のろし台を設置している丘の上から双眼鏡を覗いている跡部は吐き捨てるようにいった。
「おい忍足、もう帰るぞ。雲行きが怪しくなっきた、一雨きそうだ」
「そうやな」
二人は早急に帰り支度を始めた。
「美恵が心配だ」
美恵とジローが出掛けたバナナの群生地は距離がある。
午前中はすこぶる快晴だった。その為、雨具も用意してないのだ。
気になった跡部はツリーハウスに戻ると雨具を手に二人を迎えに行った。
(待てよ。海岸線沿いから行った方が近道だったな)
岩場を通るため多少危険だが、そこは運動神経抜群の跡部だ。問題ない。
跡部はすぐにルートを変更した。だが、そこで跡部はとんでもないものを発見した。
「……どういうことだ、これは?」
岩場に叩き付けられ半壊したイカダが波に揺れていた――。
テニス少年漂流記―21―
「美恵、美恵、見てよ、これ!」
ジローが両腕でバナナを一杯抱えて駆け寄ってきた。
「ジロー、採りすぎよ。そんなに食べきれないわ」
くすくすと笑いながら美恵は、そのバナナをリュックにしまった。空を見上げると黒雲が出ている。
「ジロー、そろそろ帰りましょうか。雨が降りそうだわ」
「うん、そうだね。俺がリュック持つよ」
「ありがとう……え?」
美恵はハッとして背後を振り向いた。
「美恵、どうしたの?」
「……何でもないの。気のせいだったみたい」
(誰かに見られている気がした。きっと、またあの猿達だわ)
この島には自分たちの以外の人間はいないのだ。美恵とジローは急いで帰宅することにした。
しかし、その決断は遅かったようだ。雨が突然激しく降り出したのだ。
二人は慌てて大きな岩の下に避難した。
「これってスコールかしら?今は動かない方がいいわ、しばらく雨宿りしましょう」
「うん」
しかし三十分ほどたっても雨足は収まりそうもなかった。
「こんな事なら傘くらい持ってくるんだったわね」
「美恵、俺が傘持ってくるよ。美恵はここで待ってて」
ジローは駆け出した。
「危ないわジロー、地面がぬかるんでいるのよ!」
美恵は慌てて後を追った。だが、数十メートルも移動しないうちに、ずるっと足元が崩れた。
「……あ!」
美恵はしまったと思った。ジローに警告するつもりが自分の方が被害を受けたのだ。
そのまま転倒すると、ぬかるんだ傾斜を滑って行く。すごいスピードで止まらない。
ようやく平らな場所にでた。全身泥まみれだ、前が見えない。
(ど、どうしよう)
こんな島で迷ったりしたら、それは即命の危機に直結する。
……パシャ、背後から足音らしきものが聞こえた。
それは動物の足音などではない。明らかに靴を履いた人間の足音だった。
「ジロー?」
美恵は声をかけた。しかし返事はない。
おまけに、よく聞くと足音は一つではない。二つ、そう二人いる。
(……ジローじゃない!)
ぞくっと背中に寒気が走った。美恵は立ち上がるとがむしゃらに走った。
泥で視界がふさがれたので相手の顔はわからない。ただ、危険な人間という事だけはわかった。
無人島であるはずのこの島に自分達以外の人間がいた。
本来なら嬉しいはずなのに美恵は嬉しさではなく危険を感じたのだ。
勘だが、彼らは救助にきた人間ではない。それどころか禍々しいものを感じた。
今はただ距離をとって安全圏まで逃げることしか考えられない。
ところが、彼らは美恵を逃がしてくれなかった。猛ダッシュをきったはずなのに、一瞬で背後に再び邪悪の気配。
そして腕をつかまれた。腕力からして男に間違いない。
「わんらから逃げられると思ったのか?」
美恵は何とか振りほどこうとしたが、次の瞬間ボディに強い衝撃が走り意識がなくなった。
「……ん」
どのくらい時間がたっただろう。美恵は目を覚ました。
「……ここ、どこ?」
暗い上に岩壁に囲まれている。声が反響することから、とっさに洞窟だと思った。
(私、どうしてこんなところに……そうだわ、確か謎の二人組に襲われて)
思い出した。あの二人組はどこにいるのだろう?
頭を左右に動かしていると、背後から「気いついたようだな」と声が聞こえた。
ビクッと反応してゆっくりと振り向くと、男が二人立っている。
「私をさらったのはあなた達ね。どういうつもりなの、一体誰なの?」
「おまえ氷帝のジャーマネだろ?わんらに見覚えないか?」
そう言われてよく見ると確かにどこかで見たような顔だ。
「……あなた達は確か沖縄の比嘉校の」
確か九州地区の覇者・比嘉校の平古場凛と甲斐裕次郎だ。
「思い出したわ。優しい不二君に酷い事した連中ね」
「……優しい?」
「……青学の不二があ?」
二人はそろって素っ頓狂な声を上げた。
「どうして、あなた達がここにいるのよ!」
「そうしてって俺らもおまえら同様船が難破したんさ」
「で、あっちの小島に流れ着いたっちゅうわけ」
美恵は当然ながら驚愕した。まさか自分達だけでなく他校の選手まで、あの嵐で遭難していたとは。
それも、この島とは目と鼻の先である、あの小島にだ。
「でも、だったらどうしてここに?」
「どうしてって、あっちの島は小さくてさー。わんらにはギャル曽根も真っ青の胃袋持つ後輩もいるしな」
「……ああ、あの子ね」
美恵はすぐに理解した。彼らは食料が乏しい島から、こちらにやって来たのだ。
だが、すべての謎が解けたわけではない。
「どうして私を気絶させてまでさらったりしたの?私達ーの様子を陰から伺っていたのはあなた達なんでしょ?」
他校とはいえ同じ境遇に陥った顔見知りではないか。それなのに彼らはジローがいる時は接触してこなかった。
「どうしてって、わんらは健康な高校男子さ。
それが半月も禁欲生活してたところに運よくおめえを見つけたから仲良く遊ぼうとおもったわけ」
「……!」
美恵は呆れて声もでなかった。ヒールだと思っていたが、ヒールどころの話じゃない!
「どうせ、おめえも氷帝の連中とよろしくやってるんだろ?わんらと仲良くしてもいいだろ?」
「ふざけないでよ!うちの選手は確かに褒められた性格じゃないのもいるわ。
でも相手の意志を無視して自分の気持ちを押し付けるような人間は一人も――」
毅然と反論するはずだった美恵の脳裏に、跡部と忍足が浮かんでしまった。
「……ひ、一人もいないわ」
「なーんで目をそらす?それに随分間があったなあ」
「とにかくさよなら」
美恵は、さっさと立ち去ろうとしたが当然それを見逃してもらえるはずもない。
「どさくさまぎれて逃げようったってそうはいかねえど」
「ちょっと離してよ!」
「手始めに、このバニーガール服を着てもらうさー」
「次は看護婦な」
「な……!」
冗談で済まないことになってきた。このままでは本当に襲われてしまう、それも屈辱的な姿にさせられて。
「あなた達わかってるの!私は氷帝のマネージャーよ、私に手を出すなんて氷帝に喧嘩売るも同然なのよ!」
「その氷帝の連中はここにはいないぞ」
美恵、絶体絶命の大ピンチ。
「その手をはなしなさいな!」
第三者の声。ハッとして洞窟の入り口をみると背の高いシルエットが見えた。
「……え、永四朗!」
甲斐と平古場は青くなって手を止めた。
「何て醜態ですか二人とも。比嘉校レギュラーのあなた達がいかがわしい犯罪行為に手を染めようなんて」
(比嘉校部長の木手君だわ)
正直、美恵は青学との試合から木手を善良な人間ではないと思っていた。
しかし木手は見るからに激しく怒っている。
(良かった。木手君はまともな人間性の持ち主だったんだわ)
甲斐と平古場から助けてくれたのだ。美恵は心底、木手に感謝した。
「あ、あの木手君、ありが――」
「いくら性欲多感な年頃とはいえ、よりにもよって」
「女なんかに手を出すなんて!!」
「……え?」
今、何て言ったの?
「比嘉校テニス部は男女交際一切禁止!よもや二人ともそれを忘れたわけではないでしょうね?
女など忌むべき存在、まして、あなた達は我が部が誇るイケメン!それなのに、それなのに!!」
(……も、もしかして、この人)
美恵は恐ろしい可能性を推理した。それを裏付けるように平古場が木手に反抗的な態度に出た。
「うるさい、もうこれ以上は我慢できねえ。キャプテンだろうが誰だろうが、わんの邪魔しやがったらゆるさねえぞ!
自分が女嫌いだからってノーマルな部員にまで無理やり押し付けて!」
や、やっぱり……木手君って言葉づかいだけじゃなく、中身もオネエだったのね
「俺に逆らうつもりですか平古場君。ゴーヤくわすよ」
「……ゴーヤだけは勘弁」
「わかればよろしいのです。悪いのはあなた達ではありません。この女です。楽園からメスを追放しなければ!」
木手は美恵を敵意に満ちた目で睨みつけながら指差した。
「どうして、そうなるのよ!」
「おだまり!よくも、うちの可愛い部員をたぶらかしてくれましたね!
あなたのような薄汚い雌豚にはそれなりの礼をさせてもらいましょう。
女にも一つだけ役に立つことがあります。それはずばり生贄」
「……い」
「生贄!?」
「そうです。俺達が遭難したのは、おそらく偉大なる海神ゴッド・ゴーヤの怒りが原因。
ゴッド・ゴーヤのお怒りを鎮めるために、あなたの命を使ってさしあげましょう。ありがたく思いなさいな」
「ふざけないでよ!」
「ふざける?聞き捨てならないことを。俺は至って大真面目です」
(こ、この人、完全にいっちゃってるわ。話し合いが通じるような相手じゃない!)
美恵は当然逃げようとしたが、逃げるどころかロープで縛り上げられた。
そして、さるぐつわをされたまま運ばれた。運ばれた先にはゴーヤで作られた偶像と祭壇が建てられていた。
やがて木手達は怪しい儀式を開始しだした。
「サーターアンダギー、サータアンダギー!
偉大なるゴッド・ゴーヤよ、どうかお怒りをお鎮め下さい!」
(い、生贄って……まさか本気で私を殺す気なんて、そんなことないわよね?)
きっと冗談だ。美恵は必死に自分にそう言い聞かせた。
だが、木手はナイフを取り出しているではないか!
(こ、この男、本気だわ!本気で私を……!)
必死にもがいたがロープは外れない。
――助けて、誰か助けて!
「ゴーヤゴーヤゴーヤチャンプルー~」
木手は怪しい呪文を繰り返しながらナイフを振りかざした。
キラリとナイフの刃先が輝き鮮血が噴出した。
「……な、何やこれは?」
忍足はとんでもないものを発見した。イカダだ、人は乗ってない。
だが使用された蔓などを見ると、ごく最近製作されたものには違いない。
まさかと思って調べると森の中に続く獣道に人間の靴跡を発見。
「……俺達以外の人間がこの島におる」
忍足は嫌な予感を感じ全力で走り出した。
「ぎゃああ!」
「キャプテン、落ち着いて。傷は浅いさー!」
木手の頬から血が出ている。背後から石が飛んできて直撃したのだ。
「だ、誰です!」
振り返ると全身殺気じみた跡部が立っていた。
「あ、跡部、あなたですね。こんな理不尽な事をしたのは!」
「……てめえ、どの口でそんな台詞吐きやがる。よくも俺様の女を殺そうとしたな」
「あなたの女?やっぱり、あなたは女と乳繰り合うようなおぞましい人間だったのですね!
氷帝はテニス部ではなくホスト部同然だと噂は本当だったということですか。
しかし、あなたはそのお顔に似合わずおつむは弱いようですね。
こっちは四人、あなたは一人!多勢に無勢で勝てるとでもお思いですか!?」
絶対優位の立場から大笑いする木手。だが次の瞬間、硬直した。
跡部が懐からとんでもないものを出したからだ。
「け、拳銃ぅぅ!!」
「デザート・イーグルだ。名前くらい把握しろ」
「ど、どうして一介の高校生であるあなたがそんなものを!」
「俺様を誰だと思っていやがる?」
「跡部大財閥の御曹司、跡部景吾様だぞ。海外に行くときは、いつも護身用に所持してんだよ」
「ひ、卑怯者~!!」
木手の無念の悲鳴が森の中にこだました。
「馬鹿な連中だな。よりにもよって美恵に手を出すなんてよ」
「ですよね。はっきりいって自殺行為ですよ」
比嘉校テニス部はロープで自由を奪われ氷帝レギュラー陣の前にひったてられていた。
「俺様が判決を言い渡すぜ」
「主文、死刑!」
この非情な一言にはさすがに(忍足以外の)誰もが言葉を失った。
「弁護人忍足、何か反論することあるか?」
「全然、異議無しや」
「うわあー!死にたくない、死にたくないさー!」
「何でこんな目に……うぅ」
「甲斐君、泣くんじゃありません!男が涙を流す時は痛みを感じた時だけです!」
「嵐で難破して他の部員は全員海の底……死にもの狂いで流れ着いた島はろくに食料もなくて……。
蛇や蛙は当たり前。あるといえばゴーヤだけ……ゴーヤの味噌汁、ゴーヤの刺身、ゴーヤの炊き込みご飯……。
その挙句が高校生という、この若さであの世行き……」
「……おい長太郎、何だか気の毒になってきたな」
「……そうですね。聞けば可哀想な身の上じゃないですか」
比嘉校の過酷すぎる遭難劇に(跡部と忍足以外の)誰もが哀れになってきた。
「よく見たら田仁志君以前よりも痩せてるじゃない。可哀想に、お腹すいているんでしょう?」
「うわーん!腹減ったー腹減ったー!」
「……おい長太郎、あいつ痩せたと思うか?」
「……いえ全然そうは思えません」
「ねえ皆、もう許してあげましょう。反省してるみたいだし根っから悪い人たちじゃないと思うの。
こんな異常な状況な上に空腹だったから正気を失っていただけなのよ」
美恵の慈悲深いこの言葉は跡部の機嫌を著しく損ねた。
「てめえ、俺には今だに体を許さないくせに、こいつらの罪をあっさり許すなんてどういうつもりだ、ふざけるな!!」
「何わけのわからないこと言ってるのよ!被害者の私が許すって言ってるんだから景吾は黙っててよ!」
「でもさー、不思議だよね」
ジローがきょとんとしながら言った。
「いくら小さい島でも四人分の食料くらいなんとかなったでしょ?」
「四人なら何とかなりましたよ。でも数十人もいたんじゃ」
跡部と忍足はぴくっと反応した。
「……ちょっと待て木手、てめえ今何て言った?」
「……数十人?」
「ええ、そうですよ。だじから小さな島じゃ暮らせずこっちに来たんです」
「…………」
跡部と忍足は嫌な予感がした。そして人払いをした。
「……木手、おまえら以外にあの島に漂着した連中がいたってことか?」
「ええ、そうですよ。四天宝寺に山吹中、不動峰に立海……だったでしょうか?」
何という事か。今回の合宿に参加した他校の選手も嵐の被害をこうむっていたのだ。
「……で、あの島の食い物を食い尽くしたから、てめえらはイカダ組んできたってわけか」
「それは違いますよ」
「何が違う?」
「俺達は丸太に乗って来たんです。イカダ?何の事やらさっぱりですね」
「おい待て、岩場にあったイカダはてめえらのものじゃなかったのか?」
「そうや北の砂浜にあったイカダは自分らのもんなんやろ?」
跡部と忍足はぎょっとしてお互いの顔を見合わせた。
二人ともイカダを発見している。しかも別々の場所に。
そして木手達はイカダなど使用していないという。つまり、この島にはすでにもう……。
「ああ、そうそう。確か青学もやはり遭難してあの島にいましたよ」
木手は言ってはならない一言を言ってしまった。
「……青学だとぉ?」
「……あの男もいるってことか」
跡部と忍足は運命を呪った。もっとも忌むべき男が近くにいた。
しかも、すでに、この島に来ているかもしれないのだ。
「跡部、とりあえずこいつらはどうする?」
「砂浜に埋めてしまえ」
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