「……どんなに節約しても今日一日が限界よね」
美恵は残された米を見つめてため息をついた。
(可愛い顔してとんでもない連中だわ。いえ……外見に騙されて油断した私が悪かったんだ。
猿を恨んでも食料は戻ってこないもの。彼女の見掛けに騙された景吾達のこととやかくいえないわね)
幸いにも本日は雲一つない快晴。美恵は食料を探し出掛けることにした。




テニス少年漂流記―10―




「宍戸、まだかよ。俺もう腹ぺこだよ」
「たく、文句ばっかり言うんじゃねえよ。ほら俺の手作りをありがたく食えよ」
跡部達は遅い朝食をとっていた。本日の朝食当番は宍戸、全員スプーンを口に運ぶと一斉に顔色を失った。
「どうだ?俺としては結構いけてると思うんだけど」
「まずいC」
ジローが泣きそうな顔をしている。よほど酷かったらしい。
「……そんなにやばいのかよ?」
自信作だっただけに宍戸は内心ショックだったようだ。


「どいたどいた。完全な体育会系の宍戸さんを調理係にしたのがそもそもの過ちなんですよ」
日吉が鍋を抱えてテーブルに近づいた。
「口直しに俺の手料理をどうぞ。名付けて『下剋上ライス』」
刺激的な異臭……もとい香りが跡部達の鼻をついた。
「味は保障しますよ」
日吉は自信満々だった。その根拠のない自信がやけに恐ろしいくらいだ。


「……樺地、食え」
「ウス」


下剋上ライスを口にした直後、樺地は地面にのめり込むように倒れた。
「か、樺地!」
「おい、しっかりしろ!!」
「……もう、食えません」
その言葉を最後に樺地は意識を失った。
「……日吉、てめえ何を入れやがった」
「インスタントラーメンにレトルトカレーを混ぜたんですよ。後は俺のオリジナルブレンド調味料をたっぷりきかせました」
日吉の心のこもった手料理だったが、それ以上は誰も手を付けなかった。




「……お腹、すいた」
ジローは横になっているが、空腹のあまり眠れないようだ。
「……美恵がいてくれたら美味しい料理食べれたのに」
何気ない一言だったが、誰もが表情を曇らせた。ジローに言われるまでもなく皆わかっているのだ。
「謝ったら美恵、俺達と一緒にいてくれるかな?俺、頼んでみようかな?」
ジローは天真爛漫で単純、それゆえ普段は呑気なくせに行動力はある。
「俺決めた!今から美恵のところに行ってくる!」
「おい、ジロー、落ち着け!」
美恵を連れてくる!」
駆け出したジローだったが、跡部が出した足にひっかかり砂浜に盛大に転んだ。
「痛い。跡部、何すんだよ!」
「俺が行く。てめえは大人しく留守番してろ」














「……疲れた。もう汗びっしょりよ」
美恵はぐったりして、そばにあった倒木に腰かけた。
「思ったより広い島ね。迷わないようにしないと」
こんな右も左もわからない森の中で迷ったら、それはすぐに死に直結する。
美恵は枝を折りながら進んだ。帰りのルートを忘れないように目印をつけているのだ。
(夕方には戻らないと。夜になったら、また狼が行動をはじめるもの)
ガサッと大きな音がした。まさか夜行性の狼が昼間に行動するのかと思い、ぎょっとして振り返ったが違った。
木の上にいたのは愛らしい小動物だった。彼等は果物をかじっている。


(美味しそうね……動物が食べれるのなら人間が食べても大丈夫かも)
ためしに美恵は一つ採ってみた。ナイフで皮を剥くとフルーティーな香りが漂ってきた。
「これ、マンゴーだわ」
かじってみると口の中に果物特有の甘みが広がった。
「美味しい」
美恵は次々に三個のマンゴーを平らげ、そして持参した袋の中に詰めれるだけ詰めた。
「よかった、美味しい食べ物が手に入って」
浜辺に行けば貝類も手に入るだろう。これだけあれば2、3日は飢え死にする心配はない。


安心すると、今度は汗だくの体が気になった。考えてみれば、ここ三日シャワーも浴びていないのだ。
「小川で手足を拭いているくらいだもの。年頃の女なのにたまったものじゃないわよ」
できることなら今すぐ大きなお風呂でゆっくりしたかった。もちろん、今の状況では夢のまた夢。
だが、そんな美恵の耳に意外な物音が聞こえてきた。
(……水音だわ。それも、かなり大きい)
その方向に美恵は向かった。茂みをかきわけると目の前に滝が現れた。
それは壮大な光景だった。水しぶきに太陽光が反射して虹が浮かび上がり、自然のプールが広がっていた。
「素敵、それに随分きれいな水ね」
触れてみると、とても気持ち良かった。
その冷やりとした心地よい感触、そして周囲に誰もいない無人島だということが美恵を大胆にさせた。














美恵、俺だ!」
跡部は美恵が仮の住み家にしている大木にやってきた。
「てめえがどんなに嫌がっても俺は帰らねえからな。話があるから降りて来い!」
美恵からは返事がない。それどころか人の気配もない。
不審に思った跡部は木に登った。美恵の姿はない。
「あいつ、どこに行きやがったんだ?」
跡部は慌てた。この島の安全など全然保障されてないのに、一人で歩き回っているのだ。


美恵!」
必死になって辺りを探した。しかしどこにもいない。その代わりに折られた枝を発見した。
(これは人為的に折られたものだ。しかも、おられてから、そう時間はたってねえ)
ふと見ると、少し先に同じように折られた枝が落ちている。
美恵だ、間違いない。どこか遠くに行ったらしいな、だから帰り道迷わないように目印をつけたんだ)
跡部は、すぐに枝を辿り追跡を開始した。














「気持ちいい。最高」
美恵は滝壺で沐浴を楽しんでいた。今、彼女は一糸まとわぬ姿で泳いでいる。
「こんな素敵な天然プール発見できたのも、これも猿たちのおかげね」
食料を奪われた時は最悪と思ったが、災い転じて福となすとはまさにこの事。
美恵は、その後も沐浴を楽しんだ。この時は、まさか人が近づいているなど思いもよらなかった。




「この音は滝……それに美恵の声か?」

跡部の足は自然と速度を増していた。
茂みから飛び出した跡部の眼前に滝壺が現れた、しかし跡部の視線を釘付けにしたのは滝ではない。
跡部は声も出なかった。滝をバックに岩の上に立っている女がいる。
誰よりも跡部が知っているはずの女なのに、今の彼女を跡部は見たことがない。
服を身に着けてないその姿は、まるでギリシャ彫刻の女神のように美しかった。
スレンダーな肉体なのに、その胸は豊かな膨らみを見せびらかしている。
すらりとした脚は例えようもなく美しく、その肌は何の穢れもない。
何より、その素晴らしい体を覆う艶やかな色気。


(この女は誰だ?)


こんな女、跡部は知らない。
顔は間違いなく美恵なのに、跡部が十数年間見続けていた女とは別人だった。
美恵の裸を見たのは初めてじゃない。しかし、それは幼い頃の事。
跡部が知っている美恵の肉体とはまるで違った。


(……これが……美恵なのか?)


跡部は言葉もなく美恵の裸体を見つめた。固唾をのみ、まるで魅入られたように目を背けることができない。
頭の中はまるで靄がかかったように何も考えられない。それなのに跡部の心は、これ以上ないほど高揚していた。
心拍音が速度をまし、体が熱くなった。息も荒くなっている。
女の裸なんて見慣れている。それ以上の行為をしたことも一度や二度ではない。
だが一度として跡部は理性を失ったことはなかった。
性欲を満たしながらも、常に冷静な自分を自覚していた。
それなのに今の自分は美恵の姿に完全に心を奪われている。跡部は、もっと近くで見ようと思わず身を乗り出した。




ガサッと大きな物音がして、跡部はハッと我に返った。
不可抗力とはいえ自分は覗き見をしていたのだ。
こんな事がばれたら美恵と和解どころか、ますます仲違いしてしまうではないか。
だが、美恵は跡部がいる方角とは逆に視線を向け悲鳴を上げた。
「わ、私の服!」
美恵は顔面蒼白になっている。その理由を跡部も知った。
何と木の枝に掛けてある美恵の洋服を猿の群れがおもちゃにしているではないか。
「あの子達は昨夜の……!」
猿たちは服を引っ張ったり被ったりしている。そして服を被ったまま逃走した。


「ま、待って。私の服を返してよ!」
美恵は叫んだが猿はお構いなしだ。あっという間に姿を消してしまった。
「……ど、どうしよう」
もちろんだが替えの服もない。このままでは美恵は裸を隠すことができない。
跡部にとっては実に美味しい展開になった。しかし美恵は真剣に困惑している、少し可哀想になってきた。
(いくら無人島とはいえ全裸で歩き回るなんてできねえだろう。どこでバッタリと忍足達に出くわすかもわからねえしな)

ん……忍足?!

(そうだ、このままじゃ忍足どもに美恵のオールヌード見られるかもしれねえじゃないか!)
跡部の脳裏にエロボイスで大笑いしている忍足の顔が浮かんだ。
(そんな事させてたまるか!)




「誰!?」
美恵がこっちを振り向いた。隙だらけだった跡部は、あっさりと見つかってしまった。
「景吾……!」
「おい、落ち着いて俺の話を聞け」
「きゃあ!!」
美恵は両手で胸を隠すと逃げ出した。
「待ちやがれ、逃げることはないだろう!」
跡部も当然後を追う。
「おい止まれ!てめえ、俺の命令が聞けねえのか!!」
どんなに怒鳴っても美恵は停止する気配はない。それどころかスピードを上げている。


「俺様から逃げられると思っているのか!!」


しかし、どんなに速度を上げようと、やはり跡部の方が勝っていた。
瞬く間に美恵は追いつかれ背後から抱きしめられた。
「は、離して!見ないで!!」
「もう遅いんだよ。ばっちり見たんだ、今更うろたえるんじゃねえ!!」
「何ですって、この恥知らず!!」
美恵はカッとなって右手を挙げたが、振り下ろす前に跡部に手首をつかまれた。
「一緒に風呂に入ったこともある間柄なんか、がたがた言うな!」
「それは小学生までの話じゃない!」
「忍足ならいざ知らず相手は俺だったんだ。かまわねえだろ!!」
「かまうわよ。景吾なんかに私の裸みる権利なんかないじゃない!!」


「てめえにこそ、そんな事いう権利あるか!俺が見たいと思ったら、それが権利だ!!」


「彼女がいるくせに何わけのわからないこと言ってるのよ!!」
「あいつとはとっくに別れた!!」
「え?」
美恵は驚いて跡部の顔を見上げた。その時、足元のバランスが崩れ二人は傾斜を転がった。














「島の探検?」
「そうや。この島の反対側に行ってみいひん?広い島だし、もしかしたら村があるかもしれへんよ。
第一、当分の間、俺らはここに住むんや。どんな所か把握しておくは当然やろ」
変な期待はしたくないが、忍足の言うとおり、この島の事を知っておくのは必要な事に思えた。
「食物も調達する必要あるもんな」
育ちざかりの男が8人もいれば、クルーザーから持ち出した食料などそのうち尽きるだろう。
「そうと決まれば出発や。ジロー、自分は留守番な。樺地の看病頼むで」
「うん、いいよ」
ジローは欠伸をすると、そのまま深い眠りについてしまった。
「じゃあ日吉と岳人は東、宍戸と鳳は西に向かってな」
「忍足、おまえは?」
「跡部を探してくるわ」














美恵と跡部は言葉もなく見詰めあった。二人は今非常にやばい体勢になっている。
跡部が美恵に覆いかぶさり見下ろしているのだ。
その気まずい状況に呆然としていた美恵だったが、胸にやけに温かい感触に気付き悲鳴を上げた。
跡部の手が何もまとってない肌、それも乳房に直接触れている。
「スケベ!」
美恵は真っ赤になって、慌てて跡部から離れようと身をよじらせた。


「おい誤解するな、これは偶然だ!」
跡部は弁解したが、結果的に鷲掴みにしてしまったのは事実。おまけに、すぐさま手を離そうとしなかった。
「私に触らないで!」
「少しは冷静になったらどうだ!」
「ふざけないでよ。こんな目にあって、どうして冷静なんかに――」


美恵の言葉は途切れた。唇をふさがれて声がでなかった――。


跡部の唇が自分のそれに重ねられていることに気付いたのは数十秒後。
美恵の全身の力が抜ける。跡部はようやく唇を離した。
「……少しは落ち着いたかよ」
跡部は立ち上がるといきなり服を脱いだ。


「け、景吾……!?」
「着ろ」

美恵が服を着ると跡部は美恵を抱き上げた。


「一人で歩けるわよ!」
「うるせえ、てめえ裸足だろ。しばらく俺にしがみついてろ」





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