寝そべっていた満夫はむくっと起き上がると、じっと桐山を見詰めた。
「どっかで会った事あるような気がする……どこでだっけ?」
満夫は脳細胞を総動員して記憶を整理したが思い出せない。
「……気のせいかな?」
鎮魂歌―78―
「おーおー、あの小僧やっとフルパワーで戦う気になったようだぜ。
未来の特撰兵士相手に手抜きで何とかしようなんて、ほんとに傲慢な坊やだ」
「夏生さん、桐山君は勝てると思う?」
夏生は「絶対とは言い切れないが」と前置きした上で
美恵に頷いてみせた。
「死んでもらう」
桐山は猛攻に出た、まず最初に強烈な脚の突き出し。
定道は両腕をクロスして防御したがパワーが増している桐山の蹴りを止められず大きくバランスを崩した。
その隙を逃さず今度は定道の足元にローキック。
完全に床に倒れる定道、もちろん直ぐに起き上がろうとしたが桐山が黙ってみているわけがない。
定道の後ろ首をつかむとナイフを振りかざした。
桐山の殺気は本物だ。定道は咄嗟に体を回転、間一髪でナイフを真剣白刃取り。
それでも桐山は力任せに強引にナイフを下ろそうとする。押し返そうとする定道。
押してはかえす繰り返しだったが、鎖を解き放った桐山のパワーの方が上だったようだ。
徐々にナイフの先端と定道の喉元の距離が短くなっていく。
追い詰められた定道はぷっと何かを吐いた。口に仕込んでいた小さな針だ。
桐山は反射的に頭を動かし、それを避けた。
ナイフを握り締める手が僅かに緩んだ隙に定道は桐山の腹部に蹴りをお見舞いする。
桐山は僅かに眉を歪ませたが、それでも彼が優勢であることに変化は無い。
定道はとりあえず桐山から距離をとろうとした。
まず時間を稼ぎ精神を落ち着かせ体力の回復を優先させようとしたのだ。
だが桐山には定道の計画に協力するつもりはない。すぐに猛スピードで距離をつめる。
定道はたまらず逃げた。だが桐山はぴったりと定道の動きをマーク、定道の動く範囲を狭め徐々に追い詰める。
(まずいよ、こいつマジ強い。Aクラスどころか特撰兵士レベルだ)
次代の特撰兵士の候補者とはいえ定道はまだ未完成の少年に過ぎない。
(俺より強いよ)
信じたくないが定道は桐山の強さを認めざるえなくなった。
(……こんな時、薬師丸さんだったらどうするんだろう?)
『実戦では精神力が戦闘力を凌駕することはよくある。定道、おまえに欠けているのはそれだ。
おまえは能力はあるがやる気がいまいちだ。そんなことでは近い将来敗北するぞ』
『えー俺やだよ。どうすればいいの?』
『死ぬ気で根性だすんだな』
「……しょうがないなあ」
定道は覚悟を決め、桐山に猛タックル。そのままプールに落下した。
「桐山!」
「定道!」
両陣営ともに息を呑み水面を凝視する。水しぶきが上がっていたが、やがて泡しか浮んでこなくなった。
水中で何が起きているのかわからないが、おそらく二人は水面下で尚も激しい戦闘を続けているだろう。
やがて泡すら浮んでこなくなった。
「お、おい、あれ!」
良樹がぎょっとしながら水面の中央を指差した。水面に赤い花が咲き徐々に広がっていく。
赤い水の中から腕が突き出た。そして定道が水しぶきを上げながら飛び出してきた。
「軍法会議なんか必要ない。お嬢様を殺そうとしたんだぞ!」
織絵のおつきは大友の処刑を強硬に主張した。
「しかし試合中に武器が客席に飛んでくる事故はこれが初めてではない」
俊彦に雇われた軍人弁護士が大友のために必死に抗弁を展開したが分は悪い。
「あれが事故か?!君も観戦していたからわかるだろう、あいつは故意にお嬢様を狙ったんだ!」
確かに大友は敵に向かってナイフを投げたわけではない。
「これ以上の問答は無用だ。総統陛下の一族の対する殺害事件は未遂であっても処刑しかない」
「何だと!?」
やりとりを黙って聞いていた俊彦はついに我慢できなくなった。親友の命がかかっている、もう黙っていられない。
「お嬢さんはかすり傷一つなかったんだ。それなのに死刑なんて、そんなバカな法律があるかよ!」
「あなたが何と言おうと法は絶対です」
「直輝は女を殺すような奴じゃない!」
「それ以上の言葉はあなたの立場も危うくいたしますぞ!」
脅迫めいた口調に俊彦は悔ししそうに拳を握り締めた。
「おまけに季秋家の御曹司のお命さえ危うくするとは。季秋家は総統陛下ですら滅多な扱いをできない権門。
私はむしろ季秋家からの追及が恐ろしい。
季秋家の若君を殺しかけて事故でしたなどと言い訳が通用しますかな!?」
忠義面したおつきの熱弁を邪魔するようにコンコンとドアをノックする音が聞えた。
政府高官が恭しくドアを開け頭を下げると、冬也が入室してきた。
(季秋冬也!)
俊彦の緊張感は一気に最高点まで達した。主演男優の登場だ。
「こ、これは季秋の若様……先ほどは一兵士がとんだ狼藉を」
おつきはこれ以上ないほど腰を曲げて頭を低くしている。
「あの兵士の処分はどうなった?」
「は、はい。恐れ多くも若君様を刺殺しようなどとんでもないことです、ただちに処刑いたします」
俊彦の顔が真っ赤に変化していたが、おつきは冬也を恐れるあまり俊彦の感情の変化には全く気づいてなかった。
「ですから、どうか叔父上様にはご内密に……」
おつきは声を震わせ必死に懇願している。
何の事は無い、織絵のためといいながら実は季秋家が怖かったのだ。
「処刑?あんなことでおまえらは優秀な兵士を処分するのか?」
「は?」
おつきは思わず顔をあげ素っ頓狂な声を上げた。
「殺されるのは当然、って試合じゃなかったのか?だったらナイフの一本や二本客席に飛んで来ても不思議は無い」
「は、はあ……しかし若君様、大友は明らかに織絵お嬢様かあなた様を狙って」
「狙っていた?」
冬也は「おまえの目は節穴か?」と笑い出した。
「本気で殺すつもりなら、あの距離で外すわけがないだろう」
「……で、ですが」
「ちっ、話の通じねえ野郎だな」
冬也はナイフを取り出し投げた。突然のことにおつきは「ひっ」と小さい悲鳴をあげ、その場に尻餅をつく。
ナイフは入り口と反対側の壁に刺さっていた。刃に貫通された毒蛾がパタパタと羽を動かしている。
「わかったか。あの距離で本気で殺すつもりなら外しているわけがないんだ」
おつきは冬也を見上げ呆然としていた。完全に判断力を欠落しているらしい。
「わかったら、もう少しもともな処分にするんだな」
冬也はそれだけ言うとさっさと退室。おつきはまだ呆然とその場に座り込んでいた。
「日野定道だ!残りは的屋一匹、もう科学省チームが勝ったの同然だ!」
「けど、あいつも民間人とは思えない善戦だったな。あの日野相手に互角だったんだぜ」
観客は完全に科学省の勝利を確信して雑談を始めていた。
その騒然とした様相に良樹は気づいてない。ただ呆然と赤く染まった水面を見詰めていた。
「……負けた。あの桐山が」
例え相手が最強クラスの軍人だろうが、桐山が敗北するなど良樹達には信じられなかった。
「まさか死んだのか?」
三村が不吉な事を呟いた。その一言に良樹ははっとして我に返った。
「桐山!」
勝敗よりも桐山の安全の確認が優先だ。良樹は闘場に駆け上がろうと足をかけた。
「待て雨宮!」
川田が腕を掴んで動きを制してきた。
「どうして止める!あいつ水から上がってこないんだぞ!」
「よく見ろ、あの小僧の様子が変だ」
そこで初めて良樹は定道をみた。今だ突っ立ったまま、凝視すると僅かに手の先が震えている。
そして定道はふらっと体勢を崩し前のめりになって床に倒れた。その背中にはナイフが突き刺さっている。
「さ、定道!」
再び水しぶきがあがり桐山が飛び出してきた。
「処刑を免れた?俊彦、おまえどんな魔法使ったんだよ?」
拘束されたまま椅子に腰掛けている大友と対峙している俊彦自身まだ信じられない気分だった。
「俺じゃない。とにかく、おまえ助かったんだぞ、これにこりて二度とバカなマネするなよ」
あれから色々あった。参考人として呼ばれた晶も、冬也と同じ事を言った。
『特撰兵士クラスの人間が本気で命を狙えば、あの距離で外すはずが無い』――と。
しかし晶の弁護はあくまで参考意見。大友の命を救ったのは、やはり冬也のおかげだろう。
だからといって大友が無罪放免というわけではない。
あらためて軍事裁判にかけられ処分されることになる。
「さーて、どうなるんだろうな。懲役か、それとも最下級の兵士に降格されて激戦地に飛ばされるかな?」
「……直輝」
「そんな顔するなよ。ほら笑え、当分会えなくなるんだぜ」
こんな時だというのに、大友はまるで人事みたいに底無しに明るかった。
「ラッキーなんだろ?本来なら俺は裁判無しで銃殺刑だぜ」
確かに殺されることを思えば幸運だ。
(あいつに借りが出来たな。いつか返さねえと)
「定道、何を呑気に倒れているの!」
美緒は興奮して叫んでいた。その定道を見下ろすように立っている桐山。
誰の目にも勝敗は明らかだった。やがて審判が桐山の勝利を宣言すると観客が一斉に騒ぎ出した。
「科学省のエリートが無名の民間人に負けた!」
「何者だ、あの野郎!次期特撰兵士に勝ちやがったぞ!」
美緒は定道にかけよかった。
「何て様なの定道!」
「……そんなこと言ったって」
定道は「……背中痛いよ」と何度も繰り返し美緒の非難など聞いていない。
「どいてよ美緒さん、そいつおろすから」
美緒の背後にいつの間にか那智が立っていた。那智は定道の腕を掴むと強引に立ち上がらせる。
「痛い!」
定道は泣きそうな目で那智を睨みつけた。
「次は俺なんだから、ほらさっさと降りろ!」
那智は定道を非情にも場外に突き飛ばすと、続いて美緒まで放り投げた。
「さあ邪魔者は片付けたし次は俺と遊んでもらうよ」
那智は好戦的な笑みを浮かべ桐山を凝視した。それは獲物を見つけた獣の目だった。
「さあ、始めようか?」
那智は懐からトランプを取り出し、まるで奇術師のような素晴らしいシャッフルを披露しだした。
左手から右手に、まるで引力に引き寄せられているかのようにカードが整然と素早く移動している。
「おい桐山は今闘い終えたばかりなんだぞ!」
良樹が非難の篭った口調で叫んだ。
「俺はかまわない。さっさと勝負をつけようか?」
桐山は静かな声で言った。
(時間がたてばたつほど俺の正体がばれる可能性が高くなる。それは避けたい)
桐山は満夫と以前闘った。特撰兵士の佐伯徹や薬師丸涼ともやりあった。
変装しているとはいえ、いつ何時気づかれるかわからない。その前に試合を終わらせたかった。
だから那智の申し出は桐山としては歓迎すべきものだった。
しかし良樹が心配しているように、桐山の体力は定道との戦闘により落ちている。
(長引けば俺が不利になる。その前に終わらせる)
最初に動いたのは桐山だった。一気に那智の間合いに迫る。
「おっと!」
那智の手元のトランプが桐山に向かって飛んで来た。桐山の頬に赤い亀裂が走る。
ただのカードではない。一枚一枚に鋭い刃が仕込まれているのだ。
桐山の反射神経が鈍ければ最初の一撃で引き裂かれボロ雑巾のようになっていただろう。
「へえ凄いじゃん。じゃあ次行くよ」
再び那智がカードを投げてきた。桐山は巧に避けるが何十枚というカードの前では限界がある。
「桐山、後ろだ!」
良樹が叫んでいた。桐山ははっとして振り向く、トランプが方向転換しているではないか、まるでブーメランのように。
「……ぐっ」
桐山は小さくうめき、その場に片膝をついた。ぽたっと床に赤い点が発生している。
「き、桐山!」
カードは桐山の後ろ右肩の付け根に刺さっていた。
「ほら、いじけてる暇なんてない。どんどんいくよ」
那智はさらに高速シャッフルを披露。
今度はまるで観覧車のように何十枚というトランプが列を成して回転している。
「さあ、今度は避けられるかな?」
トランプが那智の右掌に集められている。再び攻撃が始まる、その前に桐山は行動に出なければならなかった。
攻撃は最大の防御、那智よりも早く攻撃を仕掛ける。それが桐山が選択した最善の方法。
那智は慌ててカードを投げた。だが桐山は今度は避けず突っ込んできた。
「バカな、血迷ったのか桐山!」
慌てたのは良樹の方だ。桐山は連闘でおかしくなったのかと本気で思った。
「慌てるな雨宮、桐山は正気だ!」
「川田?」
「下手に避けてばかりではいたずらに傷が増えるだけで奴に近付けない。
だから桐山は奴を倒すことを最優先させたんだ。一点方向で突っ込みダメージを最小限に抑えながらな」
「そ、そうか!」
桐山は傷を受けながらも那智の至近距離に到達。
「おまえの負けだ」
那智の頬に桐山が渾身の力を込めた拳が喰い込み、そしてぶっ飛ばされていた。
「やった!」
良樹は拳を握り締めて叫んだ。那智はそのまま地面に落下して動かない。
「桐山、おまえの勝ちだ。三連勝だな!」
思わず闘場に駆け上がろうとした良樹だったが、桐山は「まだだ」と突き放すように言った。
「……まだって。だって、あいつ起き上がらないだろ?」
おそらく気絶、つまりほかっていてもテンカウントで自動的に桐山の勝利のはず。
それなのに桐山は緊張を解くどころか、よりいっそう神経を集中してじっと那智を見詰めているではないか。
「……桐山、どうして?」
「あはははは!」
良樹の心臓がドクンと大きく鼓動した。
「……な、何だ?」
「笑っちゃうよ、こんな奴が民間人にいたなんて……こんなに俺を楽しませてくれるなんてさ」
良樹は戦慄した。全身、凍りつきそうなほどだった。
今までとは何かが違う。
素人とはいえ、ずっと夏生に師事してきたせいか、彼にも敵の恐ろしさを肌で感じる能力が身についてのだろう。
だからこそ理屈ではなく本能でわかる、これから恐ろしい事が起きると。
「俺を本気にさせたんだから、痛い目にあっても文句言うなよ」
那智は立ち上がるなり大きくジャンプして闘場に舞い降りた。
「さあ楽しませてもらうよ」
那智は着ていたジャンパーのジッパーを降ろすと左右に広げて見せた。
良樹は愕然とした。上着の下はナイフの山だ。
「玩具はやめた。今度はモノホンの武器で行くよ」
ナイフが一斉に桐山目掛けて飛んで来た。左右に避けるのは無理、桐山は飛んだ。
だが那智の手元から今度はチェーンが飛んで来て桐山の足首に絡み付いた。
桐山はしまったと思ったらしい。珍しく眉を僅かに歪ませたが遅かった。
那智がぐいっとチェーンを引くと、桐山は盛大に石床に激突。しかも那智はさらにチェーンを振り回す。
「ねえ、どんな死に方したい!?」
哀れにも桐山の体は嵐に翻弄される木の葉のごとく空中できりもみ状態。それでも那智の手は緩まない。
「反撃しないの?じゃあ、そろそろ死ぬ?どんな死に方したい、希望はないの!?」
桐山の体にはとてつもない遠心力がかかっている。
これでは血管の血流に支障がでて頭にまでダメージが出てしまうだろう。
当然、戦闘のプロである那智はそれをわかっている。だからこそ非情にもスピードをあげているのだ。
「希望がないなら俺の好きにさせてもらうよ!」
やばかった。いくら桐山が高い戦闘力の持ち主だが肉体そのものは生身の人間に過ぎない。
それは誰よりも桐山自身がわかっている。遠心力に逆らいながら桐山は身体を曲げた。
手を伸ばし足に絡み付いている忌々しいチェーンを手に取ると引っ張った。
「うおっ」
今度は那智の身体が空中に引き上げられ、そのまま二人とも地面に落下。
「……やるじゃん」
那智は笑いながら立ち上がった。楽しくてたまらない、そんな表情だ。
「俺は負けない。それだけだ」
桐山は口の端に滲んでいる血を手の甲で拭きながら、やはり平然と立ち上がった。
まるでノーダメージだといわんばかりに颯爽と。
「呆れてないかーい、こんなマイペースで~♪」
殺伐として試合会場には不似合いな陽気な歌声は人気のない廊下に響き渡っていた。
「ねえ春樹、兄さん達どこにいるんだろうね」
「冬也兄貴は特別観戦席だろ。でも夏生兄貴はどこなんだろ?」
それは今風のイケメンと女と見間違うほどの美少年のコンビだった。
「そうだ。ちょっと待ってて」
春樹は何やら怪しい小型の機械を取り出した。小さなモニターに赤い光が点滅している。
「兄貴、これは?」
「夏生はこれで居場所わかるよ。あの子はいつも所在不明だからね。
心配だから、こっそり携帯電話に発信機を内臓しておいたんだ」
「へえ、で、どこ?」
「一般観客席にいるみたいだよ」
「畜生、おれは大損だぜ。まさか、あそこで無名の民間人が勝つなんてよお!」
「俺なんか日野に十万も賭けてたんだぜ。畜生、十万だぞ!!」
「兄貴、何だよ、あの団体?」
「多分、闇賭博じゃないのかな?夏樹兄さんが言っていたけど、裏でこっそり賭けの対象になってるらしいから」
「へえ、小銭で一喜一憂する小市民がそれだけ多いってことだな」
「羨ましいと思うよ。そんなことで幸せ感じるなんて素敵じゃないか、僕も一度くらい味わってみたいよ」
春海はにこにこ微笑みながらそう言った。
「あー畜生!こんな賭けに勝った奴いるのかよ!!」
「それがいるらしいぜ。どっかの中学生が今の時点でオール的中だと」
「げげっ、まじかよ?そいつ予知能力あるんじゃね?」
「確か名前は……相馬っていってたな」
「勝つのは俺だ!」
那智は再びナイフの集中攻撃、桐山は闘場を駆け抜けナイフから逃げる。
「それ!」
那智が何かを投げた。またチェーンかと咄嗟に判断した桐山はぱっと背後に飛んだ。
だが那智が投げたのはチェーンではない、空中でパッと蜘蛛の巣状に広がったのだ。
(網?)
気づいた時には桐山は囚われの蝶状態となっていた。
「捕獲成功♪」
那智はルンルン気分で近付いてきた。その途端、足に何か絡み付いた。
「ん?」
それは、つい先ほど那智が桐山に使ったチェーンだった。
「あー、き、汚ねえ!ひとの武器使うなんて、おまえ何様……うわぁ!」
桐山が力まかせに引いたので那智は、そのばに倒れさらに一気に引きずられプールに落下。
その間に桐山は網から脱出、プールに近づいた。途中、床に突き刺さっているナイフを何本か手にして。
那智が浮上してきたらナイフで刺殺しようという魂胆だろう。
「……仲間とはいえ、あいつの非情さ。時々、怖くなるよ」
良樹は背筋に冷たいものを感じたが、こうなったら桐山が勝てるだろうとホッとしてもいた。
(けど、何だ?あいつらの余裕、仲間が殺されるかもしれないってのに)
不気味なのは満夫の様子だった。那智は絶体絶命なのに、あっけらかんとしている。
それに肝心の那智も気になる。プールに落ちてから今だに上がる気配がない。
水面に出た途端に桐山に攻撃される事を恐れ水中に留まっているのだろうか?
それにしたって、このままでは溺死してしまうのだ。一体、何を考えているのだろう。皆目見当がつかない。
(……あーあ、失敗したなあ。俺って調子に乗ると油断する癖があんだよね。
薬師丸さんに散々直せって言われたのにさ。俺ってダメな子なのかなあ?
ま、いいや。今はここから脱出する方法考えなきゃ。あいつ絶対に待ち構えているよね。
どうしよう……水中からチェーン投げつけて、その隙に……ダメだ、絶対避けられるよ。
囮で奴の目をそらしてその隙に……うん、それが一番いいね)
那智は上着もシャツも脱いで丸めた。
(定道の血で水面が濁っていたのはラッキーだったね)
囮を水面に向かって投げると那智は急浮上した。
「さすがは桐山、俺の教育の賜物だな」
夏生は自画自賛的に納得の境地を開いていた。そんな彼を見詰める貴子の目は白けている。
「でも……桐山君、随分怪我負ってたわ]
美恵は桐山の勝利に喜ぶよりも、桐山の身で心配する気持ちでいっぱいだった。
「あ、いたいた。おーい兄貴!」
「ん?」
夏生は振り向きざま、思わずずるっと椅子から滑り落ちそうになった。
「は、春兄!」
ぱっと隣席にハンカチを敷くと、「どうぞ」と着座を促した。
「ありがとう夏生、でも僕はそっちの席の方がいいな」
春海は夏生が座っている席を指差している。
「……え?だって、この席は美恵ちゃんのお隣で」
「ダメなの?」
「……しょうがないな。兄ちゃんが相手じゃ」
夏生は渋々春海に席を譲った。
「春海さん達も応援に来てくださったんですね」
美恵は心から感謝した。応援は勝因にはならないが、その気持ちが何より嬉しかったのだ。
「うん、僕にはそのくらいしかできないからね。それに桐山君が勝てば美恵さんは嬉しいだろ?」
「はい」
春海はにっこり微笑んだ。いつ見ても天使のようなひとだと美恵は思った。
(こんなこと思ったら失礼だけど、どうして夏生さんに、こんな清らかなお兄さんがいるのかしら?)
「僕の手作り弁当気に入ってくれたかな?ねえ夏生、彼らの反応どうだった?」
夏生は言葉に詰まった。
「……それは、えーと」
「もしかして口に合わなかった?」
夏生はますます困惑している。
「まあ、いいや。それより聞いたよ、桐山君の活躍で順調に勝ち進んでいるみたいじゃないか」
「そうなんです。ただ相手も強くて無傷じゃなくて……それだけが心配で」
「そう、良かった」
一方、元凶・春樹は「ふんっ、負けたらそこで終わりなんだ。当然だろ」と冷たく言い放っている。
「春樹、そんなこというもんじゃないよ」
「でも兄貴……」
「春樹はとてもイイコだよ。だから、そんなこと言って欲しくないんだ」
「……わかったよ。兄貴がそういうなら、もう言わないよ」
あの春樹ですら春海の前では借りてきた猫のように大人しくなる。
(春海さんが外国から帰国してくれて本当に良かった。
もし桐山君達が負ける事があっても春海さんなら春樹君を説得してくれるわ。
そうすれば桐山君達を酷い目にあわそうなんて言わないわ)
今、心配すべきは桐山の身体のことだけだ。もう勝敗なんてどうでもいいから、傷ついて欲しくない。
美恵は切に願っていた。
「そうか……勝ってるんだ」
春海はそう呟いていた。
水しぶきが上がった。桐山はほぼ同時に動いている。
赤い水の中に影が一つ、桐山の動体視力は正確にそれを分析していた。
(大きさが違う、奴じゃない!)
直後、もう一つ影。桐山はその影に向かって飛んでいた。
「うわ!」
胸部に手刀を振り下ろされ那智は呻き声を上げた。しかし痛みなどに構っていられない。
「いい加減にしろっての!」
桐山の手を掴むと振り回し遠心力が最高点に達したところでぱっと手を離す。
当然、桐山は場外へ。那智自身も桐山を追って場外に出た。
審判のテンカウントが開始される。那智は勝負に出た。
(もっと楽しみたかったけど、いつまでも遊んでられないっての!)
凄まじいキックボクシングを繰り出した。桐山も紙一重で全て避けている。
壮絶な攻防、その間にも審判は正確にカウントを続けていた。
「セブン!エイト!」
(今だ!)
那智は桐山に向かって残っていたトランプを全て投げた。その隙にくるりと向きを変え闘場に猛ダッシュ。
「ナイン!」
「俺の勝ちだ!」
那智はガッツポーズをしながら地を蹴り大ジャンプした。
後はこのまま着地すればいい。それだけで全てが終わる、審判が自分の勝利を宣言してくれるはずだ。
そう確信した瞬間、ドス……!と鈍い音が那智の後ろ肩から聞えた。
「……はぁ?」
トランプカードが突き刺さっている。おまけに肩越しに見えたのは桐山の大ジャンプ。
それは那智を凌駕するほどのものだった。呆気に取られる那智の頭上で桐山はくるりと空中回転。
その回転力から那智の頭に蹴りをお見舞いしてくれたのだ。那智の体は急降下した。
「テン!」
那智が接触したのは地面の感触だった。石床ではない。
(……場外?)
愕然と顔を上げると桐山が闘場から自分を見下ろしていた。
二人の距離は僅か一メートル、だが桐山は闘場、那智は場外。
二人が立っている位置は完全に明暗を分けた。
「ば、バカなぁ!」
那智が絶叫する同時に審判が桐山を指差し「勝者!」と叫んでいた。
「そんな、そんな!俺はまだ負けてない!!」
那智は納得できなかった。そんな那智に桐山は冷たく言い放った。
「肩の傷は痛かったかな?俺は痛かった」
【B組:残り45人】
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