「どうした?ほら、来いよ」
駆け寄ってこない。冬樹にとっては予想外の事だ。
「冬樹、この騒動はおまえが原因なのかよ!」
「それくらい頭で理解しろよ春樹!だから、おまえはいつまで立っても半人前なんだよ!」
美恵は、こんな騒ぎを起こしておきながら平然としている冬樹の神経に愕然とした。
「さあ、おまえ達、さっさと俺の胸に飛び込んで来いよ」
冬樹は相変わらず両腕を広げスタンバイしている。
「駄目だよ冬樹、きっとは二人はそんなことしないと思うよ」
春海が穏やかな口調で言った。冬樹は怪訝そうな表情を浮かべる。
「何でだよ。こいつらは俺にぞっこんなんだぞ」
美恵も貴子も心の中で「違う!」と叫んだが、あまりのことに唇が震えて言葉には出なかった。
「だって、こんな大勢のひとの前でそんなこと普通できないだろ?」
その大勢のひとは爆発でパニック状態。此方を見ている人間は一人もない。
しかし冬樹は納得したのか、ぽんと手を叩いた。
「なるほど」
「なるほどじゃねえ!兄貴、こいつは爆弾魔なんだ!」
「ああ、そうだったね。冬樹、駄目じゃないか、こんな事して大勢のひとに迷惑かけるのは良くないよ」
「安心しろよ。実行犯は俺じゃない」
鎮魂歌―87―
「どこだ、どこにいる!」
雅信は起爆スイッチを握りしめながら観客席を猛スピードで走り抜けていた。
パニックになった烏合の衆ほどうざいものはない。彼らは雅信の行く手を遮る疎ましい連中へと変化する。
「邪魔だ、どけ!」
数人を殴りとばしながら雅信は起爆スイッチのボタンを二度おした。
爆弾自体は小さなもので破壊力は大したものではない。
しかし理性を無くした群衆には核爆弾並みに思えたのか、彼らはさらに理性を無くした。
そんな中、雅信は探した。彼の運命の恋人・美恵を。
「いない、いない、いない!」
逃げ惑う人ごみの中に彼女らしき者を見つけ、慌ててその肩を掴み振り向かせると似て似つかぬ女。
「ふざけるな!」
雅信は理不尽にも彼女を放り投げた。
(季秋冬樹の情報では、この辺りにいるはずだ。もしかして会場の外に逃げたのか?)
雅信は騙されていた。美恵に懸想している冬樹が正直に話すわけが無い。
見当違いの場所を探していることに気づかない雅信、しかも冬樹が嘘情報を教えた理由はもう一つあった。
この場所は特別観戦席から近い。特撰兵士が動けば、間違いなく目立つ雅信が囮になる。
雅信は冬樹に盛られた薬のせいで完全に理性を失っており、そんなことにすら気づかなくなっていた。
「どこにいる、どこにいるんだ!」
薬は雅信の視覚にも影響を発揮しだした。彼の視界はぐにゃっと曲がり、次に幻覚を見せた。
目の前の人間の顔が美恵の顔となって雅信を見詰めたのだ。
雅信は飛び上がった。ようやく会えたのだ、もう離れない、いや逃さない!
「ぎゃあ、何をする!」
金髪の悪魔に抱きしめられ絶叫する男。
その瞬間、雅信の目には美恵が突然、見も知らぬ男に変化したように見えた。
「俺を騙したな!」
雅信は、その哀れな男を殴り飛ばした。鮮血が飛び散る。
「おまえか!?」
「ひっ、な、何なんだ!?」
「おまえも違う!ふざけるな!」
雅信の理不尽極まりない暴力は続く。狂った悪魔がもたらす血の洗礼に観客達は爆発以上に恐れをなした。
「ひぃー!た、助けて、殺される!!」
逃げ惑う観客達。しかし雅信を恐れた者達が、出入り口の非常シャッターをおろした。
「お、おい、俺達を見殺しにするつもりか!」
「開けろ、お願いだ。開けてくれよ!!」
取り残された者は必死にシャッターを叩いたが無駄だ。悪魔が目をぎらつかせながら近付いてきた。
「や、やめろ!俺が何をしたっていうんだぁ!!」
「殺す!」
雅信は大きく飛び上がった。その姿は怯えきった観客達には何倍にも大きく見えた。
「やめろ雅信!」
雅信の全身がびくっと硬直、そのままの体勢で着地した。
「何のつもりだ雅信……説明してみろ」
雅信はゆっくりと振り向いた。
「……氷室隼人」
隼人は雅信にとって、もっとも苦手な人間だった。
「こっちに来るんだ雅信。さあ」
雅信は普通では無い(もっとも元々まともではなかったが)と、隼人は気づいていた。
「雅信、おまえは病気なんだ」
隼人はなるべく興奮させないように慎重に言葉を選んだ。
「……病気?」
「そうだ。病気には治療が必要だ、わかるな?」
刺激しないように穏やかな口調で宥めながら隼人はゆっくりと雅信に近付いた。
そして歩きながら、捕獲用の手錠を袖口に仕込んだ。雅信は勘が鋭い、勘付かれてはならない。
「……来るな」
雅信が威嚇のオーラを放った。完全に警戒している。
「雅信、おまえは自分がした事がわかっているのか?今なら、まだ間に合う、おとなしくしろ」
「……嫌だ」
雅信は起爆スイッチの残りのスイッチを一気に押した。
「嫌だ!!」
ほぼ同時にいくつもの爆音が会場を包み込んだ。こうなったら問答無用だ。
隼人は走った、しかし雅信も捕まってなるものかと猛ダッシュした。
「な、何の騒ぎよ、これ!」
控え室前の廊下にいる光子達にも、その騒ぎは聞えた。
「試合場から聞えるな……相馬、おまえ達は非常口から外に逃げた方がいい」
「でも観客席には美恵がいるのよ」
他の連中はともかく、たった一人の親友を見捨てて逃亡するなど、さすがの光子もできない。
美恵は光子に唯一与えてくれた大切な存在。
悪女の深情けというように、本物の真心で接してくれる相手には、光子は断ち切りがたい情を抱いているのだ。
「そうだ、鈴原を助けにいかないと!」
「貴子さんもだ!」
「た、貴子!貴子を守らないと!!」
三村と雨宮、それに杉村も、こうしてはいられないと、ほぼ同時に踵を翻した。
その時、彼らの真横を猛スピードで駆け抜けてゆく男の姿があった。
「き、桐山!?」
爆音を耳にした桐山は医療室を飛び出し廊下を疾走していたのだ。
「何よ、あれ。あら?」
その桐山と反対に此方に猛スピードで走ってくる影が一つ。
「光子ちゃーん!!」
「あら夏生さん」
夏生は光子の元に駆け寄ると、すかさず箕輪と光子の間に入った。
「さあ、俺と逃げよう。俺が助けてあげるからね」
そして箕輪には手の甲をふり「しっし」と失礼なジェスチャーをしている。
「どうやら王子様の参上らしいな相馬」
箕輪は自分の役目は完全に終わったとばかりに非常口に向かって歩き出した。
「箕輪君、ありがとう。またね」
にこにこと手を振る光子。夏生は、そんな光子の手をとって走り出した。
「さあ急いで。こっちにヘリを待たせてある」
「しょうがないなあ、照れ屋のおまえたちの為に俺が歩み寄ってやるぜ。さあ、抱きしめてやる」
冬樹は両腕を広げて駆け寄ってきた。
「ふざけないでよ!」
貴子は、その見事な脚線美から蹴りを繰り出すも、冬樹は華麗に飛越する。
そして美恵と貴子の背後に着地すると、予告通り二人を思いっきり抱きしめた。
「ツンデレも可愛いぜ貴子」
「ちょっと離しなさいよ!」
「やめてちょうだい!」
二人は必死に冬樹の腕の中から逃れようともがいたが、冬樹の腕力はびくともしない。
「素直になれよ」
「最初から素直だわ!」
などと美恵が主張しても、もちろん冬樹は聞いてない。
「冬樹も僕達と一緒にヘリコプターで脱出するかい?」
春海の提案に、春樹が慌てて反対意見を表明した。
「兄貴、こいつが元凶だぞ。こんな奴、捨てて行こうぜ!」
「駄目だよ。連れて帰ってちゃんと叱らないと。冬樹を残したら、またどんな悪さするか」
「……確かにそうだけど」
春樹は憮然としたが、優しい兄に対してあまり強く反対もできない。
「冬樹だって本当は良い子なんだ。反省しているよね?」
「そうそう、俺は同じ過ちは二度と繰り返さない。今、心の底から反省してまーす」
春樹は心の中で絶対に嘘だと叫んだ。
「帰ったら秋澄兄さんに叱ってもらうからね」
「ああ、そうするぜ」
冬樹は思った。秋澄兄貴か……ちょろい、ちょろいと。
「あ、夏生達だよ」
プロペラが回り始めと同時に桐山達が姿を現した。
「桐山君!」
「弘樹!」
心配していただけに無事な姿を見られて嬉しい二人。が、その二人の笑顔は冬樹を愕然とさせた。
「は?」
仲間の元に駆け寄る美恵と貴子。
「桐山君、体は大丈夫?三村君や七原君も随分やられて怪我したんでしょう?」
「弘樹、ほら肩貸すから」
「……どういう事だ?」
冬樹の心に二人に対する疑惑が生じた。
「さあ早く」
しかし今は脱出するのが最優先だ。全員ヘリコプターに乗り込んだ。
「冬也兄貴はどうすんだよ?」
「夏生は本当に優しい子だね。でも兄さんは大丈夫だよ、貴賓なんだから最優先で避難させてもらってるさ」
「それもそうだな」
ヘリコプターが飛び立った。会場は今だパニックだが、元々爆弾は小型、怪我人も出ていないだろう。
(雅信に襲われて怪我人となった者はいるが、冬樹がそれを知っても自分は関係無いと思うに違いない)
「……あ、あれは」
ヘリコプターを眺める男がいた。金髪フラッパーパーマの悪魔だ。
「俺の女!」
雅信は確かに見た。今度は幻覚では無い、確かに美恵だった。
「……あいつ!」
冬樹の姿もあった。彼女と一緒にヘリコプターに同乗してる。
冬樹は雅信に美恵を奪い返すチャンスをくれると言った。だから手を組んだ。
この会場に爆弾を仕掛けパニックを起こしのは雅信の手柄だ。それなのに美恵を冬樹に連れて行かれようとしている。
「俺を騙したのか!」
雅信はようやく事に真実を知った。
「殺す、八つ裂きにしてやる!返せ、俺の女を返せー!!」
走った。今なら間に合う、ヘリコプターが上空に舞い上がる前に奪い返してやる!
だが雅信は背中に衝撃を感じ、そのまま地面にうつ伏せに倒れた。
「そこまでだ雅信!」
「氷室隼人!」
隼人は雅信を地面に押さえつけ、その手に手錠をかけた。
「離せ、俺の女、俺の女が!!」
「観念しろ雅信!こんな事が公になったらどうなる、おまえは自分の立場をわかっているのか!?
おまえは特撰兵士だ。すこしは自分の職責を全うしたらどうなんだ!」
「離せ離せ離せ!!」
これ以上の問答は時間の無駄だ。隼人は銃を取り出すと雅信の後頭部に思いっきり振り下ろした。
「……俺の……女」
雅信はがくっと、その場で意識を失った。
「何だ、何だ?」
特別控え室で箕輪の悪口三昧にふけっていた海老原の耳にも突然の爆音と絶叫は届いていた。
「ちっ、騒がしいな。ガス爆発……でもなさそうだ、バカなテロリストでも乗り込んできたのか?」
ソファにふんぞり返りながら海老原はリモコンのスイッチを押した。
試合会場の様子が映し出されるモニターには煙や逃げ惑う人々の姿がある。
「何が起きたんだ?」
「テロリストみたいだな。竜也、行こうぜ」
「何、言ってんだ敦」
「五期生に手柄横取りされるだろ」
五期生ときいて海老原は立ち上がった。働くのは嫌いだが、五期生に負けるのはもっと気に入らないのだ。
「それにしてもおかしくないか。犯人の姿がどこにもないぜ」
確かに妙だった。爆発は起きてるが、肝心の犯人の姿がどこにも見当たらない。
「隠れているのか。それとも逃げる観客に混じっているのか?」
結論を言えば、そのどちらでもないが、そんなこと海老原達に知る由も無い。
「このモニターじゃわからねえな。地下の警備室に行こうぜ。
あそこの監視用カメラのモニターなら、何か手掛かりが見付かるかもしれない」
佐々木の提案に海老原はすぐに行動した。
「……おい何だ、これは」
警備室では監視モニターを担当していた兵士達が床に倒れていた。
死んではいないが意識はまったくない。ここに事件の犯人が訪れた何よりの証拠。
「……おかしい」
「おい敦、おかしいって何がだ?」
「普通、犯人が監視モニタールームに用があるってのは、自分達の姿を撮られないようにモニター壊すためだろ?
けど一台も壊されてねえ。マジで会場を襲うつもりあるのかよ?」
もっとおかしいのは警備の人間が一人も殺されていないことだ。
「こいつら抵抗した跡すらねえ。相手はプロだと思っていいぜ。
そのプロがこいつらを殺すどころか拘束すらせず、そのままほかっておくなんてありえねえよ」
佐々木は「まるで遊び半分としか思えねえ仕事ぶりだ」と言った。
「遊びでこんな騒ぎ起こすなんざ、よっぽどの暇人か、よっぽどの馬鹿しかいねえだろ!」
「……それもそうだな。俺の考えすぎか」
佐々木は苦笑いしたが、実際彼の分析はほぼ当たっていた。
「犯人が映ってねえカメラ映像に用はねえ。直接捜すしかねえな、おい行くぞ!
いいか挙動不審な奴を見つけたら片っ端から捕まえて俺に差し出せよ。わかってんだろうなあ?」
海老原の台詞は『手柄は俺の物だからな』という意味が込められていた。
誰もが不満に思いながらも口に出して反対するものはいない。
「おい、あれ見ろよ。ヘリだぜ」
モニターの片隅にヘリコプターが映っていた。もっとよく観察したいが、煙が覆い隠している。
「あれに犯人が乗っているかもしれないな。よし、すぐに行くぞ!」
海老原達は警備室を出て階段を駆け上がった。煙が観客席を包んでいる。
「竜也、あそこだ!」
佐々木が指差した。煙の合間から、ちらっとヘリコプターの機体が光に反射してきらめくのが見えた。
「……あいつは!」
「どうした竜也?」
「どうしたじゃねえ、よく見ろ!」
煙が機体を遮り、風が煙を吹き飛ばした時には、すでにヘリコプターは小さくなっていた。
「何が見えたんだよ?」
「……季秋家のヘリだったぜ。乗っていた連中の中に、あのお尋ね者が何人かいやがった!」
不特定多数の視線に晒される良樹達は変装していたが、美恵や貴子は、そんな必要がなかった。
万が一の為に、帽子とサングラスは着用していたものの、この騒ぎでそんなもの外れている。
海老原は、その彼女達を見たのだ。
季秋家が彼らを保護していた、どんなに手を尽くして捜しても見付からないはずだ。
「畜生、ふざけやがって!だが、これで俺様の手柄が増えるな。
他の連中は気づいてねえんだ、すぐに奴らを捕らえれば……」
海老原のシナリオは単純だった。奴等を逮捕し、芋づる式にK-11を殲滅する。
ここ最近、軍功を上げられずに焦っていた海老原に大きなチャンスが舞い込んできたのだ。
「……竜也、ちょっといいか?」
諸手を挙げて喜んでいる海老原とは反対に、佐々木は慎重な面持ちで、いったんその話を引っ込めさせた。
会場の騒ぎも数分後には一段落した。
仕掛けられた爆発物も大した威力ではなかったことから、ただの悪質な悪戯として処理された。
雅信は隼人が拘束し、どこかに連れて行った。隼人以外、誰も彼の存在に気づいていなかった。
そして隼人から直人に引き渡され、逃亡の罪だけが問われることになったのだ。
結果的に国防省は、雅信が騒ぎを起こしたことは隠蔽した。
直人は雅信に他に共犯者がいるだろうと尋問したが、雅信は黙秘を貫いた。
雅信は冬樹のことは上にばらさなかった。勿論、冬樹を庇ったのではない。
(……俺を騙して、俺の女を連れ去った)
隠した理由は二つ。まず一つは美恵を奪い返すためだ。
冬樹のことをばらせば、美恵の事も直人にばれる。
直人はお尋ね者である美恵を逮捕するだろう。そうなれば彼女は雅信の手に入らなくなる。
そしてもう一つの理由は、冬樹に対する盛大な復讐心だ。
(俺の手で八つ裂きにして殺してやる!)
「季秋家に手は出せない?ふざけてんのか敦、あいつら国に逆らってるんだぞ!」
目の前に手柄がぶら下がっている海老原は感情的になって怒鳴り散らした。
今、彼らは四期生が個人的なアジトとして使用しているマンションにいる。
メンバーは海老原をはじめとする陸軍特撰兵士及び空軍の多田野だ。
「相手は総統陛下ですら滅多に手を出せない季秋家だぞ。下手なことしてみろ、潰されるのはこっちだ」
佐々木は季秋家を恐れていた。季秋家の権力は財閥の域を超えている。
「敦!てめえは国に仕えてるのか、それとも季秋家か!」
「も、勿論、軍人は国家や総統陛下だ。けどな、証拠も無しに季秋を糾弾なんかできるかよ!」
「俺が、この目でばっちり見たんだよ!!」
「一瞬見ただけだろう!そんな事で動けるか、季秋はまともにやって戦える相手じゃない!
それに忘れたのかよ?以前、俺が戦場で知り合った科学省のガキから聞いた情報教えてやっただろ?
季秋家の中には……あ、あの最強無敵のはずの高尾晃司と互角にやり合ったらしい奴もいるって」
高尾の名前が出た瞬間、海老原の不機嫌度は五割り増しとなり、他の特撰兵士達は顔色を失った。
「季秋を怒らせてみろ。手柄たてるどころか、季秋はきっと軍務省に俺達の処分を要求するぞ。
特撰兵士の称号を剥奪させるくらい、あいつらなら簡単にやれる。
なあ、やめようぜ竜也。今回ばかりは相手が悪すぎるよ」
佐々木は必死に海老原を宥めた。
だが諌めるつもりで出した高尾晃司の名前が、海老原の感情をさらに刺激してしまっていた。
「……あの人形野郎が帰国する前に俺は少佐に返りついてやる」
五期生との私闘のおかげで降格にされた屈辱を海老原は忘れていなかった。
佐々木は観念した。もはや、どう言葉を選んでも海老原の決意を変えられそうにない。
最後に、もう一度だけ確認してみた。
「どうしても、この件からは手を引く気はねえのか竜也?」
その台詞は最後の望みの篭った哀願の口調だった。
「当たり前だ!」
だが、案の定、海老原には伝わらなかった。
「……わかった。すぐに克巳や小次郎に連絡するよ」
佐々木は溜息を吐きながら電話の受話器を握った。
「おい、ちょっと待て。何で、あいつらに連絡なんかしようとするんだ?」
「……え?何でって……俺達はいつももちつもたれつで」
「ざけんな!てめえがそんな調子だから、いつもあいつらと手柄分け合う羽目になってきたんだろうが!」
常に悪事という一点においてつるんできた海老原達。
だがリーダー格である海老原は最近水島や戸川の存在を疎ましく思い始めていた。
「特に克巳なんかに知らせる必要はねえ!
俺が国外追放にされた時も、あいつはコネで、てめえだけのうのうと国内にとどまっていたんだぜ!!」
「で、でも竜也!こういう事は克巳の知恵を借りた方が……」
「そうやって、いつもあいつに頼ってきたから、毎回毎回あいつにばかりいい思いされてきたんじゃねえか!!」
水島に影で蔑まれてきた海老原だったが、自分が利用されていることに、やっと薄々気づいていたらしい。
「こんなチャンス、あいつにまでおこぼれやることはねえ。俺達だけでやるんだ、いいな!」
「……い、いいなと言われても」
佐々木たちは困惑した。作戦部長ともいえる水島抜きで、どうやって季秋家相手に戦えというのか?
「あいつらだってお尋ね者を匿ってるって事が公になるのを望んでいないはずだ。
何も全面戦争しろなんて言ってねえ。裏取引で連中を引き渡すように何とか交渉しろ」
海老原一人の曖昧な目撃証言をたてに季秋家が首を縦に振るはずがない。
それをわかっている佐々木は頭を抱えた。
「……何か弱味でもあればいけるかもしれない。例えば、あそこの末弟の冬樹は問題児だろ?
あいつが犯した犯罪を始末してやる代わりにとか交換条件だすってのはどうだ?」
「何か脅せるネタがあるのか?」
「ほら、あいつが科学省の天瀬良恵に夜這いかけるために不法侵入したことあっただろ?」
佐々木の顔面目掛けて灰皿が飛ぶ。佐々木は慌てて紙一重で避けた。
「馬鹿野郎!その件なら季秋家がたっぷり保釈金払って解決済みじゃねえか!
そんなことで季秋を言いなりにできると思ってんのか、舐めてんじぇねえぞ、てめえら!!」
ムシャクシャした海老原はデスクを蹴り倒した。
机の上にあった物が一斉に床に落ち、騒がしい音をかねでる。
書類などの薄っぺらい物はひらひらと宙を舞い、その中の一枚が海老原の足元に舞い降りてきた。
「……ん?」
それは可憐で古風な美人の写真だった。
「……これは確か、あの時拾った」
冬樹が桐山に渡し、呆気なく捨てられた写真。
写真の裏には、その美人のものと思われる名前や電話番号が記載されている。
実は、あの後、海老原は早速その電話番号にかけてみたのだ。
だが結果は『この電話番号は現在使われておりません』という機械的な声を聞くだけに終わっていた。
写真の美人(冬樹の異母姉・茉冬)が、弟に利用されることを嫌がり電話番号を変えていたからだ。
だから海老原も、この写真のことは、すっかり忘れていた。
「……交換条件がねえなら、無理やり作ってやるまでだ」
海老原は悪魔の笑みを浮かべた。佐々木達は内心ぞっとした。
この後先考えない乱暴な男が、この笑みを浮かべるときは、いつもろくな事を考えないからだ。
「はっきりさせようじゃないか」
冬樹はソファに深々と座り桐山達を睨みつけていた。
「兄貴達が気まぐれでおまえ達をここに置くのは俺にはどうでもいいさ。だがな――」
美恵と貴子を指差し冬樹は盛大に叫んだ。
「俺の女には手を出すな!何度言ったらわかるんだ、ぼけ!!」
「いつ私と貴子があなたの女になったの!?」
「寝ぼけたこと言ってるんじゃないわよ!」
すかさず美恵と貴子が反論するも、冬樹には馬の耳に念仏だ。
「照れ屋がって。可愛いじゃないか」
どこまでもポジティブな男、それが冬樹。誰も彼を止められない。
「そんなことより冬樹、冬也兄さんに見付かる前に逃げなくてもいいの?」
「あれから一ヶ月もたつし兄貴の怒りもいい加減収まってるだろ」
冬樹は実に楽観的だった。ゆえに雅信を利用したことも見捨てたことも、すっかり忘れている。
さらにいえば、雅信から余計な恨みを買っていることも夢にも思っていなかった。
「それにしても兄さん達どうしたんだろう?」
冬也も秋利も今だ帰宅はおろか連絡さえ入っていない。
あんな騒ぎがあったので心優しい春海は兄達のことを心配していた。
彼らが人里は慣れた地で、今何をしているのかは知る由もない。
唐突にドアが開いた。学ランを袖を通さず着こなしている黒髪の少年が入室した。
春海はにっこり微笑み、冬樹は「はあっ?」と素っ頓狂な声を上げた。
美恵達が初めて見る少年だ。この季秋邸に世話になり一ヶ月以上経つが、こんな少年見た事がなかった。
「ご親戚の方ですか?それともお友達?」
美恵の質問に春海は笑顔でこう答えた。
「僕の弟だよ」
美恵は言葉もなかった。まだ弟がいたとは。
口に出してはいえないが、春海たちの父親は随分と理不尽な交際をしてきたとしか思えない。
じろじろと自分を見詰める視線に対して少年は「何だ、その目は?」とぶっきらぼうに言った。
「……その声」
聞き覚えのある声だった。美恵は、もう一度少年を凝視した。
「も、もしかして……春樹君?」
「当たり前だろ」
「え……どうしたの、その格好は?髪の毛まで染めて」
春樹は渋谷辺りでうろちょろしてそうな、金髪のウルフカットのちゃらちゃらした風貌だった。
あまりの変貌ぶりに美恵は呆気に取られた。
「ふん、約束は約束だからね。今から果たしてやる」
「……約束って」
「もう忘れたのか!こいつらが優勝したら雲雀恭弥のコスプレしてリムジンで秋葉原を走行してやるって言っただろ!」
約束のことは美恵も覚えていた。しかし、これが罰ゲームといえるのか?
はっきり言って、春樹の普段の格好の方が中学生らしからぬではないか。
(……こっちの方がずっとまともだと思う)
そう思ったのは美恵だけではない。恥かしいコスプレをさせられかけていた良樹達に到っては納得いかなかった。
(俺達には恥かしいコスプレ要求して自分はこれかよ……ずる過ぎるじゃないか)
「じゃあ行ってくる。ようく見ておけ、男の約束を守りぬいた俺の背中をな!」
「気をつけるんだよ春樹」
春海だけが笑顔で手を振っていた。
「おいたわしや春樹お坊ちゃま……」
春樹のお付のじいやは顔をハンカチで覆いさめざめと泣いていた。
「泣くな!俺は自分の言葉に責任を果たしているだけだ。
俺は夏樹兄貴達みたいな一点の欠点も無い男の中の男になる。
これは試練だ。試練って奴は、それを乗り越えられる男にしか訪れねえんだよ」
「……ご立派になられて。お坊ちゃまのお母様も草葉の陰で喜んでいることでしょう」
それははたから見れば三文芝居だったが、本人達は到って真面目だった。
「春樹、その姿どうしたの?」
「……おい、コスプレってのはコミケ会場で着替えるもんじゃないのか?」
春樹にとっては馴染みのある声だった。振り向くと姉の茉冬と、はとこの佐竹が呆れた顔で立っている。
「女に言ってもわからねえよ」
春樹は夏樹達には可愛い弟だったが、その反面姉には厳しかった。
「……そうみたいね」
姉もそれ以上何も言わなかった。
「姉貴も出掛けるのか?」
「ええ、久しぶりに山に行こうと思って」
季秋家所有の土地はとにかく広大だ。この本邸から一望できる山々も季秋家のものだった。
茉冬は幼い頃から、その山に赴くことがよくあった。
押し花に使用する落葉を拾ったり、一輪挿しの野花を摘んだりと、彼女の趣味に山はとても貢献してくれる。
今回は風景画の為に出掛けるのだ。佐竹は、その護衛というわけだ。
「そうか、気をつけていけよ」
「それは大丈夫よ。佐竹さんが良くしてくださっているから」
茉冬は次兄秋澄が大変溺愛していた。季秋家の娘ということで余計な誘惑や危険も多い。
誘拐でもされようものならたまったものじゃない。故に外出時に護衛は絶対不可欠。
しかしボディガードは大勢いるものの、秋澄は可愛い妹を任せる相手が雇い人では不安があるらしい。
その為、遠縁の佐竹が、秋澄の頼みでよく彼女のお供をしていたのだ。
山の中腹まで車で行くと、そこには茉冬専用のアトリエを兼ねた小さな山荘があった。
これも妹を気遣う秋澄が建てさせたものだ。
二人は下車し山小屋に歩を進めた。私有地である為、辺りは人の気配など、まるでないはずだった。
しかし――。
「……大杜、車に戻れ」
「佐竹さん?」
(……1、2、3……どういう事だ、季秋の私有地に複数の人間が入り込んでいやがる)
嫌な予感がした。今すぐに、この場所から離れた方がいい。
佐竹はすぐに車に戻ると、押し込むように茉冬を乗車させた。
(動いた……早い!)
怪しい気配の主達が一斉に此方に向かってくる。あきらかに悪意を持っていると佐竹は確信した。
ぐずぐずしている暇は無い。すぐに発車したが、直後、タイヤがパンクした。
(撃たれた。銃を持っているのか!)
こうなったら走って逃げるしかない。だが茉冬は着物姿、すぐに追いつかれるだろう。
(救援が来るまで俺一人で大杜を守るしかない!)
佐竹は車に備え付けてある緊急ボタンを押し、茉冬の手を取って山小屋に走った。
銃まで持っているような連中だ、あんな山荘では防ぎきれないだろう。
だが今は逃げ込む場所はあそこしかない。
「中から鍵をかけて隠れていろ。決して出てくるな!何があっても絶対にだぞ!!」
その数秒後に、得体の知れない敵が、その姿を現した。
全員、覆面で顔を隠している。
「貴様ら、ここは季秋の私有地だぞ。すぐにここから立ち去れ!!」
「そうはいくか。俺達は、おまえが連れていた女に用があるんだ」
「あの女は季秋家の娘だ。貴様ら、それをわかっているのか!!」
「当然だ、だから来たんだ。あの女を頂くぞ!」
【B組:残り45人】
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