夏生は幸せいっぱいだった。光子ほどの美人とお近づきになれたのだ。
今まで大勢の女と付き合ってきた夏生だ。美人の彼女もたくさんいた。
しかし光子は単に美しいだけではなく、愛らしく色気もあり、中学生とは思えない魅力があった。
「一番高いワインあけて乾杯したい気分だ」
世間的にいえば高校一年生の夏生が飲酒などもってのほかだが、光子はそれに対しても理解のある女だった。


「夏生さん、よかったらあたしと飲まない?あたし少しはいけるのよ」
「そうか?光子ちゃんがそういうのなら」
夏生はちょっと飲むだけのつもりだったが光子はどんどんお酌してきた。
酒というのは不思議なもので、美人が注いでくれるといくらでも飲める。
「あたしも一杯だけいただいていいかしら?」
「いいよ、いいよ。ほらこれロマネコンティなんだ、ささぐっといってくれ」
「ああ、なんだか少し酔ったみたい」
光子は一口ワインを口にすると、夏生にしなだれかかった。夏生のボルテージはさらに上がった。
「夏生さんってお酒に強いのね。そういうところも素敵よ」
「そうかな?」
「ええ、さあどんどん飲んで」
テーブルの上には瞬く間に高級酒の空き瓶が積み上げられていった。


酒に強い夏生だったが、ふと気付くと目の前に天井が見えた。
「……ん?」
何かがおかしかった。ベッドに寝ているではないか。とにかく体を起した。
少しだけぎょっとなった。何も着てない、全裸ではないか!
「光子ちゃん?」
おまけに光子の姿が見えない。代わりにバスルームからシャワーの音が聞こえてくる。
やがてバスタオルを体に巻きつけただけの大胆なスタイルで光子が現れた。


「あら目が覚めたの?シャワー借りてたわ、夏生さんすごすぎて汗かいちゃったから」
「ちょ、ちょっと待ってくれ光子ちゃん。まさか、俺は君と……」
「夏生さんってお酒はいると人が変わるのね。強引すぎてあたしびっくりしたわ」
夏生は起き上がろうと布団をめくった。そしてびびった。
血痕があったからだ。夏生は顔面蒼白になった。
「夏生さん、あたし初めてだったのよ」
「……み、光子ちゃん」
夏生の目の前で天使が悪魔に変貌した。


「中学生のあたしをキズモノにしておいて逃げようなんて。まさか、そんなことしないわよね?」




鎮魂歌―8―




「……どうしてこんなことになったんだ。俺は酒には強いはずなのに」
夏生にはわけがわからなかった。
ただ光子に処女喪失させたんだから、それなりのことはしてもらうといわれ承知するしかなかった。
光子とはただのクラスメイトに過ぎない七原や三村もこれには気の毒に感じた。
特に三村は、「キズモノにされた?相馬もよく言うぜ」と思ったが、それを口に出して光子を敵に回すつもりもなかった。
最初は酒に酔わせるだけのつもりだった光子が、粉薬の袋を海に投げ捨て
「あいつ本当に酒に強いんだもの、まいったわよ。即効性睡眠薬持ち歩いててよかったわ」
などと独り言を呟いていたことは誰もしらない。


「冷静になれ宗方」
川田はさすがに同情して慰めようと声をかけた。
「……一生の不覚だ」
「そうだろう。これに懲りたら二度と女に気軽に手を出さないことだな」
「……何も覚えてないなんて最悪だ」
「は?」
川田は自分の耳を疑った。
「一生の不覚だ、あんな美人とにゃんにゃんした記憶がないなんて!
くそー勿体無い!男として末代までの恥だ、俺は自分が情けない!!」
川田はもう同情するのは止めた。














「克己君、もう行くの?お願いだから、もう少しそばにいて」
「ごめんよ。でも俺が愛しているのは君だけだ。後で電話するから」
水島が全国津々浦々任務先で必ず繰り広げる女との別れ、直人は苦々しくそれをみていた。
そして理解した。今回の情報を水島に流したのは、あの能天気で無邪気な女だと。
水島にとって警察の内部情報を仕入れるというためだけの存在だということに気付いてない愚かな女。
水島は、女性との付き合いはギブ&テイクだと常々公言している。
お互い支えあっていると。それは恋愛すら父親に禁じられている菊地君にはわからないことだよとも言ってくれた。

「ほら、これ。君へのお土産に買っておいたんだ。
予想外の事件が起きて多忙を極めてしまって渡す機会がなくってね。
君が前から欲しがっていたものだよ」
水島は北海道の彼女からもらった、まりもっこりの縫いぐるみを瑠璃に差し出した。
「私も克己君にプレゼントがあるの」
瑠璃はアルマーニのスーツ(財布とベルト付き)をあげた。


(五千円程度の縫いぐるみと引き換えに百万単位のブランド貰って何がギブ&テイクだ。
アンバランスな付き合いしやがって。
海原事件で俺の手柄を横取りしたのも、水島が女を使ってしたことに決まっている)


直人は確信をもって、心の中でそう断言した。
結局、今回の事件で手柄を立てたのは水島一人。
直人は宗徳を襲った殺し屋を捕らえるために包囲網をひくことを主張したが、すでに逃げられた後だった。

郷原の右腕だった田中は未成年だということが考慮され、死刑は免れたがしばらくは外には出れないだろう。
少しでも刑務所暮らしを短縮させるためにと必死になってべらべら喋った。
B組の生徒たちを捕らえたことももちろん話した。連中と一緒に宗方夏生がいたこと以外全てだ。
夏生の存在を明かせば刑期はぐっと軽くなるだろうが、その分、この世にいられる時間も短くなる。
夏生の背後にいる組織のでかさを考え、田中はそれだけは明かしてはならないと悟っていたのだ。


その代わりに自称修学旅行を楽しんでいたという中学生達のことは誇張して喋った。
誇張どころではない。正体不明の集団で、戦闘のプロも複数いたと自白した。

「もしかしたら最近政府の施設を襲っている謎の超過激テロ集団K−11かもしれませんぜ」

K−11は去年新たに出現したばかりの反組織集団だ。
しかし、僅か数ヶ月でブラックリスト上位に名を連ねるようになった危険な連中だった。
正体不明で神出鬼没。少数精鋭らしく、組織そのものは大きくないが甚大な被害を国家に与えている。
かつて政府を恐怖のどん底まで突き落とした反政府組織があった。
西園寺紀康という男がリーダーで、今なお政府にたてついている者達にとっては伝説として語り継がれる崇拝の的だ。
その西園寺紀康以来の超過激派として恐れられているのがK-11。
そのK−11の名を出すということはどういうことか。それは政府がこのまま黙ってはいないということだ。
その日のうちに、三沢は政府の上層部に緊急連絡。


海外任務により世界各国に散り散りになっている特選兵士を、任務終了と同時に緊急帰国させる旨が発表された。














「とりあえず紹介しておく。こいつは俺のいとこの理央、ほら理央挨拶しとけ」
「よろしく。俺はなっちゃんの父親の妹の息子で趣味は蝉取り。旅行宿泊は持統ホテルをよろしくね」
理央はちょっと頭のネジが緩んでいたが、見るからに悪い人間ではなさそうだった。
こんなときにホテルのパンフレットを配るのは少々空気読めてはいないが。
それも一般庶民には縁の無い高級ホテルのパンフレットだった。

「持統ホテル?もしかしてホテル王の持統家のか?」
静かに口を閉ざしていた桐山が、その威厳のある声を室内に響かせた。
「そうだよ。俺の父ちゃんは四代目。俺が五代目ね」
「ねえ質問いいかしら?」
光子が挙手していた。
「そんなすごい金持ちと親戚なんて夏生さんも相当なお金持ちなんでしょ?
だって貧乏人にこんな大きなクルーザー所有できるわけないもの」
夏生は、「まあちょっとな」と簡潔に答えただけだったが、理央が余計なことをべらべらと喋りだした。

「なっちゃんの家はすごいよ。俺なんかよりずっとね、だってなっちゃんの実家は東日本で三本の指にはいる季……」
「おい理央、余計なこというなよ」
「あ、ごめん」
夏生は制止をかけたが、光子にとって重要な情報はそれだけで十分だった。

(ふーん、三本の指にはいる……ね。どうやら、あたしいいカモ捕まえたようじゃない)

「それより、そろそろおまえたちの正体教えろよ。あそこにいた以上一般人じゃないよな。
かといって桐山と川田はともかく、他のやつは素人。おまえら反政府組織にかかわったばかりの新人だろ?」
七原が慌てて否定した。
「だからそれは違う。俺たちは修学旅行の途中で事故にあってバスごと転落したただの中学生なんだ」
「まだそんなこと言うのかよ。だいたい、さっきから城岩町、城岩町っていってるけど、どこの町だ」
夏生は四国の地図を取り出した。七原は地図のとある箇所を指差した。


「ここだ」
「おい、俺を馬鹿にしてるのか?」
「なんで、そんなこというんだよ」
「そこはD地区じゃないか」














一人の少女が厳戒態勢が今だ解かれていないD地区に隣接する空き地に立っていた。
数ヶ月前、このD地区で起きた悲劇。科学省秘密研究所の爆発により、三つの町が地獄の業火に飲み込まれた。
そして大勢の人間が死んだ。行方不明者も多数出た。
その行方不明者名簿から科学省が削除した人間が二人いる。
内、一人が彼女にとって特別な人間。
外見からは誰ともわからない死体の一つ一つをDNA鑑定にかけてまで科学省はその者を探した。
結果、遺体は発見されなかった。
爆発前に脱出に成功したのか、囲いの中でまだ隠れ住んでいるのか、はたまた死体すら残らなかったのか。
科学省が全力を出したのにもかかわらず、それすらもわからなかった。

だが、あれから数ヶ月が過ぎて転機は突然訪れた。
囲いの中で何か起きた。
そして科学省兵士が囲いから出てきた少年を尋問したところ、生死すらわからなかった彼を見たと証言したのだ。
その情報は科学省に戦慄となって駆け巡った。


『あの悪魔が生きていた』

『惨事が繰り返される。F5事件と同じ、それ以上の惨事が』

『殺すしかない。息の根を止めなければ科学省は根絶やしにされる』


その風当たりの強さを彼女は誰よりも強く感じていた。
彼女が科学省の至宝]シリーズの家族でなければ、彼女にも害が及んだかもしれない。


(周囲は軍が取り囲んでいる。普通なら簡単に脱出できるわけがないわ。
でも、総統の息子が襲撃されたために風向きが変わった)
国防省と宮内省は戦闘員のほとんどを総統の二人の息子の護衛に当たらせた。
(夜になれば何か動きがあるかもしれない)
彼女は日が落ちるのを待って、ゴーストタウンと化したD地区に潜入することにした。
彼女の名前は
科学省によって生み出された仕組まれた子供の一人である。














「あ、あそこが城岩町?う、嘘だろ?」

廃墟と荒廃した土地、ゴーストタウンの代名詞のような場所。
城岩町はこれといった特別な魅力は無いが素朴で閑静な町だった。
町の人々はいつも笑顔で、七原が愛したものの全てがあそこにはあった。
慈恵館も、安野先生も、優しかった両親の墓も。
三村はいつもつまらない小さな町だといっていたが、七原には懐かしく大切な故郷だった。
その城岩町の存在がこの世から消滅し、代わりにあるのはゴーストタウン。
七原でなくとも、B組生徒たちは誰もが衝撃を受けた。
学校は?友人は?家は?何より家族はどうしたのだ?
あまりにもたくさんの疑問が絶望感と共に脳裏を駆け巡った。

「冗談はよしてくれよ」

三村はご自慢の特製携帯電話を取り出した。さっきは繋がらなかったが、今度はどうだ?
自宅、両親や妹の携帯、片っ端からかけた。
しかし電話の向こうから聞えるのは『この電話番号は現在使われておりません』という無機質な音声のみ。

「……どういうことだ?」
「だから言っただろう。城岩町なんて存在しない」

夏生の事務的な言葉に、誰かが「そんな馬鹿な!」と叫んでいた。
ただでさえ不健康そうな顔をさらに蒼白にさせた元渕だった。
元渕は自分の携帯電話を取り出すと震える指でボタンを押し出した。
「ぼ、僕の父は県政府の環境部長なんだ!県政府に連絡すれば父がすぐに助けに来てくれる!」
元渕は必死な形相で携帯電話を耳にあてた。
やがて電話の向こうから「はい、こちら県政府環境部です」と女性の声がした。
元渕は安堵した。その表情を見て、ほとんどの生徒が元渕同様ほっとした。

「僕は元渕です。父に代わってください」
「元渕……さん、ですか?この部にはそんな方はいらっしゃいませんが」
「な、何を言ってるんですか。環境部長ですよ」
「部長は元渕なんて名前ではありませんよ。部署を間違えてらっしゃるのではないですか?」
「そんなはずはない!」
元渕はヒステリックな声を上げた。
「父を、父を呼んでください。早く!」
「そういわれましても困ります」
先方の女性はどうやらいたずら電話だとでも思ったのだろう、非情にも電話を切った。
後はツーツーという音がするのみ。

「……ど、どうして?」

元渕は、泣きそうな顔でぺたんとその場に座り込んだ。その様子を見て生徒たちも一斉にガクッとうなだれた。
(ふん、有象無象どもめ。俺はおまえたちとは違うぞ)
織田も携帯電話を取り出して織田食品会社の社長室にかけた。が、結果は元渕と同じ。
「おい、まだ納得しないのか。いい加減にしろよ」
うなだれる生徒たちに夏生が『こんな茶番に付き合ってられるか』という顔でそう言った。


「桐山財閥」


すすり泣きすら聞こえ出してきたこの船室で、低くないが威厳のある声が響いた。
「おまえたちも金持ちなら知っているだろう。桐山財閥を」
「ああ知ってるぜ。西日本最大の大財閥だ、おまえまさかあそこの息子なんて言い出すんじゃないだろうな?」
「そのまさかではいけないのかな?俺の父は本家の当主だ」
理央はあからさまに驚き、夏生はいぶかしげな表情を浮かべた。


「す、すっげー、なっちゃん桐山財閥の御曹司だって!」
「落ち着け理央!おい桐山、俺もこう見えても財界のことは少しは知ってる。
けど桐山家の総帥に和雄なんて息子がいるなんて聞いたことないぞ。
今の桐山家総帥は確か桐山義博、2歳の娘が1人いるだけで息子なんていないはずだ」
桐山は僅かに眉を動かした。常に冷静な桐山でも、これには少々驚いたらしい。
「そんなはずはない」
桐山の父の名は桐山晴宏、子供は桐山1人で、もちろん娘なんて影も形もない。
「おまえたちが信じないのは勝手だけどよ本当だぜ。おまえたち本当に何者なんだ?」
誰もが衝撃を受けている中、ただ1人だけは、この状況を冷静に甘受していた。

(こいつらには可哀想だが、こいつらが知っている世界が跡形もなく消滅してて当然なんだ。
けど俺にとっては、こっちのほうが本当の真実の世界。俺は戻ってきたんだ)














辺りが薄暗くなってきた。
は辺りを見渡して誰もいないことを確認すると、フェンスを一気に飛び越えて囲いの中に着地した。
「急がないと。もう、いないかもしれないわ」

めざすは科学省秘密研究所跡。
あそこは爆心地ではあったが、地下施設にならなんらかの手掛かりが残っているかもしれない。
地下施設はシェルター造りになっているため、ちょっとやそっとの爆発ではびくともしないのだ。
爆心地ということもあって、この囲いの中に住み着いている怪しい連中も、あそこには近付かない。
近付くとしたら、それは科学省の秘密を暴こうとする人間だけだ。
廃墟と化した研究所は、まるでホラー映画に登場するモンスターの棲家のようなおどろしさすら感じた。
壁はひび割れ、天井や焼け焦げ、ガラスは溶けている。


(地下室への入り口はどこかしら?)
科学省は関係者立ち入り禁止区域への出入り口は鉄製の扉で厳重に封鎖されている。
(手動で開けばいいけど……)
ただでさえ重たい扉なのに、あの爆発で出入り口が変形している。はたして女の細腕で開くだろうか?
重々しい気分で扉に近付いただったが、すぐにハッとした。
「扉が開いてる……」
ほんの少しだが扉が開いていた。誰かが開けたのだ、それも最近。
(もしかして、あの人が)
は冷静さを失い、感情のままに扉を開くと暗闇の底に身を投じた。
懐中電灯だけがかろうじて、この暗闇の中、彼女の行く手を照らしてくれる。
どのくらい歩いただろう?ふいにカツッ……と、奇妙な音がした。
最初は気のせいかと思った。しかし、すぐにその考えを打ち消した。


(ひとの気配!)
誰かいる。間違いない!
「誰なの!?」
すぐに足音が聞えた。走っている、逃げるつもりだ。
「待って!」
はすぐに音がするほうに走った。廊下を曲がると足音がばたっと消えた。
(どこに行ったの?)
は懐中電灯を左右に動かしたが、見えるのは無機質な白い壁ばかり。
「逃げられたのかしら?」
そう思った瞬間、背後に何かが飛び降りる音がした。は振り向こうとしたができなかった。
背後からナイフがのびてきて、ピタッと喉笛に当てられた。
「動くな。女に手荒な事はしたくない、このまま俺の言うとおりにしろ」
聞いたことのない声だった。が探している人物とは違う、遅かったようだ。


「あなたは誰なの?どうして、こんなところにいるの?」
「質問するのは俺だ。おまえの名前は?軍の人間か?」
。科学省の人間よ」
「科学省?そうか、科学省が作っている人間の1人か」
作っている、という言葉には少々ムッとしたが、それよりもは相手の様子が気になった。
声質や口調からいって、二十歳前後の男。体調を崩しているのか、なんだか呼吸が荒い。
「その科学省の人間がここに何しに来た?」
「あなた怪我しているの?」
ナイフが喉に押し付けられた。
「質問しているのは俺だ!余計なことはいうな、言え、おまえの目的はなんだ?俺を殺しにきたのか?」
ポトッと何かが落ちる音がした。暗闇の中ではわからないが、その臭いで分かった。
(血、血の臭いだわ。このひと、怪我しているんだ)


「さあ言え、おまえは俺を……」
男の口調が弱まったと同時にナイフがから離れカチャンと床に落ちた。直後、背後からどさっと音がした。
振り向くと男がうつぶせになって倒れていた。しかも気を失いかけている、出血の量が多すぎたのだ。
「しっかりして」
揺さぶってみたが起きる気配がない。自分を襲った男だが、このままほかっておくわけにはいかないだろう。
は男の腕を自分の肩にまわすと男を支えながら歩き出した。
「……おまえ……どういうつもりだ?」
「あなたには聞きたいことがあるのよ」




研究所の外に出た。そこで男の顔を初めてみた。
一目見て裏の世界の人間だとわかった。
やや長髪で外見には手入れがされておらず、修羅場を潜り抜け苦労したのか頬は痩せこけている。
その凄みのある目つきもあり精悍な顔立ちともいえないこともないが、まともな人間と言うには程遠い。
長年、戦場で生きている人間などは、自然というこう顔立ちになるものだ。
かといって、この男からは軍人の臭いはしなかった。 は科学省で生まれ育った人間の中でも特殊な存在。
そのためか、特撰兵士とも親しい間柄だった。ゆえに雰囲気で男が政府側の人間で無いと悟ったのだ。

「あなたはもしかして」
「……おい逃げたほうがいいぞ」

はハッとして背後に振り向いた。迂闊だった、人の気配に気づかなかったとは。
「おい女だ、それも上等の」
下卑た笑い声が複数。粗野で下劣で知性のかけらもない野蛮人たちがいた。
科学省の研究所からは爆発によって汚染物質が流出しているという噂がある。
そのため、普段は近付かない連中だったが政府が本腰入れて囲いの中を大掃除を始めたことで事情が変わった。
逃げ場を失った連中は、最後の希望を胸にここにやってきたのだろう、もしかしたら逃走ルートがあるかもしれないと。
(何と言っても科学省の秘密研究所だ。有事を想定して脱出用の地下通路があってもおかしくない)
けれども彼らが望むものは何もなかった。
希望は絶望へと代わり、その行き場のない怒りから彼らはやけっぱちになって暴徒と化していた。
「つかまったらどうせ殺されるんだ。その前に楽しもうぜ」
こういう場合、大抵犠牲になるのは女子供。このD地区も例外ではない。


(戦うしかないようね)
はそっとホルスターの銃に手を伸ばした。

「そんな下種相手に君が手を汚す必要はないよ」

突然の第三者の声に、全員が同じ方向に視線を向けた。
少年が1人立っていた。このゴーストタウンにはおよそ不似合いな、知的で優雅な神々しいくらいの美少年だ。

「あなたは……どうして、ここに?」
「どうしてだって?」

少年は、その美しい瞳をきっと鋭く細めると彼女を睨みつけた。
「それはこっちの台詞だよ。女性1人でこんな下種が巣食うD地区に侵入しようだなんて。
どうして俺を頼ってくれなかったんだい?君にもしものことがあったら、俺は何をしでかすか自分でもわからないよ」
少年は今度は忌々しそうに視線を野蛮人たちに向けた。

「俺の愛する女性に低俗なことをしようなんて千回殺してもあきたらないね」

突然現れたこの少年に野蛮人たちの怒りのボルテージは一気にあがった。
ただでさえ、この異常な状況で精神的におかしくなっていたのだ。
そこに現れた少年は怒りの炎に見事に油を注ぎ込んだ。
知的で優雅で見るからに喧嘩なんかからきし駄目そうな優男に侮辱されたのだ。


「ぶっ殺してやる!」
野蛮人たちは7人いた。連中はそれぞれナイフや鉄パイプなど凶悪な武器を挙げ一気に少年に攻撃を仕掛けた。
「ふん、身の程知らずが」
少年がふっと笑みを浮かべた。美しいくらいに恐ろしい笑みだった。
直後、7人はその場に倒れた。全員白目をむいて、ただピクピクとかろうじて動いている。

(強い!こ、こいつ……誰だ?)

意識が朦朧としている男の目には少年の姿ははっきりと映らなかった。
わかるのは、少年がこちらに近付いてきたかと思うと、彼女を抱きしめたことくらいだ。
「頼むから二度とこんな危険なことはしないでくれ。それから、こいつ誰だい?」
少年は今やっと男に気づいたように彼女に尋ねた。


「秘密研究所の地下で会ったの。怪我してるみたいなのよ」
「それで?まさか優しい君はこの得体の知れない男を助けてやろうなんて考えているのかい?」
「彼は何かを知っていると思うの。だから」

(この女、本気で俺を助けるつもりなのか……自分を襲った女なのに。ひとが良すぎるぜ)

「D地区を抜ければ科学省の出張診療施設があるわ。あそこなら設備が整っているし、お願い手伝って」

(科学省?政府の施設なんて冗談じゃない)


「ゆ、結城……ここに連絡を……」
男は懐からメモを取り出した。簡略な地図と電話番号が記載されている。
「た、頼む……頼むから政府の施設だけはやめてくれ……頼む」
男はやっとそれだけ言うとガクッと項垂れた。完全に気を失ってしまったようだ。

「これではっきりしたな。この男、どうやら政府のお尋ね者らしいね。どうする、直人に引き渡すかい?」
「お願い、責任は私がとるわ。あなたは何も見なかったことにして帰って」
「助けてやるんだね、もしかして、あいつの手掛かりを握っているからかい?」
「否定はしないわ」
「でも君はあいつのことが関係なくても、やっぱり助けてやっただろうね。
この男がどうなろうと知ったことじゃないが、君まで上に処分されるのは俺は我慢ならない」
少年は男の襟首をつかみ持ち上げた。
「行こうか」
「あ、ありがとう。でも、どうしてあなたがここにいるの?あなたは任務で関東に行っていたんじゃない?」
「君が俺に会いたいって願ったから、神様が奇跡を起こしてくれた。そう言ったら信じてくれるかい?」


この美しい少年の名は、佐伯徹。
海軍の超エリートにして、狂った軍事国家が誇る特撰兵士の1人である―。




【B組:残り45人】




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