薬師丸はじっと闘場を見詰めている。実際、薬師丸の推察は正しかった。
川田は腕力もあり洞察力も優れているが格闘技に関して言えばプロではない。
桐山が敗北を喫すれば自動的に科学省チームの勝利は決まるといっても過言ではない。
だが肝心の桐山が中々倒せない。薬師丸は僅かだが焦りを感じていた。
まさか自分が手塩にかけて鍛え上げた満夫達が無名の選手に苦戦させられるとは計算外。
薬師丸にも増して焦っていたのは海老原だった。
海老原は、ここ数年間自らの素行の悪さによって上層部から問題視されている。
いい加減、自分の立場がやばいという事を自覚してきていた。
部下達を活躍させ、指揮官として教官として自分は有能だとアピールするのが海老原の狙いだった。
それが一般人相手に敗北となると海老原の立場はなくなる。
薬師丸は例え満夫達が敗北しても今までの実績が彼を守ってくれる。だが海老原はそうはいかない。
やんちゃというにはあまりにも悪質な悪さをやりすぎてしまったのだ。
「どうしたんだい竜也?」
水島はさも愉快そうな口調だった。実際、内心面白くて仕方なかったのだろう。
「うるせえ、今の俺に話しかけるな!」
大声で怒鳴ってやったものの、その語尾には覇気がなく水島は怯むどころか目を細めている。
海老原のいらいらは頂点に達しようとしていた。
その証拠に親指の爪を噛んでいたのだが、出血していることにまるで気づいてない。
「やれやれ、相変わらず君は余裕のない性格だねえ」
「うるせえ、俺に話しかけるなと――」
何を思ったのか水島は海老原の口を手で塞いだ。顎に圧力を加えられ海老原はもごもごと無様に口を動かす。
「何だったら俺が手を貸してあげてもいいですよ」
水島は海老原にそっと耳打ちした。海老原はゆっくりと水島を見上げる。
水島とは色々あったが海老原は知っている、悪知恵に関して言えば彼は頼りになる男だと。
「堂本さんとは義理の兄弟みたいなものだ、彼には勝って欲しいしねえ。
確実に勝てる方法があるよ。後は君次第だ。どう、乗るかい?」
鎮魂歌―80―
桐山の腕に絡み付いていたチェーンが外れた。桐山をそれを手にすると満夫に襲い掛かった。
「うわっ!」
振り下ろされるチェーンを避ける満夫、その足元からコンクリートの破片が飛び散る。
「やっべー!鋼鉄製だけあって威力半端ないよ!」
何よりも桐山に容赦も躊躇もないのが怖い。満夫の頭部を粉砕する気で攻撃している。
ましても凄い勢いでチェーンが振り下ろされた。
「真剣白刃取り!」
チェーンと真剣とでは物は違うが元々満夫は単純な性格。
終わりよければ全てよしで、チェーンを両側から手で挟むことで事態を回避しようと試みた。
だが、やはり同じ鉄でも鎖と剣は別物ということを満夫は思い知る。
見事に挟んだがいいが、何と桐山が巧みにチェーンを動かし満夫の両手首を絡めてしまった。
「あ、しまった」
桐山は一気にチェーンを引く。満夫の体が石床に激突、そのままずるずると凄い勢いで桐山に引き寄せられた。
このままで桐山に捕まり撲殺されるだろう。
満夫は必死になってジャンプした。桐山に捕まる前に飛び蹴りで決定的なダメージを与えるつもりなのだ。
しかし桐山も只者ではない。満夫の意図を瞬時に察し自らも飛び上がった。
二人の脚が空中で交差する。直後、二人は同時に着地した。
「俺、負けないよ」
満夫は即座に振り向き攻撃に出ようとしたが、やはり両手の自由を奪われいたのが響いた。
僅かにバランスを崩し足元がふらついたのだ。
そこに桐山が強烈なタックルをお見舞い、満夫は腹部に強烈な痛みを感じた。
何とか強引に後方宙返りして着地した途端、満夫はガクッと膝をついた。
(うう……超痛い。やばいよ肋骨にひび入ったみたいだ)
弱点を敵に知られるのはまずい。満夫は観察するように桐山の表情に神経を注いだ。
何もなかったような涼しい顔で満夫を見ている。
(気づいてないのかな?)
桐山は猛スピードで迫ってきた。そして満夫の胸部に再度攻撃を仕掛けてくる。
これはやばい!満夫は蹴りで応戦、しかし桐山は尚もしつこく胸部を狙ってくるではないか。
(こいつ絶対に気づいている!)
満夫は確信した。それはまた桐山は完全に素人ではなくプロだと思った瞬間でもあった。
プロなればこそ敵の弱点を容赦なく狙う残忍な行為を平然と戦略の一つとして割り切ることができる。
桐山は間違いなくプロの非情さを持っている。
「桐山君、頑張ってるけど難しいね。相手の子もなかなか強いよ」
「所詮、一ヶ月特訓しただけの素人が勝ちあがれるような大会じゃないんだよ兄貴」
「ダメだよ春樹、そんな悪態ついちゃ。ここまで頑張ったんだから褒めてあげないと」
「……兄貴がそういうんなら」
春海と春樹の会話は
美恵にとっては聞き辛いことだった。
悪意はないだろうが、これではまるで桐山の敗北が決定したかのような言い草ではないか。
「春海さん、桐山君は負けてません。それに桐山君が優勢になってきたじゃないですか」
「うーん、確かにそう見えるけどね」
春海はある程度美恵の意見に理解を示してはいるのものの同意はしない。
「桐山君、ここにきて体力落ちてるよ」
美恵はハッとして桐山を注意深く見た。確かに遠目だが桐山の動きが鈍ってきている。
「桐山君の敵はあの子だけじゃない。自分自身だよ。
連戦が彼の体力を極端に奪ってきてるんだ、彼だって生身の人間だもの」
春海はにっこり微笑みながら「自分を酷使するのはいけないよ」と言った。
「……桐山君」
美恵は両手を組み俯きながら必死に祈った。自分ができることは悔しいがそれだけなのだ。
「美恵さんは、そんなに桐山君に勝って欲しいんだ」
「当然です。だって桐山君は私達のために……」
「桐山君が負けても美恵さん達の身の安全は保障されるんだよ」
美恵はきょとんとして春海を見上げた。
「兄さん達も大会の勝敗に関係なく美恵さん達の面倒は見てあげるっていってたよ。春樹もかまわないよね?」
「ああ、女まで叩きのめすのは趣味じゃないし、そいつらは綾波破壊してないし、光子をは巻き込みたくない」
「だってさ。だから美恵さんは安心していいよ」
「あ、あの春海さん……」
美恵は戸惑いながら春海の好意に異を唱えた。
「私、桐山君達だけを犠牲にして自分だけ助かりたくないわ」
にこにこしていた春海は怪訝そうに開眼して美恵を見詰めた。
「第一、私が今こうしていられるのも桐山君が今まで守ってくれたからなんです」
貴子も美恵の言葉に頷いている。
「もし桐山君達が負けたら私も桐山君について外国に行くつもりです」
「…………」
春海は黙っていた、それは随分長い時間だった。やがてにっこりと笑みを浮かべた。
「そう、美恵さんは本当に優しいひとなんだね」
それからふいに立ち上がった。
「飲み物を買ってくるよ。夏生、手伝ってくれる?」
「……あ、ああ」
春海と夏生が歩き出すと、春樹も「俺も」と後についていった。
「ねえ夏生……」
美恵達から声が聞えない程度の距離が広がると春海は夏生を振り返った。
「夏生はどうして彼らにここまで肩入れするんだい?」
「どうしてって……あんなガキども放り出すのも後味悪くてさあ」
夏生の曖昧な答えに春海は納得できないようだった。
「うん、そうだね。あの子達はいいこだよ。僕だって出来る限りのことはしてやりたいと思ってる。
でも僕はね夏生、本当のことをいうと桐山君達よりも夏生の方がずっと心配なんだよ。
彼らは政府から追われている身だから、いつ捕まるかわからないじゃないか。
あの子達に肩入れして夏生にまで害が及んだりするのは嫌だよ。
そこまでいかなくても情が移ったら夏生が悲しむ事になるだろ?」
「……は、春兄」
夏生は殊勝な表情で春海を見詰めた。
「こんなこというのは残酷だって自分でもわかってる。酷いと思うよ、でも僕は夏生を悲しませたくないんだよ」
夏生は喉がからからになってきた。反論しようにも声が出ない。
「最低だと思うかい?兄のエゴだよ、でもわかって欲しいんだ。あまり危険なことはして欲しくない。
そうでもなくても、おまえは調子に乗って今まで何度も危ない事に足を突っ込んでばかりじゃないか。
僕はそろそろ夏生には大人しく学業だけに専念して欲しいよ。冒険好きも度が過ぎると寿命を縮めるだろ?」
「……ああ」
「兄貴の言う通りだぜ。夏生兄貴はお人好しな上に生存本能が今ひとつなんだよ!」
春樹は夏生の肩にぽんと手をおいた。
「春海兄貴は優しいから心配してるんだ。あいつらにのめりこむのも程々にしろよな」
春海は「ありがとう春樹」と自分の理解者に感謝したが、それでも夏生を哀れみの目で見詰めていた。
「老婆心だと思って僕の忠告よく考えておいてね」
「そうだぜ。兄貴は危険な橋渡り過ぎだっての」
「ああ、わかってる」
「良かった。いいね夏生、もう危険なことは卒業するんだよ」
春海は「じゃあジュース買って来るね」と再び歩き出した。春樹もすかさず後に続く。
『もう危険なことは卒業するんだよ』
「……はあ」
夏生はその場に腰を降ろすと頭を抱えた。
「……念まで押された。春兄に」
「大人しく俺の攻撃を受けろ」
「嫌だよ、痛いのは趣味じゃない」
桐山と満夫の凄まじい攻防は続いていた。桐山の華麗な攻撃を満夫は、これまた完成された動きでかわす。
「俺は怪我した。でも、あんたも体力の限界にきてるだろ?」
満夫の状況把握は正しかった。どちらも限界に近付いてきている、後は時間の問題だ。
「悪いけどさ、俺だって負けらんないよ。勝つのは楽しいんだ」
こんな時だというのに満夫は笑顔満面だ。強がりではなく本当に、この戦闘を楽しんでいる。
そして負けるつもりは毛頭ない。彼にとって勝利は勲章や地位にはない、最高の喜びなのだ。
「確かに、これ以上の運動量は俺にはきつい。だから、おまえにはもう動いて欲しくない」
「そんなこと言っても無駄だよ。俺、素早いのが取り得だもん」
「俺には関係ない」
桐山は自分の手首に巻きつけたチェーンを投げた。チェーンの先端は満夫の腕に絡み付く。
当然、満夫はチェーンを外そうとしたが、桐山が攻撃してくる。とても外す余裕なんてない。
「チェーンデスマッチか。まいったな……これじゃあ足を使って逃げれないよ」
「当然だ、だからやった。さあ死ね」
桐山の右ストレート、満夫は首の角度を変えてギリギリでかわす。
だが直後後頭部を捉まれ固定された頭部に桐山の膝が炸裂していた。
これは満夫もたまらないが、痛みに耐えられないことはない。
おかえしとばかりに満夫も桐山の腹部に強烈なのをお見舞いした。
お互いの体が一本のチェーンで繋がっている以上、攻撃はなかなかかわせない。
残されたのは腕力と激痛への忍耐の勝負。それがしばらく続いた。
「俺には次の戦いもある。いつまでも、おまえにかまっていられない」
桐山は渾身の力で満夫ごと飛び上がった。そして最高点から一気にチェーンを振り下ろした。
その遠心力と落下速度により満夫は盛大に石床に叩きつけられる。
満夫の全身に走る軋むような激痛。
しかも桐山は容赦ない上に、徹底した性格の持ち主だ。それでは終わらない。
再度飛び上がると、満夫のボディ目掛けて急降下。
桐山の膝が満夫の胸部に見事ヒット、満夫の顔が酷くゆがみ血を吐いた。
強烈なダメージを喰らいながらも満夫は桐山の足に絡み付いているチェーンをつかみ思いっきり引っ張った。
当然、桐山はバランスを崩す。そこに満夫の左フック、桐山はこめかみに衝撃を受け思わずよろけた。
さらに満夫は二度、三度と強烈なパンチを連打。
四度目もお見舞いしようとするも、桐山はサービスタイムを自らの力で強制終了した。
拳を受け止められ、しかも不自然の方向に急激に力を加えられ満夫の左手からボキッと嫌な音がした。
「……結構、痛いもんだね」
「俺は未経験だ。だから痛いかどうかはわからない」
桐山の拳が満夫の頬にクリーンヒット。満夫は盛大にふっ飛ぶ、中央のプールに飛び込む水の音。
満夫とチェーンで繋がっている桐山も引きずられるようにプールの飲み込まれた。
水中でも戦闘は続く。背後から腕が伸びてきて桐山の首に巻きついた。
桐山の首にかかる圧力。しかも満夫は、ようやくチェーンを振りほどき自由の身になっていた。
「……ぐっ」
満夫の左手を桐山がつかんだ。当然、激痛が満夫を襲う。それでも満夫は腕を離さない。
桐山にも限界が迫っていた。もはや腕力もスピードも身体能力も関係ない、気力と気力の勝負だ。
どちらも激しい苦痛を感じていたが、それでも戦意は失っていない。
桐山は最後の手段とばかりに満夫ごと、さらに深く潜り出した。
水圧が二人を襲い掛かる。二人とも脳を締め付けられるような感覚に気を失いそうになる。
普通の人間なら、とっくにそうなっていただろう。
それでも二人はギブアップしない。敵の殲滅が優先事項というのは共通した考えだった。
意地と意地のぶつかり合いの最中にも時間は非情にも過ぎてゆく。
二人の苦痛も比例していく。終わりの時が近付いてきた証拠だ。
満夫がようやく腕をはなした。だが、それは苦痛に負けたからではない。
自分に限界が近付いている以上、最後の力を振り絞って桐山に一撃を加えるためだ。
それは桐山も同じだった。満夫の手を離し向かい合った。
お互い残された力を利き腕に集中させた。お互いにらみ合い、そしてどちらともなく激突した。
「ど、どうなってるんだ?桐山は無事なのか!?」
「満夫、おい、さっさと出て来い!!」
両陣営から声があがるが、水面は静まり返っている。まるで反応がない。
勝っているのはどっちだ?桐山か、それとも満夫か?それとも両方なのか?
水面から人影が飛び出した。その姿を確認した途端、美恵は張り裂けばんばかりの歓声をあげた。
「桐山だ!勝った、あいつ本当に勝ったんだよ!!」
桐山はチェーンを握り締めており、闘場に上がるとそれを引き出した。
水中からチェーンでグルグル巻きにされた満夫が引き上げられた。
呆気に取られる審判に桐山は「カウント」と簡単明瞭に言った。
それでもまだ審判が放心していると、「では、とどめをさそう」と満夫に馬乗りになり首を締め出した。
「ま、待ちたまえ!」
慌てて審判がテンカウントを唱え出すと桐山はようやく満夫から離れた。
「……う」
満夫が目覚めた。慌てて起き上がろうとするが体の自由を奪われ、上手く立ち上がれない。
それでもブリッジして何とか体勢を整え直立すると、桐山がすっとそばにきて蹴りを一発。
満夫は再び石床に接触。今度は起き上がれない、桐山がしっかりと踏みつけているからだ。
「おまえがさっさとしないからだ。早くしてくれないかな?」
審判にカウントのスピードアップを促す。数秒後、審判は桐山を指差して宣言した。
「……しょ、勝者!」
その瞬間、観客がいっせいにどよめきの声を上げた。無名の民間人が、科学省の人間兵器達を倒したのだ。
騒然としている中、30分の休憩を告げる放送が流れる。
桐山は満夫の体に巻きついているチェーンを外した。
情けをかけたわけではない、勝負が決定した以上、殺す必要がなくなったというだけだ。
「……思い出したよ」
桐山の手がぴくっと反応した。
「……やっと思い出した。強いはずだね、俺2回も負けたんだ」
「……ま、負けた……おい克巳!」
海老原は水島の胸元を掴んだ。随分と興奮しており、その目は口走っている。
「わかってるよ。安心しな、必ず君の部下達に勝たせてあげるよ。その為に、少し席をはずそうじゃないか」
水島は陸軍特撰兵士を引き連れて特別席から控え室に向かった。
「とんだ番狂わせだね。僕も少し席を外させてもらうよ」
元々薫は華やかなパーティーと違い、ただ座っているだけのお真面目な公務は嫌いだった。
おそらく控え室に彼女の一人や二人待機させているのだろう。
休憩時間を利用して、しばらく楽しんでやると顔が語っていた。
「凄い、凄い、凄い!パーフェクトすぎるよ、殿の予想は神技っすね!!」
「もっと賭けるんでしょう?あたし、なんかもうハッスルしすぎて心臓バクバクよ!」
颯爽と廊下を歩く愛らしい少年。
金属製の御大層なバックをいくつも抱えている男女がその後についてゆく様は異様な光景だった。
「あはは、二人には、こんな大金刺激強すぎたね。そろそろ現実に戻してあげるよ」
少年は「ショータイムは終わり。さ、帰るよ♪」と二人に宣告。二人は呆気に取られた。
「殿、何で!?まだ大会はこれからじゃないですか!」
「そうよ。あの彼にもっともっと賭ければ――」
「わかってないなあ」
少年は哀れみを込めた目で二人を見詰めた。
「今回の戦闘で彼はもう大穴じゃなくなったんだよ。大本命に大出世さ、もう彼に賭けても儲けは少ない。
それどころか、ぐずぐずしてたら今まで儲けた金までやばくなるよ」
二人はきょとんして少年を見詰めた。
「わかんないの?やっぱ馬鹿だなあ二人は。俺、随分派手に稼いじゃったからね。目をつけられる前に――」
少年は言葉を止めた。廊下の角からいかにもタチの悪そうな連中が姿を現した。
そして金属製の箱をにやにやと舐めるようにみているではないか。
「これでわかったろ?俺達、さっさとここから去るのが賢明なの」
二人は頭が振り切れるのでは無いかと言うほど何回も頷いた。
しかし遅かったようだ。チンピラたちはにやつきながら近付いてきた。
「よう坊や、随分と儲けたじゃないか。俺達にちょっと金貸してくれよ」
「あんた達だけ?」
「ああ、そうだ。俺達四人がその箱の中身を山分けしてやるよ」
少年はゆっくりと四人を見上げた。
その下卑た顔を嘲笑し、「失せろよタコ」と侮辱したのを合図に壮絶な喧嘩が勃発。
数秒後にはチンピラたちが床に這いつくばっている図が完成していた。
「俺から金をとろうという奴はみーんなこうなるんだよ。さあ行くよ、ママが迎えをよこしてくれてるはずだから」
だが少年は歩き出したのも束の間、すぐに立ち止まった。人の気配を感じ警戒している。
廊下の先から現れた人物を見て連れコンビはホッと溜息をついた。
先ほどのチンピラとは違い今度は上品で優しそうな、しかも超がつく美少年だったのだ。
すれ違う、そして彼は振り向きもせずに去っていった。
「ねえねえ見た?!凄い美少年だったわよね、BLでは受けよね。だって、あんな綺麗なんだもん!!」
「BL?受け?それって暗号?」
「何て名前かしら?ねえ……あれ、どうしたの?」
少年の様子がおかしい。直立して動かないではないか。
「気分でも悪くなったのかい殿?」
全身を僅かに震わせ額からは汗が滲んでいる。
「……あいつ」
「「え、あいつ?」」
少年はがばっと振り向いた。先ほどの美少年の姿はもうどこにもない。
「……あ、あいつ」
少年の手には鳥肌がたっていた。その目は恐怖の色で染まっている。
「あいつ……俺以上の悪党だ……!」
「おまえ、あの時のやつだろ?」
満夫はあぐらをかいたまま桐山に言った。桐山にしか聞こえない程度の音量だった。
周囲の者は審判も含め二人が動かないことに途惑っている。
「何の事かな?」
「もういいって。もう嘘つく必要ないよ」
桐山は満夫を騙すのは無理だと判断し、「殺せばよかったのかな?」と呟いた。
普通の人間ならぞっとする言葉なのに満夫は面白そうに笑っているだけである。
「それで俺達をどうするのかな?」
「どうもしないよ。俺、負けたんだもん。それよりさ、俺の忠告聞かなかったんだね」
「ああ、きかなかった」
それは実に奇妙な会話だった。桐山の言葉は無機質なものなのに、満夫は楽しんでさえいる。
「よくわかんないけど、この先、この国で隠れてやっていける方法見つけたの?
この国は甘くないよ。あんた達がそれでも選んだ道なら俺が口出しすることじゃないけどさ」
「よくはわからない。これが正しいのかどうか、だが大会で優勝すれば可能性がでる。それだけだ」
「ふーん、そうなんだ。だったら、ほらあの席に座ってる怖いお兄さん達にばれないようにしなよ」
満夫は顎をくいっと動かして特別席を示唆した。
「おまえはいいのかな?おまえもあちら側の人間なのだろう?」
「さっきも言ったとおり、俺あの時負けたし、今回も負けた。だから、あんた達をどうにかしようなんて思わないよ」
「そうか」
そこで二人の密談は終了した。
満夫は立ち上がると、「ま、あんたなら優勝間違いないよ。頑張ってね」と激励の言葉すらかけた。
そして颯爽と闘場から飛び降りた。
その顔には屈辱も悔しさもない。心から戦闘を楽しんだ満足感だけがあった。
「や、やった……勝った」
放心の後、良樹は、その一言を絞り出した。
「勝った、勝った、準決勝進出だ!」
堰を切ったように今度は絶叫していた。
「桐山、よくやってくれた。一時はどうなることかと思ったぞ」
いつも渋い表情で桐山を見守っている川田ですら安堵している。
「後2回勝てば……いや、桐山がいれば優勝したも同然だ。なあ川田!?」
「雨宮、それは気が早いというものだぞ。油断禁物だ、まだどんな化け物が控えているかわからないからな」
川田ははしゃぐ良樹に釘を刺したものの、本心は全く同じだった。
優勝候補筆頭の科学省チームを桐山はほとんど単独で倒したのだ。この強さは本物だ。
この大東亜共和国の軍事において、こんな格言がある。
Aクラス兵士に勝てるのはAクラス兵士と、それを上回る特撰兵士のみ。
言い換えれば特撰兵士にはAクラス兵士など勝てはしないということだ。
今大会にAクラスの兵士は大勢出場している。だが特撰兵士候補生は科学省の三人のみ。
つまり、その三人と互角以上の戦いを繰り広げた桐山は間違いなく正真正銘特選クラスの実力の持ち主。
Aクラス兵士とやらが、どれだけ化け物揃いだろうと桐山に勝てるわけがない。
次にあたる陸軍の兵士達は、荒れくれ者の集まり。普通なら大人と子供の戦いだっただろう。
だが、此方には今大会最強無敵の桐山がいるのだ。良樹達の心はすでに優勝旗を手にしていた。
「さあ、準決勝は30分後だ。いったん控え室に戻って体を休めよう」
廊下を曲がると控え室の前に誰かいる。
「失礼、よろしいですか?」
白衣の集団が待ち構えていた。物々しい雰囲気には三村や良樹は緊張して思わず構えていた。
「あなたですよ、あなた」
リーダーらしき男が桐山を指差した。
「俺か?」
「ええ、あなた二回戦にて随分と負傷されたようですから。試合を円滑に進める為に診断をさせて頂きます」
突然の事に三村と良樹はお互い顔を見合わせ心配そうに桐山を見詰めた。
「大会委員会の決定です。ご同行願います」
「そうか、わかった。川田、いいかな?」
何かひっかかる感じがしたが、彼らの言い分自体おかしい事は無い。確かに桐山は随分と負傷、疲労している。
一度、プロの医者に診てもらうのは当然といえば当然だろう。
「ああ……俺もついていこう」
川田は桐山に付き添おうとしたが、「あなたは負傷していないでしょう」と止められた。
結局、桐山一人だけが白衣の集団に連れて行かれた。
30分が経過したが桐山は今だ戻らない。もうすぐ準決勝が始まるというのに、これはただ事ではない。
科学省のエリート相手に大活躍をした桐山は、今や賭けの対象としても本命視されている。
その主役が今だに姿を現さないことに観客も徐々にざわめき始めた。そんな状況で放送が流れ出した。
『大会委員会よりお知らせいたします』
「ふふ、これで彼らの快進撃もここまでだねえ」
華麗に脚を組み頬杖をつく水島を見て海老原は内心腹立たしかったが、背に腹は変えられなかった。
(このキザ野郎の知恵を借りたのは面白くねえが、とりあえずこれで陸軍の勝利は確定だ)
『先ほどのAリーグ二回戦、第二試合は我々の想像以上に壮絶なものとなりました。
選手の身体に異常が発生したと推測し検査したところ彼は負傷しておりました。
重傷ゆえに我々は彼に試合続行は不可能と判断いたしました』
「……お、おい川田、これって」
「あ、ああ……桐山のことだ。間違いない」
『よって人道的立場から、負傷した選手にドクターストップの決定を下した事をお知らせいたします』
一気に会場が騒がしくなった。
『では負傷選手抜きで、ただちに試合を開始とします。以上』
「……嘘だろ?」
七原の口元が引き攣っていた。笑い出したいくらいの感覚だ。
「……桐山抜きで戦えっていうのかよ!」
【B組:残り45人】
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