壮麗なクラシックの着信音にいざなわれ、冬也は携帯電話を耳に押し当てた。
『冬也、冬也、俺』
「何の用だ秋利。つまらない用件だったら切るぞ」
『相変わらず愛想がないなあ。おまえのそういう所が兄ちゃん心配なんだ』
冬也は一方的に携帯電話を切ろうとした。
『ちょっと待て!切るな、切るな』
「だったら用件を言え」


『例の坊や達が動き出した。どうやら、この試合を見届けたら、こっそり逃げ出す気らしい』
「ふん、そんなところだろうと思ったぜ。逃がすなよ秋利、全員ごっそりつかまえておけ」


『ま、努力はしてみるよ。けど多勢に無勢だからなあ、夏樹兄さんの為にも頑張ってみるけど。
ところで、そっちの方は勝てそうなのか?光子ちゃん格闘は素人だろ?』
「妙な男と交替した。宮内省の箕輪尚之だ」
『ふーん、光子ちゃんも妙な男と知り合いだったんだな。おまえは、どっちが勝つと思う?
相手は陸軍一のサディスト毛利だ。面白くなりそうか?』
「そんなわけねえだろ。退屈すぎるぜ、それに――」


「俺は亜麻色の髪の男は大嫌いだ」


携帯電話の向こうから秋利の溜息が聞えてきた。随分と呆れているようだ。

『よく言うなあ、自分も亜麻色みたいな髪してるくせに』
「俺は金褐色だ、一緒にするな」




鎮魂歌―86―




「光子さん、あいつ誰だよ。信用できるのか?」

突然、登場した見も知らぬ男に良樹は不安だった。
信用できるかどうかも気になるが、強いか弱いかも気になる。
毛利雪永は今帰仁よりも、ずっと強いようだ。不気味なオーラをびんびんに感じる。
反対に、この箕輪という男はお上品な優男で、冷静な雰囲気から貴公子然としている。
失礼だが格闘ができるようには全く見えない。
光子も、この戦いに負ければ終わりだとわかっているはず。
それなのに、なぜ得体の知れない男に全てを託そうというのか?
「まあ、騙されたと思ってみてなさいよ」
光子は謎の男を随分信頼してるようだ。


「ふうん、随分綺麗な男だね」
毛利はぺろっと舌を出すと、嫌らしい笑みを浮かべた。
「おいでよ。その彼女より先におまえを切り刻んでやっからさあ」
箕輪が絶世の美男子だったことが毛利のサドの琴線に触れたらしい。
闘場に上がったら最後、その美しい顔を原型が止まらないくらい切り刻むつもりだろう。
箕輪もその禍々しいオーラを感じているはずなのに、全く動じず闘場に駆け上がった。
「……相馬、本当に大丈夫なのか?おまえは何の関係もない人間を死なせてしまうかもしれないんだぞ」
川田は言外に「やめさせるなら今のうちだ」と警告した。
しかし光子に聞き入れる様子は無い。









「……気に入らないね」
薫は面白く無さそうに箕輪を睨みつけていた。
気に入らない理由は実にシンプル。箕輪が美男子なのが気に入らないのだ。
「せいぜい毛利に遊ばれて死ねばいいさ」
薫とは反対に晶は冷静に箕輪の様子を観察している。
(……あいつは確か宮内省の護衛官だったな。A級兵士相手に随分と落ち着いているじゃないか)
晶がさらに箕輪を品定めしようとしていた時だ。
突然、がたっと誰かが席を立つ音がした。
あまりにも大きな音だったので五期生たちは、思わずそちらに視線を送った。


「あいつ……!」


立ち上がったのは戸川だった。そして、踵を翻すと無言で、その場を後にした。
まだ試合は始まってない。それなのに途中退席だ。
しかも海老原をはじめとする陸軍の四期生達が、続くように立ち上がった。
その表情は怒りでワナワナと震えている。そして椅子を蹴飛ばし、ぞろぞろと退席しだした。
「何だい、先輩達は随分と気が立っているようじゃないか」
薫は「カルシウム不足ですね」と余計な言葉まで付け加えている。

「ふふ、まさか、こんな展開になるとはねえ」

水島が笑いながら立ち上がった。どうやら彼も、この試合は見る価値がないと判断したようだ。
こうして四期生は薬師丸以外全員姿を消してしまった。
主催者の織絵は突然の出来事に呆気に取られている。こんなことは前代未聞だった。














「……見ろ相馬」
川田は四期生退席を不吉な予兆と解釈していた。
「あいつらわかっているんだ。もう試合なんか見る必要がないことを」
「あら、それって、どういう意味かしら?」
とぼける光子に、今度は三村が声を張り上げた。
「わからないのかよ!戦う前から勝負が決まってるってことだ!!
くそ……!もう、おしまいだ。最初から無謀なチャレンジだったが、俺達の悪運もここで尽きたんだ」
観客も、そのほとんどが四期生の退席を川田や三村と同じように捉えた。
毛利の恐ろしさを知り尽くしている陸軍の兵士達は特にそう確信している。
残る問題は毛利が『どこまでやるか?』という事に尽きる。




「……やっぱり殺すんじゃねえの?」
「ああ……可哀相になあ、あの色男。棄権してりゃ死ぬことなかったのに」
「殺されるだけなら、まだマシだ。毛利のことだ、絶対いたぶりぬくぜ」




不吉なざわめきは徐々に大きくなってゆく。
「……光子さん、今からでも遅くない。あいつに棄権させろよ」
雨宮君?」
「無関係の人間を俺達のせいで死なせるわけにはいかないだろ?」
「あーら、他人の心配より自分の心配しなさいよ。忘れたの?優勝しなかったら恥かしい罰ゲームが待ってるのよ」
「何、悠長なこと言ってるんだよ!」
まるで他人事のような光子の態度、良樹は箕輪に激しく同情した。
「……気の毒に。光子さんみたいな情けの欠片もない悪女にたぶらかされて」
「失礼な男ね」


突然、ざわめきが大きくなった。薬師丸が立ち上がったのだ。
四期生最強の彼の動向に観客も五期生も、そして良樹達も一斉に視線を特別観戦席に向けた。
薬師丸は静かに、ただ静かに箕輪を真っ直ぐ見ていた。
それは一見何の感情もない目だった。同情しているのか、あきれているか、見る者によって感じ方は様々だった。
そんな中、彼は何か一言呟くように言った。誰にも聞えなかったが、確かに何か言っていた。
そして、黙って闘場に背中を向けると、他の四期生同様姿を消した。


「お、おい薬師丸中佐が……!」
「あの箕輪って奴、完全に死ぬと思われているぜ。死体を見る気はないってことかよ」


会場は完全に箕輪敗北ムード一色になった。
そんな重苦しい空気の中、審判が「用意はいいか?」と試合開始を予告した。














「薬師丸さーん」
薬師丸が廊下を歩いていると満夫達が駆け寄ってきた。
「ねえ、何で最後まで試合見てあげなかったの?」
満夫が尋ねているのに、薬師丸は黙って歩き続けている。
「ばーか、結果のわかってる試合に興味なかったんだろ」
那智が横から答えを言うが、それでも満夫は完全に納得できてないようだ。


「じゃあ薬師丸さんも、あの箕輪ってひとが殺されると思ってるんだ」
「満夫――」

ふいに薬師丸は立ち止まった。









「では、ただいまから大将戦を始める」

毛利は舌なめずりし構えた。一方、箕輪は戦闘態勢にも入らず、ただ静かに立っている。
「始め!」
審判の号令と共に毛利は動いた。


「逝っちまいなあ!!」

「は、早い……!」

あまりのスピード良樹達には毛利の動きは捕捉できなかった。









「――尚之には」

(尚之?)

満夫はきょとんとした。


「尚之には、毛利……いやA級兵士は」









流血が闘場の床を一気に染めた。

誰もが、一瞬の出来事に表情を強張らせ、ただ一点を無言で見詰めていた。

会場中の視線の集中した先に、微動だにせず倒れている男。

動いているのは、円の形に広がってゆく血だまりだけだった。









「A級兵士ごとき、眼中にないだろう」
「薬師丸さん?」


妙な感じだった。そういえば闘場の方はどうなったのか?ざわめきが、今も聞える。
だが、次の瞬間、絶叫が津波のように押し寄せ、そして再び沈黙した。

「……終わったようだな」

薬師丸は再び歩き出した。









会場は静まり返っていた。
闘場には驚愕して振るえている審判と、相変わらず静かに立っている箕輪がいる。
そして、中央には仰向けになって倒れている毛利の姿があった。
誰もが試合を凝視していた。だが、そのほとんどが何が起きたか見ていない。
毛利が凄まじいスピードで箕輪に襲い掛かった所までは記憶がある。
誰もが箕輪の流血を予想した。だが、次の瞬間、血を噴出し倒れていたのは毛利だった。




「……見えたか隼人?」
驚いているのは観客達だけではなかった。特撰兵士達ですらもだ。
「大したスピードだ。それに比べたら毛利の身体能力は子供だましだ」
「特撰兵士以外に、あんな奴がいたとはな。一度手合わせしたいものだ」
「晶、おまえも根っからの戦闘好きだな」
会場は今だ静まり返っている。毛利は完全に目の色を失い、ぴくりとも動かない。




「おい」
箕輪の呼びかけに、ようやく審判がハッとして我に返った。
そして毛利のそばに駆け寄るとカウントを取り出した。

「無駄だ、そいつはしばらく起きない。そういう攻撃をしてやったからな」
「……し、しかし」

確かに毛利は完全に意識を失っているようで、白目を向き起き上がる気配はまるでない。
「急所ははずしておいてやった。すぐに手当てすれば命は助かる、もういいか?」
審判は途惑っていたが、箕輪の主張が正しいと悟ったのだろう、箕輪を指差し「勝者!」と叫んだ。


「……も、もしかして終わったのか?」

長い長い戦いだった。桐山のいない試合は絶望から始まった。そして、その戦いが終わった。
聞き間違いではない。確かに審判は箕輪を指差し勝利を宣言した。
つまり、それは良樹達の勝利。決勝進出という事だ。

「……勝った。俺達、勝ったんだ!」

今度は実感が篭った叫びが自然と口から出た。勝った、信じられないが確かに勝ったのだ。


「あんた、ありがとう。本当によくやってくれたよ!」
良樹は箕輪に駆け寄ってお礼の言葉を口にしが、箕輪は良樹を無視して光子の元に歩み寄った。
「相馬、これで借りは返したな」
「ええ、上出来よ。ありがとう箕輪君」
「じゃあな」
箕輪は光子に背を向けた。光子は慌てて箕輪の腕を取った。


「ちょっとまだよ。まだ決勝が残っているんだから」
「決勝?」
「そ、うちのホープは出場禁止になってて、はっきり言ってこいつらだけじゃ勝ち目ないのよ」
「…………」
箕輪ははっきり口には出さなかったが、どうやら気が進まないようだった。
「……ここには、あまり長居したくない」
「そこを何とか。ね?ほら、あんた達もお願いしなさいよ!」
光子に促され良樹も思わず頭を下げた。すると釣られて七原も後に続く。
桐山の抜けた穴を埋めてくれる人材を逃すわけにはいかない。
しかし箕輪は随分と迷惑そうな顔をしている。申し訳なさに良樹は、さらに頭を下げた。
「とにかく控え室に行きましょうよ。私のスポンサーが差し入れしてくれるのよ」
光子は箕輪の腕を組み、強引に歩き出した。ちなみにスポンサーとは勿論夏生のことだ。




試合場を後にし廊下を歩き、控え室までもう少しという所で角を曲がるととんでもない人物が待ち構えていた。

「やあ」

(……と、特撰兵士の水島克巳!どうして、ここに?)


良樹は混乱した、自分達はお尋ね者だ。はっきり言って会いたくない相手。
それが、こうして待ち構えている。もしかして正体がばれたのかと思い、心臓がドクンと大きく跳ねた。


「久しぶりだね尚之!」


だが、良樹達の心配は杞憂に終わった。水島が用があるのは自分達ではなく箕輪の方だったのだ。
しかも、いきなり箕輪に抱きついてきた。ただの顔見知りとは思えない。


「あいつは可哀相だったねえ。ふふ、君の正体知ってたら、さっさと棄権してただろうに」
「……克巳、離れろよ。おまえは、せいぜい女に抱きついてろ」
「そうだよねえ」
水島は箕輪から体を離すと、とんでもない一言を吐いた。




「でも君も随分と残酷なことをするんだね。A級兵士風情が特撰兵士に勝てるものか」




良樹はぎょっとして箕輪を見詰めた。光子ですら予想もしてなかったことに驚いている。
「ああ、ごめん。君は違った、特撰兵士じゃなかったよねえ。
君は特別選抜兵士制度発足以来、唯一特撰兵士の授与を辞退した人間だったんだ」
水島は「すっかり忘れてたよ」と笑いながら立ち去った。残されたのは嫌な空気だけだ。


「ちょっと箕輪君、それどういうことよ?」
重苦しい雰囲気を打開しようと光子が尋ねてきた。
「おまえには関係ない」
「……そりゃそうだけど」
しかし人間は秘密というものを覗き込みたがる癖があるのだ。
だが箕輪の機嫌を損ねるのも得策ではない。
桐山にドクターストップがかかった今、箕輪に逃げられたら優勝の可能性はそこで消えるのだ。
「まあ、いいわ。あたしが、あなたに望むことは優勝だもの」
光子は、それ以上何も聞かないことにした。




「尚之!」

だがをそっとしておいてくれない人間は水島の他にもいた。
今度は戸川が現れた。しかも水島と違い、あからさまに敵意を持っているではないか。
箕輪は戸川から視線を反らしたが、それが戸川の怒りのツボをさらに刺激したらしい。


「よくも今さら俺の前に姿を現せたものだな尚之!貴様は特撰兵士の恥さらしだ!!」


戸川は箕輪に近付くなり拳を振り上げた。予想外の場外乱闘に良樹達は言葉を失う。
だが戸川の拳は箕輪には届かなかった。横から戸川の手首を握り止めた人間がいたからだ。


「……涼、貴様!」
「場所を考えろ小次郎、おまえの名声に傷がつくだけだぞ」


戸川は憎憎しげに薬師丸を睨み付けたが、薬師丸に握られている手首は加えられた力で僅かに震えている。
舌打ちしながら薬師丸の手を振り払うと、戸川は箕輪を再度睨みつけた。
「おまえは四期生の汚点だ、卑怯な臆病者め!」
辛辣な言葉を投げつけ、戸川は凄い勢いで立ち去った。


「……嫌われたものだな」


箕輪は溜息をついた。どうやら、こうなることは彼はわかっていたらしい。
長居したくないといった箕輪の事情は即座に理解できた。
どういう理由かはわからないが、箕輪はあまり良く思われていないらしい。
「気にするな」
「涼……いや、薬師丸中佐は――」
箕輪は名前で呼びかけて即座に訂正した。佐官に対して礼を尽くさなければいけないからだ。
「よせ、おまえに敬語を使われると、こちらもやりにくい」
「そうか……おまえも俺を卑怯な臆病者だと今でも思っているか?」
「俺は最初からそんなこと考えてもない」
薬師丸の言葉は真実だろう。だから特別観戦席で彼は呟くように言ったのだ。


『久しぶりだな』――と。

距離があっても口の動きでわかった。


「小次郎はおまえのことを好敵手として見込んでいたから失望した分、怒りも大きいんだろう。
だが俺はそうは思わない。おまえにはおまえの事情があったと思っているし、おまえは何も変わっていない。
今の試合を見てもわかった。昔のおまえのままだ、あの時の強さのままだった」
薬師丸は「すぐに俺に追いつけ、待ってるぞ」と付け加えた。
その言葉を最後に、その場を後にした。














「尚之め……!」
戸川はまだ怒り心頭だった。薬師丸が邪魔をしたせいで怒りは発散させず彼の体内で燃え盛っている。
「大尉、どうしたんですか?」
部下達が心配そうに後を追うが、そんな気遣いは返って戸川を怒らせる結果となった。
「うるさいぞ、貴様ら!」
理不尽にも部下達は戸川の鉄拳を喰らい、そのまま壁に激突する羽目に。


「あはは、可哀相なことをするな小次郎は」
その調子のいい声に、戸川は心底胸糞悪くなって振り向いた。
「……克巳、貴様」
「君の気持ちもわからないでもないよ。あれは前代未聞だったからねえ。
第四期特撰兵士最終試験に合格した10名、後は認定手続きを待つだけだった。
それなのに尚之は、正式に特撰兵士になれる寸前にその地位を辞退したんだ。
特撰兵士になれば地位も将来も手に入るけどリスクも大きくなる。
最終試験まで合格した男が、恐怖に負けて特撰兵士を辞退するなんて、と散々言われた。
今となっては懐かしい思い出さ。もっとも俺の活躍のおかげで四期生の汚名は返上できたけどねえ」
「誰の活躍のおかげだと?寝言は寝てから言え!」
戸川はぷいと水島から顔を反らすと、さっさと彼の前を通り過ぎようとした。

「ああ、そうだ。これは俺も最近知ったことなんだけどね小次郎」




「尚之は特撰兵士を辞退したんじゃない、辞退させられたんだよ」




戸川の足取りが止まったので水島は話を続けた。

「宗徳殿下のわがままってやつさ。どうしても尚之を特撰兵士にしたくなかったらしいねえ。
けれど殿下のごり押しでそんなマネはできない。
だから穏便に済ますために尚之が自主的に辞退するしかなかった。
尚之は最後まで拒否したらしいけど、彼の推薦人だった四位って官僚が汚い手段使って諦めさせたんだよ。
どうしても拒否するなら、四位は推薦した覚えは無い、尚之が書類を偽造したと軍務省に告発するってね。
そうなれば尚之に勝ち目はない。最悪の形で特撰兵士の資格を剥奪された上に犯罪者にされるんだ。
そして、その後も士官にも官僚にもなれなくなる。だから尚之は諦めるしかなかったんだ」


水島の言葉は真実だった。その時、箕輪は生まれて初めて悔し涙を流した。
特撰兵士になれば輝かしい栄光と地位が待っていた。何よりも自由が手に入るはずだった。
だからこそ過酷な試験にも命懸けで挑んだ。その全てが宗徳の気まぐれで一瞬にして崩壊した。
箕輪は特撰兵士の称号を捨て、一から出直すことにしたのだ。
成人すれば今度は推薦人など無くても、今までの実績があれば一流の士官学校に入れる。
その日の為に、屈辱に甘んじ夢を捨てた。


「君の耳には痛い話だろうねえ。尚之が恐れをなして特撰兵士を辞退したと思ってきついことしたんだから」

特撰兵士就任式に現れなかった箕輪を戸川は罵倒し、その美しい顔を殴ったうえに唾まで吐いた。


「ああ、そういえば、あの時も涼が尚之を庇って君を制し――」
「うるさい!」

戸川はばつが悪そうに舌打ちすると再び歩き出した。














「箕輪君、あなた特撰兵士だったの?道理で強いと思ったわ、あたし――」
「相馬」
箕輪の口調は随分と冷たい。光子は修羅場をかいくぐって養ってきた本能により沈黙すべきだと悟った。
「二度と俺の前でそれは言うな」
それは警告でもあった。今度口にすれば、箕輪との縁は完全にきれるだろう。
光子はすぐに頷いた。箕輪とは今後も持ちつ持たれつの関係を維持しておきたいのだ。
「ところで箕輪君、決勝だけど――」
光子が本題に入ろうとするのを遮るように会場アナウンスが流れた。


『一時間後に行うはずだった決勝戦についてお知らせします』


何事かと全員アナウンスに耳を傾けた。
『先ほど、Bリーグ優勝チームが棄権致しました』
良樹は驚いて七原と顔の顔をみた。七原もきょとんとしている。


『よって決勝戦はAリーグ優勝チームの不戦勝とさせていただきます』


その瞬間、ざわめきが遠くから聞こえ出した。
予想もしてなかった結末に、観客の驚きと不満の入り混じった声が重なり合っている。
反対に良樹達は最初何が起きたのか理解できず、ただ、ぽかんとして言葉を失った。
沈黙を破ったのは箕輪だった。
「どうやら俺はもう必要ないみたいだな」
その一言で、ようやく良樹は全てを把握した。

「……俺達、優勝したのか?」

仲間は誰も答えない。箕輪が呆れながら、「ああ、そうだ」と言った。

「俺達、優勝したんだ。もう、戦わなくていいんだな!」

良樹の顔がぱあっと明るくなった。その笑顔に共鳴するかもように、七原や三村も喜びの声を上げ出した。














「潤、何してるんだい。早く行くよ」
北斗が呼んでいるが潤は静かに試合会場を見上げていた。
「僕達の役目は終わったんだよ。彼女のことは心配ない、早くこの場所から立ち去るんだ」
「……わかってる」
潤は懐から写真を取り出した。美しい女性が、その中にいた。
写真は色あせていて、所々破れている。
「さあ急ぐんだ。リーダーの雷が落ちないうちに戻るんだよ」
「ああ、わかってるよ」


「それは、ちょーっと虫が良すぎやしないかな、坊や達?」


彼らは人目に付くことを恐れ細心の注意を払っていた。
それなのに、その声は突然すぐそばから聞えてきた。
ばっと振り向くと男が立っている。その気配は見事なほど消されていた。
「やーっと会えたなあ。坊や達に話があるんだよ」
「季秋……秋利」
「ふうん、俺を知ってるのか。それは光栄だな」
秋利は眼鏡を掛けなおした。その目の奥に得たいのわからない光を感じ、彼らは萎縮した。
「そう緊張しないでいいよ。おにいさんは、君達と建設的な話し合いをしたいだけだから」
物腰も口調も柔らかいが眼光は冷たい。それが彼らの警戒心を余計に煽った。


「……俺達に話すことは何も無い」
「決裂というわけか……だったら――」


「実力行使させてもらう」


「散れ!」
北斗の指令と共に彼らは、それぞれ違う方向に踵を翻した。
「逃がすか!」
だが、秋利の行動の方が早かった。彼は懐から消音器付き銃を取り出し発射。
靴の踵を撃ち抜かれ、まず二人が転倒した。
連続して爆音が聞こえた。それは試合会場の中からだった。














「きゃー!!」
悲鳴がまるで輪唱するかのように起きた。試合会場は突然パニック状態になったのだ。
大半の観客が何が起きたのかさえ知らない。
試合会場の出入り口の一つが爆弾により木っ端微塵になったのだ。
怪我人は出なかったものの、恐怖があっと言う間に感染し、そして観客達は一斉に暴走し出した。
烏合の衆ほど混乱するとタチの悪いものはないという見本だった。
「ど、どうしたの?」
美恵が座っていた席は、爆破地点から離れていた。
その為、何が起きたのかは美恵にもわからない。ただ、その何かが尋常では無いことだけはわかった。









「氷室大尉、これは一体どういうことです!?」
織絵は隼人に駆け寄り詰め寄った。
「すぐに避難を。俺達が原因をつきとめ対処します」
「お待ちなさい、あなたは私を守って。始末は他の連中にさせればいいのです」
その間にも観客のヒステリック度は上昇している。このままでは死人も出るかもしれない。
「薫、おまえが織絵嬢を守ってくれ!」
隼人は織絵を薫に向かって突き飛ばすと全力疾走で、その場を後にした。
嫌な予感がした。それを裏付けるように、煙の中に金髪が揺れ動くのを彼は見ていた。









「まさかテロリストか!?」
夏生は美恵と貴子の手を取った。
「慌てるな。俺から離れるなよ!」
「夏生は優しい良い子だね」
「春兄!今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ!」
「そうだね。待ってて、今、ヘリを緊急出動させるから」
春海は闘場にヘリコプターを着陸させ、会場から避難することを提案した。
「さすが兄貴、優しいだけじゃなく頭もいいな」
春樹は感心したが夏生は賛成できなかった。


「何を言ってるんだ春兄!光子を見捨てて逃げろっていうのか!?」
「そうよ、弘樹は怪我人なのよ!」
「私も桐山君や光子を置いて行くなんてできない」
春海はちょっと考えた。
美恵さんは優しいんだね。でも今は取りあえず、この場所から避難しないと」
「……でも!」
「桐山君達なら大丈夫だよ。夏生が助けに行ってくれるから」
「え”?」
「彼らは夏生にまかせて。君と貴子さんは僕が保護するよ、それでいい?」
春海は理路整然と脱出作戦を説明した。
その間にも、パニックになった観客達は我先にと会場外に向かって団子状になって暴走している。


「いいの夏生?この間にも光子さんの身に危険が迫っている可能性大だよ」
「そ、そうだった!光子おおおお!今行くぞ!!」
夏生は大きく跳躍すると無礼にも観客達の頭を踏み台にして駆け抜けて行った。
「さあ美恵さんは僕と逃げよう」
「そうだぜ、急いだほうがいい。それにしても、誰なんだよ爆破犯人は」


「はーははは、知りたいか春樹!!」


それは春樹にとって、この世で最もムカつく男の声だった。
深々と帽子をかぶった男が、ほんの10メートル程先に立っている。
「……その声、まさか」
男は帽子を空高く放り投げた。


「ふ、冬樹、てめえー!!」
「やあ冬樹、元気だった?」


一ヶ月ぶりの兄達と久闊を叙するつもりは冬樹には全くない。
彼が用があるのは、その隣にいる二人の美しい少女達。
冬樹は彼女達に向かって両腕を広げた。


「待たせたな美恵、貴子。さあ俺の胸に飛び込んで来いよ」




【B組:残り45人】




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