跡部は忌々しそうに舌打ちした。
「跡部、そっちは俺がやるから自分らは食料とか集めてくれへん?」
「そうか、頼んだぜ忍足」
跡部はテキパキとレギュラー達に指示をだした。テニス以外のことでも跡部はとにかく頼りになる。
「自分の私物に用がある奴は今のうちに持ち出せよ。このクルーザーもいつ沈むかわかんねえからな」
跡部自身も自分の部屋に向かった。その途中、美恵
が使っていたゲストルームの前まできた。
(……美恵
)
ドアは開かれたまま、何気なく覗いてみた。
(……静かだ。当然といえば当然だが)
こんな所で立ち止まっている暇は無い。跡部はかかとを翻した。
だが一歩踏み出そうとしたところで何か違和感を感じ立ち止まった。
テニス少年漂流記―2―
美恵
は石を集め即席のかまどを作った。固形燃料や調理器具を入手したので料理ができる。
(いくら無人島だからって、ちゃんとしたもの食べないとね)
幸い川も発見できた。海辺とも目と鼻の先だし、ここを仮の住まいにすることにした。
(シーツと毛布を持ってきて良かったわ。こんな南の島なら夜でも冷えないとは思うけど)
後は救助隊が来るまで待つだけだ。
「……何だか疲れたわ。もう寝ようかしら」
美恵は、その場に横になると即座に寝息をたてだした。
『景吾、待ってよ景吾!』
『あーん?遅いんだよ、てめえは』
『……何よ、景吾の馬鹿!もう知らない!!』
『泣くなよ。ほら、おぶってやるから』
――懐かしい。ああ、そうか……私、夢を見てるんだ。
『景吾、すごいわ。また優勝よ、景吾は天才ね!』
『あーん、当たり前だろ。俺様を誰だと思ってやがる?』
『本当に景吾はすごいわね。テニスも勉強も一番で跡部財閥の御曹司、その上、ハンサムなんですもの』
『それほどでもあるぜ』
『これで性格が良かったら完璧なのにね』
『ああっ!?それはどういう意味だ』
――私、子供のころから、ずっと景吾と一緒だった。
――景吾も口は悪いけど、ずっと私を大切にしてくれていた。
『マネージャー?』
『そうだ。ミーハーな女なんかにテニス部をまかせられねえだろ。だから、てめえがやれ』
『ちょっとお願いするときくらい、高飛車な態度やめたら?』
『あーん?てめえ何を勘違いしてやがるんだ。俺はお願いしてるんじゃねえ、命令してるんだ』
『……尚更悪いわよ』
――無理やりやらされたマネージャーだったけど楽しかったわ。
――仕事は大変だったけど、テニス部も皆の事も大好きだったから。
――だから、どんなにきつくても苦しいなんて思わなかった。
――むしろ、皆のために働けることが、すごく嬉しかった。
『新しいマネージャー?』
『ああ、てめえ一人できつかっただろ。感謝しろよ』
――いつからだろう。仕事が苦しいと思うようになったのは……。
「景吾、頑張って!」
可愛らしい声が部室にまで聞えてきた。
(何が『景吾、頑張って』よ。頑張って欲しかったら少しくらい仕事しなさいよね)
美恵をイラつかせている声の主は、テニス部の新しいマネージャーのものだった。
新しいマネージャーは美恵とは全く違うタイプの美人だった。
まるでアイドルのように愛くるしい可愛い系の美人。その上、グラビアアイドル並のグラマーな胸。
高校生の男子生徒達には、かなりツボを刺激するような美少女だった。
しかし美恵から見たら腹の立つ要素でしかない。
男どもには可愛い女でも、美恵にとっては媚を売るしか能のないブリッコに過ぎない。
そんな女にデレデレしてる仲間達も内心面白くない。彼女が跡部を名前で呼ぶことも。
しかし美恵も、それだけで彼女を嫌っているわけではなかった。
彼女はとにかくマネージャーの仕事をしないのだ。
手の荒れる事を一切さけ、やることと言えば、もっぱらベンチで跡部たちに声援を送ること。
そして美恵が用意したドリンクやタオルを横取りして笑顔でレギュラー達に配ることだけ。
それなのに毎日でそばで可愛い応援をされていい気になっているレギュラー達は彼女の味方だった。
「ほんとにあいつって可愛いよな」
「ああ、可愛げゼロの美恵とは大違いだぜ」
「悪かったわね」
やや強い口調で言葉を投げてやると、向日と宍戸はしまったという顔をして振り向いた。
「可愛くてもマネージャーなのよ。少しくらい仕事するように、あなたたちからも言ってよ」
二人はお互い顔を見合わせた。
「ちょっと聞いてるの。彼女がろくに仕事してないの、あなた達も知ってるでしょ。
私がいくら言っても暖簾に腕押しなのよ。レギュラーのあなた達が自分の味方してると思っているからよ。
だから少しくらいきついこと言ってもらわないと、こっちが迷惑なの」
「美恵、おまえって何でそうきついんだよ」
「そうだぜ、あいつは入部して間がないんだ。少しくらい大目に見てやれよ」
美恵はカチンとなったが感情を抑えた。冷静にならなければ。
「入部して、もう二ヶ月よ二ヶ月!一体いつまで甘くしてやれば気が済むのよ」
「クソクソ美恵!何だよ、おまえ最近怒りっぽいぞ!」
短気な向日はさっさとテニスコートに戻ってしまった。最近はいつもこんな調子だ。
「おい、おまえ最近本当に変だぞ。カリカリしてんじゃねえよ」
「いらつきもするわよ。仕事をしているのは私一人なのに、あなたたちは注意するどころかちやほやしてばかり」
「何だ、つまらない嫉妬かよ」
「そんなんじゃないわ。彼女はマネージャーでチアガールじゃないのよ。
こんなことじゃ、いつまでたっても仕事覚えないじゃない。いい加減にしてよ」
「岳人の言うとおりだ。最近のおまえは怒ってばかりだ、反省しろよ」
宍戸は呆れて行ってしまった。最近はいつもこうだ。
確かに彼女は可愛いし愛らしい、しかしそれは美恵にとっては見せかけの美しさにすぎない。
彼女の綺麗な指は水仕事など一切しない。彼女の美しさは美恵にとっては毒でしかない。
「天瀬さん、ドリンクがまだじゃない。もっとテキパキ仕事できないの、景吾達は疲れてるのよ」
彼女の無神経な言葉の一つ一つが美恵をイラつかせた。
「だったらたまにはあなたが作ったら?でないと私に何かあったとき、あなた仕事何もできなくなるじゃない。
今のうちに少しずつ仕事覚えるのは、あなた自身のためなんじゃない?」
「……何、それ?」
彼女はあからさまに不機嫌な声を出した。
今までちやほやされたことしかない為に、ちょっときついことを言われてもカチンとくるようだ。
「酷いわ……私に労働しろっていうの?私を誰だと思ってるの?」
可愛い女の正体はヒステリックなわがまま女だという事も美恵は知っていた。
彼女は金切り声を上げ出した。頭が痛くなってくる。
「景吾にいいつけてやるわ。景吾は私を守ってくれるんだから、あなたなんか景吾に嫌われればいいのよ!」
泣きながら彼女は走り去っていった。
「……『景吾は私を守ってくれる』……か」
悔しいけれどそれは事実だった。跡部は今は彼女の恋人、それもアツアツの。
『おまえは俺様が守ってやる。ありがたく思えよ』
そんな昔の約束など、跡部はとっくに忘れているだろう。
「おい美恵!」
洗濯物を干していると跡部が後ろから怒鳴りつけてきた。
「何よ、怒鳴らなくても聞えてるわよ」
「てめえ、あいつをまた虐めたんだってな。どういうつもりだ!」
「誰も虐めてなんかないわよ。私は仕事をしろって言っただけよ」
「それだけで泣くわけねえだろ!おまえは、あいつに冷たすぎるんだ、ふざけるのもいい加減にしろ!!」
「……随分と一方的な言い分ね」
美恵の我慢も限界を超えようとしていた。彼女が入部してから、どれだけ切れかけた堪忍袋の緒を縛ってきたことか。
「あなただって知ってるでしょう。彼女が部活中ずっとベンチにいることを!
彼女はマネージャーとして入部したんでしょ。ふざけるなと言いたいのはこっちの台詞だわ!
私一人に仕事押し付けておいて、自分は大きな顔をして私に文句ばかりいうのよ!
それなのにあなたまで同調して勝手なことばかり言って。いつからそんな馬鹿な部長になったのよ!」
後輩たちが遠巻きに見ている。その前でプライドの高い跡部を責めた。
「何だと!」
カッとなった跡部の手が大きく振りあがった。
「……景吾」
美恵は瞼を閉じたまま涙を流していた。久しぶりに見た夢は辛いものだった。
「……どういう事だ?」
跡部はゲストルームに入って辺りを見渡した。
(美恵の荷物がない。それにシーツと毛布も……あの緊急時に、そんなもの持って逃げる余裕はなかったはずだ)
最初、跡部はこの島に自分達と無関係の第三者がいるのではとも考えた。
それを確かめる為に自分の部屋に向かった。ドアを開くと、その考えは間違っていたことがわかった。
(俺の荷物は無事だ……美恵の私物だけ持ち出したってことか?)
あまりにも不自然だ。第三者のわけがない。
「跡部、ちょっといいか?」
振り向くと忍足が難しい表情で立っていた。
「救助信号の発信は上手くいったのか?」
「いや、完全におしゃかや。残念だが無線機は使い物にならん」
「そうか」
「ただ……」
忍足の話はそれだけでは終わらない。まだ続きがあった。
「どうした忍足?」
「おかしいんや、無線機は最初から引き上げられ取った」
「何だと?」
「水中から運ばれて廊下の端に置いてあったんや。誰かがいじった形跡もあった。
俺らの前に誰かが、このクルーザーを発見して助けを呼んだんや」
「俺達を見捨てて逃げやがった船長や船員……じゃねえな」
大の大人が数人いれば、この船に残っている食料などは根こそぎ運びだしているはず。
「なあ跡部……あの夜、俺らと一緒に船に残ったんは彼女一人だけやっただろ?」
彼女とは跡部の恋人だった新マネージャーだ。実は合宿の招待を受ける二週間ほど前に跡部は別れを切り出していた。
彼女は泣き叫び跡部に縋りついた。どうしても別れないと駄々をこねた。
合宿のことを知るや泣いていたのが嘘のようにはしゃぎだした。
若い娘にとって南の島のビーチでのバカンスは楽しい思い出作りの一環らしい。
連れて行ってくれたら潔く身を引くというので、最後の思い出作りくらいならと跡部も渋々了承した。
「……あいつも、この島に漂着したはずだ。海のもくずになってなければな。
だが、いくら捜しても、あいつは見つからなかった。だから死んだと思ってあきらめたはずだ」
「そうかも知れへんけど、可能性があるとしたらあいつしかおらん。
船長や船員、それに美恵は脱出用のボートで逃げたしなあ」
岳人が見たと言ったのだ。あの夜、嵐の中、美恵が脱出用ボートに乗り込んだのを。
美恵が自分達を見捨てて船長達に付いて行ったということだ。
跡部は信じられなかった。しかし、自分達が強い絆で結ばれていたのは半年前までの事。
今の美恵にとって、自分達はどうでもいい人間。見捨てられる可能性もあるかもしれない。
(……だが、なぜ美恵の荷物だけが消えたんだ?あいつの荷物はそのまま残っているっていうのに)
跡部にはそれが腑に落ちなかった。
(あの夜、脱出用ボートで逃げ出した連中の中に本当に美恵はいたのか?
美恵も船に残っていて俺達と同じ様に島に打ち上げられたんならつじつまがあう)
「跡部、どうした?」
「……何でもない」
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