「僕自身があなたを気に入ったんです。とても、とてもね」

美恵は当惑を含んだ胡散臭そうな視線を骸に注いだ。
骸はそんな美恵にニッコリと笑顔で応える。その行為にますます美恵は眉を寄せた。

「……何を言ってるの?」

ようやく出た言葉だった。反して骸は饒舌に言った。

「あなたのような女性は初めてだ。個人的にもっと知ってみたいと思ったんですよ」




PROM―3―





「ねえパートナー決まった?」
「うん、あのね隣の席の」
そんな会話が校内のあちこちから聞える。プロムが近付くにつれて生徒達の熱気も上昇していた。

(うらやましい……私だって楽しみたいけど)

無意識に溜息をついてしまっている。まるで婚期を逃した女のようだ。
たかがプロム、されどプロム。どうせなら思いっきり楽しみたい。
それなのに肝心の雲雀とは喧嘩の真っ最中、おまけに妙な男と知り合ってしまった。
おかげで美恵はプロムどころではなくなっていたのだ。


「……はぁ」
「何、溜息ついているのさ」


ハッとしてふりむくと、むすっとした表情の雲雀が立っていた。
無愛想なのは毎度の事だが、かなり怒っている。幼馴染だからこそわかるのだ。
「……何よ。恭弥には関係ないじゃない」
思わず吐いてしまった憎まれ口、途端に雲雀の目つきが険しくなった。
ふと気づくと生徒達が遠巻きに自分達の様子を壁や柱の陰から伺っている。
自分達……と、いうより彼等の視線の的はどうやら雲雀のようだ。
無理も無い。雲雀の発言一つで彼等の学校生活は180度変わってしまうのだから。
それにしても雲雀が生徒達から恐れられているのはいつもの事だが、今日は特に怯えているようだ。




美恵、まだ馬鹿なことを考えているのかい?」
「馬鹿な事……って、プロムの事?」
「決まってるだろ。ああ、そうだ君にパートナーを申し込んだ天野ってふざけた男なら、もういないよ」
美恵の心臓が大きく跳ねた。

「……い、いないって……あなた、何したの?」
「そんな事どうでもいいだろ。転校したんだ」

美恵は数日前の天野との会話を思い出した。天野の熱い視線には実は一年前から気づいていた。
しかし美恵は恐怖の風紀委員長の幼馴染、ゆえに男子生徒達は恐れて近付かない。
誰もが雲雀を恐れて恋心を封印しているのだ。美恵は自分が実はモテモテなんて気づいてないくらいなのだ。
しかし友人との会話で「恭弥はただの幼馴染よ。恋人なんてしゃれた関係じゃないわ」と何気なく言ってしまった。
たまたま通りかかった天野が目を輝かせて、「それ本当?」と尋ねてきた。




「え、ええ、そうだけど……」
「でも委員長は天瀬さんの事すきなんじゃない?」
「そんな可愛げのある感情、恭弥は持っていないわよ」
美恵はついさりげなく否定してしまったが、それが天野の運命を変えた。
「じゃあ、もし天瀬さんを誘っても委員長は怒ったりしないよね?!」
「……え?そ、そういう……事になるわね」
「だったら俺のパートナーになってくれないかな?」





美恵はしまったと思った。なりゆきとはいえ天野には悪い展開になってしまった。
誠意をもって丁重に断り、天野も未練たらたらではあったが潔く納得して引いてくれた。
それで全て解決。終わった事だと思っていただけに美恵は仰天した。
そういえば友人が「あんたモテモテなのよ。きっと申し込み殺到するわよ」と数人の男の名前を挙げていた。
その男子生徒は美恵を誘うどころか、廊下でばったり出くわすと慌てて逃げるように去っていった。
不思議に思っていたが謎が全て解けた。哀れにも天野は見せしめという名の犠牲になっていたのだ。


「恭弥、あなた何て事するのよ!」
「心外だな、僕は何もしてないよ」
「何もしなくて転校なんてするわけないでしょ!」
「本当だよ。美恵に申し込みしたって噂が本当かどうか尋ねただけさ」
「……本当ね?」
「僕は嘘は言わないよ」


確かに雲雀は嘘は言わない。府に落ちないが事実だろう。
そして実際に雲雀の言った事は真実だった。
もっとも、その時、彼は恐ろしい形相でトンファーを構えていたが……。
そして天野は「すいません、二度としません!」と泣き叫びながら逃げ帰った――だけなのだ。


「そんな事より美恵、最近、僕に何か隠し事してない?」
「隠し事?何の事よ」
「様子が変だ」
「何も無いわよ。ただ、あなたとは喧嘩の最中だから……ただ、それだけよ」
「……何それ?僕が悪いっていうの?」
「じゃあ私が悪いって言うの?授業が始まるから行くわ」
美恵は雲雀を残して、さっさと教室に戻ってしまった。














(何よ、恭弥の馬鹿。怒りたいのは私の方よ)

幼い頃から付き合っているのだ。喧嘩したことも一度や二度ではない。
その原因はいつも同じ。雲雀が理不尽な事で一方的に怒り出すのだ。
そして結果も同じ。美恵の方が折れて和解を申し出て仲直り。
おそらく雲雀はそれを待っているのだろう。しかし今回は美恵もかなり怒っている。

(子供の時のパターンが今でも通じると思ったら大間違いよ)

美恵がいつまで待っても謝罪しに来ないので雲雀は苛立っている。
わかっているが今回だけは折れるわけにはいかない。
雲雀もそろそろ自分の非を認めるべきだと美恵は考えていた。
しかし雲雀は強情で頑として折れない。

(……本当に私が他の人のパートナーになってもいいのかしら?)

骸の顔が思わず浮んだ。




『賭けてもいいですよ。雲雀恭弥は決してあんな大衆じみた行事に参加したりしない。
彼のことは諦めて、ここは僕と一緒に青春を謳歌してみませんか?』
『何を言ってるのよ。第一、あなた恭弥と大喧嘩した事あるんでしょう?
並盛中学校に姿を現してごらんなさいよ。あの恭弥の事だから弁解する暇も与えずトンファーで襲ってくるわよ』
『おや、僕の事を心配してくれるんですね。これは恋の芽生えだと思っていいんでしょうか?』
『並盛中学校を破壊されたくないだけよ』
『それは残念。でも彼との戦闘の心配はないでしょう。彼は人ごみは嫌いなんでしょう?
雲雀恭弥が大嫌いなパーティーなんかに出向くわけないと言ったのはあなたじゃないですか』
『それはそうだけど』
『だから僕と踊っても支障はありませんね』
『一つ断っておくけど私は――』
『「あなたに同情される程、パートナーに不足していない」なんて見えすいた嘘だけは言わないで下さい。
あなたは、あの雲雀恭弥の幼馴染。あなたにパートナーを申し込むような命知らずなど並盛町には存在しないでしょう?』
『……ぅ』
『図星ですね』




(あの勝ち誇った笑顔……本当に憎たらしい奴!)

そう思いながらも美恵は不思議と骸の事が気になって仕方なかった。
雲雀以外の男と本音で会話したことなんて今までなかった。誰もが雲雀を恐れて美恵に近づく事すらなかった。
それに時折骸が垣間見せる陰が気になった。
あんな美貌を持ち自信満々で、きっと色んな才能にも恵まれているだろう幸せそうに見えない。

(どうしてだろう?)

雲雀との喧嘩で頭がいっぱいのはずなのに、どうしても骸が時々見せる悲しそうな顔が頭から離れなかった――。














(恭弥と下校しなくなってからどのくらいたつかしら?)

いつも委員や部活で忙しい美恵。
雲雀はそんな美恵の登下校にはいつも付き添ってくれた。特に下校時は片時も離れたことは無い。
日が暮れた街を女の子が1人で歩くのは危険だと必要以上に心配してくれてナイトの役を見事に演じてくれていたのだ。
しかし、ここ数日は喧嘩のせいで1人っきりの帰り道となっていた。
だからといって美恵の身に危険が迫る事は無い。
何と言っても雲雀の幼馴染、そんな女を襲おうなんて愚か者は並盛に存在しない――はずだった。


「……何よ。あなた達」


人気の無い道に出た途端、サングラスに黒服をまとった怪しい連中が飛び出し美恵を取り囲んだのだ。
見かけない顔、未成年ではない、それもかなり凶悪で一目でその筋の人だとわかる連中だ。
美恵は本能的にやばいと思った。相手は学生やチンピラではない。

「雲雀恭弥の女だな」

その質問にイエスとは答えかねるが、だからといってノーといって見逃してもらえそうな雰囲気でもない。
「ボンゴレ10代目の守護者といえど一枚岩ではない。
特に雲雀恭弥は協調性がなく、全く組織に従わないというではないか」
「……は?何よ、それ」
「人質を取れば雲雀は簡単に10代目を裏切るだろう!」
反論の隙も与えず連中は一斉に襲い掛かってきた。


「危ない!」
だが連中の攻撃は美恵に届かなかった。驚いている美恵の前に飛び出してきたのはクロームだった。
「クロームちゃん、どうしてここに?!」
「……お礼ちゃんと言おうと思って」
「でも、あなた病み上がりなのに!」
「……下がってて」
クロームは健気にも戦闘体勢をとった。しかし、その顔色はまだ冴えない。














「ええ!ボンゴレと敵対してるマフィアが並盛に来てるだってー!?」

ツナは腰を抜かすほど驚愕し、その隣で獄寺が「ご安心を十代目。俺がぶっ殺してやりますよ」と笑顔で言っている。
「だ、だからマフィアなんか嫌だったんだ!」
「落ち着けツナ。おまえら自身が襲われることはないぜ」
リボーンは淡々と言ったが、もちろんそんな台詞でツナは納得できない。
「情報によると相手は卑劣なファミリーだ。おまえら自身に喧嘩売るなんて上等なマネするわけがねえ。
やるとしたらおまえらの家族や友人だな。非力な人間にばかり手を出す邪道なんだ」
「やっぱり最悪じゃないかー!は、早く帰ろう、母さん達が心配だ!」
「大丈夫っすよ十代目。家には姉貴やイーピンがいるじゃないですか」
「あ、それもそうだね。じゃあ京子ちゃんやハル、それに山本のお父さんを守らないと!」
「その事だけどなツナ。どうやら連中の標的は雲雀らしい」
「ひ、雲雀さん?な、なんて可哀相な連中だ……雲雀さんを襲うなんて」
ツナはトンファーにぶちのめされ屍と化す哀れな集団を想像し背筋に冷たいものが走った。


「雲雀の奴は今だにボンゴレの守護者の自覚がないからな。
あいつから崩すのがボンゴレ壊滅の第一歩になると思ってるんだろう」
「でしょうね。あいつは十代目に対する忠誠心ってものがまるでないんですから」

(……そりゃそうだよ。ある日突然、赤の他人からマフィアになれって言われて承知する奴いないじゃん)

「しかし厄介な事になったな。連中、間違いなく雲雀の身内を襲うぞ」
「え、雲雀さんの身内……って、いたっけ?」

雲雀とはつかず離れずの関係だが、そういえば雲雀の素性は何も知らない。
家族なんているのだろうか?


「いるだろう。雲雀の人質になるような生徒が」


ツナはハッとした。思い当たる女生徒が確かに並盛中には存在する。
天瀬先輩?!ちょっと待ってよ、あの人はマフィアとは無関係な善良な一般市民だろ!」
「ヤクザ者にそんな理屈通用しねえぞ」
「そ、そんな!あ、あの人に手を出したら雲雀さんが大激怒――」
その時だ。何者かが背後からツナの肩をグッとつかんだ。
恐ろしいくらいの殺気!ツナは顔面蒼白になり震えながら頭だけを背後にゆっくりと向けた。


「今の話、詳しく聞かせてよ」
「ひいいいいい!!ひ、雲雀さああんー!!」














クロームは強かった。あっという間に屈強そうな数人の男を地面に這いつくばらせたのだ。
か弱い女の子を拉致するだけだったつもりの連中は驚き、一斉に飛び道具を懐から出した。
これはやばい、いくら何でも銃と生身の人間とでは話にならないではないか。
おまけにクロームの様子がおかしい。呼吸がかなり上ってきている。
やはり、まだまともに動ける体ではなかったのだろう。
ついにクロームはふらっと大きく体を傾けた。
美恵は慌ててクロームを抱き支えると、連中に向かって怒鳴りつけた。


「やめて!」
クロームの体が熱い。無理をしたせいで熱を出したのだろう。
「目的は私でしょう!この子に手を出さないで!!」
クロームだけは巻き込んではいけない。そう決意した美恵を嘲笑うように、黒服の男がとんでもない事を言った。

「この女は霧の守護者だ!この女も一緒に拉致だ、拉致!!」
「な、何ですって?!」

このままではクロームまでさらわれてしまう。美恵は鞄の中からカッターナイフを取り出した。
こんな文房具で戦えるはず無いが、武器になるものと言ったらこれしかない。
男達は「そんな玩具で何ができる?」と笑い出した。
悔しいが確かにその通り。しかしクロームだけは守らなくてはいけない。
美恵はカッターの刃を自らの首にぴたっと当てた。その行動に黒服たちは一斉にぎょっとなった。


「……私が必要なんでしょう?だったらこの子は見逃して」
「ば、馬鹿か、おまえ……はったりだ。そんなマネできるわけがねえ」

「試してみる?どうせ、おめおめと攫われたら最後生きて返してもらえる保証なんてないのよ。
だったら、今ここで死んだ方がずっとマシかもしれないでしょ」


黒服たちは困惑しだした。本当に死なれたら人質として利用できない。
それどころか雲雀恭弥を完全に怒らせる。
雲雀はお人好し揃いの守護者の中で、骸を除けば唯一冷酷非情な男といってもいい。
必ずおぞましいくらいの復讐の鬼と化する事だろう。
だからといって、こんな少女の言いなりになるわけにもいかない。
「へ、へへ……そんな脅しに俺達がのるとでも思っているのか?」
黒服が作り笑いをしながら近付いた。美恵はカッターを持つ手にグッと力を入れた。




「くふふふ、そんな連中のためにあなたが命を捨てる事は無い」




「……え?」

クロームの様子が変だ。黒服たちもその変化に気づき慌て出す。

「まさか己の身を盾にするとは、本当に気の強いひとだ。ますます気に入りましたよ」
「ろ、六道……骸!?」


クロームが骸に変身。それを目の当たりにした美恵は愕然とした。
「さあ、下がっていなさい」
「ど、どういう事なのよ。クロームちゃんはどこに行ったのよ?!」
「話は後で。そうですね、口説かせてもらいますから、その時に」
「……な!」
骸は黒服の男達を睨みつけた。その迫力に男達は思わず後ずさりする。


「マフィア風情が。僕の大切な者に手を出すとどうなるか、たっぷりと教えてあげますよ」




BACK TOP NEXT