「緊急信号だと?どういう事だ!?」
季秋家の私有地で事件が起きた。それだけで秋澄は全神経が逆立つような気分になった。
「それで佐竹は何と言っている?」
「そ、それが連絡が一切取れません。大至急で救援隊を向かわせましたが……」
「では茉冬の、妹の無事は確認できてなのか!?」
「は、はい」
「すぐに現地に向かう、ヘリコプターを用意しろ!」




鎮魂歌―88―




「どうしたのかしら、何だか騒がしいわ」

美恵はカーテンの隙間から見える外の光景に嫌な予感がした。
「どうした鈴原?」
美恵の様子が気になったのか、桐山がそばにきてくれた。
「外を見て」
促され外を覗いた桐山も同様に何かを感じたようだ。
「……確かにおかしいようだ」
ライフルを手にした大勢の人間を乗せたジープが数台走り去った。
その数分後に、今度はヘリコプターが猛スピードで飛び立ったではないか。


「ここは安全ではないかもしれないな」
「……で、でも、桐山君達が優勝したら匿ってくれるって夏樹さんが」
「その宗方はどこにいるのかな?海外に行ったきり姿を見せないじゃないか」
確かに約束の当事者がいないのは不安の材料だった。
俯く美恵に桐山は言った。

「大丈夫だ鈴原。おまえだけは俺が守る」














「……ど、どういう事だ……これは?」

秋澄は愕然とした。茉冬の為に建てさせた山荘の玄関が派手に破壊されている。
人の気配は全くない。佐竹も、そして妹の茉冬の姿までも。

「茉冬!」

秋澄は山荘に飛び込んだ。家中の家具がめちゃくちゃになっている。
茉冬が今まで描いてきた素晴らしい日本画も、見るも無残な姿となっていた。
しかし秋澄には、そんなものどうでもよかった。

「茉冬、どこにいる茉冬!」

妹さえ無事ならそれでいい。しかし、どんなに叫んでも妹からの返事はない。
「捜せ!茉冬を捜すんだ!!」
救援隊はすでに手分けして山を捜索していた。数分後に遠くから大声で叫ぶ声が聞えた。


「いたのか!?」
秋澄は全力疾走で声の方角に向かった。
「秋澄様、こちらです!」
隊員が腕を振り回している。その、そばの大木の根本を見た秋澄の心臓は大きく跳ねた。

「……さ、佐竹?」

そこには血まみれになった佐竹が横たわっていた。














戸川は急いでいた。走ってこそないものの、足の速度は早い。
目的の病室に到着すると乱暴にドアを開いた。
集中治療室に掲げられているプレート名は『白州将』、つまり戸川の側近中の側近。

「白州!」

包帯に包まれた痛ましい姿は、戸川の自慢の右腕とは思えなかった。
医者や看護婦が止めるのもきかずに戸川は白州に駆け寄ると、その手をとった。


「誰にやられた!?」


白州は佐伯徹を尾行していた。普通に考えたら徹の仕業と考えるのが妥当だ。
しかし戸川には信じられなかった。確かに特撰兵士の徹は強い、だが、この白州にも特撰兵士クラスの実力はある。
ここまで悲惨な負け方をするはずがないと、戸川は思ったのだ。


「言え、白州!まさか佐伯なのか?そんなはずはないだろう!!」

白州はゆっくりと目をあけた。そして弱々しく腕をあげると自ら酸素マスクを取った。
「……こ、小次郎様……申し訳ありま……せ……申し訳……」
「謝罪なら後でいくらでも聞いてやる。誰にやられたんだ!!」
そうだ。それは重要な情報だった。
「……あいつを追って……け、研究……所……に」
あいつとは勿論佐伯徹のことだろう。

「研究所?」
「……佐伯……が、け、研……あ、あの……化け……もの……」

徹に自慢の部下がやられるはずはないと信じていた戸川の信念が揺らぎ始めた。
白州の言葉には徹の名前しか出てこないからだ。


「……5……5人……の……」
「5人?」


その言葉は戸川を誤解させた。
「佐伯が5人がかりでおまえを集団暴行したのか!?」
それが戸川が立てた仮説。それなら徹とかつて互角に戦ったはずの白州が派手に負けた説明もつく。


(……違う……あ、あいつらは……)


白州は必死に否定の言葉を絞り出そうとするも、そこで意識が途切れた。
戸川は尚も白州をゆさぶり、真実を聞き出そうとするも医者や看護師達が慌てて制止をかけてきた。
「やめて下さい。相手は重傷者ですよ!」
戸川は悔しそうに舌打ちすると手を離した。

「……白州」


――佐伯、よくも、よくも舐めたマネをしてくれたな。このままでは済まさんぞ、このままでは!














「佐竹、佐竹、何があった!妹は、茉冬はどうしたんだあ!!」
担架で運ばれる佐竹に秋澄は詰問した。
「……黒服の……男達が……」
「そいつらが茉冬を攫ったのか!?」
佐竹は震える腕を上げた。手に黒い布が握られている。
「……早く、大杜を助け……早く……」
秋澄には佐竹を季秋家専用医療センターにまで送ってゆく暇は無い。


「何が何でも茉冬の行方を突き止めろ!いいか全力を上げて事をあたるんだ!!」


季秋家の施設軍隊から使用人にいたるまで総がかりで捜索にあたった。
妹が正体不明の賊に季秋家の私有地からかどわかされたことに秋澄はこれ以上ないほど激昂している。
普段は温厚な秋澄が、これほど激怒するのは可愛い弟達がプログラムに放り込まれた時以来の事件でもあった。
茉冬の為に警備は万全のはずだった。山荘の周囲には侵入者を遮る高電圧の鉄柵が張り巡らせてある。
その外にはライフルを手にした警備が交替制で見張りに立っていた。
監視カメラも勿論数多く設置されており、怪しい人影でも捉えようものなら本家の警備部が即座に動くはずだった。
それなのに賊はどうやったか知らないが、鉄柵を軽々と越え侵入、そして監視カメラにも全く映ってない。
ただの金目当ての誘拐犯とは思えない仕業に秋澄はますます感情を乱した。




「どういうことだ!季秋家の私有地に賊の侵入を許しておいて証拠が一切あがらないとは!」
季秋家の警備部の人間はただただ頭を下げるしかなかった。
「妹に何かあったら懲戒免職ではすまないぞ。この給料泥棒!!」
秋澄は頭を抱え込んだ。
「お祖父様や叔父さんが海外で留守中に何てことだ……おまけに夏樹と連絡が取れないなんて」
秋澄は公平で寛大な人格ではあったが、緊急時における判断力に長けているとは言いがたい。
有事の際には大抵有能な弟達に頼っていた。


「夏樹はどこにいるんだ!もうアメリカから帰国しているはずだろう!!」
携帯電話に全く繋がらない。だが確かに数時間前に自家用ジェット機で帰国した事は確認されている。
「秋利はどうした!冬也はまだ帰らないのか!!」
夏樹だけではなく秋利や冬也まで連絡がとれない。最悪だった。
ちなみに、こんな救急時だというのに秋澄は父親のことはすっかり忘れていた。
そして父・剛志はというと、大勢のガールフレンドとゴルフを楽しんでいた。


「俺は茉冬をみすみす攫われるために、君達を高給で雇っていたわけではないぞ!
この責任どうつけるつもりなんだ!妹に何かあったら、何かあったら俺は……!」
「秋澄さん、少しは落ち着いたらいかが?」
「は、葉月……」
「あなた達、もう退室していいわよ。引き続き調査して何かあったら、すぐに知らせるように」
「は、はい!」
全員退室し、部屋には秋澄と葉月だけになった。




「秋澄さん、しっかりなさってください。今、あなたが毅然としなかったら、茉冬さんは本当に戻ってこなくなりますわよ」
「……し、しかし葉月。夏樹や冬也が……」
「季秋家の次期当主は夏樹さんではなくあなたです。もうお忘れなの?」
秋澄はソファに腰を降ろした。その顔つきは、まるで急に老けたように疲労している。
「……わかってる、わかっている」
秋澄の精神は限界ギリギリだった。佐竹が受けた仕打ちから考えると相手は凶悪な連中だ。
おそらく女子供でも容赦しないだろう。もしかしたら茉冬にすでに危害を加えているかもしれない。
想像するだけで秋澄は生きた心地がしなかった。


電話が鳴った。普段は爽快に聞えるメロディが、やけに重苦しく聞える。
誘拐した以上、犯人から何か要求が来ることはわかっていたが早すぎる。
葉月は電話のスイッチを押すと、受話器を秋澄に手渡した。
「よろしいですわね?犯人に要求は全て聞き入れると返事なさって下さい」
「……あ、ああ」
固唾を飲んで受話器を耳に当てると、何人もの人間の声が重なっているような変な声が聞えてきた。


『よう、季秋の若君様。可愛い妹さんを預かってるぜ』
「貴様……!」

秋澄は憎憎しげに叫んだ。目の前に犯人がいたら問答無用で殴っていただろう。


「妹は、茉冬は生きているんだな!」
『当然だろう。大事な人質だ、あの男みたいに痛めつけるわけねえだろ』
「目的は何だ、金か?いくらでも払うから妹を返してくれ!」
『そう慌てるなよ。後でまた連絡してやるぜ』
「待て、まだ話は終わってないぞ!」
ツーツーと忌々しい音だけがリピートされている。秋澄は受話器を叩きつけるように置いた。


「すぐに音声処理班に解析させましょう。何かわかるかもしれませんわ」
「……機械を通して声を変えていた。これでは声紋照合も不可能だ」
「季秋家の警備をかいくぐって誘拐した連中ですよ。そんな人間なら限定されるでしょう」
「だが、それだけで調べるには膨大な時間が……」
葉月は秋澄の前のテーブル台に膨大な書類をそっと置いた。
「手掛かりはありますわ。佐竹が握っていた布を科学的に分析させています」
一見、どこにでもあるような布切れだったが、実際は違った。
それは普通の布の何倍も丈夫な特殊加工された布で、一般人が普段着に使用するものではない。
染料を分析すれば出所はかなり限定される代物だった。
「それから父に連絡して協力を要請いたしました。すぐに誘拐専門の特殊チームが来ます。
衛星カメラを調べさせた処、怪しい車が映っていました。おそらく犯人グループのものでしょう。
茉冬さんに取り付けておいた発信機は、すでに電波が消えています。
誘拐直後に破壊された事を考えると、相手は間違いなくプロです。
ですが茉冬さんには、特別な発信機をつけてあります。すぐに結果が出ますわ」









「三こか、やっぱり付けてやがったぜ」
探知機により発見された発信機は、その場で踏み潰された。
「しかし、いい女だよな。俺らが普段相手にしてるアバズレとは違う正真正銘のお嬢様だぜ」
「……ぅ」
茉冬はさるぐつわに目隠しをされた上、ロープで縛られていた。
大人しい彼女にとっては、まさに耐え難い恐怖。
目の前で佐竹を半死半生にした凶悪な連中に囲まれているのだから無理も無い。
あまりのことにぽろぽろと涙をこぼしているが、そんな哀憐漂う姿も、この野獣達には通用しないだろう。


「なあ、いいだろ?やっちまおうぜ」
「おまえ達、黙ってろよ!」
元々、この作戦に反対だった佐々木は慌てた。
「下手なことしたら、どんな復讐されるか……考えただけでぞっとするぜ」
季秋家の息子をプログラムに強制参加させた件では、その報復として関係者全員が壮絶な報復を受けた。
佐々木はそれを恐れいたのだ。
「いいか、この女には手を出すなよ。勝手なことしたら殺すからな」
「……ちっ、わかったよ敦。おまえは妙に小心者なんだよな」


海老原達がアジトに選んだのは、季秋家の土地から数十キロしか離れていない小さな集落の一軒屋だった。
灯台下暗し、まさかこんな近くにいるとは思っていないだろう。
だが海老原達が季秋家から目と鼻の位置を拠点としたのは他にも理由がある。
季秋家の動きを知るためには、あまり遠くに行くわけにはいかない。
もう一つの理由は季秋家の検問に引っ掛かることを避けるためだった。
実際に葉月の素早い指示により、季秋家の勢力範囲の主要道路は封鎖された。
衛星カメラを駆使して海老原達が使用したワンボックスカーを捜させている。
海老原達も馬鹿ではないので犯行には盗難車を使用した。
しかし、念には念を入れ危ない橋を渡るよりも隠れた方がいいと判断したのだ。




「ここならばれないだろう。季秋家に電話をしてやるか」
海老原は逆探知不可能の特殊な電話を手に取った。
『待っていたぞ。さあ要求を言え、何でものもう』
「いい心がけじゃねえか。まずは金だ、10億ほど用意してもらおうか」
海老原は本当なら100億ほど頂きたかった。しかし、それだけの金を持っては動きが取れない。
『わかった。引渡し場所は?』
「それは追って連絡する。それから、もう一つ。おまえの家で匿っている連中を引き渡してもらおうか」
『何のことだ?』
海老原は妙だと思った。秋澄の口調は嘘をついているものではない、本当に知らないようだった。


「K-11と繋がりがあるらしい謎のガキの集団のことは知っているだろう」
秋澄には覚えがあった。夏生が匿っていた者たちだ。
しかし夏生には厳しく言い聞かせておいた。もう何の関係もないはずなのだ。
『待ってくれ。確かに弟が得体の知れない人間を一ヶ月前に面倒見ていた。
だが弟は何も知らずに憐憫の情をかけただけだ。連中は正体がばれる前に逃げた』
本当は追い出すように厳しく言い渡しただけだったが、秋澄は弟を庇って嘘をついた。


「とぼけるんじぇねえ!総統杯で、そいつらがてめえの弟と一緒だったのを、こっちは目撃してんだよ!!」


『何だって?!』
これには秋澄は驚愕した。自分は何も知らなかった。
(う、うちの弟が、そんなことをしていたなんて……)
まさに、うちの子に限ってである。しかし、今はそんなことは問題では無い。
『わ、わかった。すぐに弟を問い詰めて連中を引き渡させる。だから、茉冬の声を聞かせてくれ』
誘拐では、必ず出る台詞だが、秋澄には妹の無事を確認する以外に目的があった。
葉月が茉冬に付けさせていた特殊発信機によって茉冬の居場所は判明している。
(他の発信機が破壊されると、自動的に10分後に起動するものだった)
救助隊が到着するまで、なるべく時間を稼ぎたかった。
だが、突然、何の前触れもなしに海老原は電話を一方的に切った。









「……ど、どうしたんだ?」
犯人は余裕のある口調だった。それが、いきなり電話を切った。
嫌な予感に秋澄は心底ぞっとした。そして数分後、再び電話がなった。
「どうして電話を切ったんだ!」
非難めいた口調の秋澄に、海老原は恐ろしい怒鳴り声をあげた。


『どうしてじゃねえだろ。てめえ俺を舐めてるのか、闇討ち仕掛けやがって!!』

秋澄の全身が一瞬硬直した。その数秒後、額から一筋の汗が頬を伝わり床に落ちた。

『季秋の若様よ、てめえの馬鹿げた判断で罪の無い人間が大勢死んだんだぜ?』


(……こ、こんな短時間で一個部隊を全滅させた?な、何者なんだ、こいつら)


最新の武器、最高の兵士、そして最上の指揮の元で決行させた救出作戦だった。
茉冬を助け出せると半ば安堵していた分、秋澄は恐怖で言葉もなかった。
救出作戦が失敗し、犯人達を怒らせた以上、その矛先は間違いなく茉冬に向けられるからだ。


『てめえ、妹の声が聞きたいって言ってたよなあ。いいぜ、聞かせてやる。
おい、さるぐつわを外してやれ』


その数秒後に、『兄様!』と聞えてきた。
「茉冬!」
『おい、やれ』
底冷えするような冷たい声だった。直後、悲鳴が聞えてきた。


『いやあ、助けて兄様!』
「茉冬!」


『うちの連中は下劣な獣揃いでなあ』
下卑た口調に秋澄は完全にパニック状態になった。

「や、やめろ!妹に手を出すな、頼む、何でもするから茉冬を傷つけないでくれ!!」

電話の向こうで勝ち誇ったような笑い声が聞えた。
『おい、やめろ。今回だけは勘弁してやるが、今度ふざけたマネしたらわかってるなあ?
てめえの可愛い妹は冷たくなって帰宅することになるぜ』
「……わ、わかった」
秋澄は項垂れながら小さい声で呟くように言った。
『後でまた連絡する。国防省にだけは絶対に知らせるなよ』
悪魔との通話は終わった。


「……茉冬、かわいそうに。兄さんが必ず助けてやる、必ず」

――その為なら、何でもしてやるからな。









「何の音かしら?」
廊下から物々しい音が近付いてくる。集団の人間の足音だ。
それは部屋の前でとまった。そして、バーンと派手な音と共に扉が開かれた。
「ち、ちい兄ちゃん!」
夏生は「まずい」と、あからさまに表情を歪めた。
「……夏生、おまえ兄さんの言う事をきかなかったんだな。まだ、こんな連中とつるんでいたんだな!」
「こ、これは、ちょっと訳ありで……あー、でも夏樹兄ちゃん達には了解とってるんだ。
だから落ち着いてくれよ兄ちゃん。な?」


「落ち着いていられるか!!」
「……に、兄ちゃん?」


夏生は驚いた。普段は弟の自分にさえ強気な態度をとれない兄とは別人だ。
「おまえはもう彼らからは手を引きなさい。これは命令だ!」
(……お、おい、どうなってんだよ。いつもの兄ちゃんじゃねえ、何があったんだ?)
秋澄の変わりように夏生のみならず冬樹も驚いた。
「兄貴どうした。らしくないじゃないか」
「冬樹、おまえは黙っていなさい。彼らは兄さんに引き渡してもらおう」
「はあ?」
彼らという単語の中には美恵や貴子も含まれている。冬樹にとっては、それが肝心だった。


「ちょっと待てよ兄貴、野郎を連れて行くのは全っ然かまわねえが、美恵と貴子だけは許さないぞ!」
「そうだ、そうだ、光子ちゃんは俺の彼女なんだぞ!」


冬樹と夏生は愛する者のために突然徒党を組んだ。
「第一、夏樹兄ちゃんの意思を無視して、そんな乱暴なこと、いくら兄ちゃんでも許されねえぞ!」
「今は夏樹の意思を確認している暇なんてない!茉冬が誘拐されたんだ!!」
初めて事情を知った夏生と冬樹は、さすがに驚いたようだ。
「犯人は彼らを引き渡せと要求している!」
夏生と冬樹も驚いているが、一番驚愕したのは当事者である美恵達だろう。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ兄ちゃん。茉冬が誘拐って本当なのか?」
「こんな事を冗談で言えるか。茉冬と彼らの身柄を交換することになっている。
これでわかっただろう?さあ、こちらに引き渡してもらうぞ」
「ま、待ってくれよ兄ちゃん。光子だけは――」
思わず本音が出てしまった夏生。反射的に両腕を広げて秋澄の前の立ちはだかってしまった。
「夏生、おまえは赤の他人と実の姉妹の茉冬とどっちが大事なんだ!」
「……うっ、それは」
うろたえる夏生。反して冬樹は元気よく叫んだ。


美恵と貴子に決まってるだろ!いくら美人だろうが、姉貴じゃしょうがねえ!!
俺は近親相姦とは無縁の健全な男子中学生なんだ。
何だって、こんな厄介なことになったんだ。茉冬の奴、あっさり誘拐なんかされてんじゃねえよ!!」

ちなみに冬樹は知る由もなかったが、海老原達がタイミングよく茉冬の出先に現れたのは偶然ではない。
彼がばら撒いている茉冬の生写真の裏に、茉冬をナンパしやすいように詳細なプロフィールが記載されている。
その中に、『週末の午後には大抵山に行く。ナンパするには、この地がポイント』などとある。

「そういうわけだ。茉冬を助ける為に彼らと身柄交換させてもらうぞ
次に犯人から連絡が来るとしたら受け渡し場所と時間を指定してくるときだろう。
それまで彼らは逃げないように監禁させてもらうからな」









「陸軍ですって?」
乃木は科学分析班からの調査結果を葉月に詳細に報告していた。
「はい、軍や警察を相手にしている衣料品会社が特許をとった布だそうです。
染料を分析したところ、昨年から陸軍に出荷している製品に間違いないと。
相手はただの誘拐犯ではなく、もしかして政府の意を汲んだ人間では?」
乃木の推理は半分外れ、半分当たっていた。
「陸軍に在籍している兵士は星の数ほどいるわ。いえ、除籍した人間も含めると、その数は倍になるでしょう。
でも佐竹を退け、一個部隊を壊滅させるほどの人間は、そうはいない」
「じゃあ、やっぱり政府が……!」
「いいえ」
葉月は自信ありげに否定した。
「軍務省にそんな動きはないわ」
葉月は大物議員に強い人脈がある。軍務省に強い権力を持っている政治家から情報を得ていたのだ。


「もっとも個人が勝手に動いているとしたら話は違ってくるけれど」
葉月は分厚いファイルを乃木に渡した。
「陸軍の名の知れた兵士の顔写真よ。佐竹に見せなさい」
「しかし佐竹さんは意識不明で――」


「俺ならここにいるぜ」

乃木はハッとして振り向いた。岩崎に抱きかかえられた佐竹が立っている。

「佐竹さん、何しているんですか。あなたは大怪我してるんですよ」
「……俺が不甲斐無いばかりに大杜を拉致されたんだ。
こんな時にベッドの上でおねんねなんてダサいマネできるかよ」
「でも犯人は覆面で顔を隠していたんでしょう?」
「体格までは隠せねえだろ……それから目もだ。貸せ!」
佐竹は乃木からファイルを奪い取るとソファに倒れこみ、その膨大な資料を一枚一枚目を通し出した。


「犯人が特定されるといいですね。でも陸軍に配布されていた製品を着用していたとはいえ、陸軍の人間とは……」
断定はできない、しかし葉月の考えは違った。
「賊は『国防省にだけは絶対に知らせるな』と言ったわ。普通は『警察』と言うべきでしょう?」
「それは普通の家ならそうでしょう。
でも季秋家ならば警察など飛ばして国防省に事件解決を依頼すると考えても不思議ではないでしょう」
「私が気になるのは、あの言い方です。『国防省には知らせるな』ではなく『国防省にだけは絶対に』でした」
「……ああ、そういえば変ですね。まるで国防省に情報が漏れることを恐れているみたいじゃないですか」
海老原は他の特撰兵士に手柄をくれてやるつもりは毛頭なかった。
その為、他に情報が漏れることを嫌い、つい感情的になって言葉を選ばなかったのだ。
海老原は、つい『克巳にだけは絶対に知らせるな』と吐いてしまっていたというわけだ。


「それから犯人は『総統杯』で彼らを目撃したと言っていたわ」
「……国防省に協力を要請してみますか?」
「いいえ、それが犯人にばれたら今度こそ茉冬さんは殺されます」














「……くっ」
徹は腕をおさえた。出血は止まったが激痛は相変わらず続いている。

(際どかった。トラップに気づくのが後少し遅かったら確実に俺は死んでいた)

瞬は本気で自分を殺そうとした。その事実が徹の心を修羅にした。

(あの糞野郎……良恵の肉親だからと思って甘く見てれば)

徹はあわよくば瞬をこの世から消してやりたいと思っていた。
その心に制止をかけていたのは良恵の存在だ。
瞬が死ねば良恵が悲しむ。まして手をかけたのが自分では、自分と彼女の関係は気まずいものになるだろう。
良恵を悲しませたくはなかった。良恵に嫌われたくはなかった。
だからこそ、瞬との直接対決は避けたかった。その想いに瞬ははっきりとNOと突きつけたのだ。


――殺してやる。


こうなったら、つまらない感傷で思い止まっている余裕は無い。
徹は決意した。今度、瞬を目にする時は彼の息の根を止めるときだと。














「立花薫に連絡しただと!葉月、君は一体何を考えているんだ!!」
「彼には上に一切報告しないと約束させました。あなたと個人的に連絡がとれる方が彼しかいなかったので」
秋澄は悔しそうに唇を噛んだ。妹を救う為とはいえ薫の力を借りるのはかなりの苦痛なのだ。
「犯人は慎重になっています。特殊発信機も破壊されました。
もう茉冬さんの居場所を突き止めることは難しいとおわかりですね?」
救助部隊を皆殺しにした直後、海老原達はアジトを引き払った。
もちろん衛星カメラで後を追ったが、林の中に紛れた後に地下道を利用らしく足取りは消えた。
だが遠くにはいっていない。季秋の総力を挙げ包囲網を形成したのだ。その中から逃げ出した形跡はまだ無い。
「彼は喜んで協力するとおっしゃってます」
「…………」
「茉冬さんを助ける為に大人になってください」
秋澄は観念したように「わかった」と吐き捨てソファに座った。














「長官、大変です長官!あ、あの研究所が……!」
「どうした騒々しい」
宇佐美は室内練習用のゴルフに興じていた。

「……Ⅹ1達が」

『Ⅹ1』という単語に宇佐美は異常に反応した。

「ば、馬鹿者!そんな連中はこの世に存在しない。あいつらは死産だったんだ、忘れたのか!?」


「……も、申し訳ございません。しかし連中がいる研究所が」
宇佐美はごくっと唾を飲み込んだ。


「……な、何があった?」
「通信が切れたので調査したところ……研究所の所員は全員監禁され、地下は爆発」
「……あ、あいつらはどうした?」
「い、いません……死体もありません。脱走したんです!!」


宇佐美はその場にへたっと座り込んだ。その姿は実に情け無いものであった。
だが宇佐美には、今の自分の姿を省みる心の余裕はなかった。

「……に、げた……あ、あいつらが……あ、あいつらが……!」

宇佐美は情け無い悲鳴を上げると電話の受話器に飛びついた。


「よ、呼び戻せ。今すぐにだ!!」
『ちょ、長官、落ち着いて下さい。どうしたのですか?』


電話の向こうの海外欧米エリア地区担当次官は宥めるように言った。

「いいから今すぐに帰国させろ!!」
『待って下さい。帰国させろといわれても、一体誰のことをおっしゃっているんですか?』
「愚か者め!そんなことは決まっているだろう!!」




「晃司と秀明を即座に帰国させるんだ!!」




【B組:残り45人】




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