美緒は身を乗り出して定道に返答を求めた。
「何を黙っているの?おまえが負けるわけない、あたしがそういう人間に育てたんだから」
「ああ、そうだね」
定道は面倒くさそうに答えた。いちいち応えるのは面倒だったが、黙っていれば美緒はさらにうるさくなる。
だから応えた。定道の価値観に善悪の区別は無い。
あるのは、ただ一つ。面倒か、そうでないかだけ。
「いくよ」
定道は構えた。そして、いったん間を置き、その直後一瞬で桐山の間合いに接近した。
鎮魂歌―77―
「まずいことになったね。彼、絶対気づいているよ」
直弥の口調は低く重くなっていた。
二回戦を勝ち抜いたとは思えない重苦しい空気が部屋に充満している。
先ほど陸軍特殊部隊を三勝二敗で下し、悠々と廊下を歩いていた時、彼らの背筋を凍りつかせる出来事があった。
角を曲がると、まるで立ちふさがるかのように廊下の中央に周藤晶が立っていた。
得体の知れない雰囲気に、彼らは緊張感で全身が硬直した。
弟や部下を倒され逆恨みから特撰兵士ともあろう男が仕返ししようという魂胆だろうか?
「北斗」
「……どうってことないさ。控え室に急ごう」
いくらなんでも、このような場所で暴力沙汰を起こすことはないだろうと北斗は判断した。
廊下の隅により晶を避けるように通り過ぎようとしたときだった。
晶の腕が突然北斗の顔面目掛けて伸びてきたのだ。
「何を……!」
当然、北斗は反射的に背後に体の重心を逸らし晶の拳を避けた。
「ただの虫だ」
晶はにっと不敵な笑みを浮かべると握り締めた拳を開いた。その途端、床に小さな羽虫がぽとっと落ちた。
突然の事に言葉を失っている北斗たちに晶は弾んだ口調で言った。
「俺の拳を避けれる人間なんて、そういるもんじゃないぜ」
晶は相変わらず笑っていた。その表情は完全に『思ったとおり』だと言わんばかりの確信に満ちたものだった。
「特撰兵士か、F5か……さもなくば実力未知数の反政府組織、例えば――」
「K-11なんてどうだ?」
表情を変化させなかったことは彼らには上出来だった。
「K-11?何です、それ?」
声の調子にも変化は無い。完璧だった。
しかし心の中は一気に底無し沼に引きずり込まれたような暗い感覚しかない。
「なに、戯言だ。聞き流してくれていいぜ。ただ、おまえ達は未熟とはいえ俺の部下を破った連中だ。
つまらない所で負けるな。必ず優勝しろ、それまで逃げるなよ」
晶はゆっくりと歩き出した。
「ああ、言い忘れるところだった」
立ち止まり晶は振り向かずに最後に一言付け加えた。
「過去の恨みで倒せるほどこの国は柔じゃないし、特撰兵士はもっと甘くないぜ」
「『逃げるなよ』……か。あれって裏を返せば『逃がさない』ってことだね」
直弥の表情は険しかった。
「どうするんだい?だから、最初から大会なんかに出場せずに彼女だけ連れて逃げれば良かったんだ。
彼女さえ無事に保護すれば彼だって満足するさ。他の奴等が死のうがどうなろうが知った事じゃない」
「直弥、君って本当に……短絡的思考だね」
当然の事ながら直弥はむっとした。
「彼女を連れ出して政府に追われている僕達と行動を共にさせるのかい?
季秋家に保護してもらうのが最善なんだ。
あそこなら政府も簡単に手出しできないし何不自由ない生活も送れる。
それに彼女がリーダーの素性を知りたいって思ったら何て説明するんだい?
彼は余計な事は知って欲しくないと思っている。
何も知らないまま元の場所に戻ってほしい、それが彼の願いなんだ」
定道の手元がキラッと光った。
(ナイフか?)
桐山が刃物の存在を認識した瞬間、それらが大量に飛んで来た。
「き、桐山!」
良樹が叫んでいた。ナイフではない、アイスピックの先端のようなものだ。
それが何十本と飛んだ。あんなもの全てを避けきれるわけがない。
ぽたっと石床に血が落ちた。
桐山がどれだけ身体能力が優れた人間でも、やはり全てを避ける事は不可能だった。
だから桐山は急所の防御を優先させたのだ。心臓と喉への攻撃を防ぐ為に右腕を犠牲にした。
「思ったより痛いものだな」
桐山は肘に刺さった針を抜くと投げ捨てた。
「全ての針が俺の急所に飛んで来た。だから容易に防御ができた」
定道は不思議そうな表情で桐山を見詰めた。
(こいつ、あの一瞬で全部見切ったのか?厄介だな~さて、次はどうしよう)
定道は面倒なことが嫌いな性質、よって余計な動きはしない。急所を狙ったのも彼の性格の表れだった。
無駄なことをせず、より小さな動きで実をとりたい。
(少し様子見てみようかな?)
今度は定道自身が飛んで来た。肉弾戦で桐山の動きを知ろうという意図だった。
突き出した腕を桐山は難なく避け、逆に定道の手首を掴むとくるっと捻った。
こういう場合、大抵の人間は抵抗して動きに逆らう。しかし定道は、その流れにそのまま従った。
従うどころか、手首と共に自らの体まで回転させた。
定道の脚が上にきたところで、その脚は桐山の頭目掛けて急降下。
桐山は当然のように腕を頭上に出して防御。定道の脚と激突する。
ぎしぎしと腕の骨が軋むような音がしたが大丈夫、折れてはいない。ただ激痛が走っただけだ。
ところが定道の攻撃は、そこで終わらなかった。素早く桐山の腕を両脚で掴むと床に両手をつき体を反転させた。
その遠心力で今度は桐山が体のバランスを崩し床に激突。定道の脚は桐山の腕に食い込むように絡みついている。
さらに定道は桐山の手首を掴んだ。四肢全てで桐山の腕を壊すつもりだ。
「や、やばい、腕をはずせ桐山!」
川田が忠告するまでもなく桐山は腕を抜こうとするが、定道の技が完全にはまってびくともしない。
腕の骨がぎしぎしと鈍い音をたてだした。ぼきっといくのも時間の問題だ。
「ねえ、どうするの。このまま折っていい?それとも棄権する?」
審判まで駆け寄ってきて「棄権するなら今したほうがいいぞ君!」と大声で言った。
「定道の勝ちね。涼は随分とあいつを買っていたけど所詮は民間人だったようね」
「そうでもないんじゃない美緒さん?まだ勝負終わってないよ」
「緒方、あんたの目は節穴なの?腕を折られたら、もう勝ち目ないわよ」
「だって、まだ折れてないじゃん」
「折れるのは時間の問題よ。定道の地獄絞めから逃れられるものですか」
「だよね、完璧にきまってるから。でもさあ、この試合って――」
「武器使用OKの殺し合いだよ」
定道が慌てて桐山から離れた。後、少しだったのに自ら桐山の腕を離したのだ。
「危ない危ない」
定道は何か掴んでいる。アイスピックの刃先のようなもの……それは先ほど彼が桐山に投げつけたものだ。
闘場に散らばっているそれを桐山に投げつけられ、慌てて攻撃を捨て防御に出たのだ。
しかも桐山の反撃は早かった。一瞬の隙をついて定道の腕をとると脚を払い場外まで投げ飛ばした。
定道は一回転して綺麗に着地を決めようとしたが、その着地地点に桐山がスライディングしてきた。
当然のことながら定道は完全にバランスを崩し大きな隙ができた。
その隙をかいくぐるかのように桐山の強烈な拳が定道のボディに炸裂。
それも一発ではない、電光石火のスピードで三連続して強烈な攻撃が定道の腹部に食い込んだ。
さらに、もう一発。今度はこめかみに鋭い手刀がきまり定道は足元をふらつかせた。
「とどめだ」
桐山は懐からナイフを素早く取り出した。
それを見て顔面蒼白になったのは定道の仲間でも定道本人でもない、良樹達だった。
「うわあ桐山、それはない!」
「まじかよ。あいつ、殺す気だぞ!」
桐山に迷いはなかった。元々この大会は格闘の競い合いではなく、殺しも辞さない戦闘なのだ。
良樹達と違い桐山はそれをはっきりと理解しており、しかも実行しようとしている。
「ちっ!」
定道もナイフを取り出し桐山の刃を受け止めた。
「しぶといな。おまえ死んでくれないのか?」
あまりにも理不尽な桐山の問いに定道は当然のように「やだね」とナイフを押し返した。
Bリーグでも二回戦第二試合が開始されていた。
「……すげえ、やっぱ予選トップだけあるぜ」
「……ああ、大友の強さは半端じゃない。Aクラスの兵士でも歯がたたねえんじゃね?」
試合は中盤まで戸川の部下達の一方的な試合展開だった。
だが大将の大友が登場した途端に流れが完全に変わった。
それまで四勝一敗という結果による勝ち抜き戦。
大友はたて続けに三人を倒し、あっとう間に大将同士の最終決戦に持ち込んでしまったのだ。
「自分で言うのもなんだけど……やっぱ俺って強すぎるよなあ」
自画自賛的な大友の台詞。ジョークなのかマジなのか判別すらできない。
「その台詞、俺に勝ってからいいやがれ!」
戸川が見ている前で敗北なんて許されない。
意地というより強迫観念に近い覚悟で反町は大友に攻撃を仕掛けた。
「おっ、すげえラッシュ」
猛スピードで繰り出される蹴り。観客は目にも止まらぬ反町の猛攻に定まらない視線を忙しそうに動かした。
「おまえ結構やるじゃん、でも――」
大友はいとも簡単に反町の腕をつかみ、その動きを止めてしまった。
「なんで白州を出してこなかったんだよ?おまえらじゃ役者不足だ」
反町はカッとなった。白州とは同じ戸川の部下とはいえレベルは段違い、それは反町自身わかっている。
だが理解してても第三者にはっきりと言われるのは腹の立つ要素でしかない。
「おまえも戸川大尉から俺のこと聞いてんだろ?
特撰兵士選考から漏れたのは実力不足じゃなく問題児だからってこと」
大友は軍規は守らない、上官には逆らう、任務は気まぐれですっぽかす。
およそ軍人には向かない自由奔放な男。
それゆえ特撰兵士の選考テストすら受けさせてもらえなかった。
薫曰く『特撰兵士は実力だけではなく人格も重要なのさ』との事。
その大友と互角にやりえる人間など海軍にも、そうはいない。
特撰兵士を除けば、戸川のご自慢の部下白州くらいだ。その白州を戸川は出場させなかった。
お祭り騒ぎが大好きな大友は白州との戦闘を楽しみにしていただけに納得できないものがある。
もちろん戸川が白州を出さなかったなのではなく、出せなかったという事情を大友は知る由もない。
ただ大友は単純ゆえに、戸川が自分の部下を過大評価して白州抜きでやれると判断したのだろうと思った。
大友にとって面白くない仮説だ。戸川が他者を舐めていると感じたのだ。
元々、権力志向の戸川を良く思っていなかった大友は傲慢だとすら考えた。
その戸川に試合前に呼び出された時は、「まさか八百長要求する気かよ」と思ったくらいだった。
(さあて、どうするかなあ。こいつ相手じゃ負けるってことないなあ)
大友は溜息をつきながら特別席に視線を移した。
「何を余所見をしている!」
激怒した反町がさらに猛攻撃を仕掛けてくるが、大友は反町の攻撃を見ずに紙一重で避けている。
(戸川の野郎、見てる見てる。あちゃ~、かなり頭にきてるみたいだな。
こいつら絶対に試合終わったら折檻させるぞ。戸川って面子にうるさそうなタイプだもんなあ)
それから今度はチラッと特別席の中央を見た。織絵と冬也が並んで一際豪華な椅子に腰掛けている。
(戸川のことは嫌いだけど――)
大友は軍用ナイフを取り出した。
「もっと気に入らないんだよ!!」
ナイフを投げた。反町の目が大きく拡大する。
「……な、何を!」
反町同様、大友の一連の行動を見ていた観客は愕然とした。
そんな中、ナイフは一直線に特別席に弾丸のごとく勢いで飛んだ。
直後、顔色を失った織絵と平然としている冬也の間に壁に突き刺さる形でナイフは静止していた。
最初に悲鳴を上げたのは織絵のそばに控えていた侍女だった。
「きゃあ!お、お嬢様が!!」
後、ほんの数センチ位置がずれていたらナイフは織絵の顔面を貫通していた。
場内は騒然となった。先代総統の孫娘が殺されかけたのだ。
護衛や政府高官が、言葉を失っている織絵に駆け寄り何か言っている。
織絵は精神的ショックの為か言葉も出ないようだ。
もっとも織絵同様、命の危機を体験したはずの冬也は平然としている。
つまらなそうに立ち上がるとナイフを壁から抜き大友に向かって投げ返した。
「直輝……あの馬鹿野郎!」
俊彦も顔色を失っている。彼が心配したのは織絵ではない、大友に対してだ。
仮にも兵士が総統の姪に対して危害を加えかけた。未遂とはいえ只では済まない。
誰もが、この様子を見ていた。事故では済まない、Bリーグを観戦していた全ての観客が証人だ。
「おまえ、何を考えている?自分のしたことがわかってるのか!?
彼女は総統陛下の姪だぞ。下手したら軍法会議にかけられる前に処刑されるぞ!」
大友の乱心とも思える行動に対戦相手の反町まで心配している。
「手が滑ったんだよ」
大友は平然と笑いながら言ってのけた。
「ば、馬鹿か、おまえ!手が滑ったで済むか、相手は総統陛下の……!」
ライフルを持った兵士が闘技場に駆け込んできた。
「そら見ろ、もう試合どころじゃなくなったぞ」
「だよなあ。何だ、その顔?もっと喜べよ。おまえら準決勝進出だ」
兵士達が銃口を向けながら、「あなたを逮捕します!」と叫んだ。
「わかってるよ。安心しろ抵抗しないから」
大友は闘場から飛び降りると、「ほらよ」と両手を差し出した。
すぐに手錠がはめられ、大友はそのまま兵士達に囲まれて闘技場を後にした。
織絵は護衛達に抱きかかえられるように特別席から下がり、会場は今だ騒然としている。
「直輝!」
俊彦が駆け寄ってきた。
「おい、いいのかよ?特撰兵士様は試合観戦も公務だろ?」
「そんな事言ってる場合か、おまえ何であんなマネした!?」
「手が滑った」
「そんな言い訳通用するか!どういうつもりなんだ直輝!!」
俊彦は大友の胸倉を掴むと壁に押し当てた。周囲の兵士達が止めるが聞く耳持たない。
「彼女は大総統陛下が溺愛してる孫だぞ、おまえだってそのくらい知ってるだろ?
自分が何したのかわかってんのか?過失でかすり傷負わせても厳罰くらわせられる人間なんだぞ!」
「……しょうがねえだろ本当に手が滑ったんだから」
俊彦は兵士達に「下がれ」と命令した。当然、兵士達は途惑った。
「五分間だけだ。二人っきりにさせろ!」
兵士達が渋々と姿を消すと俊彦は項垂れ低い口調で言った。
「……何があった?」
大友は困ったように頭をかきだした。
「おまえは馬鹿だが理由もなく女にナイフ投げるような奴じゃないだろ。何があったんだよ?」
「……別に何でもねえよ」
大友はいつも肝心なことは言わない。親友を巻き込みたくないという、せめてもの思いやりだった。
「それより俊彦、もしかしたら俺、これで終わりかもしれないから言っておく」
「おまえ、いい加減に彼女に自分の気持ち言えよ」
突然、話題を変えられ俊彦は呆気にとられた。
「言えよ、おまえの気持ち。言わねえと、いつか後悔するぞ。俺なら言う、俺は後悔なんかしたくないからな」
後悔しない、それは大友の人生論でもあった。
大友は何も考えてないように見えて、いつも後悔しない生き方を選択している。
そんな大友が俊彦は大好きだった。きっと今回のことも、それが理由だろう。
「……おまえほど馬鹿はいない」
「どっちがだよ。惚れた女に、たった一言いえない野郎のほうがずっと馬鹿じゃねえか」
「特撰兵士の称号が泣くぞ。おまえのそういうところが心配なんだよ……」
「今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ!おまえ自分の今の立場わかってんのか!?」
「……ああ、わかってる」
大友は静かに瞼を閉じた。試合前に彼を呼び出した人間は戸川だけではなった。
「あのお嬢さんが俺に何の用だよ」
戸川に続き、お偉いさんからの内密の呼び出しに大友はうんざりしていた。
「俺、ああいう気位の高そうなお嬢さんって苦手なんだよな」
「無礼な事を言うんじゃない。いいか、お嬢様はおまえなど本来は口がきけるようなお方ではない。
くれぐれも失礼のないようにしろ。言葉遣いも注意しろ」
大友は面白く無さそうに舌打ちした。権力主義というものが元々嫌いだったのだ。
まして実力ではなくコネで生まれながらの権力者というものは尚更だった。
特別控え室に通されると織絵が高級肘掛け椅子に座っていた。それだけで大友はげんなりした。
「戸川小次郎に一体何を言われたのです?」
話が全く見えず大友は思わず「はあ?」っと素っ頓狂な声を上げた。
「おまえが戸川に呼び出されたことは知っています。密約の内容を白状しなさい」
大友はお門違いもいいところだと言わんばかりに頭をかいた。その態度に織絵は不快そうに眉を寄せた。
「密約なんか何にもねえよ。お嬢さんの勘違い。じゃ俺はこれで」
退室しようと体の向きを変えた。
「おまえの口座に百万円振り込んでおきました」
大友の足がぴたりと止まった。ゆっくりと頭だけ振り返り訝しげな目で織絵を凝視する。
「何だって?」
「戸川に八百長を依頼されたのでしょう?自分の部下を勝たせるために。
私が命令します、勝ちなさい。それも圧倒的な内容で。足りないなら増額しましょう」
大友は不快そうに織絵を睨みつけた。
つまり、このお嬢さんは、自分が八百長の片棒を担ぐような人間だと思っている。
それを阻止する為に買収しようという魂胆なのだ。
「さっきも言ったとおり、俺は戸川大尉に妙な約束はしてませんよ」
「おまえは事の重大さがわかってないようですね。戸川は海軍を率いる人格の持ち主ではありません。
戸川のプラス材料になるような事は阻止しなければならない」
派閥争いとい単語が大友の脳裏にビックアップされた。大友の大嫌いな言葉だ。
「それなら他の奴に頼めよ。何度も言っている通り大尉は俺に八百長しろなんて一言も言わなかったぜ」
大友はきっぱり否定したが織絵はその言い分を全く信じていなかった。
「将来海軍を率いるべき人間は氷室隼人です」
大友は反論は無駄だと悟ったのか、黙って織絵の話を聞いた。
「その為に戸川小次郎は邪魔な人間なのです。おまえも海軍の人間ならば何が正義かくらいはわかるでしょう」
「…………」
「戸川に何を吹き込まれたかは知りませんが、おまえがしようとしていることは間違っています。
おまえは私の命令に従えばそれでいい。わかりましたね?」
言いたいことだけ言うと、織絵は溜息をつく大友を残し取り巻き達と共にさっさと退室してしまった。
「……金で何とかしようってやり方が正しいのかよ」
「頭にきたんだよなあ……ああいう人種って、俺は生理的に駄目なんだよ」
「……直輝?」
「思い込み激しいってのか……自分の考えは絶対正しいって勘違いしてるっていうのか……。
挙句にひとを八百長呼ばわりして一方的に金つきつけやがって……。
俺ってさあ、やっぱしがらみ背負って戦うってしょうに合わねえよ」
戸川小次郎といえば四期生の中でも最強クラス。
同じ海軍である大友も当然その令名は嫌というほど知っていた。
部屋に通されるなり戸川は大友にきっぱりいった。
「ショーだと思って手抜きはするな。全力で戦え」
予想外の言葉に大友は驚いた。
「人づてに聞いたが、貴様、白州なしでは本気だす気も起きないと公言したらしいな?」
大友は自分の記憶のノートを頭の中で広げた。
『何で白州が不出場なんだよ。あーあ、テンションあがんねえよな。やる気でねえぜ』
確かに言われてみれば、思わず愚痴を吐いてしまった覚えはある。
「俺の部下は白州以外は未熟者だが手加減される覚えは無い」
「……俺が本気出すと圧勝か怪我人続出ですよ」
「当然だ。殺すつもりでやれ」
「厳しいこというんですね。可愛い部下を公衆の面前で恥かかせたいんですか?」
その恥は上官である戸川の面子にも直結する。
「俺が欲しいのは大会の優勝旗ではなく実戦での戦勝だ。おまえは戦争で八百長が成立すると思うのか?
こんな見世物どうでもいい。ただの実戦訓練だ。それなのに手抜き試合をされたのでは本末転倒なんだ」
「でしょうね。その点については同感ですよ」
「……最初から八百長なんかなかったんだ。けど、あの女、俺の話なんか聞く耳持たずだ。
俊彦、おまえの言うとおり俺は軍人失格だよ。だけど俺にだって意地はある」
「……直輝」
「自分は絶対だと思い込んでる傲慢なお嬢様に、金で動かない男がいるってこと見せ付けてやりたかったんだ」
「時間です」
無情にも兵士達が俊彦と直輝を引き離した。
「必ず何とかしてやる!」
決意を込めた叫びだった。
「おまえを死なせたりしない。俺が必ず助けてやる!」
直輝は振り向かなかった。
「期待しないでおいてやるよ」
「定道、何をぐずぐずしているの!?」
美緒はいらいらしている。
「女ってなんでこう短気なんだろうね……俺、怒鳴られるの嫌いなんだ」
定道は脚を急上昇させた。桐山は反射的にジャンプして蹴りをかわす。
「ねえ、そろそろ死んでよ。俺はもっと楽しみたかったけど、外野がうるさいのは嫌なんだ」
「おまえが死ねばいいんじゃないのか?」
「ううん、あんただよ」
「違う、おまえだ」
「あんただよ」
「おまえだ」
定道は強襲してきた。桐山の顔面に鋭く蹴りが迫ってくる。
桐山は腕をあげ蹴りを止めた。しかし、今度は腹部に定道の腕が伸びてきた。
桐山は体を反転させ紙一重で避ける。そしてお返しとばかりに蹴りを繰り出す。
定道は咄嗟にとんぼをきった。だが着地地点に到達する前に桐山の蹴り第二弾が襲ってきた。
「やばっ!」
定道の腹部に今度こそ見事に蹴りが決まった。定道は大きく弧を描きながら宙を舞う。
桐山の攻撃は止まらない。自ら飛び上がり定道の真上に出た。
そして空中でくるっと一回転。その遠心力から繰り出される蹴りを再び定道の腹部に喰い込ませた。
定道は初めて苦しそうに表情を歪めたが、落下しながら体を回転させた。
「やった、桐山の勝ちだ。あの速度で床に叩きつけられたら、もう立ち上がれない!」
良樹は立ち上がって叫んだ。だが良樹の予測をあざ笑うかのように定道は闘場中央プールに落下した。
すごい勢いで水しぶきがあがる。次の瞬間、もう定道は平然と立っていた。
「……なんて運のいい奴だ。あれじゃあ大したダメージにはならない」
「違うな。あのガキ、計算していた」
夏生はグラビア雑誌をめくりながら呟くように言った。
「夏生さん、どういうことなんですか?」
「あいつ落下しながら回転しただろ?それで落下の方向が僅かに変わったんだ」
「でも、ノーダメージってわけではないし桐山君の優位は変わりないですよね?」
美恵は期待を込めた眼差しで夏生を見詰めた。
「さあてどうかな?あのガキ回復力も大したもんだ、もう笑ってる。手強い相手だぜ。
それに、この先劣勢になるのは桐山かもしれないぞ」
「本当に驚いた。あんたさあAクラスどころか特撰兵士クラスなんじゃないの?」
桐山は何も応えなかった。
「でも残念。俺だって特撰兵士候補だよ」
定道はにやっと笑った。その瞬間、桐山はがくっと体勢を崩し左脚を床についた。
「き、桐山!」
「どういうことだ。なんで桐山が!」
良樹達は愕然とした。明らかに桐山が優勢だった、それなのにこの場面はなんだ?
これでは桐山の方がダメージを受けているようではないか。
「な、なんで……あ、あれ見ろよ!」
良樹が桐山の左脚を指差した。アキレス腱の部分から出血している。
「肉弾戦だけじゃ決まらない。それが武器使用OKルールの怖いところ」
定道の手にはカミソリのような小型ナイフが二本光っていた。
片手でそのナイフを空中に放り落下すると受け取る。まるでお手玉だ。
「お、おい。何だよ、あれ」
三村は自分の目が一瞬乱視になったかと思った。
二本だったナイフが三本に変化している。だが、それは幻ではなかった。
三本が四本、そして五本、六本。まるで手品のように増えていく。
「本当は神経か血管切るはずったんだ。それが一番手っ取り早く終わらせられる。労力使いたくないんでね。
さっさと勝って上の心証良くして省年金のレベル上げてもらって悠々自適な後半生過ごすんだ」
ついにナイフは十本まで増えた。
「じゃあバイバイ!ウエルカム年金生活!」
ナイフが一斉に桐山を襲った。
「危ない、避けろ桐山!!」
だが桐山は脚を負傷している。今までのような優雅な動きなどできるわけが無い。
誰もが全身ナイフで引き裂かれた桐山の無残な死体を思い描いた。
「……あれ?」
定道は首をかしげた。ナイフは全て床に突き刺さっている。
確かに確実に桐山の急所を正確に狙って投げたはずなのに結果はまるで正反対。
おまけに定道の視界がぐにゃっと曲がって足元が崩れるような感覚に襲われた。
「さ、定道!」
美緒の声が霞みの向こうから聞える。明らかにおかしい。
(俺の感覚がおかしい?でも頭部にダメージは負ってないはず……)
定道はハッとした。思い出したのだ、試合開始早々こめかみに攻撃を受けたことを。
(それだけじゃない。手元が狂った……手元が)
手がふるえる。顔の前に右手を持ち上げると手首に極小の針が突き刺さっていた。
「むかつく!」
定道は針を抜き取ると床に叩きつけ頭を左右に激しくふった。
(あいつも俺の神経を狙っていた。こんな奴が一般人の中にいたなんて)
「定道、何をぼけっとしてるの!」
桐山が立ち上がり猛ダッシュ。
脚を負傷しているのだ、今までのような動きはできないはずだと定道は思っていた。
だが桐山の動きは怪我人のものではない。
(どうして!?俺の神経がまだやられているのか?)
桐山の強烈なカウンターパンチ、定道は場外までふっ飛ばされた。
(何で?)
ふらつきながら立ち上がると、闘場に何か落ちているのが見えた。
「……パワーアンクルにパワーリフト?」
「……あいつ、まだつけていたのか」
夏生は半分呆れ半分感心した。
『本領発揮できなきゃ勝てないってときまで外すなよ』
そう言って、特訓開始前に付けさせた。
良樹達は会場入りした時点で外していたが桐山は律儀にもつけたままだったのだ。
その鎖を今やっと外した。つまり正真正銘、桐山はフルパワー。
「もう一度言うぞ。死ぬのはおまえだ」
【B組:残り45人】
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