ジローはきょとんとした表情で美恵
の作業を見つめていた。美恵 は開きにした魚に塩をふって丁寧に干している。
「こうしておけば長持ちするでしょう?味噌漬けにしたのもあるのよ」
「ふーん、美恵
ってお嬢様なのに、どうしてそんなことできるの?」
「ばあやが厳しくてしっかり仕込まれたのよ。こんなところで役に立つとは思わなかったけど」
「ばあやさんに感謝せなあかんな。おかげで俺は料理の上手な嫁ができるんや」
「忍足!てめえって奴は何度言えばわかるんだ!!」
「また始まったね」
「……もう慣れたわ」
テニス少年漂流記―20―
美恵 はカレンダーに×印をつけた。×の数はすでに14になろうとしている。
大木の上には立派なツリーハウス。
美恵
が、ここを仮の住まいにした当時の防水シートを張り巡らせただけのテント状のものとはかなり違う。
なかなか立派なものだ。跡部達がクルーザーから壁や床の板をはがし建てたのだ。
つまり救助されるまでに時間がかかることを覚悟して長期戦に備えることにしたというわけだ。
ベッドまで持ち込み、人間が住むのにふさわしい場所になったというわけだ。
美恵
にとってありがたかったのは、カーテンで仕切りをつけてもらったことだ。
状況的に仕方ないとはいえ、年頃の女が八人もの男と並んで寝るなんて正直恥ずかしかった。
カーテンのおかげで美恵
の個室ができたのだ。おかげで何の気兼ねもなく安心して休めるようになった。
(ただ跡部と忍足が、その個室に自分を加えろと主張してひと悶着あったが)
毎日、樺地とジローが森に、鳳と日吉が海に食料を探しに行く。
宍戸と向日は怪我人なので大人しくしてもらっていたが、4、5日もすると完治してしまった。
今では肉体労働に従事してくれ水を運んだり、薪を切ったりしている。
跡部と忍足は島の探索をしながら、船が通らないか見張っている。
二人は海岸線の崖の上にのろし台を作った。船を発見したら、すぐに合図を送れるようにだ。
さらに砂浜には石を並べてSOSの巨大文字を作った。
こうして出来る限りの事をして、この島で暮らすことを決意した。
(こうなってみて良く分かったけど、うちの連中が強い男で助かったわ)
悲惨な状況に陥って癇癪を起したり泣き言を言う事もない。
(景吾は普段わがままだけど、いざとなると頼りになるものね)
お坊ちゃま育ちにもかかわらず、こんな無人島でてきぱきと采配を振るっている跡部に美恵
は内心感心した。
もっとも、それを口に出すと何を言われるかわからないので本人には黙っている。
(私は私で自分の仕事を頑張らないとね)
美恵
の担当は家事だった。一番大事なのはもちろん炊事だ。
「美恵
、何か手伝うことねえか?」
出掛ける用意をしていると宍戸と向日が声をかけてきた。
「二人とも体は本当にもういいの?」
「ああ」
「無理だけはしないでよ」
「これ以上寝てたら体がなまっちまうよ。それに、おまえ達にばかり働かせるなんて、その方がきついって」
「そう。だったら手伝ってもらおうかしら」
美恵
は防水シートとバケツ、それに昼食用のお弁当を用意した。
「助かるわ。正直いって一人で持つのは大変だったから」
「こんなもの何に使うんだよ?」
「海に行くのよ」
「魚とか海藻でもとるのか?でもシートなんか関係ねえよな」
そんな他愛ない会話をしているうちに砂浜に到着した。
「防水シートをひいて」
二人は言われた通りにシートを砂浜に敷いた。
「今度はバケツに海水を組んで、このシートの上に撒いて欲しいの」
「何だよ、それ?」
向日はわけがわからずきょとんとしている。
「塩よ。今はまだ大丈夫だけど、この島から出るまで無くならないとは限らないでしょ。
だから作れるものは今のうちに作っておかないとね」
「ああ、そうか」
宍戸は理解してくれたが、向日はまだわからず頭をかしげている。
「作るって、こんなものでどうやって塩なんか作るんだよ?」
「馬鹿だな岳人は。シートの上に海水をまくだろ、日差しが強いからすぐに水は蒸発する。
で、また海水をまく。それを繰り返すと塩の固まりになる。後は煮詰めてろ過して乾燥させるんだ。
そうやって塩を作ろうってんだろ?」
「そういうこと」
「なるほどな。何だか手間かかりそうだな、コンビニで買い物してた頃が懐かしいぜ」
「文句言わないの。あの嵐で溺死しなかっただけ感謝しないと罰があたるわよ」
「わーったよ」
こうして作業が始まった。
「なあ塩はいくらでも作れっけど砂糖が無くなったらどうするんだよ?」
「それなら大丈夫。樺地君が蜂蜜みつけてくれたから」
「すげえじゃん、あいつって妙に頼りになるよな。でもさ、蜂蜜じゃ限りがあるだろ?」
「そう思って代用品になるようなもの探しておいてって景吾に頼んでおいたから」
跡部と忍足は二日前から本格的な島の探索に出掛けていた。
喧嘩ばかりの二人がなぜコンビを組んだのかといえば、どちらか一人が残るのだけは絶対却下だったからだ。
「思ったよりずっと広い島だったな」
跡部は持参したノートに地図を書き込んでいる。
「跡部、そろそろ食事にしよう」
美恵
が二人の為に保存食を持たせてくれたので炊事は簡単にできた。
「ほんま美味しいな、この魚の味噌漬け。美恵
はええ奥さんになるで」
「あーん、当然だろ。羨ましいか忍足?」
「何で俺が羨ましい思わないかんのや?羨ましい思うのは跡部自分の方やろ?」
「寝言ほざくんじゃねえ」
こんな調子だったが、二人ともさすがは氷帝のツートップだけあって仕事はきっちりやっていた。
その証拠に、この島の大方の地理もわかった。
「ところで跡部、あのマネージャーのことだけどな」
「ん……ああ、あいつの事か」
「何や忘れてたんか。冷たいなあ、かつてはあんなに仲睦まじくしてた相手やろ」
「そうだったな。猫かぶった偽りのあいつにな、今の俺にはもう関係ねえよ」
「やっぱ冷たいな自分は。考えたことないんか?」
「死んだかもしれないって事か?」
忍足の言いたいことはわかった。
もしも彼女が、いや船員たちも含め彼女たちが無事なら、この辺りの海域を捜索されているはず。
しかし実際には救助は来ない。つまり彼女達も遭難したか、最悪の場合死んだということになる。
「もしそうなら同情はするぜ。俺達を見捨てて逃げやがった連中だが、人が死んで気分がいいわけがねえ。
だがな忍足、この事は他の連中。特に美恵
には絶対に言うなよ。
あいつは優しい奴だ。自分にあんな仕打ちをした女だろうが、きっと悲しむ」
「そうやな」
忍足は思った。跡部はかつての恋人に同情こそしているが、それ以上の感情はないようだ。
本当に今はもう完全に美恵
だけを愛している。忍足にとっては残念な結果と言えよう。
「可哀想だが俺があいつにしてやれることは何もねえ。運よく助かってくれてる事を祈るだけだ。
今は美恵
を守ることしか考えられねえんだよ。あいつの事で頭がいっぱいなんだ」
「……本気なんやな。吊り橋の恋の可能性は無しか?」
「……あいつにも同じこと言われた。はっきり言っておくが、その可能性はゼロだ。
ほら立て。もう出掛けるぞ、日が暮れる前に今日の寝床見つけなきゃならねえんだ」
二人は島の中央に位置する山の頂上に出た。そこからは島が一望できる。
「けど、流れ着いたんがあっちの島でなくて良かったな」
忍足は双眼鏡を覗きながら言った。
「ああ、不幸中の幸いだぜ。この島はでかいから食料にだけは不自由しねえ」
「今頃、他校の選手達はどうしてるんかな」
「どうしたもこうしたもあるかよ。俺達が遭難して行方不明なんだ、合宿も中止だろ」
「そうやな。不二はどうやら合宿中に美恵 とくっつくつもりらしかった。
けど、その計画が駄目になったんだけは良かったな」
「ああ、もし、あいつまでこの島に漂着していやがったら――」
「俺は、あいつに何をしてたかわからねえ」
「美恵
先輩、今日は肉が食えますよ」
日吉がニッと笑みを浮かべながらリュックを降ろした。
「肉って……まさか日吉君、動物を狩ったの?」
美恵
は哀れにも日吉の手によって命を落とす鳥や小動物を想像して気分が悪くなった。
こんな時に動物愛護の精神を持ち出すべきではないかもしれないが、心優しい美恵
は可哀想に感じたのだ。
「安心してください。先輩が鳥やうさぎとか殺すのは嫌がるのはわかってましたから」
どうやら違うようだ。しかし、だったら何の肉だ?
「ほら、これです。これなら先輩も大丈夫ですよね?」
日吉はリュックの中から自慢げに獲物を取り出した。その瞬間、美恵
は悲鳴を上げた。
「美恵
、どうしたの!?」
「おい、何があったんだ?!」
悲鳴を聞き駆けつけたジローと宍戸が見たものは、蛇と蛙を両手に掴んで仁王立ちしている日吉の姿だった。
「先輩って案外偏食家だったんですね。好き嫌いは良くないですよ」
「好き嫌いの問題じゃないわよ!」
「黒焼きにすると美味いって俺のじいさんが言ってましたよ。蛇は滋養強壮剤にもなりますしね」
「……とにかく私は遠慮しておくわ」
「そうですか。じゃあ宍戸さん、遠慮なく喰って下さい」
男気あふれることで定評のある宍戸も、差し出された串焼きに思わず顔面蒼白になった。
「これ喰って逞しくなって一緒に下剋上目指しましょう」
(……まいったわ。悪い子じゃないんだけどね)
美恵
はベッドに仰向けになっていたが寝付けなくて起き上がった。
(景吾と忍足は大丈夫かしら?)
島の事を知ることは必要不可欠とはいえ、同時に危険な旅でもある。心配でならなかった。
「美恵
、眠れないの?」
ジローがカーテンの隙間から顔を出して尋ねてきた。
「ええ、二人の事が気になって」
「うん、俺も。でも明日は二人とも帰ってくるよ」
「そうね。ごちそうしてあげないとね」
「きっとお土産たくさんもってくるよ。俺、フルーツがいいな」
ジローと話していると不思議と気分が落ち着いてくる。
「ジローの言うとおりだぜ。あいつらなら大丈夫だよ」
「そうそう。殺しても死なないような奴らだもんな」
いつの間にか宍戸と向日まで。
「起しちゃったの?」
「違うって。俺達も眠れなかったんだ」
「俺達だけじゃないんだぜ」
気が付くと他の皆も全員起きていた。鳳も、樺地も、日吉も。
皆、考えることは同じだったようだ。
「美恵 先輩が心配する気持ちわかりますよ。もしも宍戸さんだったら、俺は食事も喉を通らなかったでしょうから」
「……二人は大丈夫です」
「下剋上だ」
美恵
は何だか嬉しくなった。こんな時ではあるが、全員の気持ちが一つになっている。
(仲直りして本当に良かった)
この島から出るときまでには結論を出すと約束した退部の件が頭をちらついた。
(どうやら、島を出る前に答えがでそうだわ)
一番辛かった時に慰めてくれた不二には悪いが、やはり自分は氷帝テニス部が大好きなようだ。
(それに彼にも……)
美恵
が思い出した人間はもう一人いた。
(自分だって病気で大変だったのに私の事を心配して毎日のように病室に来てくれて。
その上、退院した後もメールで毎日のように励ましてくれたわ)
「……あ!」
「先輩、どうしたんですか?」
「何でもないの……今、空を見上げたら流れ星が」
「流れ星!うわあ、ねえ美恵
、何かお願いした?」
「そんな余裕なかったわ」
「えー勿体ないC」
「でもいいのよ。一番のお願いはもうかなったもの」
――みんなと仲直りできたもの
(でも不思議な気分、二人の事考えていた時に流れ星なんて。
まるで何かの予兆みたい……いえ、そんなの考えすぎよね)
美恵
は忘れることにした。明日は二人が帰ってくるのだ、疲れを癒してやらないと。
「さあ寝ましょう。朝は早いんだから。明日はご馳走よ」
「わーい嬉C!」
「すっげーじゃん美恵
、おまえ本当に料理の天才だよ!」
「ごちそーごちそー!」
向日とジローは子供のように大はしゃぎ。
「お世辞でも嬉しいわ」
「お世辞じゃねえって。こんな島で、これだけのご馳走食えるなんて思わなかったぜ」
「聞き捨てなりませんね向日さん。俺が連日下剋上ライス食わせてやったじゃないですか」
「……あれは地獄だった。それより飯だ飯!」
向日は早速手を伸ばすが、すかさず美恵は皿を持ち上げた。
「駄目よ。景吾と忍足が帰ってきてから」
「えー何でだよ」
「そろそろ約束の時間でしょ。後5分くらい待ちなさい」
「くそくそ美恵!」
やがて跡部と忍足が戻ってきた。何だかんだ言って完璧主義な二人だけあり、きっちり時間通りだ。
「おかえりなさい。どうだった?」
笑顔で出迎える美恵に「俺様がいなくて寂しかったか?」などと跡部は言う。
「俺はさみしかったで美恵!」
忍足など、どさくさに紛れて抱きついてきた。
「てめえ、何度言ったらわかるんだ!」
「景吾、怒らないでよ。それより収穫はどうだったの?」
「ちっ、命拾いしたな忍足」
跡部はディバックをおろし、中からお手製の地図を取り出した。
「俺達が通ったルートは赤線が引いてある。危険個所はXがついてるから近づくなよ」
「すごいわ景吾、しばらくこの島に住むのだから地理がわかって助かったわ」
さらに美恵にとって嬉しい報告があった。バナナやパイナップル、それにサトウキビの群生地を発見してくれたのだ。
「これで砂糖の心配はなくなったわね。それにこんなに果物も、ジロー良かったわね」
「うん、嬉C」
「早速、お昼に果物を採りに行く?」
「うん、俺行く!」
美恵は大喜びのジローを伴って出掛けることにした。
――その頃、島の反対側の海にイカダが流れ着いていた。
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