言えず、謙也は適当に作り話をした。
「そうだったの、ごめんなさい」
「ええって。あいつらゴキブリより逞しい連中やから、きっとどこかで生きてるって」
実際、しっかり生きているのだ。
美恵が席を外すと謙也は忍足に小声で囁いた。
「なあ侑士、俺いつかボロだしてしまうかもしれへん。金ちゃん達なんとかだしてやれんのか?」
「あかんあかん。ええか謙也、ただでさえ俺には恋敵が多いんや」
「けど、うちの連中は美恵ちゃんに懸想してないからええやんか」
「あほ!恋愛感情ないから安全とは限らないやろ。男には性欲っちゅうのがあるんや。
実際、比嘉校のあほどもは美恵を襲おうとしたんやで。
馬鹿な連中や。ふざけた考えもたなかったら海の肥やしになることもなかったのに」
「……侑士?」
何だか不吉な言葉。だが謙也は聞き間違いだと自分に言い聞かせた。
「けど、あんなとこにいつまでも閉じ込めるんも限界があるやろ。
うちの連中は比嘉校の人間とは違って純情でまっすぐなアホや。安心してええで。
金ちゃんは性欲とは無縁やし、ユウジと小春はできとるし、白石はカブトムシと熱愛中や」
「ホンマか?」
「保証したる。このままやと金ちゃん辺りが爆発して何しでかすかわからんし」
確かに他校の人間を全員監禁するというのも難しい問題だ。
跡部と謙也と三人で、あの大人数分の食糧を調達するのは限界がある。
しかも、この島には青学や立海の選手がまだ野放しになっている。
もしも彼らが、あの牢獄を発見し囚われの連中を解放したら自分と跡部の立場は最悪なものになる。
怒りに燃えた連中が復讐にくるかもしれない。
いや、それ以前に美恵にばれたら嫌われてしまうかもしれない。
「……わかった。跡部に相談してみる」
「忍足、忍足君、食事ができたわよ」
「今いくでー」
「美恵ちゃん、俺の事は謙也でええで」
二人はニッコリ微笑んで席に着いた。
「じゃあ不二君や幸村君、それに謙也君に挨拶してもらいましょう」
美恵が拍手すると、ジローと樺地もつられて拍手だ。
だが向日や宍戸は、跡部や忍足のいやーな空気を敏感に感じ緊張していた。
鳳は必死に空気を和らげようと「宍戸さん笑って」と小声でささやいている。
逆に日吉は「下剋上だ」とあからさまに敵意に満ちた目で三人を睨んでいるではないか。
「こうして仲間になれたのも何かの縁よ。不二君も幸村君もそれに謙也君も仲間とはぐれて苦労したのよ。
だから皆、優しくしてあげてね。お願いだから」
「うん、俺やさしくするよ!」
「……はい、親切に接します」
ジローと樺地は二つ返事でOKした。
宍戸はチラッと跡部を横目で見ながら、「……ま、まあ宜しく頼むぜ」と苦笑いだ。
「今更やと思うけど侑士の、ようできたいとこの謙也や。よろしゅう」
無難な挨拶に型通りの拍手が起きた。
「どうも、ありがとう。美恵さんとは公私共に親しい間柄なんだ。改めてよろしく」
不二はニッコリ微笑んだ。
「見ての通り俺には美恵さんしかいないんだ。それ忘れないでおいてほしいな」
幸村も儚げな笑顔を披露した。
重苦しい空気だった。跡部はかなり怒りを抑えている。
「ね、ねえ私の手作りどうかしら?お口に合うといいんだけど……」
慌てて美恵が強引に会話を作ろうとした。
「最高だよ。遭難してから果物を採って細々と生きてきた僕にとっては絶品さ」
「よかった」
美恵はホッと胸をなでおろした。
「できれば帰国してからも、これから一生僕のご飯作ってくれないかな?」
不二は春の陽光のような笑顔で、その場が凍りつくようなセリフを吐いた。
それがどういう意味なのか美恵も知っている。不二は友達だとばかり思っていただけに驚きも大きい。
庶民感覚からずれている跡部は「は!美恵を専属コックにしようなんてふざけてんのか?」と的外れな事を吐く。
しかし忍足から、その意味の説明を受けた途端、今度は烈火のごとく激怒した。
「……てめえ、俺様の前で美恵にプロポーズするとはどういうつもりだ?」
「何それ?美恵さんに何を言おうと君の許可なんかいらないじゃないか」
跡部の中でブチッと大きな音がした。これはやばい。
「景吾、ちょっと来て!」
美恵は跡部の手を引くと、慌てて森の中に。
「ここなら聞こえないわね……景吾、少しは冷静になってよ」
「冷静にだと?もう我慢ならねえ!」
「よく考えてよ。私も最初はびっくりしたけど、私達まだ高校生なのよ。
あれは不二君の冗談に決まってるじゃない。本気にとらないでよ」
確かに普通ならあれはジョークだ。ただし、それは不二が美恵に惚れていなければの話。
「俺に対して宣戦布告したとしか思えねえな」
「まさか。言ったでしょ不二君は優しい人で、寂しそうにしてた私に同情しただけなのよ」
「合同合宿の知り合い程度の女を毎日見舞うなんて同情でできることじゃないぜ」
「だから、それは――」
「『不二君は優しいから』って台詞は聞き飽きたぜ」
跡部は美恵を大木の幹に押し付け、顔の横に両手を添え動きを封じた。
「言ったよな、俺の言う事は何でもきくって」
「……言ったけど」
跡部の顔との距離が縮まるにつれ美恵の心臓の音は大きくなってゆく。
耐えきれず顔をそらしたが、すぐに顎をつかまれ前を向かされた。
そして腰に腕をまわされたかと思うと引き寄せられる。後頭部は跡部の手に固定され逃げられない。
そのまま、強引に唇を重ねられた。引き離そうとするも、跡部の力には到底かなわない。
「……ん」
おまけに跡部の舌が口内に侵入してきて、歯列をなぞりながら美恵の舌に絡んできた。
息もできないほどの激しい口づけに、美恵は全身の力が抜けされるがまま。
ようやく跡部が唇を離すと思わずその場に崩れ落ちそうになったくらいだ。
跡部が支えてくれなかったら実際そうなっていただろう。
「……今日はこのくらいで許してやる」
「…………」
「だが、いずれきっちり約束守ってもらうからな。覚悟しろ」
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