雅信は人気の無い廃屋の前までくると、辺りをきょろきょろと見渡した。
(人の気配は無い。だが嫌な感じがする)
それは闇の世界のそのまた影で生きる雅信の第六感が、そう告げていた。
「放して!」
雅信は周囲に気を配るのを忘れずに、とりあえず美恵を降ろした。
美恵はペタンとその場に座り込んだ。余程、怖かったのだろうか?
「どうした?」
雅信が美恵の顔を覗き込むと、バッと砂が雅信の目に投げつけられた。
雅信は咄嗟に掌を自分の顔の前に上げ目を保護した。
そして女が立ち上がり走り去るのを見た。もちろん逃がすつもりは無い。
瞬時に雅信は美恵を飛越すると彼女の前に着地して逃げ道をふさいだ。
並の女なら絶望と恐怖でもはや逃げることすら忘れるだろう。
しかし美恵は違った、雅信に向かって平手を食らわそうとしたのだ。
特選兵士の雅信に素人の平手など通じるはずが無く呆気なく止められた。
「……おまえは」
雅信はぞくっとした。美恵の自分を射抜くような鋭い目に。
子猫を見詰めていた微笑よりも数倍引き込まれるものがあった。
黒く塗りつぶすことが不可能だと思えるくらい純白な気高さすら感じた。
雅信は美恵に対して強い興味を抱いていた。
その興味が執着へと変化を始めた瞬間だった。
鎮魂歌―7―
「すっげー、あいつメチャクチャ強いじゃん。なんで特選兵士にならなかったんだろ?」
満夫は防犯ビデオが偶然捕らえた映像を興奮しながら観賞していた。
箕輪が覆面で顔を隠した殺し屋を撃退させた様子が映っている。
「おまえは気楽でいいね。今はそれどころじゃないんだよ」
菜穂はこの能天気な弟の頭に手を置くと、「帰り支度をするんだよ」と言った。
「何で?」
「宗徳殿下が殺し屋に襲われたん。事なきを得たが上が騒然としている。
長官はとばっちりを受けたくないのさ。早々にこの場から離れろということだ」
「ふーん、長官らしいや」
「すでに宮内省と国防省は大変なことになっている。殿下はヒスを起して当り散らしているらしい。
箕輪護衛官を法廷に引きずりだせとわめいているし国防省にも責任とらせろと」
「えーなんで?だってこのひとが殿下守ったんだろ、なんでだよ」
「そんなこと私に聞かれてもわからないよ」
殺し屋に襲われ恐怖で失禁までした宗徳だったが、その後のヒステリックは凄まじいものだった。
自分を守る使命をきちんと果たさなかったと怒鳴り散らした。
まず最初に箕輪を厳罰にかけろと言い出した。
さらに国防省の警備担当責任者(つまり菊池直人)を更迭しろとわめきまくったのだ。
宗徳の異母兄にあたる尚史の参謀である三沢もこれには困惑した。
彼は二日後に同行させた恋人の岩男弥生にこう語っている。
「宗徳殿下は箕輪と菊池の地位剥奪と懲役刑を要求して大変だった。
箕輪はともかく菊池は父親が黙っていない。すぐに尚史殿下に直談判して事を納めた。
尚史殿下は『ことの起こりはあの馬鹿が原因だろ、穏便にすませろ』とおっしゃってくれた。
だから我々も全てを丸く収めたかったが、宗徳殿下が戒告や減給くらいで納得するわけもない。
殿下の顔を立てるために、箕輪は一等護衛官から平に格下げ、二週間の独房入り。
向こう半年間減給。他にも10以上もあらゆる資格や免許を無期限停止。
さらにこの先三年間はどれだけ手柄を立てようと昇進も昇給もなしということに決定した」
「菊池中尉はどうなるの?彼を厳罰に処すればお父様の局長を敵に回すわ」
「殿下は特選兵士の称号の剥奪に異常なほど情熱燃やしていた。
それは局長の粘りもあって無くなった。
だから二週間の謹慎と三ヶ月の減給で納得してもらおうと思っているんだ」
「殿下が納得するかしら?処分が甘いと健一さんにも事がおよぶんじゃないかしら?」
信頼している恋人の言葉に三沢は不安になった。
「双方の顔をたてて、特選兵士の称号剥奪の代わりに中尉から少尉に格下げしたらどうかしら?
それなら局長もそれほどうるさいことは言わないだろうし、殿下の顔もたつでしょう?」
三沢は、なるほど、と相槌を打った。 そして、その通りに全てを処理したのだ。
「菊池局長は息子を平手打ちにしていたよ。相当、頭に来たんだろうな。
連れ帰って一から鍛えなおすと言っていた」
一件落着して意気揚々の三沢に弥生は疑問をぶつけた。
「健一さん、前々から思っていたのだけど、なぜ殿下は箕輪さんにあんなに厳しいのかしら?
幼い頃から一緒に育った間柄、いわば乳兄弟のようなものだと伺ったけど」
「簡単だよ、顔だ」
三沢はため息をついた。
「箕輪は類まれな容姿の持ち主だろう。それが殿下には面白くない。
菊池にしたところで、彼が醜い容姿だったら、これほど激怒することはなかっただろう。
そうでなければ、今回の事件の懲罰として二人を整形させろなんて馬鹿な発想がでるわけがない。
ここだけの話だが、箕輪は軍人希望だったんだ。
第四期の特選兵士に立候補するつもりだったらしい。
それを握りつぶして彼の将来をだめにしたのも殿下だと宮内省ではもっぱらな噂だ」
三沢は、「ともかくこれで菊池の将来は三年は先送りになった」と付け加えた。
菊池直人は国防省の期待のホープ。彼が任務に当たっている重要事項も数多い。
だが少尉に格下げされたことで、当然のごとくそれらの任は解かれた。
そして、それらの重要任務の大半は水島克己にまかされることになったのだ。
雅信は空を切り裂いて飛んでくるものに気付いた。
雅信は高く飛んでいた。その真下を銃弾が走り抜ける。
気付くのが一歩でも遅かったらボディに被弾していただろう。
「鈴原!」
その聞きなれた声に美恵はハッとした。反射的に、声がするほうに顔を向けた。
「桐山君!」
桐山が立っていた。川田もいる、それから見たこともない人間がもう一人いた。
顔はわからない。帽子にサングラスをしているからだ。
しかし右手に握られたリボルバーを見て、今しがた発砲したのは彼だということは容易に推理できた。
「桐山、彼女を」
謎の男が言葉を発する前に桐山は動いていた。
「鈴原、こっちだ」
桐山は美恵の腕を掴み引き寄せると走り出した。
「俺の女にさわるな!」
雅信の感情が一気に沸点を超えた。雅信にとっては生まれて初めての経験だった。
すぐに後を追おうとフォームをとった。その前にサングラスの男がしゃしゃりでた。
「おっと、おまえの相手は俺だよ」
「誰だ、おまえは」
「いえるかよ。言ったら、おまえは地の底まで追いかけてくるだろ。そんなの俺ごめんなの」
リボルバーの銃口が雅信に突きつけられた。
「遠慮なくやらせてもらうぜ。
おまえ相手にして本気で殺す気でかからないと、こっちがやられるからな!」
雅信はギラギラした形相で男を睨んだ。こいつは俺の邪魔をしている!
「さあいくぜ」
だが睨んでいる暇はない。雅信はすぐに背後に飛んで塀の影に着地した。
「まだだ。どんどん行くぜ」
男は懐から、さらにリボルバーを取り出した。
バンバンと、派手な音がして二丁の銃が際限なく銃弾を発射し続けた。
「隠れても無駄だってこと知ってるか?国防省の殺し屋さんよ」
男は二丁の銃を斜め上に角度を変えて発砲した。雅信はハッとして上を見た。
銃弾が二つ、雅信の真上に位置する先端が折れ曲がった鉄柱にぶつかった。
銃弾は反射して真下にいる雅信に襲い掛かる。
雅信は腕をクロスさせた。頭部を保護するためだ。
二発の銃弾は雅信の腕に被弾、いや跳ね返した。
雅信は防弾チョッキを身にまとっている。腕にも防弾用の特殊バンドを装着していた。
だが普通の人間なら銃弾の威力に押され跳ね飛ばされる。
雅信は逆に銃弾の威力を押し返し、跳ね返してしまった。
「嘘だろ?やっぱり、あいつ人間じゃねえな。まともにやれるかよ」
男はパイナップル型の手榴弾を二つ取り出し砲丸投げのごとく投げていた。
「土産代わりにおいていってやるぜ。ほらよ!」
雅信は即座に小石を二つ握ると手榴弾目掛けて投げた。
「おっと悪いな。その手はくらうかよ」
男が再度発砲した。そして雅信が投げた小石は空中で木っ端微塵になった。
雅信は悔しそうに舌打ちして廃墟の中に飛び込んだ。手榴弾が地面に激突。
「今だ、走れ!」
直後、手榴弾は閃光を放ち、雅信が廃墟から顔を出した時には過ぎ去っていく車が遠くにみえた後だった。
「俺の女!」
雅信はすぐに追走しようとした。
「雅信!」
また邪魔者が現れた。今度は形式上は仲間と呼べる相手ではあった。
鹿島真知子だ。
しかし今の雅信にとって邪魔をするものは例外なく敵でもあった。
「すぐに戻るわよ。あなた中尉の命令を無視するつもり?」
鹿島真知子は雅信の肩を掴むと自戒を要求した。
「……どけ。どかなければ、おまえを殺す」
「おまえは上の命令に無視するつもり?今はおまえの我が侭が通るときではないわ。
殿下が襲われたそうよ。相手は政府に恨みを持っている素人ではないわ。
間違いなくプロだということよ。すぐに戻って殿下の指示の元を探し出して捕獲しなければ」
「関係ない。俺は俺の女を捜して捕獲する」
「おまえは……」
真知子は半分呆れ半分蔑んだ目で雅信を見詰めたが、一つの提案を出した。
「だったら、このD地区に巣食っていた郷原をどうにかしなさいよ。
いくら、おまえの脚でも今から車に追いつくのは不可能。
もう、この地区では彼女はつかまりはしないわ。彼女の名前も知らないのでしょう?
それでは探す手立てもない。違って?」
雅信は否定しなかった。熱くなっていたが冷静に考えれば真知子の意見は至極当然だった。
「でも郷原なら何か知ってるはずよ。この地区の住人はあいつが管理していたのだし」
「……いいだろう。やつを捕獲する」
「その言葉を待っていたわ。行くわよ、やつの逃走ルートは突き止めてあるわ」
「おい七原、おまえから言えよ」
「お、俺が?嫌だよ、おまえが言えよ。おまえのほうがこういうことにはなれてるだろ三村」
三村と七原はお互いに何か押し付けあっていた。
「ちょっと弘樹、何がどうなっているの?あんたたちを助けてくれた男は何者なの?」
貴子はちょっと困惑した表情の杉村の袖をつまんでクイクイとひっぱった。
「……俺にも何ていって説明したらいいか」
桐山たちは地図を良樹たちの居所を突き止めた。しかし彼等に手を取り合って喜んでいる暇はなかった。
「美恵ちゃんが……美恵ちゃんが変な男に連れさらわれたのよ。うわぁぁん!」
月岡は三村に抱きついてわっと号泣した。三村は二重の戦慄に襲われた。
「鈴原、鈴原が?どっちだ!?」
桐山の問いに、すぐさま月岡は「あっちよ!」と指差した。
「乗れ桐山!」
川田が道路わきに三台連なっていた車の中から一番スピードが出そうなのを選びすでに乗車していた。
「動けばいいが……」
多少強引な手法ではあったが、川田はハンドルの下の部分を力づくで取り外し直接エンジンを作動させた。
幸いにも車は動いた。残り少なかったがガソリンもあった。
「素人だけで突っ走るなよ。世話がやけるな」
助手席には桐山、後部座席には夏生が乗り込んだ。
三人を乗せた車が走り去ってほどなくして生徒たちを引き連れた七原が姿を現した。
良樹と月岡と少し離れて美恵の捜索をしていた光子と貴子も、大勢の声が聞こえたのかやってきた。
そこで三村はこれまでのいきさつを話した。
夏生に助けてもらったこと、脱出の段取りがついたこと、しかしすぐに疑問をぶつけられた。
「あいつ、どうしてあたしたちを助けてくれるのよ」
「そうよ。おかしいじゃない、何か裏でもあるんじゃない?」
貴子と光子の鋭い問いかけに七原たちは全身硬直した。
そして今に至っているわけだ。三村は腕を組んで何度も考えた。
やはり黙っているわけにはいかない。いずればれることだ。
「……相馬、ちょっといいか?」
三村は光子に殴られる覚悟で真実を打ち明けた。
「はあはあ……ここまで逃げれば大丈夫だ。まさかあんな野郎が現れるなんてまいったYO」
田中はほどよい大きさの岩に腰掛ると煙草を取り出した。
「ライター、ライターは……っと」
ズボンのポケットからだしたライターをうっかり落としてしまった。
地面に落ちたライターに手を伸ばすと、その先に靴がみえ、慌てて田中は顔を上げた。
「田中、よくも俺を裏切って一人だけ逃げようとしやがったな」
見上げた先にはゆでだこより赤くなっていた郷原の顔があった。
「ご、郷原さん!違う、違うんですよ、あれは不可抗力で……」
「言い訳ならぶちのめしてから聞いてやるよ」
郷原は田中の胸元を掴むと持ち上げた。その勢いで田中は立たされる。
田中の目には恐怖の色濃く映っていた。だがその恐怖の対象は郷原ではない。
(こいつ俺を見てない。何を見ている?)
田中は郷原の背後に視線を当ててがくがくと震えている。郷原は思わず振り向いた。
途端に郷原は顎をすごい力で掴まれた。
郷原の二つの瞳には金髪の悪魔がはっきりと映っていた。
「……貴様に聞きたいことがある」
低く冷たい声だった。恐ろしいくらいの口調だった。
裏の世界で生きていた郷原だったが、これほどの恐怖を味わったことはかつてなかった。
「俺の女はどこにいる?」
郷原はあまりの不測の事態にパニックになった。
なぜなら郷原は金髪の悪魔の顔を知っていたからだ。
(特選兵士の鳴海雅信!こ、殺される。勝てねえ、こんな化け物に勝てるわけが無い!)
「さあ言え。おまえは女の居所を知っているはずだ。もし知らないのなら、今すぐ殺す」
突然現れて、予想もしてなかった要求。しかも不可といえば即殺害。
これほどの悪条件を突きつけられて冷静でいられる人間は少ない。郷原も例外ではなかった。
「お、女?」
女と言われても、その条件に当てはまる人間は世界人口の半分。
それだけで居場所を言えとは理不尽というより他は無い。
「女って誰だ、い、いや誰ですか?」
せめて名前くらいいえと言いたかった。だが雅信の返事は非情だった。
「俺が知るわけない。さあ言え」
「そんな馬鹿な!な、名前は?特徴は?」
「知らないといっているだろう。だが目が気に入った、俺が気に入った女だ」
雅信の主観的意見では話にならない。かといって知らないでは、死あるのみ。
郷原は必死に自分と関わりのある女を頭に浮かべた。
仕事上かかわりを持った女、プライベートで接触した女、そしてここ最近会った女といえば……。
「あ、もしかして自称中学生の?」
雅信がニヤッと笑った。それを見て郷原は確信した、あの女生徒たちのうち誰かだ!
それも特別美人だった三人のうちの誰かに違いない。
「俺は知りませんが、奴等の仲間を捕獲してます。あいつらが知ってるはずです」
郷原はアジトの地下室に監禁している謎の中学生たちのことをぺらぺら喋った。
雅信は満足してニッと笑った。そして言った。
「もう、おまえには用は無い」
田中の目の前で郷原は頭をざっくりとナイフで割られ、そのまま地面に崩れ落ちた。
「ひっ」
次は自分の番だ。田中は自分の死をイメージして顔面蒼白となり、その場にぺたんとしりもちをついた。
イメージを現実化するかのように、ナイフを手にした雅信がゆっくりと近づいてくる。
田中は自分の死を覚悟してぎゅっと目を瞑った。
「待ちなさい雅信。おまえの目的ははたしたでしょう、そいつは私がもらうわ」
背後から女の声がした。
「こいつは郷原の参謀だった男。つまり郷原の組織の裏の裏まで知ってるわ。
それに海原や木下の行方も知っているかも。こいつは殺させない、いいわね雅信?」
「……勝手にしろ」
雅信はくるりと向きを変えると郷原のアジトに向かって走っていた。
七原がクラスメイトたちを助け逃げていなかれば、何十人もの死体が横たわっていたことだろう。
一方、田中は真知子によって連行されて水島に引き渡された。
「郷原の右腕よ。きっと海原たちのことも何かしっているわ。 克己、あなたの手柄にして」
「君ほど気が利く女はいないよ」
水島は真知子を抱きしめて満足そうに笑った。
「ふーん、そういうことだったわけ。あんたたち、あたしを売ろうっていうの?」
「まさか!ただ脱出するまでは何とか夏生さんの機嫌をとって欲しいんだ。
あのひと根は単純でそんなに悪いひとじゃないみたいだから。
だからほんの少しの間媚売るだけでいいんだ。なあ頼むよ相馬」
七原は必死になってお願いした。
「ねえ脱出するまででいいの?
ちょっと話きいただけで何だか複雑なことになってるみたいじゃない。
あたしたちも変だと思っているのよ。
見たことも聞いたこともないゴーストタウンにくる羽目になって自宅への電話もつながらない。
ここから脱出さえすれば助かるってわけでもなさそうじゃない?」
光子の冷静な状況判断に七原は確かにと頷いた。
しかし、光子が何を言いたいのかはわからない。
「宗方夏生って言ったわね、そのスケベは。
そいつにはしばらく面倒みてもらったほうがいいみたいね」
光子はニコッと微笑んだ。とても綺麗だが何かまがまがしいものを秘めた笑顔だった。
魔女の微笑みとはこんな感じかもしれないと三村は思った。
女性経験の無い七原は気付かなかったが、三村は光子の本性を垣間見たような気がしたのだ。
そんな時にエンジン音が鳴り響いた。桐山たちが戻ってきたのだ!
車が停止するなり中からいかにも軽そうな例の男が飛び出してきた。
「君、光子ちゃんだよね?」
目を輝かせているではないか。三村と七原が心配そうに光子の背中を見詰めている。
頼むから夏生の機嫌を損ねる言動だけはしないでくれ!必死に祈った。
「話は聞いたわ。あなたがあたしを助けてくれた王子様なのね」
祈りが通じたのか、光子はその愛らしい美貌に至上の笑みを浮かべて夏生の手を握り締めた。
それは間違いなく魔女の微笑みだったが夏生には天使の笑顔にしか見えなかった。
(写真よりずっと美人じゃないか。くー、俺ってラッキー!)
夏生は光子の手を握り返した。
「そうだよ、君を助けるために危険を冒して来たんだ」
光子は瞳をうるうるさせた。演技は大の得意技、プロの女優よりも泣くのは上手いくらいなのだ。
「夏生さん、あたし怖くて……早く、こんな場所から連れ出して」
「もちろんだよ」
「嬉しい、夏生さんと会えてよかった」
光子は前触れもなく夏生の胸に飛び込んですがりついた。
夏生は幸せという名の高山に一気に登頂をはたした。
(何て可愛いんだ。しかもしかもだ!この子も俺に気があるのか?
にゃんにゃんも時間の問題だ。かつてこれほど上手く事が運んだことがあっただろうか?
いやない!きっと今、俺の運勢は最高なんだ。
俺はやるぞ、絶対に光子ちゃんをものにしてやる)
夏生は光子を抱きしめて宣言した。
「俺が来たからにはもう大丈夫だ。必ず君をこんな街から連れ出して身の安全を保障してやる」
「夏生さんって優しいのね」
夏生は光子の笑顔の下で薄ら笑いには全く気付かずすっかり有頂天になっていた。
そんな夏生を光子は神妙な面持ちで見詰めた。
「でも……」
「でも何だい?」
「あたし自分ひとりだけが助かるなんて。みんな大切な友達なの。
夏生さんの気持ちは嬉しいけど、あたし一人だけ助かるわけにはいかないわ」
「そんな心配していたのか。安心しろよ、君の友達なら俺にとっても友達だ。
全員俺が責任もって守ってやる。君は何も心配せず、俺を信じてくれさえすればいいんだ」
光子は思った。
(ふふ、本当はクラスメイトなんてどうでもいいのよ。
でも、あいつらを見捨てたら美恵が悲しむじゃない。だからついでよ、ついで)
「殿下、落ち着いてください。ヒットマンは重傷を負っているからそう遠くには逃げられませんよ」
「じゃ、じゃああいつがまだ近くにいるっていうのか?じょ、冗談じゃない、冗談じゃないぞ!」
三沢はヒステリックに泣き喚く宗徳を必死になだめていた。
そんな三沢の気持ちを逆なでするように扉が開け放たれた。
姿を現したのは処遇が決定したばかりの箕輪だった。
「すぐにD地区を完全封鎖しろ」
「み、みみみみ箕輪!よ、よよよよくも俺の前に、す、すす姿を現せたな!」
メタボリックな図体で興奮ぎみに立ち上がったせいか、宗徳は眩暈で倒れそうになった。
それでも、「ど、独房だ。さっさと独房に入れろ。鞭打ちも忘れるな」と臭い息と一緒に吐き出した。
「いくらでも入ってやる。その前にD地区に全戦闘員を送れ。
今回の件がD地区絡みなら必ず今脱出を図るはずだ」
宗徳は喉が詰まって息苦しかったが、はあはあとうっとおしい息を吐きながら叫んだ。
「そ、そんなことどうでもいい。それは国防省の仕事だ、知ったことか」
「殿下は、四国の反政府組織を根絶やしにするために派遣されたことを忘れたか?」
「そんなことは戦争屋どもにまかせておけばいいんだ。
最高責任者は上座に座って勝利の報告受け取るのが仕事だ。
ご、ごめんだ。もう外にはでない。絶対にでないぞ、だから作戦本部にもいかない。
兄上が全てを取り仕切ればいいんだ」
宗徳は上着を頭から被るとデスクの下に潜り込んでしまった。
これ以上どれほど説得しても無駄だということは誰の目にもあきらかだった。
元々、この四国は反政府組織が少ない。手柄を取りにくいが安全でもある。
だからこそ総統の息子の中でも軍人として目立たない妾腹の二人がやってきたのだろう。
箕輪の意見は正しかった。
しかし殺し屋殺害を優先しろとわめく宗徳のせいで箕輪の主張はあっさり否定された。
海岸沿いまでやってきた。ここからどうやって逃げるのだろうか?
まして1人や2人ではない。40人以上の大所帯なのだ。
「お、来たな」
夏生が指差した方角から船が見える。それもボートや漁舟などではない。
クルーザーだ。少年が操縦席から甲板に飛び出して、こちらに手を振っている。
「俺の船だ」
これは意外だった。自家用クルーザーを持っているなんてとんでもない金持ちではないか。
「海超えて中国地方に行く。後はおまえらで何とかしろ。家に帰ろ、本当にあるのならな」
夏生は光子に、「お茶でもしないか?高級のアールグレイがあるんだ」と誘ってクルーザーの特別室に入ってしまった。
一方、他の生徒たちは狭い別室にぎゅうぎゅう詰め状態。
美恵と貴子には客室を使って欲しいと夏生は申し出た。
しかし、2人はクラスメイトたちと一緒にいることを望んだのだ。
それから何十分も船は走り続けた。追っ手の姿は見えない。
どうやら完全に逃げ切れたようだ。
ひとまず最大の危機は乗り越えたらしい。これからのことも考えなければいけない。
城岩町に戻るのが当然だが、地図にすら載ってないというのなら戻ることも出来ない。
「さて、どうしたものか」
川田は今後のことを考えて重たい気分になった。
「嘘だろぉ!!」
夏生の声だ。何があった?
男子生徒の一部が走っていた、目指すは夏生がいる特別室だった。
ドアの前までくると、中からまたあの叫び声が聞こえてきた。
「だ、だって俺!」
「酷い、責任逃れするために覚えてない振りしようって魂胆ね」
「い、いや違う」
どうやら光子ともめているようだった。
【B組:残り45人】
BACK TOP NEXT