「さて、どうしよう?」

水島はさも愉快そうに微笑んでいた。
「克巳、この女殺すのか?そうなったら竜也は季秋に復讐される事は間違いねえ。
俺は抜けたとはいえ途中まで参加してたんだ。あいつらの口から俺のことがばれるのは……」
多田野は怯えていた。それもそうだろう、季秋家の力は半端ではないのだ。
彼らの権力を舐めてかかった一部の政府の阿呆どもは派手に報復され、この世で後悔できない者もいる。
「ふっ、おまえは、ただ俺の命令にきいていればいいんだ」
水島は懐からCDを数枚取り出し多田野に渡した。


「これは?」
「国防省の丸秘データだ。これを至急季秋家に届けろ、差出人は後で名前を明かすと言え」
「あ、ああ、わかった」
多田野はすぐに命令に従い、その場から離れた。




鎮魂歌―91―




「……季秋茉冬、見合いの席以来だね。久しぶりといっても君の耳には聞えないだろう」
視力と聴力を封じられている今、彼女は無音の暗闇の中にいる状態。
「だからこそ都合がいい。何をしてもばれないからねえ」
水島は茉冬に近付くと、その華奢な体を押し倒した。
茉冬は本能的に危険を感じ悲鳴を上げたが、勿論そんなことで水島の手は止まらない。
胸元を開かれ、茉冬はさらに泣き叫び必死に抵抗するも縛られた身では何の意味もない。


「いや、離して!お願いだから、やめて……!」


茉冬の悲痛な叫びは当然のように外にまで聞こえた。
海老原の部下たちは青ざめている。


「お、おい、こんな事が海老原大尉に知れたら……!」
「だ、だからって水島大尉を止めろっていうのかよ。で、できるわけねえだろ!!」
海老原も恐ろしいが、水島に逆らう事も下っ端軍人には不可能。
「お、俺達は何も見てないことにしよう。それしかない」
「で、でも手を出したかどうかなんて見ればわかっちまうじゃないか」
「だから海老原大尉にばれないように身なりは整えてだな……ん?」


上空の彼方から光が近付いてくる。そして轟音と共に彼らの頭上を飛び越えていった。
「戦闘輸送機?」
「この辺りって戦闘機の通り道だっけ?」
月明かりの下、ほんの一瞬ではどこに所属しているものかすらわからなかった。


「何の音だ!」


坑内からお楽しみの最中だった水島が飛び出してきた。
「あ、あの……さっき上空を戦闘機が飛んで行ったんです」
「山の向こうに……もう影も形も見えませんけど」
水島はじっと、その方角を見詰めた。
「……着陸した」
水島の第六感が告げていた。あれは軍のものではないと。
この近くに軍事施設もなければ、軍所属戦闘機の飛行ルートもない。あれは政府所有の機ではない。
間違いなく地方自治軍、つまり季秋の息がかかった戦闘機だろう。
それが着陸した。おそらくは茉冬を救助するために編成された特殊部隊だろう。




(早い、早すぎる!どうやって、あの女の居場所をかぎつけた!?)




今まで手も足も出せずに、ただ海老原のいいなりになっていた季秋がついに牙を向いた。

(あの女をめちゃくちゃにして竜也の計画を台無しにしてやろうと思ったが、そんな余裕はなくなった)

茉冬を残酷な目にあわせれば季秋は怒り狂って報復にでるだろう。
自動的に海老原達は滅びる。そして連座により陸軍もダメージを負うはずだった。

(……保険をかけておいて良かったね)

水島は自分を差し置いて勝手な行動をとった海老原達に罰を与えるのはもうやめた。
とっさに判断を切り替えた水島の行動は素早く、そして冷酷だった。


「……え……た、大尉?」


ぶしゅーと血しぶきがあがった。海老原の部下の一人が首から派手に流血していた。
自分に何が起きたのか理解できぬまま、彼はその場に倒れ、びくっと大きく数回痙攣して動かなくなった。
「ひっ、大尉何を!?」
水島の突然の凶行に彼らは顔色を失った。
ただ、恐怖で誰もが水島に背を向け逃走を試みた。しかし走り出す前に、すでに攻撃を受けた。
そして、噴水のように血を流し、その場に倒れた。
「ぎゃぁあ!!」
残った二人は全力疾走。水島は野球ボール大の石を手にすると、逃亡者の後頭部目掛けて剛速球。
悲鳴をあげる間もなく、彼は頭の骨を砕かれ死亡した。


残った一人の背中目掛けて水島は飛んでいた。そして強烈な飛び蹴り。
その勢いで、茉冬が監禁されている坑内まで飛ばされ岩壁に激突し、そのまま動かなくなった。
ほんの数秒で海老原の部下は全員冷たくなったのだ。
水島は、それらの屍には全く目もくれず、発光弾を取り出すと上空に向けて発砲した。
まるで打ち上げ花火のように、シュルシュルと赤い光がのび空を赤く染めた。
それが数十秒続くと、さらにもう一発撃った。再び赤い光が真夜中の空を染め上げた。














(この誘拐は僕にとっては千載一遇のチャンスだ。誰かは知らないけど感謝しないとね)
薫は凶悪な誘拐犯たちに捕らえれ震えているであろう茉冬のことを心配するどころかうきうきしていた。
一度逃した魚を再び網にとらえられるのだ。
しかも、その魚は金銀宝石から出来ている鱗で覆われている高級魚ときている。
「神様ってやっぱりいるものだ。美鈴にも新しいマンションでも買ってあげようかな?」
すでに買い物リストを頭の中に広げていた薫だったが、彼の楽しい夢はそこで終わった。
ノックもせずに突然入室した無礼者が上から目線で薫劇場に一方的に幕を下ろしたからだ。


「ご苦労だったな。貴様の役目は終わった、さっさと出て行ってもらおうか」
「……君は、確か茉冬の弟の冬也君。どういうことだい?僕は君のお姉さんを助けるために――」
「貴様にはもう用は無いと言ったんだ。さあ出て行け、二度も言わせるな」
薫は最初、何の冗談かと思った。
秋澄が自分を嫌っているのはわかっていたが、今は自分の助けが必要なはず。
「言ってる意味がわからないよ。僕が持参したデータがなければ――」


「三度も言わせるな。今すぐ出て行け」


冬也の態度はあまりにも高圧的だった。
もし、もう一度反論したら、今度は実力行使に出ないほどの威圧感さえ感じる。
薫は黙って立ち上がった。これ以上は時間の無駄だ。

(どういう事なんだ。もしかして茉冬を取り戻したのか?)

その可能性も否定できないが、屋敷を取り巻いている殺伐とした雰囲気から察するとそういうわけではなさそうだ。
「何か進展でもあったのかい?」
「赤の他人の貴様には一切関係ない」
冬也は『赤の他人』という言葉を殊更強調して言った。
「これは謝礼だ。このはした金を持って、さっさと消えろ」
分厚い封筒が差し出された。厚みから見て、おそらく200万といったところか。
大金には違いないが、茉冬と婚姻関係を結べば手に入る財産と比較したら大した金額ではない。


(季秋一族の一員になるどころか……僕は義兄さんを怒らせただけじゃないか)
おそらく今後、季秋は自分を今まで以上に敵視することだろう。
薫は悔しそうに俯くと封筒を受け取り重い足取りで歩き出した。
「ふん、バカな男だ。調子に乗りやがって」
冬也は薫の背中を蔑んだ目で睨みつけながら、先ほど届けられたCDを取り出した。
多田野によって届けられた丸秘データ。そして薫の切り札でもあったデータと全く同じものだった。














「さて、何分で来るかな?」
それまでに季秋を納得させる状況を完璧に作っておかなくてはならない。
水島は坑内に戻ると、すぐに茉冬の目隠しを取り除いた。
そしてロープを解きながら、「大丈夫ですか?」と尋ねた。
茉冬は諤々と震えており、気が動転したのか水島から逃げようと暴れ出した。
「落ち着いて、俺は敵じゃない。あなたを襲っていた男は俺が倒しました!」
茉冬は、まだ怯えていたが、今度は大人しくなって水島を見上げた。


「……水島さん?」
茉冬は水島のことを覚えていた。
「危ないところだった。さあ」
水島は上着を脱ぐと茉冬にかけてやった。
暗闇の中で正体不明の相手に襲われかけていただけに茉冬は両手で顔を覆いわっと泣き出した。
まさか、その相手が自分の拘束を解いてくれた水島とは思わず助かったと安堵したのだろう。
「さあ、もう大丈夫。俺がついているから」
それは、実に白々しい光景だったが、同時に水島の演技は完璧だった。


「立てますか?」
「は、はい」
水島に支えられ茉冬は立ち上がった。その時、初めて死体が彼女の視界に入った。
他殺死体など見た事がなかった茉冬は思わずよろけた。
同時に血の臭いが充満していたことにようやく気づいた。
ショックでふらつく茉冬を水島はわざとらしく抱きしめた。
「見ないほうがいい」
茉冬は肩をふるわせている。水島の思惑通り、自分を襲った男は、この屍だと思い込んでいるようだ。
水島のもう一つのシナリオは予定通りとなった。














雨宮、俺達どうなるんだろう?」
七原が不安げに尋ねてきた。
夏生が姿を消し、まだほんの10分程度だというのだが、まるで数時間たったような気さえする。
「俺だってわかんねえけど、とって喰われるわけでもないし少しは落ち着こうぜ七原」
良樹は陽気に答えたが、それは七原の為を思っての方便だった。
心の中は不安でいっぱいだ。相手は季秋大財閥ですら敵に回そうという連中。
良樹達を捕らえるために婦女子をかどわかして脅迫するような残忍で冷酷非情な人間なのだ。


「……ね、ねえ、今のうちに逃げた方がいいんじゃないかな?」
滝口が珍しく意見を述べた。
「俺達、夏生さんに見捨てられたんだ。もう助けてもらえる保障だってないよ。
だったら逃げなきゃ、今だったら逃げられるよ。誘拐犯に捕まったら、もう逃げられないよ」
一理あった。確かに逃げるなら今がチャンス。
「何を言っているの滝口君、そんなことしたら夏生さんのお姉さんが殺されるかもしれないのよ!」
しかし即座に美恵が反対した。
「私達が今まで夏生さんにどれだけ助けてもらったか忘れたの?恩を仇で返すつもり?」
「……あ。そ、そうだね」
滝口は恐怖のあまり人質の存在を忘れていたようだ。


「でも、本当に宗方さんのお姉さんを解放するかどうかわからないぜ」
そう言ったのは三村だった。
「その証拠に俺達と引換えにって言っておきながら、お姉さんを連れて来なかったじゃないか。
もっとも、だからといって俺達が勝手な行動はできないな。その時は、本当に人質殺されるぜ。
そうなったら、俺達は今度は季秋家からも恨まれる。これ以上敵増やしたくないぜ。
今は様子を見るしかできないが、いざとなったら逃げることを視野に入れて――」
三村は会話を一方的に中断させた。少し距離はあるが、がさっと落葉を踏む音が聞えたからだ。




「おまえ達!」
そのドスのきいた声に美恵はビクッと反応した。桐山が良樹を守るように前方に回り込む。
覆面にライフル、どこかの怪しいテロリストの様な風体の男が二人、暗闇の中から現れた。
「さあ付いて来い。最初に言っておくが妙な行動を少しでもとったら、容赦なくライフルが火を噴くぜ」
それは脅迫どころか殺害宣告も同然だった。
「桐山、逆らうなよ……頼むから」
川田は桐山に念を押した。


「…………」
「桐山!」


「桐山君、川田君の言う通りに……お願い」
鈴原が言うのならそうしよう」


川田はほっとした。
いくら桐山でもライフルを持った相手に無茶な事をしようものなら蜂の巣になって終わりだ。
美恵が一緒でよかった。不思議と桐山は彼女の言葉にだけは耳を貸す。
「ぐずぐずするな。こっちに来い」
美恵達は静かに歩き出した。














光の群れが見える。それが徐々に大きくなるに連れて足音や声も聞こえだした。
「いたぞ、こっちだ!」
聞き覚えのある声に茉冬は大声で呼びかけた。
「若月君、ここよ!」
「茉冬さん、無事だったんすね。良かった!」
若月は走る速度を速めたが、茉冬の隣にいた水島の存在に気づき思わず身構えた。


「……誰だ、おまえ?」
「この方は私を助けてくださったのよ」
「こいつがですか?」
若月はじろっと水島を睨みつけた。
しかし発光弾で居場所を知らせるなんて囚われの身だった茉冬にできるはずがないことも理解していた。
「若月さん、死体がいくつも転がってますよ」
「こっちにもあります!」
兵士達が次々に声を上げた。


「俺がやったんだ。仕方なかった、凶暴な連中でね。突然襲ってきたんだ」
「……ふーん。で、こんな危険な場所に偶然居合わせた、あんたは何だよ。怪しいじゃないか」
「その件についてはゆっくりと説明させて頂くよ」
若月はとりあえず水島から茉冬を離した。
「いいだろう。ついて来いよ、あんたの口から、うちの若様達に直接話してもらうぜ」
水島は殊勝な表情だったが、その口の端は僅かにあがっていた。


(昭二にCDを届けさせておいてよかった。やはり保険はかけておくものだ。
後は俺の話術と演技力をもってすれば、全てが上手く運ぶ)


――そして竜也、俺に黙って、こんな大それたことしてくれた礼はさせてもらうよ。
――せいぜい、残された時間を思う存分味わえばいいさ。














「落ち着け兄貴」
部屋の中をうろうろと行ったり来たりを繰り返す秋澄。対して夏樹はソファにふかぶかと座っている。
デスクの上に設置されているいくつもの無線機。その一つから秋澄が待ち望んだ報告を告げた。


『若月です。ただいま茉冬さんを無事救助しました!』


秋澄は無線機に飛びついた。

「本当か!茉冬は無事か?怪我なんてしてないだろうな!?」
『大丈夫です。すぐに帰館します』

秋澄はその場にへたっと座り込んだ。


「……茉冬が見つかった」


夏樹は立ち上がると秋澄のそばに近付き、ぽんと肩に手を置いた。

「良かったな兄貴」
「おまえのおかげで夏樹、おまえの采配のおかげで茉冬は助かった」

秋澄は今にも泣きそうだった。だが夏樹には、まだこれは終わりではない。
夏樹は無線機を手に取ると夏生に連絡をとった。


「茉冬を取り戻した。すぐに貴子達を奪い返せ」




『秋澄さん、俺らが到着した時、すでに茉冬さんは助けだされていたんですよ』


すっかり気の抜けていた秋澄はきょとんとした。しかし対照的に夏樹は視線を鋭くさせた。


『茉冬さんがやばいところを助けて誘拐犯達をぶっ殺した男がいるんすけどね。
何があったのか直に説明したいって言ってるんですよ。どうします?』
「茉冬を助けてくれただって?だったらすぐに連れて来なさい、お礼を言わなければ」
『じゃ、そうします』


(誘拐犯を殺した男だと……何者だ、そいつ?)


大喜びの秋澄とは裏腹に夏樹は嫌な予感を感じられずにはいられなかった。














茉冬の姿を確認した途端に秋澄は猛ダッシュしていた。
「茉冬、かわいそうに怖かっただろう!もう二度と兄さんのそばから離さないからな!」
「大丈夫っすよ秋澄さん。疲れているだけで怪我もしてませんから」
若月の言葉も今の秋澄には全く聞えない。
「兄様、痛いわ」
「あ、ああ」
そこで、ようやく秋澄は茉冬から手を離したが、同時にぎょっとなった。
上着を羽織っていたので気づかなかったが、その下の衣服が引き裂かれ随分と乱れていたからだ。


「ま、茉冬……ま、まさか……まさか!」
秋澄は最悪の事態を想像し眩暈を起こしかけた。
「兄様、大丈夫です。危ないところを、この方が助けてくださって……」
秋澄は、その時初めて水島の存在に気づいた。
「き、君は水島家の克巳君じゃないか!」
「お久しぶりですね、おにいさん」
「君が……茉冬を助けてくれたというのは君だったのか!?」
水島は爆笑したい気持ちを抑え笑顔で答えた。


「助けただなんて。ひととして当然のことをしたまでです。
よってたかって女性をなぶりものにしようなんて連中は許せないタチなもので」
秋澄の背後に立っていた夏樹は胡散臭そうな目で水島を見ていた。
だが秋澄は違う。彼の目には水島は妹の危機を救った正義のヒーローにしか見えていない。
「あ、ありがとう克己君!妹が無事だったのは君のおかげで、お礼ならいくらでもするよ!!」
秋澄は水島の手を取って涙ながらに頭を下げた。
「やめて下さい、さっきも言った通り僕は当たり前の事をしたまでで御礼なんてもらうつもりはありませんよ」
「君ってひとは……何て欲がないんだ」


(……謝礼金はいらない。ふん、つまり、貸しを一つつけておくってことかよ)


秋澄は謝礼を辞退した水島を賞賛の眼差しで見詰めたが、夏樹は全く逆のことを考えていた。
(金でチャラにするよりも、大きな恩を作って今後末永く季秋家とお付き合いしようって腹か?
みえみえすぎて、こっちが笑いたくなるぜ。もっともお人好しの兄貴には効果覿面だろうけどなあ)
夏樹の予想通り、秋澄は完全に水島の術中にはまっていた。
薫から理不尽な要求をされた後だっただけに、水島の無償の行為が余計崇高なものに見えたのだ。




「ありがとう克己君、君は茉冬の……いや季秋家の大恩人だ!!」


秋澄は水島の手を取ったまま、その場に跪いた。


「季秋は決して恩人を忘れない。必ず、この恩に報いることを誓おう。
君に何か困ったことがあったら、その時は季秋の全総力を挙げて君を助ける。
忘れないで欲しい。君には常に季秋家がついているということを」


水島はニッコリ微笑み、「ありがとうございます」と秋澄の手を握り返した。


――これで、後ろ楯がまた増えた。もう、俺に怖いものはない。














「……なあ竜也、定期連絡が遅くないか?」
茉冬を見張らせている連中から30分ごとに連絡が入る手はずになっていた。
ところが指定時間を10分も過ぎているのに、まだ連絡が入らない。
慎重な佐々木は何かあったのではと焦っていた。
「てめえは小心すぎるんだよ敦。たかが数分連絡遅れたくらいで何だ。
もうすぐ、あのお尋ね者どもが手に入るんだ。全て順調じゃねえか」
すでに人質を失ったことを知らない海老原はアルコールすら摂取していた。
「……とにかく全てが終わるまで安心できねえよ」
「それよりも俺を裏切った昭二をここに連れて来やがれ!ぶっ殺してやる!」


「おい敦、こっちに来いよ」
窓際で外の様子を伺っていた武藤に呼ばれ佐々木は促されるようにカーテンの隙間から夜空を見上げた。
「……何だ、あれは」
点滅している光が見えた。すぐに飛行機だとわかったが、問題はそれが徐々に下降していることだ。
「あ、あれは……!」
佐々木は赤外線双眼鏡を手に、もう一度空を見上げた。


「あ、あれは国防省の所有機じゃねえか!!何で、こんな所に国防省が!!」
「何だと!?」


海老原が酒瓶を壁に叩きつけ駆け寄ってきた。
そして佐々木から双眼鏡を奪い取ると自らも確認した。
確かに国防省の所有機だ。機体に国防省のマークがついている。
「……ど、どういう事だ、これは!!」
佐々木は慌てて無線機に飛びついた。
「おい、季秋の娘は……おい、応答しろ。おい!」
「どうした!?」
「……応答してこない」
「何だとお!じゃあ人質はどうしたあ!?」














「さあ克巳君、どうぞ特別貴賓室へ」
秋澄は完全に水島を信用しきっていた。
「君は茉冬の恩人だ。俺は間違っていた、人を見る目がなかったよ。
以前君の人間性を疑い縁談を断るなんて失礼なことを……」
「いえ、あの頃は若気の至りで過ちを犯していた俺がいけなかったんですよ」
秋澄は、水島と茉冬を婚約させておけばよかったと後悔の念すら抱き始めていた。


「おい水島、人のいい秋澄兄貴と違って捻くれ者の俺は、そう簡単には納得しちゃあいないぜ」


「茉冬を助けたのはおまえって事になっているが証拠はあるのか?
きけば茉冬は目隠しに耳栓までされていたって話じゃないか。
案外、おまえが主犯で子分を口封じに殺したなんてオチじゃないだろうなあ?」

水島は心の中で舌打ちした。どうやら夏樹は簡単に騙せそうもないことを悟ったらしい。


「夏樹、おまえは克己君になんて失礼なことを。彼がいなかったら今頃茉冬は傷物にされていたんだぞ」
「ああ、そうだったなあ。こんな時間にあんな場所で偶然居合わせるなんて天文学的な確率だな。
そろそろ説明してもらおうじゃないか水島さんよ。貴様が偶然茉冬を助けることになった事の次第をな」
「勿論、そのつもりだよ」
水島は自信たっぷりだった。
(俺は実際誘拐犯じゃない。この件に限って言えば俺が季秋の娘を助けたことにはかわりないんだ)




「最初に俺がこの事件を知ったきっかけは、弟さんの陸軍殴り込みでした」

水島は理路整然と全てを話した。
冬樹の行動から季秋家に誘拐事件が起きたことを知った事。
薫が丸秘データを持ち出したことを知った事。
薫がしたことは違法行為だが事を荒立てたくなかったので内密に調査した事。
そして薫の行為が季秋家からの依頼だと知った事。


「立花君の違法行為を上に報告する義務が俺にはありました。
でも、人命がかかわっている重大事件とあっては俺が黙ってさえいればと思ったんです。
俺がおにいさんの立場だったら、やはり彼に頼んで機密情報を持ち出していたでしょう」
「もしかして、立花君と同じ機密情報を季秋家に匿名で提供してくれたのは……」
「ええ、俺なんです。本当はいけないことですが、人命には代えられませんから」
秋澄はますます感激したようだった。


「聞いただろう夏樹!克己君は、やはり我々の味方だった!
自らの職責も省みず、こっそり助けてくれようとしたんだ。
これ以上は彼を問い詰める理由は無い。克己君を悪し様にいう事は許さないぞ!」
「ああ、わかったわかった」
夏樹は面倒くさそうに答えた。
(ふん、確かに誘拐犯ではないようだが、人命のために無償で助けただなんて絶対嘘だろ。
これ幸いと季秋に借り作るために動いただけだ。そうに決まっている)


「もう一つよろしいですか、おにいさん。犯人について心当たりがあるんですが」


秋澄の形相が鬼のように変化した。茉冬を奪い返したとはいえ、この恨みを忘れたわけではない。
「君がしっている人間なのか克己君?」
「はい、おそらく間違いはないでしょう。非常に残念です、彼とは良好とはいえない仲でしたが戦友でしたので」
「そういうえば夏樹、おまえも犯人に見当がついていると言っていたな?」
「ああ、十中八九間違いない」
「誰なんだ、茉冬をかどわかした憎い人間は!?」




「「陸軍特選兵士・海老原竜也」」




夏樹と水島は、ほぼ同時に犯人の名前を挙げた。
「……と、特選兵士……なぜ、エリート士官が、こんなマネを」
「それは、おにいさんもわかっているはずです」
水島は残念そうに溜息をついた。


「……おにいさん、竜也のしたことは許されることではありません。あいつは罰を受けるべきです。
しかし、指名手配中の人間を匿ったとあっては、これが公になったら季秋家のためにもなりませんよ」


秋澄は思わず立ち上がっていた。夏樹が美恵達を匿っていたことがばれている。
「……か、克己君、弟達は、そ、その!」
「ご安心を、おにいさん。この事は、俺の胸一つに収めましょう」
秋澄はホッと胸を撫で下ろしたが、今度は夏樹が張り詰めた表情で立ち上がっていた。


「その代わり、彼らは俺に引き渡してもらいましょう。
何、大丈夫。弟さん達が法を犯したことには目をつぶりますよ。
俺が黙っていれば済む事です。彼らは、あくまで俺が独自の調査で発見したことにしておきましょう」
「そうしてくれるのか、何から何まで……克己君、本当にありがとう」


夏樹は敵意に満ちた目で真っ直ぐ水島を睨みつけた。
水島はにっこりと微笑で返した。


(……第一ラウンドは俺の負けか)


ここはいったん引き下がるしかなかった。




「夏樹、克己君の御好意でおまえの違法行為は見逃してもらえるんだぞ。
これにこりて、二度とあんな連中にかかわるんじゃない。さあ、克己君にお礼を言いなさい」
「…………」
「どうした?克己君は茉冬を救ってくれた上に、おまえを助けてくれると言っているんだ」
「……そうだな」
夏樹は水島に手を差し伸べた。水島は笑顔で握手に答えた。
握った手に込められた力に水島は僅かに顔を歪ませる。


「この礼は必ずさせてもらう」
「それはどうも。楽しみにしているよ」




【B組:残り45人】




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