「奴の目的は良恵だ」
瞬は面白くなさそうに言った。
「良恵を?」
長髪の男は不思議そうな表情をしている。すると眼鏡をかけた男が横から口を出した。
「わかったぞ、あいつ良恵を食べる気だな?」
徹がもしこの場にいたら怒りのあまり声も出なくなっていただろう。
「違う。あいつは食料として良恵に興味があるわけじゃない。佐伯徹は良恵のストーカーなんだ」
「ストーカー?何だ、それは?」
俗世間というものを知らない彼らにとって、それは未知の言葉だった。
「恋愛ターミネーターのことだ」
「ターミネーターなら知っている、殺人機械だ。つまり、あいつは良恵が死ぬまで執拗に追いかけるんだな」
「そうだ」
「よくわかった。だが恋愛というのが、いまいちよくわからない」
「俗世間で欲しい女を時として暴力を活用してでも手に入れようとする本能的感情のことを差す言葉だ」
「つまり、あいつは良恵にとっては危険人物なのか?」
「ああ、そうだ」
「強いのか?」
「俺達ほどじゃない」
「殺してもかまわない人間なのか?」
「ああ、全然かまわない」
鎮魂歌―84―
「……ぐ」
良樹は腹を抱えながら前のめりになった。
(……痛い。畜生、意識がかすみそうだ!)
外見に似合わず今帰仁の拳は重かった。それは武藤兄弟を凌駕するパワーだったのだ。
(負けてたまるか!)
良樹は痛みをこらえながら今帰仁の肩をつかんだ。動きを封じ反撃するつもりだったのだ。
だが拳を振り上げた瞬間、ふわっとした感覚と共に良樹の視界は天地が逆転していた。
「危ない雨宮!」
七原の悲鳴にもにた叫びが聞えた瞬間、良樹は石床に叩き付けられていた。
後頭部と背中に激痛が走り視界がかすんだ。
「……ぅ」
声も出ないとはこういうことを言うのだろう。眼前には空が広がっている、その景色の中で今帰仁が笑っていた。
(立たないと……)
良樹はふらふらしながら立ち上がろうとした。今帰仁は余裕ゆえか、攻撃してこない。
「雨宮君、何してるのよ!わかってるの、あんたが負けたら終わりなのよ!!」
光子の叱咤激励も今の良樹の耳には届いても心までには届かない。
「気合だけじゃ越えられないものがあるんだよ」
今帰仁は背中に腕を伸ばした。背中に仕込んでった短刀を手にし鞘から抜く。
太陽の光を浴び怪しい光を放つ刃先が良樹を見詰めているようにみえる。それはとても不気味な場面だった。
考えなくてもわかる。今帰仁が今からやろうとしていることが。
「雨宮、逃げろ、逃げるんだ!」
七原が狂ったように叫び続けた。
良樹も必死に立ち上がり構えたが、その態度は強がっているようにしか見えなかった。
今帰仁は卑しい笑みを浮かべながら短刀を放り投げてきた。
慌ててそれをキャッチした良樹は今帰仁の意図が全くわからず混乱した。
「使えよ。けけっ、ハンデってやつだ」
馬鹿にされたにもかかわらず良樹はムカつかなかった。そんな余裕は無い、短刀を手にしたことをラッキーとさえ思った。
「後悔するなよ」
幸い傷みは一時的なものだった。まだ痺れは残っているが、それほどきつくはない。
良樹は短刀を今帰仁に向け突き出した。だが、まるで魔術でも見せられたかのように今帰仁の姿が消えた。
「……なっ!?」
驚愕した直後、短刀に急激に重みが加わった。刃の先端に今帰仁が立っている。
その身軽さに良樹は再び驚愕した。と、同時に腕がガクンと落ちる。
今帰仁はというと高々と跳躍しクルクルと数回転して着地。本物の猿のような身のこなしだ。
「けけけ」
「……くそっ」
身体能力が違いすぎる。とてもじゃないがかなわない。
「おいおい、もう終わりか?こっちは丸腰で相手してやってんだぜ。
武器まで提供してやって、この様なんてがっかりさせてくれるなよ」
「……畜生!」
良樹は今帰仁に飛び掛った。短刀の刃が怪しく光る。
(振り下ろしてたんじゃ間に合わない!)
短刀を投げ飛ばした。咄嗟の判断だったが、それは正しかった。
素晴らしいスピードで短刀は今帰仁に襲い掛かった。
だが、ここでも良樹は今帰仁の身のこなしに驚愕することになった。
今帰仁はとんぼをきり、床に両手をつくと倒立の体勢から脚で短刀を真剣白刃取りのごとくキャッチしたのだ。
「よっと」
くるっと回って短刀を手にすると今帰仁は、その刃をペロッと舐めた。
「豚に真珠、猫に小判、どんな道具も使い手がこれじゃあなあ」
(こいつ、投げてくる!)
良樹は直感で察し反射的に踵を翻すと床に飛びついた。
「遅い!」
短刀が床面すれすれに飛んでくる。
「やれてたまるか!」
良樹はプールに飛び込んで何とか避けた。慌ててプールから這い上がった。水分を含んだ服が重い。
「なかなかしぶといじゃないか。でも俺自身は短刀のようにいかないぜ!」
今度は今帰仁自身が飛んで来た。
良樹は背後に飛んだ。しかし今帰仁は片脚を床面につけたと思いきや、蹴りの反動でさらに跳躍して見せた。
「ひよっこが俺から逃げ切れると思ったか!?はーはは!!」
良樹はびしょ濡れの上着を咄嗟に脱ぐと袖口を握り締め今帰仁に叩き付けた。
水分を含んだ上着は重くなっているとはいえ凶器にはならない。
だが今帰仁の腕に巻きついたのだ。水の特性が今帰仁を拘束するのに役立ってくれたのだ。
乾いた服ならすぐに振りほどけたが濡れているため絡み付いてなかなかはがれない。
今帰仁の最大の武器は、あの猿のような身のこなしだ。動きさえ封じれば勝機はある。
それが良樹が必死に考えた戦略だった。
「おい、まさかこんな事で俺に勝てる、なんて思ってねえよな?」
「……思うだけなら自由だろ」
今帰仁は半分感心し半分呆れていた。
「俺のパンチくらってそこまで強がれるのか?俺はパワーもずっと上だ。
逃げ場なくなったのは俺じゃなくておまえだぜ」
今帰仁は正しい。腕力においても断然あちらが上だろう。
「……やってみなくちゃわからないだろ?」
「だったらやって見ろよ!」
今帰仁が拳に渾身の力を込めてはなってきた。良樹は右に頭を傾けた。間一髪でかわしたのだ。
これには今帰仁もちょっと驚いた。しかし良樹は動きを読んでいたわけではない。
ただ、今までぼおっと戦っていたわけではないのだ。
今帰仁の動きを注意深く観察しており、奴が右利きだということは心得ていた。
だから、とっさに右手で攻撃を仕掛けてくると思ったのだ。結果はどんぴしゃだった。
そして今度は良樹の番だった。良樹は今帰仁の右手首を掴んだ。利き手を何とか潰さなければ、そう思ったのだ。
「けけっ!また、さっきと同じ事繰り返すのかよ!」
だが今帰仁は笑っていた。科学省の満夫が合気道を使うように、今帰仁も返し技が得意だったのだ。
「ひっくり返してたたきつけてやるぜ!」
(こんな辺鄙な研究所に何の用があるんだ?)
白州は少し距離を置いた場所から双眼鏡で様子を見ていた。
佐伯は玄関から中に侵入した所だ。
遠目からはわかりづらかったが、おそらくセキュリティーシステムを破壊したようだった。
特撰兵士とはいえ他省の施設に不法侵入なんて、公になったら問題になるだろう。
(ここに何があると言うんだ?)
白州は不思議そうに双眼鏡の角度を変えてみた。
正面玄関とは全く逆の裏の非常出入口に方向を合わせてみたのだ。
「何だ、あれは?」
それを発見したのは偶然だった。5人の若者が飛び出すのが見えたのだ。
一目で研究所の関係者では無いとわかる雰囲気だった。それどころか怪しい、怪しすぎる。
研究所裏手の林に入った。双眼鏡の視界を広げてみると林の向こう側に車が止めてある。
どうやら、あれに乗車して逃げようというつもりだろう。
(どうする?)
白州は戸川の命令で徹を尾行してきた。だが、それは徹の目的が何か探り当て横取りすることだ。
(佐伯の目的はあいつらなのか?だとしたら間抜けもいいところだ、このままでは逃げられるぞ。
俺はこのまま佐伯を監視するか、れとも、あいつらを追うべきか……)
白州は迷った。だが判断に費やす時間は短かった。
(あいつらには何かある。正体をつきとめてやろう)
白州はくるりと向きを変えると走り出した。
「……は?」
今帰仁は空を見ていた。目の前に空が広がっている、その景色の中に驚いた表情の良樹が立っていた。
「ど、どうなってるんだ?」
きょとんとしながらも今帰仁は慌てて立ち上がり体勢を整え良樹を睨みつけた。
「おめえ、俺に何しやがったんだ?」
それは良樹の方が聞きたいくらいだった。
同じ技を二度くらってなるものかと、慌てて上着を強く引っ張っただけだったのだ。
今帰仁がバランスを崩してくれさえすれば上出来と思っていただけに、派手にひっくり返ってくれたのは予想外だ。
(こいつがチビだから、身が軽いから、ちょっとしたことでこうなったのか?)
しかし良樹はすぐに甘い考えだと切り捨てた。
(この野郎は百戦錬磨だ。そんな間抜けじゃない)
原因がわからず、ただ不思議そうに自分を見詰める良樹に今帰仁も、それ以上質問しなかった。
だが、今帰仁の肉体にはさらに変調が訪れていた。
「……痛え」
肩の付け根を押さえている。どうやら怪我でもしたようだ、しかしいつ打撃を受けていたのか。
「どうなってやがるんだ!?」
今帰仁は上半身の服を脱いだ。そして、ぎょっとなった。
「な、何だあ、こりゃー!!」
「闘技場が騒がしくなってきたようだね。どうやら君の仕掛けが功を奏してきたようだよ潤」
草薙潤は控え室の窓から静かに空を見上げていた。
「試合前、あいつと階段で出会い頭に衝突よそおってやっておいて良かったじゃないか」
「……別に」
潤はほんの数時間前の事を回想した。階段で偶然を装って今帰仁に接触した事。
今帰仁は見事な着地をし無傷。潤は派手に踊り場まで階段を転がり落ちて見せた。
陸軍の連中は潤が痛みに耐える姿を見て、特に何も言わず去っていった。彼の演技に全く気づかずに。
あの時は確かに今帰仁は痛みなどなかった。しかし実際は無傷ではなかったのだ。
「人間ってさ……」
潤は空を仰いだ。
「……どうして痛みだけで全てを判断したと思ってしまうんだろうね」
何の処置もせず動き回れば、小さな亀裂は大きな傷となることもある。
「全身流血しても痛み感じない時は感じないってのにさ……馬鹿だね」
「お、おめえ、いつの間に俺にこんな怪我を負わせやがったんだ!?」
良樹は答えなかった。正確に言えば答えられなかったのだ。
「そいつじゃねえよ。俺の目は節穴じゃねえぜ、保証してやらあ!」
叫んでいたのは陸軍チームの大将・毛利雪永(もうり・ゆきなが)だった。
「その坊やじゃない。おまえ自分で転んで怪我したんじゃねえかっつうの?」
今帰仁は当然のように否定がましい目で毛利をぎろっと睨みつけた。
だが毛利の主張も一理ある。今帰仁は良樹から致命的なダメージなど一撃も受けていないのだ。
かといって自分のミスで重傷を負うなど認めるわけにいかないし、それだけは決して違うと断定できる自信もあった。
「畜生め、何が何だかわからねえが、おめえみたいな素人片腕だけで十分だ!」
「何だと?」
「半分の力で倒せるっていってんだよ、ボケが!」
今帰仁は左腕を振り上げてきた。良樹は紙一重で攻撃を避ける、今帰仁が舌打ちする音が聞えた。
(今、動きが読めた!)
今度は賭けではなく、完全に動きを見切ったのだ。
(そうか、こいつ利き腕が使えなくなったから動きが鈍くなったんだ!)
さらに観察してみると、今帰仁の額には油汗が溢れているではないか。どうやら肩の激痛は相当なものらしい。
ほとんど絶望的な闘いだったが、ここにきて結末はわからなくなった。
(……勝てる!)
良樹の胸に希望の二字が大きくクローズアップされ現実味を帯びてきた。
(持久戦に持ち込めば、こいつの体はもたない。勝てる、勝てるぞ!)
研究所から随分と遠ざかったが、それでも瞬は車の最高速度を落さなかった。
「瞬」
助手席に座っている長髪の男がバックミラーを意味ありげに見詰めながら声をかけてきた。
「ああ、わかっている」
もう、ずっと後をつけられている。
一定の距離を取り、姿こそ見せないが彼らの耳にはエンジン音がかすかに聞えていた。
「佐伯徹だと思うか?」
「奴じゃない。奴はまだ研究所でうろうろしている」
「だったら、誰なんだ?」
瞬は唐突にハンドルを急回転させた。道を脱線して岩壁を駆け上がる。
無謀としかいいようがない危険な運転だった。数分後、一台の車が姿を現し停車した。
「……消えた」
ドライバーはもちろん白州だ。分岐路ではない、他に道は無い、それなのに追っていた車の跡がない。
「……エンジン音が完全に消えた。どうなっているんだ?」
その疑問にすぐ答えがでた。突然、消えたはずのエンジン音がけたたましく鳴り響いたのだ。
驚いて視線の角度を上げると、岩壁を車が駆け下りてくるのが見えた。
そのまま白州の車に体当たりだ。とんでもない歓迎に、白州はフロントガラスを蹴破り脱出した。
車が派手に回転し道路脇にあった岩に激突した。見事な廃車の出来上がりだ。
今度はカチャっと音がして白州を襲った車の前後左右のドアが同時に開いた。
中から四人の少年が出現した。白州は戦闘のプロとしての直感から、普通の人間じゃないと悟った。
背筋に冷たいものが走るような感覚。かつて戸川と戦った時ですら、これほどの戦慄は感じなかった。
「……貴様ら何なんだ?」
それが白州の偽り無き本心だった。彼らの目的や佐伯との関係以上に、その正体が気になった。
「言う必要は無い。おまえこそ何だ?」
逆に質問してきたのは瞬だった。
「海軍大尉・戸川小次郎様の部下、白州将だ」
「その戸川の飼い犬が俺達に何の用だ?」
「佐伯を追っていて貴様らを見つけた。貴様らは佐伯の仲間じゃないのか?」
もし瞬が感情豊かな人間なら冷笑を披露していたことだろう。
「全く違う」
「では、なぜ佐伯が違法行為までして貴様らがいた施設にやってきた?理由に心当たりがあるんじゃないのか?」
「知りたくもない。邪魔するなら、あいつも敵だ」
瞬は、「殺しても全然かまわなかったんだ」と付け加える事を忘れなかった。
(佐伯の敵なのか?)
白州は考えた。彼らは嘘を言っているようには見えない、おそらく事実だろう。
「科学省の兵士なのか?」
白州は戸川の側近として、主要な士官や名の知れた兵士の顔と名前は頭に叩き込んでいる。
海軍のみならず、あらゆる方面においてだ。科学省も例外では無い。
それなのに、この連中の顔には全く覚えがない。
かといって、彼らから受ける威圧感は、ただの歩兵のものとも思えない。
「科学省の人間……なのか?」
「違う」
「だったら何者なんだ。科学省に対して破壊工作を企てているテロリストか?」
「もっと凶悪だ」
瞬の答えは曖昧すぎて白州が望んでいるものでは決してなかったが一つだけはっきりした。
つまり彼らはテロリスト以上の超危険人物ということだ。それは同時に白州にとっても最悪だった。
「俺達を見てしまった以上、大人しく帰すわけにはいかないな」
瞬が一歩前に出た。同時に白州は構える、それは戦闘開始の合図でもあった。
「相手が悪かったな。俺はただの兵士ではない、貴様ら5人まとめて捕縛させてもらう」
白州は勝つつもりだ。多勢に無勢だろうが、自分は負けないという自信があった。
それを裏付ける実力も実績も彼にはある。
「瞬、俺に相手をさせてくれないか?」
瞬と白州のやりとりを今まで静かに聞いていた長髪の男が前に出た。
自分の今の状況がわかってないのか呑気に両手をズボンのポケットに入れたまま突っ立っている。
腰に届くほどの見事な黒髪を首の後ろで束ねたその姿は高尾晃司を彷彿させるものがあった。
違うといえば長い前髪を両サイドにわけている部分くらいだ。
だが、勿論この男は令名高い高尾晃司ではないし、その戦闘力はおよぶべくもないはずだろう。
「好きにしろ」
瞬は白州に背を向けると車に戻った。他に二人もだ。
そして対峙する白州と謎の長髪男を残し発車するとあっと言う間に去ってしまった。
「チャンスよ雨宮君、さっさとそのチビ片付けなさいよ!」
言われるまでもない、良樹は猛然と攻撃に出た。しかし相手は片腕が使えない状態で器用に避ける。
やはり元の戦闘力が違いすぎる。簡単に倒せる相手ではない。
「何て使えない奴なのよ、ほら!」
「痛っ!」
光子が投げた鞭が良樹の後頭部に激突。
「光子さん、何するんだよ!」
「うるさいわよ。さっさと、それを使いなさいよ!」
「つ、使うって……」
良樹は冷や汗を流しながら鞭を胡散臭そうに見詰めた。夏生から鞭のレクチャーなど受けてない。
「怪我人だろうが、まともにやって勝てるわけないでしょ!距離を取りながら痛めるに最適の武器よ!」
「そ、そう言われても、こんなヤバイもの!」
などと光子と無駄な問答をしているうちに、今帰仁が襲ってきた。空手チョップによる脳天攻撃だ。
良樹はとっさに鞭を頭上に伸ばし、その攻撃を受け止めた。
今帰仁の力は、とても怪我人とは思えなかった。
よく見ると右脚が震えている、どういうことかわからないが腕だけでなく脚まで怪我をしているようだ。
良樹は、そう判断すると咄嗟に今帰仁の右脚に蹴りを入れた。
今帰仁の顔が醜く歪む、相当な激痛を与えることを成功したようだ。
そのダメージにより体勢を崩した今帰仁の体を咄嗟に鞭で巻きつけた。
「今よ、さっさと痛ぶりなさいよ!怪我してる箇所にナイフ突き立てるのよ!!」
ある意味、光子の方が敵よりも野蛮で残酷かもしれない。だが、それは正しい判断でもあった。
今帰仁の手がキラリと光ったのだ。これほど身体の自由を奪われても、まだ攻撃の手を緩めとはしない。
良樹は今帰仁の手を直前で止めた。危なかった、ナイフと顔面の距離は、ほんの数センチだ。
必死に押し返した。今帰仁の形相が鬼のように変化した。
「往生際悪いんだよ小僧~!!」
「殺されてたまるか!」
良樹は押し返すどころか必死に体当たりした。そのまま二人はもつれ合いながら場外まで転がっていった。
「どうやら貴様は仲間に見捨てられたようだな」
「面白いことを言うな。まるで貴様が勝つような言い草ではないか」
「まるで、自分は負けないと思っているようだな。貴様は今まで実戦で何回勝った?」
「経験がない」
白州の表情が険しさを増し、同時に一瞬で男との距離を縮めた。
「素人と遊んでいる暇は無い。一瞬で終わらせてやる!」
掌を男の胸部に強烈に叩き込む。
男の体はくの字に曲がり、まるで暴風に吹き飛ばされた紙くずのようにふっ飛んだ。
白州の猛攻は止まらない。地を蹴り跳躍、空中で男に壮絶な踵落としをお見舞いした。
男の体が凄まじいスピードで落下、地面と激突。
物凄い音がして土ぼこりが舞い上がる、普通の人間なら完全にアウトだ。
それでも白州は攻撃の手をゆるめるつもりなかった。
(腹に膝打ちを食らわせてやる。次に手足の骨を折って動きを止め生け捕りだ!)
それが白州のシナリオだ。彼のシナリオを狂わせた人間は過去に戸川しか存在しない。
それが白州の自慢でもあった(ちなみに徹を仕留めそこなったことは、偶然が重なったミスだと思っている)
だが土ぼこりに突入すると、そこに男の姿はなかった。白州は頭を左右にふって男の姿を捜した。
(……消えた)
どこにいない。まるで土ぼこりの中に消えたように――。
「後ろだ」
「!」
白州は後ろを振り返らなかった。彼の経験が、そんな余計な時間はないと告げていたのだ。
反射的に跳躍していた。空中で華麗に回転、真下で男が腕を突き出しているのが見えた。
白州は男の真横に着地すると腕をとる。さらに男の足元をはらい、思いっきり投げ飛ばした。
「思ったより動きはいいようだが、所詮経験値のない男は俺の敵では無い!」
男は地面にうつ伏せになって動かない。白州は勝ち誇ったように懐から手錠を取り出した。
「暴れるなよ。大人しくしていれば腕一本折るだけで勘弁してやる」
白州は手錠の輪を男の手首にはめると腕を持ち上げた。折ると言ったのは脅しではなく本気だったのだ。
「それはご免だ。痛いのは好きじゃないんだ」
「何?」
男の腕が伸びてきた。次の瞬間、白州の体が浮いていた。
何が起きたか彼自身混乱している、突然のことに考えがまとまらない。
だが考えるより先に体が動いた。バランスを整えて再び地上に降り立てばいい。
白州は二回転して着地、だがそれを待ち構えていたかのように回し蹴りが飛んで来た。
すぐに腕をあげ頭部をガードするも、蹴りの威力は凄まじく白州は地面を滑っていた。
立ち上がり構えた。敵は背後から迫ってくる。
体を回転させ、その遠心力から回し蹴りを繰り出すも、すでにそこに敵の姿はなかった。
(どこだ、どこにいる?!)
「右だ」
淡々とした声、その方向に白州は腕を突き出したが何もない。
「左だ」
(速い!)
一瞬で男は移動している。白州はダッシュしていた、敵の蜘蛛の巣にはまるわけにはいかない。
「前だ」
だが男の方がスピードが早かった。
「どうした?俺はこっちだ、ほらここにいるぞ」
今度は背後から声が聞えた。このままでは男に翻弄されてしまう。
(本当に戦闘経験がないのか?このスピードと身体能力は特撰兵士クラスではないか)
白州の額から一筋の汗が流れた。
「大したものだが、まだ甘い!」
白州は懐から発炎筒を取り出す一斉に投げた。発火と共に煙が充満し、辺り一面の視界を遮る。
「何だ?」
煙幕の中で男がきょろきょろと辺りを見渡しているシルエットが見えた。
「戦闘経験がないというのはまんざら嘘じゃないらしいな」
この状況ではスピードもパワーも半減される。最も有効な武器は敵の位置を気配で察する勘だ。
こればかりは鍛えられた者には敵うわけがない。
「おまえはおそらく天才だろう。実戦で鍛え上げれば素晴らしい戦士になれる。
だが今は未熟な青二才に過ぎない。俺に勝つのは百年早い!」
白州は気配を最小限に消し男を急襲した。背後から首に一撃、それで全てを終わらせるのだ。
「おまえの負けだ!」
白州は手刀に渾身の力を込め振り下ろした。
「……何!?」
手ごたえはあった。だが、それは人間の肉体にダメージを加えたものではない。
ばさっと地面に何かが落ちる音がした。
「上着だけ!?」
中身が、男がいない。白州は神経を集中させた、それなのに男の位置がつかめない。
(バカな、この俺が敵の気配を感知できないはずがない!)
「ここにいるだろう?」
決して威嚇するような口調ではないのに、刺すような冷たい威圧感があった。
風が煙を吹き飛ばし徐々に辺りの景色が見えてくる。男の姿もあった、白州のすぐそばに!
「……ば、バカな!」
白州は驚愕のあまり大きく目を見開いた。
「あまり俺を見くびらないほうがいい」
【B組:残り45人】
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