七原が覇気の無い声でつぶやいた。
「夏生さんが何とかしてくれるって言ってたじゃないか」
三村がすかさず励ますも、その口調はいつもの自信に満ちたものではなかった。
「ま、しょうがないよな。夏生さんのお兄さんを責められないよ。
誰だって赤の他人より血の繋がった妹の方が大事なんだ」
現実を受け入れ覚悟を決めたのだろうか、良樹はあっけらかんとしている。
秋澄によって彼らは一室に閉じ込められ、その周囲には大勢の見張り。
とてもじゃないが逃げ出させない。匿ってもらうはずが一転、身柄交換のための道具になったのだ。
夏生にしても守ってやるとはいうものの宛てにならない。
彼自身拉致されたという家族の身が心配らしく良樹達をどこまで庇ってくれるかわかったものじゃない。
「――今度こそ終わりかもしれないな」
せめて夏樹がいてくれたらと思わずにはいられない。
しかし帰国しているはずらしい夏樹は今だに姿を現さない。
「……一体、どこでどうしているんだよ」
鎮魂歌―89―
「秋澄さん、落ち着いてください」
犯人からの連絡を待つこと数時間。すっかり辺りは暗くなっている。
あれから犯人からの連絡は途絶えた。秋澄の苛立ちと焦りは時計の針が進むごとに大きくなっている。
茉冬は秋澄が純粋培養にて守り育ててきた箱入り娘だ。
それが下劣な犯人の元で一夜を明かすなんて、秋澄には耐え難い事だった。
「本当に、あの男に協力を頼んでよかったのか?」
秋澄は葉月を信頼していたが一抹の不安は拭いきれない。
立花薫は優秀な捜査官ではあるが、秋澄の彼個人に対するイメージが悪すぎて信用しきれないのだ。
「容疑者の数も絞れてきました。大至急調べさせています」
「……茉冬を無事に取り戻したら、誘拐魔どもには必ず思い知らせてやる」
「当然ですわ」
「おい兄貴!」
ノックもせずに乱暴にドアを開け入室してきた冬樹に秋澄は顔をしかめた。
「美恵と貴子のことだけどな」
「何度も言わせるな冬樹、茉冬の命がかかっているんだぞ」
「調査書類全部目を通したぜ。相手はただの誘拐犯じゃないそうじゃないか」
「そうだ。だから慎重に事を運ばせる、茉冬の身柄を無事に確保するまでは一つのミスも許さない」
「秋澄兄貴には、ほんと愛想がついたぜ。取り付くしまもありゃしない」
冬樹は不満そうにソファに腰を降ろした。
「しょうがねえだろ。俺だって光子だけは勘弁して欲しい。
でもなあ茉冬も勿論だが、あんなやつれた兄ちゃんも可哀相で……。
とてもじゃないが今の兄ちゃんに個人的なお願いはできそうもない。
俺にできることといったら引き渡し場所に同行して何とか光子を守ることだけだ」
「秋澄兄貴といい、夏生兄貴といい、本当に救いようが無いお人よしだぜ。
俺はみすみす美恵や貴子を渡すつもりは毛頭ないからな」
「じゃあ茉冬を見殺しにするっていうのかよ。おまえは鬼か?」
「誰が見殺しにするっていった?俺はただ犯人の言いなりになってるだけの兄貴に呆れているだけだ。
肉を寄こせとわめくハイエナの要求をほいほい飲んでどうするよ?それで本当に茉冬が戻ると思うか?
ハイエナは必ず調子にのる。今度は霜降り肉を寄こせといいだすぞ。
何で力づくで奪い返さない?クズには屈しない、それが季秋の誇りだろうが」
冬樹の言い分も最もだが、夏生は残念そうに頭を左右にふった。
現実は厳しい。理想論だけでは人質は戻ってこない。それどころか死体にされる可能性だってある。
「せめて誘拐されたのが、おまえだったら力づくでやれるだろうが茉冬だぞ?
もしもって時に犯人に抵抗できると思うか?赤子の手を捻るより簡単に殺されるぜ」
夏生は、「美人は全人類の貴重な財産。しかもまだ若いんだ」と付け加えた。
「それがどうした?俺なら力づくでやるぜ。ハイエナと交渉?バカバカしい」
「だったら、おまえはどうやって解決するっていうんだ?
兄ちゃんは犯人を限定するために条件にあう陸軍の関係者を片っ端から調べている。
けど、まだ何にもでてこないんだ。時間がなさすぎる。
今、連中から連絡がはいって身柄交換なんてなったらどうすんだよ」
冬樹はにやっと笑った。自信に満ちた笑みだ。
「そこが俺と兄貴の頭のできの違う処だ。兄貴は条件に合う人間を調べてる、だから時間がかかる。
俺なら違う。そんな手間暇いっさいかけないぜ。
陸軍の関係者で総統杯会場にいて強い人間なら、そこで犯人像は絞れるだろ。
俺の天才的なプロファイリングで、もう犯人はわかっている」
夏生は驚いた。そんなはずはないと思うが、冬樹は自信満々だ。
「誘拐犯はずばり陸軍の特選兵士だ」
夏生は唖然とした。話が飛躍しすぎていると思ったのだろう。
強いというだけで断定できる冬樹の単純な思考に呆れてもいた。
「それ、ちい兄ちゃんに言ったのか?」
「ああ、言った。ついでに特選兵士の誰かまでわかっている。実名まで上げて言ってやったぜ。
そしたら、あの馬鹿兄貴なんていったと思う?
『特選兵士がこんな下劣な凶悪犯罪犯すか。こんな時に馬鹿もやすみやすみ言え』だと。
個人名教えたら、ひっくり返るほどびっくりして反論しやがった。
『彼とは陸軍主催のパーティーで話をしたことがあるが、礼儀正しく立派な若者だった。
こんな悪事を働くものか。いい加減にしなさい』とさ。
兄貴の人を見る目の無さには本当に呆れてものも言えないぜ」
「……で、おまえはどうする?」
「決まってるだろ?」
冬樹は立ち上がると上着を手に取った。
「その陸軍の特選兵士を締め上げて茉冬を奪い返す。一件落着だ」
夏生は冬樹が立てた仮説に呆れたが、よくよく考えるとありえないことではないとも思えた。
何と言っても部隊を短時間で全滅させるような連中なのだ。
冬樹の仮説はもしかしたら案外当たっているのではないか?
「よし、俺も行くぞ」
「駄目だ駄目だ。行くのは俺一人、ヒーローは二人もいらないんだよ。
兄貴は、あのヘタレのそばにいてやれ。あのままじゃ衰弱死しそうだからな」
「こんな事になるなんて……佳澄と潤がもたもたしてたからだよ」
「……おいミンチになりたいのかよ。ひとのせいにしやがって。
最初にこけて逃げ遅れたのは、おまえじゃないか」
「ひ、酷いよ!僕のことを責めるなんて……あんまりだよ。
北斗も直弥も僕を見捨てて逃げたし、皆して僕を虐めるんだ……」
「泣くなよ。うざいったら、ありゃしないぜ」
広大な別荘の地下室に三人の少年が拘束され自由を奪われていた。
一人は捕獲されてからというもの、ずっと遠くを眺めているかのように視線はうつろ。
一人はさめざめと我が身の不幸を嘆き、涙までぽろぽろ流している。
もう一人は、そんな状況にいらいらしている。随分と短気で堪え性がなさそうだ。
そんな三人を面白そうに観察している男がこれまた三人いた。
秋澄が必死に連絡を取ろうと躍起になっている三人の弟達だったのだ。
彼らは変な邪魔が入らないように携帯電話の電源を切り、滅多に使用しない別荘のある、この地にやって来た。
あえて連絡手段を絶っていたのだ。
「はいはい、お喋りはそこまで」
秋利がにこにこしながら手を二回叩いた。
「せっかく会えたんだから、まず自己紹介してほしいなあK-11の僕達」
三人は俯いている。乱暴なやり方で捕獲したので無理も無いが、かなり嫌われてしまったようだ。
「なあ、悪いこといわんから――」
「この優しいおにいさんが笑ってるうちに愛想よくしような?でないと、こっちも出方かえることになるよ」
殺気を感じ三人はびくっと身体を硬直させた。
「はい愛想よくします」
「護!てめえってホント軽い男だな!」
非難がましい声を上げた途端に、佳澄は顎を強くつかまれた。声がでない。
「ほんと可愛げない男の子だな。護君だっけ?そっちの子を見習って少しは態度改めようと思わない?
ほら返事は?ちゃんと言わないとおにいさんもどうしていいかわからんよ」
返事はと言われても佳澄は顎を押さえつけられているのだ。言葉がでない。
「かわいそうな佳澄……」
護は、またはらはらと涙を流した。
そんな仲間を横目に潤は、もうどうとでもしてくれといいたげに、ぼおっと天井を見詰めている。
「それくらいにしておけ秋利、こいつらを捕獲したのは虐める為じゃないだろ」
「夏兄さんがそういうのなら」
秋利はやっと佳澄から手を離した。
「まずは名前だ。おまえ達、フルネームは?」
潤は聞いてないのか視線すら向けてこない。佳澄は「誰が教えてやるかよ」とぷいっとそっぽをむいている。
「八雲護(やぐも・ゆずる)です。こっちは香坂佳澄(こうさか・よしずみ)に草薙潤(くさなぎ・じゅん)」
「護、おまえなあ」
「僕が言わなかったら、きっと折檻されてたよ。僕は君のために言ったんだ」
夏樹は満足そうに「いい子だ」と、笑みを浮かべた。
「兄貴、俺は暇じゃないんだ。さっさと本題に入ろうぜ」
「ああ、そうだったな」
冬也に促されると夏樹は三人に近寄り、彼らの目線に合わせるように腰を降ろした。
「単刀直入に言うぜ。おまえ達のリーダーに会わせろ」
三人はそれぞれ全く違うリアクションを見せた。
護は笑顔だし、佳澄は「げっ」と小さく叫び、潤は初めて此方を見た。
「悪い話じゃないぜ。俺の下につけ。何なら、おまえら全員、俺が雇ってやる」
「あの、おいくらで?」
「護!」
「……一応聞いただけじゃないか。なのに酷いよ……あんまりだ」
「また泣いた……うぜえ」
「彼は誰の下にもつかないよ。俺達も誰かの飼い犬になる気はない」
それまで黙っていた潤がきっぱりと言った。
「俺達は金のために国と戦っているわけじゃない」
「わかってるさ。だが少数のガキがいきがるのには限界がある。
おまえたちは、それを誰よりも思い知っているだろう?」
潤は言い返せなかった。夏樹は正しい。
少数精鋭の反政府組織といえば聞えはいいが、人数が少ないからこそ何とかやっていけてる面もある。
資金源の確保は魅力的な話ではあるのは確かだった。
「第一、俺達はおまえ達の女神を手にしているんだ。俺達が手を組むには十分すぎる理由だろ?」
三人の顔色がぱっと変わった。今度は三人とも全く同じリアクションだった。
硬直し、目を見開き、そして反射的に目をそらす。
「誰なんだ、その女神は?大事な女なんだろ、なぜ、おまえ達は彼女を守る為に危険なマネまでする?
正体がばれる危険を冒して総統杯に出場までした。知ってるぜ、周藤晶がおまえ達を監視していたのは。
鳴海雅信が大暴れなんて予想外の事件がおきなきゃ、今頃、五人そろって周藤につかまっていたんだ。
そんな危険、そうそう冒せないだろ?ここらで少し安全対策するのも悪くないんじゃないのか?」
夏樹の言葉には説得力があった。さらに彼は続けた。
「少数精鋭でひっくり返せるほど、この国は甘くないぞ。16年前、おまえ達のような少数組織がいた。
名前くらい知ってるだろ、新城武士っていう男だ。結構、いい線までいったが最後は悲惨だった。
もっとも、そいつらが名の知れた反乱起こせたのは西園寺紀康っていう大組織の後ろ楯あったこそだ。
新城もつまらないことにこだわらずに、さっさと大組織に取り込まれていれば死ななかったかもしれない。
おまえらは今大きな岐路に立っているんだぜ。新城の二の舞になりたくはねえだろ、な?」
「最新の銃火器購入にはやはり予算二割増は必要……か」
パソコン画面と睨めっこを始めて二時間が立っていた。
「……先立つものがない。仕方ない国債を一部売却して金を作るか」
静かな夜だった。だが、その静寂は悲鳴と共に破られた。
戸外から聞えてきたのは悲鳴だけではない。何かが激突する音までもだ。
「何だ、騒々しい」
外に出ると部下の少年達が倒れている。ただ事ではなかった。
「よう、久しぶりだな。三下」
その無礼な台詞に敵意を込めた視線で応えてやるも、相手は全くひるんでいない。
「……季秋冬樹、どういうつもりだ。こんなことをして、ただで済むと思っているのか?」
「それはこっちの台詞だ。いつから非力な女を誘拐するような下衆な行為に手を染めるようになった?」
男の表情が不快そうに歪んだが冬樹はさらに続けた。
「問答は無用だ。さっさと茉冬を返してもらおうか、今なら半殺しで許してやるぜ」
「言ってる意味がわからないな」
「この期に及んで知らぬ存ぜんが通ると思ってるのか?」
冬樹は笑いながらゆっくりと距離を縮めた。
「おまえが俺の姉貴を誘拐したのは、もうバレバレなんだよ!
残念だったなあ、貴様の脅迫なんかに季秋は屈しない。この天才超絶美男子・冬樹様がいる限り!」
「ふ、ふざけるな!いきなり殴りこんできて兄貴に向かって何て口をききやがる!」
冬樹によってのされた少年の一人が立ち上がり猛然と反論してきた。
「誘拐?脅迫?わけわかんねえこと言ってんじゃねえよ、言いがかりもはなはだしいぜ!
兄貴が、そんなことするわけないだろ。超エリートなんだぞ!!」
「言いがかりも何も事実だ」
冬樹は完全に勝利を確信していた。後は、このしらばっくれ男を痛めつけて全ては終わりだと。
「おい一つ聞くが、ひとを誘拐犯呼ばわりするからには、それなりの根拠があるんだろうな?」
「ああ、あるぜ。俺には全てお見通しだ」
「だったら聞かせろ。特選兵士・周藤晶を納得させるだけの理由をな」
「おまえ、この俺が天才だってこと、もう忘れたのかよ!」
「竜也の行動が怪しいだって?」
水島はパシリ用愛人専門の携帯電話を手に、新しい情報を受け取っていた。
海老原につけている愛人・瑞希から久しぶりに連絡がきたのだ。
最近、これといった情報を提供できずにいた瑞希は必死にくいついてくる。
「お願い、克巳。詳しい話をするから会ってちょうだい」
「わざわざ会うほど大した情報なのかい?俺はこれから沙耶加のお見舞いに行くんだ」
携帯電話の向こうで唇を噛む音が聞えた。
「愛しい彼女は大事にしてやらないとねえ。それをキャンセルするほど価値があるっていうのかい?
もし大したことなければ、今度こそおまえとは終わりになるかもしれないよ?」
「……そんな!」
瑞希は涙声になっていたが、水島は最近この哀れな女に疎ましさしか感じなかった。
彼女も水島の気持ちがほとんど離れていることに気づいているのか必死だ。
「竜也は他の特選兵士を引き連れて姿を消したのよ。全然連絡つかないの、こんなこと初めてだわ」
「何だって、他の特選兵士も?」
海老原が仲間とつるんで下品な行動をとることは珍しくも無い。
ただ連絡がつかないということだけが気がかりだった。
「総統杯で負けた毛利達にしごきという名のおしおきでもしてるんじゃないのかい?」
「あいつらは病院でおねんねよ」
「ふーん」
水島の第6感がぴくぴくと反応していた。悪人は悪行には敏感なのだ。
「他に何か変わったことは?」
「……えっと」
瑞希は言葉を詰まらせた。どうやら、それ以上は何もないようだ。
手柄を焦って、ろくに調べもしなかった瑞希に水島は舌打ちした。
(だから使えない女は嫌いなんだよ。真知子なら、こんな気の利かないことはしない)
水島が急に話さなくなったので瑞希は焦った。
瑞希は水島の性格は知っている。黙っているということは、本気で苛立っている証拠でもあった。
(どうしよう、何か言わないと)
このままでは本当にあたしは克巳に捨てられる。嫌よ、そんなのは!
克巳に一番尽くしてきたのはあたしよ。真知子や沙耶加なんかよりずっと!
「あ、あの克巳!克巳がいつか陥れてやるって豪語してる周藤晶だけど!」
水島は舌打ちした。
「声が大きい。誰かに聞かれたらどうするんだい?」
「……あ、ごめんなさい」
瑞穂は慌てて音量を下げたが、水島は完全に呆れていた。
「それで周藤君がどうしたんだい?」
「殴り込みされたらしいのよ」
「殴り込み?竜也とは全然関係ない話じゃないか」
「……あ、えっと……そうだけど、克巳がいつも周藤をはめてやるって言ってたから……」
水島は本気で「そろそろ、こいつとも切れ頃だな」と思った。
「でも相手は普通の人間じゃないのよ。季秋家の御曹司らしいわ」
「季秋の息子だって?」
「そうよ。あたしも又聞きだから詳しいことは知らないけど、周藤の奴、季秋家の娘にちょっかい出したらしいのよ」
「ふーん、初耳だね。彼は立花君と違って異性関係は潔癖な子だと思っていたよ」
水島は興味が湧かないようだった。
ただ周藤は大嫌いだったので、彼のマイナス要素になるような事なら知っておいても損は無いとも考えた。
「さっさと裏をとって詳しい事情を調べることだね。待ってるよ」
それだけ言うと、さっさと電話を切ってしまった。
(竜也め、何をしているんだ?)
水島は常時五機以上の携帯電話を持ち歩いている。違う機種を取り出して電話をかけた。
相手は空軍の多田野だ。
海老原が、ただ下品なお遊びをしているだけなら軍部の違う多田野とはあまりつるまない。
それを確かめようと思ったのだ。
ラップの着信音が響き渡る。その、小うるさい音楽に海老原が瞬時に怒鳴り声をあげた。
「昭二!俺といるときはマナーモードにしろっつってんだろ!!」
「す、すまねえ竜也」
多田野は慌てて外にでると携帯電話をぱかっと開いた。
そして画面に表示されている『克巳』の文字を見て固まった。
(……や、やばい)
ラップはまだ続く。早く出なければ、また海老原が怒鳴り散らすだろう。
多田野は辺りをきょろきょろを見渡し通話ボタンを押した。
「……や、やあ克巳……ぐ、ぐっど……ナイト」
『何をびびっているんだい。もしかして俺に対して何か気まずいことでもあるのかい?』
「そ、そそそそそんなこと……あ、あるわけないじゃないか!ははは!」
『随分と乾いた笑いだね。竜也の機嫌はどうだい?陸軍チームが負けてさぞかし気落ちしてるだろうね』
「竜也なら元気いっぱいさ」
『そうか。つまり君は今あいつと一緒なんだね』
多田野はしまったと思った。いや、これは水島の誘導尋問だ。
『竜也は何か悪さしてるんじゃないのかい?』
「な、何もない、何も無いって!ほら、あいつ、あの事件ですっかり反省して改心して悔悟してさあ!
前非を悔いて、これからは清く正しく真面目に……」
『生きるわけないだろ、あの竜也が』
「……はい、そうですね」
『何をしてるんだい?』
「何って……男が大勢つるんでやることっていったらアレしかないだろ。な?」
『ふーん、何だいアレって』
「お、おい、聞くなよ、わかってるくせに。俺達はおまえと違って女に不自由しない人種じゃねえんだよ」
『だったら、今、そこにいる女に代われよ』
「……え?」
多田野は固まった。これ以上の言い逃れできそうもない。
「……実は竜也が、また女かっさらって悪さしてんだよ」
嘘はいっていない。多田野は普段マシンガンのように喋り捲る男ではあるが、嘘をつくのは下手だ。
だから水島でなくても、多田野の言葉が嘘か真実かは容易に判断できた。
「……それで、相手が民間人でしかもお嬢様でさあ。ばれたら困るんだよ。もういいだろ?」
水島からの返事は無い。それが多田野は怖かった。
数十秒後に、水島は形ばかりの警告を与え通話を切った。多田野は心底ホッとした。
(……妙だな。昭二は嘘は言ってなかった。だが腑に落ちない)
多田野も所詮女好きの蛮人。海老原のお遊びに付き合うこと自体、不思議ではない。
だが総統杯に出場した彼の妹・華梨が怪我をした当日というのが気になった。
何だかんだいっても多田野にとって妹はたった一人の肉親。
悪者といっても、さすがに妹は可愛いらしく多田野は華梨には甘かった。
(妹をほったらかしにして竜也の悪質なお遊びに付き合えるほど徹底できない甘ちゃんだからな、あいつ)
水島が怪しいと思ったのは何よりも自分に対して、多田野が異常なほど怯えていたことだ。
何かばれては困ることをしているとしか思えない。
(一体、何をしているんだ?)
季秋家の裏門から、こっそり入った男。カツラに地味な作業着、深々と帽子をかぶっている。
顔が見えないせいもあるが一見すると、ただの配管工か電気業者にしか見えない。
だが男が裏口から姿を現した女中に身分証明書を見せると、彼女は慌てて彼を屋敷に通した。
「目立たないためとはいえ、こんな埃臭い格好、二度としたくないね」
男が帽子をぱっと取ると、その下からは素晴らしい美貌が現れた。
女中は頬を染めながら、彼を案内している。男は愉快そうにクスッと笑った。
「秋澄様、お客様です」
「入れ」
男が入室すると、秋澄は苦々しそうに顔をしかめた。
即座に横から葉月が小声で「秋澄さん」と念を押す。
秋澄は「わかってる」と観念したように吐き出すと、「座りたまえ」とソファに着座することを促した。
「お久しぶりですね、お義兄さん」
「……お、お義兄さん?」
秋澄は再び口の端を引き攣らせた。
「本題に入りましょう」
「あ、ああ」
秋澄は膨大な書類を差し出した。
「犯人グループは一個部隊を全滅させたんだ、それも短時間で。ただの犯罪集団ではない」
「当然でしょうね。僕も同感ですよ、お義兄さん」
「……立花君、その、お義兄さんというのはやめてくれないか?」
「どうしてです、お義兄さん。一度は兄弟になりかけた間柄じゃないですか」
男の名は立花、そう国防省のプレイボーイ・立花薫だ。
「苦労しましたよ。国防省の丸秘データをこっそり拝借するのは。
これがばれたら僕は左遷どころじゃすまないかもしれませんね」
その恩着せがましい言い草は、どう考えても喜んで協力する者の態度ではなかった。
「お義兄さんは今も僕の事がお嫌いのようで。でも僕の気持ちもわかって下さい。
お義兄さんに煙たく思われているのを承知で、あえて針のむしろに飛び込むマネをした理由わかります?
いやいや、愛する者同士を無情にも引き裂いた、お義兄さんに察しろというのも無駄かもしれません」
秋澄は堪忍袋の緒が切れる寸前だった。
薫の慇懃無礼な物言いは、嫌味を通り越して挑発しているようにすら感じる。
「……何がいいたいんだ?」
「誤解しないで下さい、お義兄さん。僕はお義兄さんをこれっぽっちも恨んでいませんよ。
ただ、お義兄さんと僕の間には誤解があった。それだけです」
「でも、僕は今でも茉冬を愛していますよ。だから、犯罪まがいのことまでして、今ここにいるんです」
秋澄は頭痛がしてきた。
この、とんでもないプレイボーイに可愛い妹が騙されたのは秋澄にとっては古い記憶ではなない。
芸妓の祖母や母とは違い、世間知らずで他人を疑わない茉冬など、この男にとっては簡単すぎる獲物だった。
秋澄の元で中学生の頃から女子校に通い、家族以外の男とは滅多に口もきかない妹。
その妹が、ある日紹介してきた彼氏がコレだった。
薫の醜聞を知っていた秋澄は当然のように愕然とした。
しかし薫を誠実で優しく、恋愛経験など皆無だと信じていた妹に真実を教える勇気は秋澄にはなかった。
「僕も女の子とこんなに話をしたのは初めてなんだ」と平然と嘘を吐く薫に、秋澄は殺意すら覚えたものだ。
どうしていいかわからず、やきもきする秋澄を叱り付けたのは葉月だった。
「茉冬さんを疵物にされた後では遅いのですよ」
その一言で秋澄は茉冬に全てを暴露し、結果、もめた挙句、二人はもう会わなくなった。
一件落着といいたいところだが、初恋を無残な形で経験することになった茉冬は散々泣いた。
秋澄は今だに薫を恨んでいるのだ。
「まさか、お義兄さん。僕に違法行為までさせておいて、何の見返りも考えてないわけではないでしょうね?」
思ったとおりだった。この強欲な男が、無償で動くはずは無い。
「わかっている。君の働きのおかげで茉冬を取り戻すことができたあかつきには莫大な謝礼をするつもりだ」
薫は金に対する執着がすごい。だから喜ぶと思ったが、薫は溜息をついて頭を左右にふった。
「金だけでは駄目なのか?だったら高級マンションに車もつける」
薫は「ノン」と手を振った。まだ満足しないらしい。
「では、黄金の延べ棒を――」
「いりませんよ。金品では僕の心は動きません」
意外な言葉だった。
「では、何が狙いだ?」
「簡単ですよ。僕と茉冬の復縁を認めてもらいましょう」
秋澄は思わず立ち上がっていた。そんなこと、認められる道理が無い。
誰が見ても100%財産目当てだ。
「ご安心を、お義兄さん。幸せにしますから」
秋澄には『僕の幸せのために、彼女には不幸になってもらいます』と言っているようにしか聞えなかった。
「周藤君が季秋家の娘をかどわかしただって?」
『本人は言いがかりだと言い張ってるわ。でも相手のお坊ちゃんが「シラを切るのはいい加減にしろ」って』
水島にとっては意外な展開だった。
ただのデマか、さもなくば信じられないが晶が醜聞を起こした程度に考えていたのだろう。
水島自身、その手の話では叩けば埃の出る身なので、大した事とは思えない。
しかし誘拐となると話は違ってくる。
『けど、どうやら周藤は無関係らしいわね。
そのお坊ちゃんが大騒ぎしたから、将官クラスの士官がでてきてもめてるらしいのよ。
言いがかりでも特選兵士が季秋家の娘を誘拐したなんて疑いが広まれば、とんでもない騒ぎになるものね。
将軍閣下はもみ消したいらしいわ。今、必死に季秋家のお坊ちゃんを宥めて説得してるのよ』
「けど、あそこの娘が誘拐されたのは本当ってことなんだね?」
『……え、ええ。だから口止めされたのよ』
――ふーん、季秋家の娘がねえ。
水島が、その話に興味を持ったのは本当に偶然だった。
季秋家が大東亜共和国最大級の財閥だからだ。
(季秋家なら国防省に誘拐の調査と解決を依頼してくるだろう)
大財閥に恩を売るのも悪くない。水島は深夜だというのに、国防省本部に出向いた。
(それにしてもおかしい。そんな話は初耳だ……なぜ、俺に情報が届いてないんだ?)
その謎は本部に到着するとさらに深まった。そんな依頼は受けてないというのだ。
(季秋家は自分達だけで事件を解決するつもりなのか?)
あれだけの権勢を誇る家だ。それも考えられないことではない。
だが娘の命がかかわっているにしては悠長すぎるのではないか?
水島は特別資料室に出向いた。
スーパーコンピュータが何台も設置されている、国防省の脳ともいうべき場所だ。
警備担当の捜査官が敬礼してくる。
「こんな遅くまでお仕事なんて大変ですね」
決まりきったねぎらいの言葉をかけてきた。ここまでは、いつも同じだ。
「誘拐のデータと陸軍の丸秘調査資料がみたい」
「ご承知と思いますが陸軍丸秘調査は持ち出しはやめて下さいね。
しかし立花さんといい、同じ資料を特選兵士の方が必要なんて何かあったんですか?」
水島の目の色が変わった。
「……立花君が来て俺と同じ資料を要求したのかい?」
「はい」
「……そうか、あの子が」
【B組:残り45人】
BACK TOP NEXT