「本当にムカつく野郎だぜ、思い出しただけでも――」
「輪也、うるさい」
「あ、悪い兄貴」

なぜ自分が名指しで誘拐犯呼ばわりされたのか晶には見当がついていた。
以前、自分は良恵に夜這いをかけようとした冬樹の邪魔をしたことがある。
あれで冬樹の脳内で自分は最悪の人間とインプットされたのだろう。
(呆れるくらい馬鹿だが、妙に勘のいいところがあるから案外あいつの推理も半分くらい当たっていたりしてな)
実際、陸軍の特選兵士が犯人なのだが、晶にはまあ関係のないことだった。
それよりも晶には他の重要な事があった。
「周藤さん、反応がありました!」
部下が部屋に飛び込んできた。晶はほぼ同時に立ち上がる。
「どこだ!?」
「はい、詳細はこの地図に!」
差し出されたメモ用紙を奪うように取ると晶は「思ったより近いな。全員出撃、一秒も遅れるな!」と指令を出した。


「K-11め、俺は一度目をつけた獲物は決して逃しはしないぞ」




鎮魂歌―90―




「竜也、引渡し場所と人質の交換の方法についてだけど」
佐々木は入念に考えた作戦を海老原に説明した。
海老原は黙って聞いているだけで何の反応もない。季秋家を相手にしているのに呑気なものだった。
「おい竜也わかってるのか?連中を手に入れたら、さっさと……」


「誰が、あの女を引き渡してやると言った?」


佐々木の表情が固まった。
「何だ、その面は?」
「……竜也。ま、まさか、おまえ」
「返すわけねえだろ。あの女は利用できる、第一返したら季秋が一気に攻めてくるだろうが。
あの女が手中にあれば季秋は何もできねえ。これからも絞れるだけ絞りとってやるぜ」
「……ば」
佐々木はぞっとした。季秋をこれ以上怒らせるの自殺行為だ


「馬鹿言ってんじゃねえよ竜也!相手は、ただの財閥なんかじゃないんだ!!
東海自治省の覇者だぞ!軍隊だってもってるんだぞ!!」
「それがどうした?この女さえ入れば鎖に繋がれた飼い犬だろうが」


「…………」
佐々木は言葉を失った。狂犬は鎖など引きちぎるということを海老原は理解してない。
思えば、後先考えない性格だからこそ、かつて天瀬良恵を拉致監禁してⅩシリーズを怒らせたのだ。


(……や、やばい。こいつイカれてる)


もはや我慢の限界寸前だった。佐々木は海老原と違い、季秋を敵に回すことは内心恐ろしくてたまらなかった。
「あの女は俺達の隠れ家に身柄を移しておこうか」
「……人質交換に女を連れて行かなかったら」
「ふん、女を殺すといえば、あの根性なしはきっと俺達の命令に従うぜ」
確かに秋澄は妹可愛さに完全に此方の言いなりになってはいる。だが大人しく黙ったままでいるとは思えない。
特に佐々木が恐れているのは温厚な人柄と評判の秋澄ではなく、過激で大胆だといわれる弟・夏樹の存在だった。


(アメリカから帰国したっていう話じゃないか。あいつが出てきたらどうするんだよ?)


海老原一味は、リーダーである海老原の思慮の無さのせいでいつ空中分解してもおかしくない状態だった。
元々、今までは水島というブレーンがいたからこそもっていたのだ。




(……あーあ、やっり竜也とはさっさと縁切った方がよさそうだ)
海老原と佐々木のやり取りを見ていた多田野は、こっそりとその場を離れた。
(もう、あいつにはついていけねえ。克巳のいった通りだぜ。
このまま、あいつの共犯にされて一緒に地獄まで超特急なんて目に合ってたまるかよ。
俺はもうやーめた。やめだ、やめ!あいつら陸軍の連中だけで楽しくやってりゃいい)
多田野は空軍の人間ゆえに、佐々木達と違い海老原との繋がりは元々薄い。
いざというときには、何のしがらみもなくさっさとお別れできる。
それが今までできなかったのは、海老原が乱暴な性格ゆえに恐れていたからだ。
しかし、今の多田野には海老原を恐れる理由がない。
ほんの数分前にかかってきた一本の電話が多田野の事情を完全に変えていた。


「昭二、おまえどこに行く気だ!」
こっそりと、その場を離れるはずだった多田野だったが、佐々木には気づかれていたらしい。
「竜也にばれたらどやされるぞ。さあ、アジトに戻れ」
今はまだ多田野の裏切りは海老原にばれてない。戻るなら今のうちだった。
しかし多田野には、そんなつもりは全くない。
「俺、このまま闇夜に紛れてとんずらさせてもらうわ」
「おい、冗談だろ?」
「冗談なわけねえだろ?冗談で済ましたいのは竜也との付き合いの方だっての。
あいつの我侭に付き合って身を滅ぼした野郎は大勢いるんだ。俺はそんなのゴメンだぜ。
もう、達也との付き合いは終わらせてもらう。じゃあなバイバイ」
「待てよ、今は一人でも仲間は必要なんだ。危険な事だっておまえもわかってるだろ?」
「わかってるからやめるんだ。俺は達也と違って命知らずじゃねえ」


どんなに説得しても多田野の決心は変わらないようだった。
佐々木は思わず「おまえが必要なんだよ!」と情に訴えた。
しかし返ってきた言葉は実につれないものだった。
「いーや、おまえ達に必要なのは頭の検査だ。もう竜也とは金輪際つるみたくねえ」
多田野はあっさり逃亡してしまった。
「……な、何なんだ、あいつは……竜也が怖くないのか?」
今までも色々あったが、何だかんだいって海老原怖さに従ってきた多田野の豹変振りに佐々木は呆気に取られていた。
佐々木は知らなかった。多田野は今でも海老原が怖いが、もっと上の男につくことにしただけなのだ。














「直弥、まだ走れるかい?」
「その台詞そっくりそのまま君に返すよ」
北斗と直弥は地下道や使われなくなった坑道を利用して逃げていた。
「潤達は助けないの?」
「彼らは彼らで上手くやるさ」
色々あったが、ここまでくれば安全と地上に出てきたのだ。
「早くリーダーの元に戻ろう」
彼らは先を急いだ。夜のうちに戻るのがベスト、闇は彼らにとって強い味方なのだから。
彼らのリーダーは目立たない町の小さな集落の片隅に今は隠れ住んでいる。そこには他の仲間もいる。
「しばらくは彼女の身は安泰なんだ。もう僕達が出る幕はないね。
季秋家は全国屈指の権門、女の一人や二人匿うくらいどうってことない」
「……北斗!」
彼らは立ち止まった。暗闇の中でかすかな人影を見たのだ。


「……誰だ。さっさと出てきたらどうだい?」
「北斗、後ろにもいるよ」
これにはツンとすました表情をしていた北斗も眉をひそめた。
「いつの間に囲んでいたんだい。悪趣味だよ」
口調は強がっていたが北斗は内心穏やかではなかった。
周囲には常に注意していたにも、かかわらず蜘蛛の糸にかかった虫状態になったのだから。




「俺は最初に言ったはずだぜ。逃がすつもりは無いと」




一際鋭い殺気を放つ男が姿を現した。
北斗は全身鳥肌がたった。正直ぞっとした、とてもじゃないがまともに相手できる敵ではない。


「……周藤晶」


彼らを取り囲んでいるのは晶率いる陸軍特殊部隊だった。




「どうしてって面だな。俺を見くびるなよ、いざと言うときのための保険はかけておいたんだ」
北斗と直弥は同時にしまったと思った。
「……発信機」
「そうだ。もっとも、あまり性能のいいものではなかったから地下に潜られると電波が届かない。
おまえたちが地上に出るのをずっと待っていた」
完全に晶にしてやられていた。最悪の展開だった。


「この集落におまえ達の仲間がいる……と、考えていいのか?」


その言葉に過剰反応しなかったことは上出来だった。
しかし絶体絶命であることに変わりはない。


「……直弥、僕があいつを止めるから、その間にさっさと尻尾を巻いて逃げたまえ。
そしてリーダーに報告し、一刻も早くこの場から立ち去るんだ」
「寝ぼけてるの?何それ?逃げるんなら君の方だよ、僕はゴメンだね」


「ごちゃごちゃと何を言っている?わかってないらしいが――」




「おまえたちに選択肢はない」




晶は勝利を確信した。全てはシナリオ通り、だが、その数秒後――。
(……飛行機?この音は)
何かが近付いてくる。ヘリコプターでもセスナでもない。
遠い上空からだ。飛行物体が近付くことだけはわかるが、それが何かははっきりわからない。
(この音はまさか……!こんな田舎の集落に、あんな物が来るわけがない!)
晶はそれが気づいた。と、同時に山の向こうから眩いばかりの飛行物体群が姿を現した。


「あ、兄貴!戦闘機だ……戦闘機が、何でこんな辺鄙な場所に!!」


凄まじい轟音の正体は戦闘機だった。だが空軍のものではない。
陸軍も海軍も戦闘機をもっているが、そのどちらでもない。
「どこの所属なんだ、あの機は?」
誰もが突然現れた飛行部隊に視線が釘付けになった。そこに一瞬の隙が生まれた。
ふいに誰かが叫んだ。北斗と直弥が兵士を攻撃し、囲みから逃げ出したのだ。
「何をしている!」
勿論、晶は即座に後を追った。むざむざ逃すのは彼の性に合わない。
ところが、まるで意図的に邪魔するかのように戦闘機が晶の眼前に降り立ったのだ。














「そんな事、認められるか!」
秋澄は怒りのあまりデスクを両手で叩いた。
「秋澄さん、落ちつてくださいな」
葉月が冷静になるように促すも秋澄の怒りは到底収まらない。
(何なんだ、何なんだ、この男は!こいつには人の心がないのか!?
茉冬が殺されるかもしれないって時に、下種な要求するなんて!
仮にも恋人だった女が、今恐ろしい目にあっているというのに心が痛まないのか!?)
秋澄にとって薫は完全に理解不能な生き物だった。
薫の冷酷さを理解するには秋澄はあまりにも汚いものをしらなすぎる人間だったのだ。


「お言葉ですがお義兄さん。今は口論している場合ではないでしょう?
茉冬を救いだしたくはないのですか?お義兄さんの心一つで全ては決まるのですよ」


「……き、貴様という男は」
腸が煮えくり返るというのはこのことだろう。
「だ、誰が貴様のような性根の腐りきった男に可愛い妹を……」


「その話、承知した!」


夏生が突然扉を開きとんでもないことを言った。
「いいだろう。その話受けた」
「な、夏生!?」
あまりのショックに声もろくにでなくなった秋澄を余所に夏生と薫は勝手に話を進めだした。
「その代わり、あくまでも茉冬をおまえが無事に取り戻したらってことでいいよな?」
「勿論だよ。僕はアンフェアは好きじゃないんだ」
「じゃあ頼むぜ。茉冬を助ける為に頑張ってくれよ、お義兄さんよ」
「こちらこそよろしく頼むよ、可愛い義弟君」




「な、夏生!おまえは……おまえは一体何を考えているんだ!!」
薫が特別対策室に案内され、その場から席をはずすと秋澄は早速夏生を責め出した。
「あんな男と一緒になったら茉冬は一生泣いてくらすんだ。想像しただけでぞっとする!」
「それもこれも命あってのものだねだろ。よく考えろよ兄ちゃん。
まずは茉冬を取り戻すことが最優先。要はあいつより先に茉冬を助け出せば済む事じゃないか」
「おまえは……簡単に言ってくれるな」
「そろそろ茉冬と連中の身柄交換の件で連中から連絡あるだろ?
俺も同行するぜ。誘拐犯の尻尾つかんで茉冬を奪い返してやる、それなら兄ちゃんも文句ないだろ?」
「……それは……そうだが」
「それまで立花薫は利用してやるくらいの気概がなくてどうするんだよ。
そんなだから、ちい兄ちゃんは夏兄ちゃん達にいつも舐められてるんだよ。しっかりしてくれよな」


夏生の言うとおりだ。確かに妹の身を心配するあまり秋澄は冷静さを失っていた。
「安心しろよ。俺が何とかしてやるから」
「ああ、頼むぞ夏生」
夏生は決意していた。相手は一個部隊全滅させるような連中、一筋縄ではいかない。
しかし、命にかえても必ず、この件を解決させてみせると。
(季秋を舐めてかかるようなクズに光子をとられてたまるかっていうんだ。それに……)
夏生はズボンのポケットに忍ばせた小型録音機に想いを馳せた。
(これを立花の彼女達に聞かせてやれば、あいつはふられる。
悲しみにくれる彼女を慰めたら俺と付き合ってくれるかも~。
茉冬を奪還する、光子は守る、新しい彼女もゲット。一石二鳥、いや三鳥だよな~)
……所詮、夏生も薫をとやかく言える人格ではなかった。














戦闘機から悠々と姿を現した男を晶はしれっとした目つきで見詰めた。
本当なら睨みつけてやりたいところだが、感情に振り回されるのは愚人のすることだ。
「誰だ、てめえ!」
晶とは対照的に、輪也はカッとなって男に殴りかかろうとした。
すぐに晶に制止をかけられ上げかけた拳を悔しそうに降ろした。
「兄貴、こいつは?」
「俺を誘拐魔呼ばわりした男の兄貴だ」
「あの馬鹿の兄貴か……って、あの馬鹿の!?」
輪也は途端に興奮気味となった。
「俺の弟が何だって?」
相手の男のしらじらしいまでの淡々とした態度も輪也の怒りの炎にガソリンを注ぎ込んだ。


「何だってじゃないだろ!おまえは弟にどういう教育してるんだよ!」
「うちの弟は基本的にかわいい連中ばかりだが、それが何か?」
「何がかわいいだ!おまえの弟の冬樹ってアホは殴り込みしてきたんだぞ!」
冬樹と聞いて相手の男は、「ああ冬樹か、あれはかわいくないな」と、これまた的外れな返事をした。
「弟が弟なら兄貴も兄貴だな!テロリスト逮捕の邪魔するなんて!」
「邪魔?俺が何かしたか?」
「兄貴とテロリストの間に着陸しやがったじゃないか!」
「それは、単なる偶然だろ」
男はやはりしらっと答えた。


「偶然で済むか!」
輪也の怒りのボルテージは収まらない。
「だったら何か?俺に土下座しろとでも言いたいのか?」
すぐに晶は輪也に黙るように指示を出した。
文句を言いたいのは晶も山々だが、相手が相手なのでここは泣き寝入りをしなくてはならない。
世の中の仕組みをよく理解していない輪也にはわからないが、それが最善なのだ。
東海自治省の季秋家の御曹司・夏樹が相手では引くしかない。




夏樹がこの場所に現れたは偶然ではない。護から聞き出したのだ。
夏樹から見れば、この場に晶が居合わせたことの方が都合の悪い偶然だったといえよう。
咄嗟に北斗と直弥を逃がすことに成功したのは幸運だった。
(俺が目をつけている奴等を、横からかっさらわれてたまるか)
せっかくK-11のリーダーが目と鼻の先にいるというのに、晶がいては接触もできない。
晶にとっての夏樹以上に、夏樹にとっては晶は予想外の邪魔者だったのだ。
K-11との交渉は先延ばしにしなければならないだろう。
しかし、夏樹には新たに気になる事が出来た。


「うちの弟がまた何かしたのか?」
「したのかじゃねえぞ、うちの兄貴を誘拐犯呼ばわりして殴り込みかけてきやがったんだ!」
てっきりまた女絡みでヘマでもやらかしたと思った夏樹は少しだけ驚いた。
「周藤晶、おまえそんなことしたのか?」
弟の名誉の為に、一応確認してみたが、結果は怒りまくった輪也が怒鳴り散らしただけだった。
どうやら晶に確認をとる必要もなさそうだが、誘拐とは穏やかじゃない。
「誰が誘拐されたって?」
「おまえ知らないのか?」
これには晶も呆れたようだ。


「自分の姉がさらわれたというのに、随分と呑気なものだな」
「茉冬が?」
すぐに茉冬だと直感的に夏樹は思った。春香はみすみすさらわれるイメージではない。
被害を受けるとしたら茉冬だと思ったのだ。そして、それは正しい。
(俺が留守中にとんでもないことになっていたらしいな)
今はK-11にかかわっている暇は無い。夏樹はすぐに戦闘機に搭乗した。


「夏兄さん、どうした?」
「予定変更だ。今すぐ帰るぞ」
「帰る?」
「茉冬が誘拐されたそうだ」
戦闘機は猛スピードで飛び立ち、夏樹は自宅に連絡を入れた。
『夏樹、捜したんだぞ。今、どこにいる?茉冬が……茉冬が!』
無線機の向こうから兄の弱々しい声が聞えてきた。どうやら事態は随分と切迫しているようだ。
「ああ、今聞いた。すぐに戻るから気をしっかり持てよ兄貴」
『犯人からの要求に応えて、これから身柄交換を行うんだ』
「身柄交換だと?」
『おまえ達がお遊びで匿っていた連中を引き渡せと言っているんだ』


「貴子達を引き渡すだって?」


『おまえがどんなに反対しても兄さんはきかないからな!』
「…………」
夏樹は少し考え、すぐに返事をした。
「反対なんかしないさ。赤の他人より実の姉妹を優先したい兄貴の気持ちを誰が責められる?」
『わかってくれるんだな夏樹?』
「ああ、だが交換は俺が戻るまで待ってもらう」
『もう遅い。つい今しがた連中を連れて出発したところだ』
「そうか」
夏樹は無線機を切った。
「……俺の留守中に茉冬をさらって季秋家を脅迫だってえ?」


「どこの誰だか知らないが、やってくれるじゃないか」














「桐山君、私達どうなるのかしら?」
美恵はたまらなく不安だった。凶悪な誘拐犯に引き渡されるのだから無理もない。
「大丈夫だ鈴原、相手が誰だろうが叩きのめしてしまえばいい」
淡々と言ってのける桐山を横目に、川田が溜息をついている。
彼らは今、トレーラーの荷室に入れられて搬送されていた。
どうやら舗装されていない道を走行しているらしく、時々トレーラーが跳ねる。


「ちょっと夏生さん、本当に守ってくれるんでしょうね?」
「光子ちゃん、そんなに怒るなよ。これでも俺頑張って兄ちゃんに頼んだんだぜ」
夏生は必死に光子のご機嫌をとっている。そんな夏生に美恵は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「私達はしょうがないかもしれないけど、私達のせいで夏生さんのお姉さんが誘拐されたんでしょう?
本当にごめんなさい。もし、お姉さんに何かあったら……」
「大丈夫だよ美恵ちゃん、よっぽどの馬鹿じゃない限り茉冬に乱暴な事できるものか」
そう言ってみたものの夏生とて確信しているわけではない。


やがてトレーラーが停車し、荷室の扉が開かれた。
指定場所は、どこかの山の中らしく、森に囲まれ夜空には、ただ月が見えるだけ。
静けさが返って不気味だった。
「もうすぐ時間だ。奴等、現れないじゃないか何してるんだ?」
夏生は腕時計を睨みつけ忌々しそうに言った。




『こっちを向け』




その声は背後から聞えてきた。全員振り向くと木の枝にスピーカーがくくりつけられている。
「おまえ達が茉冬をさらったのか!」
『そうだ』
「茉冬はどうした?どこにもいないじゃないか」
『まずはそいつらを全員引き渡してもらう。その後に解放してやる』
「なんだと!?」
約束が完全に違う。これでは冬樹が指摘したとおり、茉冬を返すこと自体偽りかもしれない。
『まずは、そいつらに発信機を取り付けてないか確かめさせてもらう。
木の根元に探知機がある。それで一人一人身体検査しろ。
おまえ達の様子はばっちり見ている。ずるはするんじゃねえぞ』


夏生は歯軋りした。甘かった、おそらく茉冬を返すつもりはないと思ったほうがいい。
「まずは茉冬の返還が先だ!」
『忘れるな。切り札は此方がもっているんだ。嫌なら、女を傷つけさせてもらうぞ』
最悪の展開だった。
「夏生さん、やって」
美恵ちゃん?」
「お姉さんの事が心配なんでしょう?私達はいいわ、仲間と一緒だもの。
でも、一人きりでつかまっているお姉さんのこと考えたら拒否はできないんでしょう?」
美恵の指摘は正しかった。
(見てるってことは、きっと暗視隠しカメラ取り付けて、どこかから見てる。
兄ちゃんに連絡することも不可だ。このまま何もできないのかよ)


夏樹は言われた通り探知機を一人一人の体に当てた。
全員の身体検査が済むと再びスピーカーを通して犯人が指示を下した。
『よし、まずはおまえはこの場から去れ』
光子を守る為に同行した夏生にとっては受け入れがたいことだった。
「……本当に茉冬を返すんだろうな?あいつに何かあったら、本当におまえらただじゃ済まないぞ。
季秋は恩も忘れないが恨みも決して忘れない。それが名門の誇りだ」
『勿論だ』


「待って!」


美恵が声を上げた。
『何だ。今さら、助けて欲しいと願っても季秋家はおまえ達を見捨てたんだぞ』
「違うわ。せめて夏生さんにお姉さんの声を聞かせてあげて」
これには相手の犯人も少し驚いたようだ。
「夏生さんのお姉さんは無事なの?」
『当然だ。おまえ達と違い大事な駒だからな。生きていてもらわないと困る』
「酷い事はしてないわよね?」
『今のところはな』
「……良かった」
美恵は心の底からホッとした。


「お願い、お願いだから夏生さんに少しででいいからお姉さんと話をさせてあげて」
『駄目だ。おまえ達は此方の指示に従うだけでいい。もう切る』
スピーカーからは何も聞えなくなった。どうやら本当に切ってしまったようだ。
「……何だか少し様子が変だったみたい」
肉親との会話を拒否したのは非情な仕打ちというよりも、出来ないから、そんな感じがしたのだ。
「お姉さん、今、犯人とは別の場所にいるのかしら?
だから、会話を要求されて慌てて切ったのかもしれないわ」
夏生は、なるほどと思った。確かに筋が通っている。


「夏生さん、私達は大丈夫だから、もう戻って」
ぐずぐずして犯人を刺激するわけにはいかない。
「どこで、この様子を見ているかわからないから……」
「ああ、悪いな」
夏生は光子に向き直り、「絶対に守るから」と改めて誓った。
「当たり前でしょ。このまま、おめおめと引き下がったらお別れだからね」
「み、光子~」














「兄貴、今、帰ったぜ」
「な、夏樹!秋利、冬也、よく戻ってきてくれた!」
弟達の帰館に秋澄は張り詰めていた神経が切れたのか、ガクッとその場に倒れかけた。
夏樹が支えてくれなかったら、床に激突していただろう。
「茉冬に何かあったら俺はお祖父様や叔父上に会わせる顔がない……!」
「やつれたな兄貴、後は俺達にまかせて寝てろ」
「こんな時に寝ていられるか!茉冬の、あの子の無事な姿を一目見るまでは……!」
「そうか。だったら好きにしたらいい」
夏樹は分厚い書類を手にすると、それを三等分して秋利や冬也に放り投げた。
「要所だけでいいから十分で読めよ」


十分後、夏樹は「冬樹は正しい。こんな事を、ただの犯罪集団がするものか」と言い放った。
「ふ、冬樹が正しい?あいつは陸軍特選兵士の周藤晶が犯人だとムチャクチャな事を」
「ああ、半分はムチャクチャだが、もう半分は、多分合ってるぜ。
ただし、陸軍特選兵士といっても周藤晶じゃない。もっとタチの悪い方だ」
夏樹は「犯人の説明は後だ」と、その場に地図を広げた。
「ここだな。犯人から指定された場所は?」
「ああ、夏生が彼らを連れて向かった。今頃は茉冬との交換が行われているだろう。
夏生から茉冬の無事の連絡が入り次第、軍隊を投入して報復行為に出るつもりだ」


「その軍隊、いくつかに分隊する」


「な、夏樹?」
「そうだな……こことここ、それに――」
夏樹は赤鉛筆で地図に印を付け始めた。
「何を言っているんだ夏樹、連中を逃さないために隊は万全の態勢で――」
「俺の予想では、おそらく茉冬は引き渡し場所には現れない」
秋澄の目が失望という色に染まった。
「そう悲観するな兄貴。俺は最初から茉冬を力づくで取り戻すつもりだったぜ。
主だった場所は季秋が軍隊を張っているにもかかわらず犯人の尻尾すらつかめないでいるだろう。
連中はたくみに居場所を変えている。女連れでは目立つし足手まといだから茉冬は別の場所にいる。
おそらく誘拐にはタッチしていない別のグループに見張らせ、その間に主犯が自由に動きをとっているんだろう」
「じゃあ、茉冬は?」
「俺の推理が合っていれば、この中のどれかにいる。すぐに探し出させるんだ」
夏樹がつけた地図上の赤い印を凝視しながら秋澄は固唾を飲んだ。














「会話させろだと?ふん、まだてめらの立場わかってないらしいぜ」
海老原はふんぞり返りながら瓶に手を伸ばした。
「竜也、酒は全て終わってからにしてくれよ。なあ、頼む」
佐々木の必死の懇願も海老原には、ただ疎ましいだけだ。
「もう、勝利は確実なんだ。何をびびってやがる?連中をひっとらえりゃ季秋が違法行為してたことの証拠にもなる」
海老原の未来予定図はバラ色に輝いていた。
「上に報告するもいいが、そんな無駄なことできるかよ。
これをネタに今後もじわじわと季秋を脅してとれるもんとりつくしてやる。
克巳や小次郎は悔しがるだろうぜ。俺は四期生の出世頭に返りづくんだ。
ついでに涼も一気に飛び越えて、あの傲慢な面を踏みにじってやるぜ!」


海老原は胸ポケットから例の茉冬の写真を取り出した。
「この写真はまさに俺にとってはラッキーアイテムだったぜ。
そして、この女は俺の幸運の女神だったわけだ。ふふ、元気でやってるかな?
あいつら、手を出してねえだろうなあ?」
海老原は無線機を取り出した。茉冬は部下達を使って廃坑にて監禁している。
「おい、てめえら。俺の大事な人質は元気だろうなあ、まさか手をつけてないだろうなあ?」
『も、勿論です』
「何か変わったことはないか?」
『い、いえ……何もありません』
部下たちは怯えた口調だった。海老原と話す時はいつもそうだ。


「よーし、引き続き慎重に扱えよ。女が逃げたり自殺したら、俺がおまえらを殺すからな」
『わ、わかっています。け、決して……そのようなことにはならないように……ちゅ、注意します』
「そうだ。わかってんじゃねえか」
海老原は上機嫌で無線機を切った。
「後は俺を裏切った昭二に思い知らせてやらないとなあ」
海老原は、この時、重大なミスを犯していた。
もしも海老原が賢明な人間ならば、無線機の向こうで異状があったことに気づいていただろう。














「相変わらず呆れるくらいの単純脳なようだねえ、あの腕力馬鹿は」
「いやあ、本当に。竜也はあなたの足元にも及びませんよ、賢さも美しさも」


海老原の部下達は、まるで南極大陸に裸で放り出されたように震えていた。
「……こ、こんな……こんな事が海老原大尉にばれたら……」
「ばれたら、どうなるんだい?」


「あ、あなたは海老原大尉を敵に回すつもりですか、水島大尉!!」
「……何だい、それ?」


その場にいるはずのない人間が二人いた。一人は海老原を見限った多田野。
そして、もう一人は、この誘拐劇を全く知らないはずの水島克巳だった。


「おまえ達、克巳にそんな口をきいていいのかよぉ?この方は怖いぞお、竜也なんかよりずっとなあ」

多田野は、ただ単に海老原に愛想をつかしたから離反したわけではない。
海老原のあまりの無謀さに呆れている時に、この水島から連絡が入ったのだ。




『とんでもないことをしでかしたものだねえ昭二。いいのかい、季秋を怒らせたら特選兵士といえど只じゃ済まないよ。
それとも、君は達也と運命を共にしてもかまわない所存なのかな?だったら何も言わないけど』
『……か、克巳、俺は反対だったんだ。でも竜也が……それに、もう事は起こしてしまった。
もう止まらない。やるしかねえんだ。時計の針は元には戻らねえ、あとは成功させるしか……』
『俺が黙っていると思っているのかい?』
『そ……それは!』
『可哀相に昭二。でも今なら引き返せるよ、やったのは竜也だ。竜也と陸軍特選兵士だけ、それでいいじゃないか』
『…………』
『今まで散々竜也の尻拭いさせられてきたんだろ?今度は竜也が君の分まで全てを背負う番だと俺は思うよ』
『と、いう事は……克己さん』
『そう。君は見逃してあげるよ、それどころか俺が助けてあげてもいい、君が俺に協力すればね。
今すぐに間違いを正し、俺につく。それは正しい選択だとは思わないかい?』
『思います』





多田野はあっさりと水島に寝返っていたのだ。

「で、どうする克巳?」
廃坑の奥には目と耳を塞がれた茉冬がロープで縛られ横たわっている。
「さあて、どうするかな?」
水島は面白そうにくくっと笑った。
「彼女を救出して季秋に恩を売るもよし。でも、今、もし彼女が死んだら竜也にとって一番の痛手だろうねえ。
いや、竜也だけじゃない。陸軍全体の汚点だよ。同じ陸軍という事で大勢の人間が連帯責任を取らされるかも。
例えば周藤君。彼は季秋家の息子に疑惑をもたれたそうじゃないか。
本人は違うと言い張ったらしいけど、灰色のイメージっていうのは簡単には抜け切らないよ。
冤罪だろうが世間ってやつは面白がって事件と結び付けようとする。
もし、そんな事になっても、それは以前俺の顔に傷をつけた報いだと思わないかい昭二?」
「まさに、その通り!」




「さて、どうしてくれようかな。考えるだけでぞくぞくするね」




【B組:残り45人】




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