良樹は力の限り叫んだが、七原はピクリともしない。
「無駄よ。しばらくおねんねしてるわ」
美緒は早くも勝利を宣言した。
「さあ次!あんたがやるの?それとも、そっちのツンツン頭の坊や?それとも――」
美緒はじろっと桐山を睨みつめた。
「そのすかした顔の坊やかしら?」
「美緒さん、そいつは駄目だよ。俺がやるんだから」
トランプに興じている定道が振り向かずに要求してきた。
「違う、俺だ。俺にそいつくれよ」
一回戦の桐山の圧勝は、夏生や川田が危惧したとおり要らぬ火種を生んでいた。
鎮魂歌―75―
「七原君、動かないわ。もしかして重傷おったんじゃ?」
「それより、もう一敗なの?これじゃ幸先悪すぎるじゃない」
美恵と貴子は心配そうに闘場を見詰めていたが、夏生は全く違う意味で不安を抱いていた。
(ボインの姉ちゃん、最初っからとばしてるな。七原は油断してたわけでも甘くみてたわけじゃない。
今度はあいつの責任じゃない。相手のテンションが異常だっただけだ。七原は運が悪い)
科学省チームは平静を装っているが、内心沸騰している。
試合の合間に起きた、ちょっとした出来事が原因で良樹達には直接関係ない。
(美緒、何を熱くなっている?)
薬師丸は美緒の様子がおかしいことに気づいた
(相手は素人集団。冷静さを失ったところで負けることはないが、兵士としてあってはならないことだ)
美緒の冷静さを失っている原因を知っている人間は意外にも薬師丸のすぐそばにいた。
知っているどころか、原因そのものといった方が妥当だろう。
「あの程度のことでカッとなりやがって。しょせんガキと女だな」
「冬也様、何かおっしゃいましたか?」
「いえ、何も」
織絵はそれ以上追求せず、冬也はただつまらなそうに頬杖をついた。
それは、試合開始直前ほんの十分ほど前の事だった。
冬也は特別控え室から主賓席に戻る途中、科学省チームと廊下でばったり遭遇した。
周囲に他の人間の影はない。そんな人気の無い状況で彼らは出会った。
いや、再会したのだ。
廊下のど真ん中を歩いていた冬也は、歩を止めて彼らが道をあけるのを待った。
季秋家御曹司である彼に道を譲り、彼が通り過ぎるまで恭しく頭をたれる、それが当然だった。
だが科学省の連中は、冬也の顔を見た途端に顔色を変えた。
普段、のほほんとしている満夫でさえだ。最初に声を上げたのは那智だった。
「片桐……冬也!」
自分の別称を叫ばれて冬也は訝しげに那智を見詰めた。
冬也が母方の姓を使う場所は限られていた。
政府主催の公の場所では正式名称である『季秋』をきちんと名乗っている。
にもかかわらず『片桐』を知っているということは、私的な場所で出会った可能性が高い。
おまけに、17歳の冬也からすれば4歳も年下のガキに過ぎない三人の少年の目つきは異常だった。
自分を敵視している。しかし冬也には、その理由に思い当たることが合った。
「あの戦闘を見ていたのか、てめえら?」
三人の表情は、その問いに敏感に反応した。冬也の推測は正しいと雄弁に証明している。
「なるほど、だったら俺がどういう人間か少なからず知ってるわけだな。
だったら今すぐそこをどけ。それとも俺様に逆らって、試合前に戦闘不能になりたいか?」
冬也の言葉は不遜であったが、それを裏付ける自信もあった。
「どけ、あの戦闘を見ていたのなら俺の実力は十分わるはずだ」
那智は反論しようとしたが、美緒が背後から那智の肩を掴み強引にひっぱった。
「何するんだよ、こいつは……」
「おまえは青二才のくせに!」
美緒は那智の頭をひっぱたくと、「どうぞ」と会釈した。
「女の方がわきまえているじゃねえか」
冬也が歩き出すと、美緒は那智の頭を押さえつけて無理やり頭を下げさせた。
季秋家と揉め事を起こすつもりは美緒にはさらさらない。まして相手が冬也なら尚更だった。
すれ違い様、冬也は一言付け加えた。
「高尾が戻ったら、よろしく伝えておけ」
(このクソガキたちのせいで、あたしがどれだけ苦労しているか。
季秋冬也のご機嫌損ねて、こいつらが左遷したら、あたしまでとばっちりくらうじゃない)
冬也は廊下での件を全く気にしてなかったが、美緒はちがった。
彼が根に持って科学省上層部に告げ口するんじゃないかと酷く怯えていたのだ。
そうなれば科学省で今まで築いてきたものが崩れる。薬師丸との婚約も破棄されるだろう。
(涼を他の女にとられるなんて冗談じゃないわ)
上層部に対する心証を良くするためにも、この大会で輝かしい戦績をあげるのが一番。
七原はそんな美緒の思惑の犠牲となったのだ。
「次!」
美緒は、すでに七原は見ていなかった。
「……ま、まだ終わってないぞ」
そのかそぼい声が聞えた時、美緒はもちろん良樹達も驚いたことだろう。
七原はふらふらと立ち上がった。美緒の蹴りは七原の首に完璧に入り、そのまま頭から石床に激突までした。
そのダメージは尋常ではないはず。
「……うざいのよ」
七原の懸命なガッツは美緒の怒りの導火線に火をつけた。
美緒はジャンプ。今度は跳び蹴りをお見舞いしてやろうというのだ。
「七原、避けろ!」
良樹は渾身の力を込めて叫んだ。その声に七原はぴくっと反応したものの避ける気配が全くない。
それどころかきょろきょろと辺りを見回しているではないか。
七原の様子がおかしい。良樹はぎょっとして七原を凝視した。七原の目の焦点が合ってない。
「ま、まさか七原、目が……危ない、頭をガードしろ!!」
良樹の言葉に七原は反射的に両腕を上げた。そこに美緒の蹴りが激突、七原はまたしても倒れおちた。
今度は頭部だけは守った。だが、一方的な試合内容に変化はない。
「川田、七原が……!」
「おまえも気づいたのか。どうやら最初の一撃が最悪だったらしいな」
七原の視界はもやがかかったようで、はっきりしない。
頭はずきずきと痛み、良樹の声ですら霞みの向こうから、ぼんやり聞えるだけなのだ。
一時的なものだが、少なくても今の七原にまともな戦闘は不可能。
それでも七原は必死になって起き上がろうとしている。
そのまま床に倒れていれば審判が自動的に試合終了を宣告してくれただろう。
勝つ見込みは無いに等しいのに、七原は愚直なまでに立ち上がった。
その姿は健気で悲壮感漂うものではあったが、美緒にとっては怒りを煽る行為でしかなかった。
「さっさと眠りなさいよ!」
美緒は七原の腹部を蹴り上げた。三度、七原は床に倒れた。
「……ぐっ」
胃液が逆流しそうな衝撃。もはや試合ではなく美緒主演のなぶりショーだった。
「川田、もう棄権させよう。このままじゃ七原は殺される」
川田は難しい表情をしたが、「仕方ないな」と呟くように吐いた。
「そんなに殺して欲しいなら望み通りにしてあげるわ!」
美緒は七原の背後から腕を回し、一気に締め上げた。首の骨を折るつもりだ。
七原は本能的に美緒の殺気を感じたのか必死に抵抗し暴れ出した。
「ま、まずい!川田、早くタオルを投げてくれ!」
「投げるな!!」
その声は客席から聞えてきた。夏生が立ち上がって叫んでいる。
「投げるな、そのまま続行させろ!!」
良樹は夏生の意図がわからず混乱した。七原は苦しそうにもがいている、とても反撃できそうもない。
それなのに、なぜ夏生は、こんな絶望的な試合をストップさせてくれないのか?
「川田、宗方さんは何を考えているんだ?」
「……俺にもわからん。だが宗方は百戦錬磨、何か考えがあるのかもしれん」
川田は、その夏生の考えに一縷の望みを託すことにした。
「七原と宗方を信じてやらせてみよう」
「夏生さん、どうして?このままだと七原君が危ないわ、それとも反撃のチャンスがあるの?」
美恵は必死に夏生に疑問を投げかけた。
「このスケベにそんなものあるわけないじゃない」
貴子は蔑んだ目で夏生を睨んでいる。
「見なさいよ、あの女の胸」
「……胸?」
「背後から七原を締め付けてる体勢になってるでしょ?だから胸が……ほら」
美緒は元々胸元の大きい戦闘服を着ていた。見事な胸の谷間が拝めるデザインだ。
七原は(夏生的には羨ましいことに)その胸と美緒の腕に挟まれている状態。
七原がもがくたびに美緒の胸は盛り上がっていた。もしかしたら露出されるのではないかと期待感がもてるほどだ。
夏生は興奮気味にカメラを握り、この状況を心底楽しんでいる。
その間にも七原は呼吸もままならず、どんどん顔色がドス黒く変化しているが夏生には見えていない。
「……駄目だ、こいつ……早く何とかしないと」
貴子は途中で言葉を止めたが、その続きが『七原が死ぬ』で締めくくられることは容易に想像できた。
美恵は勘客席から身を乗り出して叫んでいた。
「雨宮君、すぐにやめさせて!このままだと七原君が殺される!!」
「な、何だって?」
夏生を信じて試合を続行させていた良樹はぎょっとなった。
「仕方ない。七原の命には代えられない」
川田はタオルを手にすると思いっきり腕を後ろに伸ばした。ところが腕が動かない。
桐山が腕をつかんで邪魔をしていた。
「桐山、何をするんだ!七原が死ぬかもしれないんだぞ、冗談はやめてくれ!」
「それならそれで構わないが、宗方がやめろとジェスチャーを送っているんだ。
無視しないほうがいいんじゃないのかな?」
「いいか桐山、今はおまえと問答している暇は無いんだ。離してくれ!」
「そうか、わかった」
どんと妙な音がした。川田はハッとして闘場に視線を移した。
美緒が七原ごと床に倒れこんでいる。あまりの苦痛に七原が火事場の糞力でもがき暴れた結果だった。
「けほっ……けほっ」
まだ首に圧迫感を感じるのか、顔色こそ徐々に元に戻っているが歪んだ表情に変化はない。
「女が倒れた。今なら寝技に持ち込めばいいんじゃないのかな?力なら七原の方が上だろう?」
川田はハッとした。確かに今は絶交のチャンス。
寝技といかなくても押さえ込むだけなら視力がなくとも何とか可能だ。
後は十秒耐えればいい。そうすれば後は審判が勝利を宣言してくれる。
「七原、今だ女を押さえ込め!」
七原は半ば混乱していたが、それでも川田の力強い声は彼の耳にしっかり届いていた。
反射的に美緒を押さえ込んだ。体勢を立て直す前に七原に覆いかぶさられ、美緒は起き上がれなくなった。
気性の荒い女ではあるが、やはり女性。
腕力では七原の方が上、それを裏付けるように審判がカウントを取り出しても七原を押し返せない。
良樹達は七原の勝利を予感した。後、ほんの五秒現状が維持されれば、それは現実になる。
ところが、やはり現実は厳しかった。確かに美緒は女で腕力だけなら七原よりも下。
しかし美緒は腕力の差を技術や経験で埋めてきた歴戦の兵士。
脚力もあれば体も柔らかい。そのすらりとした脚が高々と空に向かって突き上げられた。
次の瞬間、その脚は七原の後頭部に一気に振り下ろされた。
凄い音だった。そして七原の抵抗も完全にストップした瞬間でもあった。
美緒は七原を押しのけると悠々と立ち上がって髪をかきあげ余裕すら見せた。
一方の七原は完全に沈黙している。審判のテンカウントは今や七原に対して行われていた。
そして無情にも時間はあっと言う間に経過し、審判は美緒を指差し「勝者!」と叫んだ。
良樹は闘場に駆け上がっていた。もう勝敗なんかどうでもいい、七原の身の安否だけが気がかりだった。
七原はぐったりしていた。その上、髪の毛に触れた途端に良樹の手にはべったりと血がついた。
「七原しっかりしろ!」
良樹は必死に七原に呼びかけたが反応はない。川田が脇で屈んで七原を診た。
「安心しろ雨宮、気を失っているだけだ」
良樹は心の底からホッとした。勝ち星は逃したが、七原の命は勝利よりも尊くかけがえの無いものだったからだ。
川田と良樹は、七原を闘場から降ろした。命に別状はないようだが、一刻も早い治療も必要だった。
「雨宮、おまえはすぐに七原を治療室に連れて行ってやってくれ」
三村は決意を秘めた口調で頼んできた。
そして仁王立ちしている美緒を真っ直ぐ見据え、颯爽と闘場にあがった。
「後は俺が七原の分まで闘ってやる。命にかえてもな」
「鳩山部長、休暇中ではなかったのですか?」
受付係は不思議そうに鳩山を見上げていた。
「……あー、いや、その……研究結果が気になってね」
随分と様子がおかしかったが、受付係は呑気に構えていて深刻な事態だとは全く気づいてない。
彼が気づいたことといえば鳩山の背後に見知らぬ男が一人いることだけだった。
フード付パーカーにジーンズというラフなスタイル。
フードをかぶっているため顔は下半分しか見えないが若者であることはわかった。
「その少年は?」
「友人の息子さんでね。科学者を目指しているんだ。だから研究所を見学させてやろうと……」
鳩山はしどろもどろに説明した。
「では、すぐに研究フロアに」
「いや通常の研究フロアではなく……じ、実は地階に……」
呑気に応対していた受付係の態度が『地階』という単語一つで変わった。
地階は厳重管理体制が幾重にもしかれているほど丸秘かつ危険区域。
いくら幹部の連れとはいえ一般人の若造などがやすやすと入れるような場所ではないのだ。
「ご存知の通り地階フロアに立ち入るには長官の特別許可がなければ」
「い、いや。だからね君、そこは臨機応変に……」
鳩山は目に見えて焦りだした。焦りというより恐れといった方がいい。
「申し訳ないですが、ばれたら解雇されるだけじゃすみませんからね。部長だって犯罪者になりたくはないでしょう?」
受付係はやんわりと正論を告げた。
その瞬間、ずっと黙っていた若者が目にも止まらぬ速さで銃を取り出した。
銃口に睨まれるなんて初体験だった彼は、完全に凍り付いて言葉も出ない。
若者は懐からガムテープを取り出すと鳩山に放り投げた。
「さっさと、そいつを縛れ」
「さあ始めようぜ」
三村はニッと笑った。その独特の口調と笑顔は美緒の目には身の程知らずな自信にみえ、美緒の癇に障った。
「随分と生意気な坊やね。格の違い見せてあげるわ!」
美緒は予告も無しに脚を急上昇させた。つま先の到達点は三村の喉、急所への一点攻撃だ。
「怖いおねえさんだな、あんた」
美緒はちょっと驚いた。三村は美緒の攻撃を読んでいたのか、見事に脚を両手で受け止め防御に成功していた。
「残念、こう見えても俺も結構場数踏んでるんだぜ」
余裕を演出したいのか三村はウインクしてみせた。
「ふうん、さっきの坊やとは違うようね。でも、これは避けられるかしら?」
美緒は凄まじい猛攻にでた。三村の顔面、心臓、ボディ、あらゆる急所目掛けて正確に蹴りを繰り出す。
その切れの良さ、スピード。三村は避けるのが精一杯だ、反撃の隙がまるでない。
「あいつ、美緒さんを本気で怒らせたぞ」
「美緒さん、ムエタイをマスターしてるからな。あいつ死ぬんじゃない?」
那智と定道は興味なさそうにそういった。実際彼らの興味は三村の後ろに控えている桐山に集中されていた。
「ちっ!」
たまらず三村は走った。美緒と距離をとって彼女の攻撃の間合いから抜け出ようと考えたのだ。
だが美緒は三村にぴったりくっついているかのように逃亡を許さない。
三村に全く劣らないスピードで動いている。脚の速さもずば抜けている。
「まいったね。逆襲する作戦を考える余裕もくれないってわけか」
「どうせ負けるんだから、さっさと地べたにはいつくばりなさいよ!」
美緒はとどめとばかりに飛び蹴りを炸裂してきた。三村は咄嗟に体を沈めかわそうとした。
だが美緒は経験値の違いを見せ付けるかのように宙返りし。
空中で上下逆の体勢をとると三村の両肩をぐっとつかんだ。
そのまま一気に落下。当然ながら肩をつかまれいる三村の体はそのまま曲げられ石床に叩きつけられた。
「ふん、調子にのるからよ。あたしに逆らわずに、さっさと負けていれば軽傷で住んだのに」
三村はぴくりとも動かない。審判がカウントをとりだしてもまるで反応なし、七原の二の舞だ。
美緒はすでに勝利を確信し、横たわっている三村に背を向けて悠々と歩き出した。
カウントをとる審判の声だけが美緒の背中越しに聞えている。
「7!8……」
だが、その声が一瞬途切れると同時に、美緒は急接近する気配を感じ振り向こうとした。
しかしできない。背後から腕が伸びてきて、彼女の首に巻きついた。
「坊や……!」
美緒は頭だけを後ろに向け驚きの声を上げた。
「まだ終わってないのに勝ったと思うなんて俺を舐めすぎなんじゃないのか、おねえさん?」
何てこと!と美緒は心の中で叫んでいた。三村を七原と同じ目に合わせてやったつもりだった。
だが今の状況は、自分こそが七原の二の舞ではないか。
「悪いが離す気はないぜ、このまま勝たせてもらう」
三村は強い決意を持って美緒の動きを封じにかかった。美緒は、すかさずスカートの下に手を伸ばす。
隠し持っていたナイフを取ろうとしたのだが、三村に腕を掴まれた。密着した状態では、やはり男の方が力が上。
美緒は脚を振り上げると、三村を蹴り上げた。
密着されているせいでフルパワーは出せないが、それでも三村の体は悲鳴を上げた。
ところが、そんな苦痛を与えられても三村は美緒を離さない。
「うざい坊やね!」
美緒はたまらずジャンプした。そして空中でクルッと回転、三村が下、美緒が真上という体勢だ。
そのまま落下、三村の背中に軋むような痛みが走ったが、それでも三村は離さない。
それどころか腕の力を強めた。美緒の首に圧迫感が走る、今度は美緒が苦悶に喘ぐ番だった。
(……この、ド素人のくせに!)
美緒はもがいた。素人相手に苦戦を強いられたことに対する精神的ショックが彼女を追い詰めている。
(後悔させてやる)
美緒は力を振り絞り再び飛び上がった。
今度は場外にだ、彼女の目には平らな地面に露出している鋭い石の先端が見えていた。
「まだ辿り着かないのか?」
「もうすぐです。あの廊下を曲がった先です」
重厚な扉が姿を現した。鳩山は諤々と震えていたが、若者は満足そうにかぶっていたフードをとった。
その正体は、科学省にとって忌みべき者・天瀬瞬。
「さあ、さっさと開けろ」
「……し、しかし」
ここまできて鳩山は、まだ躊躇していた。
瞬の恐ろしさは、この最地階に来るまでに倒れていった多くの人間の数が物語っている。
鳩山に瞬にさからう術などない。それでも、この扉を開きたくない。
それほどの恐怖が、この扉の奥にあるからだ。
「あ、あいつらを逃すなど……わ、私は恐ろしい、それにあなたの味方になる保証も……」
「貴様を殺して俺が開けてもいいんだ。さっさとしろ」
その言葉は何よりも絶大な効力があった。鳩山は恐る恐るだが、命令にしたがって封印を解いたのだ。
「……わ、私は知りませんよ……あ、あなた自身殺されるかもしれない」
「いらん心配だな」
瞬は自信満々だった。微塵も疑ってない。
なぜなら、この向うにいる化け物達は、かつて解放したF5達とは決定的に違う点がある。
必ずや瞬の頼もしい味方になってくれるだという確信があった。
うずくまって震えている鳩山を気絶させると瞬は中に足を踏み入れた。
眩しい、まるで太陽のようだ。地下深い場所だということを忘れさせるくらい、そこは自然が生い茂っていた。
扉の向こうは、まるで森の様相を呈しており、人工の川も流れている。
虫や小動物の姿すらあった。
(これなら通気口などなくても空気には不自由しない)
しばらく進むと建物が見えた。蔦だらけの外壁に、割れた窓ガラス、一見廃墟にも見えたが違う。
「……ここか」
瞬は不作法にも扉を蹴破り侵入した。
鈍い音がして三村は地面に激突していた。
美緒は三村がクッション代わりになっていた為、ほとんどダメージが無い。
「何てしつこい男なの!」
三村の腕の力は緩んでいない。美緒は強引にはずしにかかった。
どんなに意地を張ろうと、鋭利な石が頭に突き刺さったのだ。もう三村は死人も同然だろう。
美緒の思惑通り、三村から簡単に離れることができた。しかし、ゆっくりしている時間もない。
審判がカウントしているのだ。さっさと闘場にあがらなければ引き分けという屈辱を味わう羽目になる。
美緒は慌てて駆け出した。ところが足元に何かが巻きついてきたおかげで彼女は大きくバランスを崩した。
はっとして顔を上げ振り向くと、足首に三村の手が密着している。
美緒は激昂する代わりに青ざめた。なぜなら彼女には時間がなかったからだ。
即座に立ち上がったが遅かった。審判は、はっきりと言った、「テン」と。
その瞬間、美緒が次の試合をする権利は消滅した。まだ体力は有り余っている、怪我もしてない。
それなのに、もうこの二回戦で彼女の活躍の場はないというのだ。
打ちのめされる美緒を尻目に三村はふらふらと立ち上がった。こめかみからは派手に流血している。
本当にやばかった。咄嗟に頭部の角度を変えたおかげで後頭部に石が突き刺さることは避けられた。
(色男が台無しだぜ……ま、命に勝るものはないんだ。贅沢いうべきじゃない)
本当なら次に戦う良樹の為にも勝利で終わらせたかった。しかし三村は冷静に気持ちを切り替えた。
(俺が次にやるべきことは、あいつの為に祈ってやる事だけだ)
その後で三村は皮肉めいた笑みを浮かべた。
(神様なんか信じちゃいない俺が誰に祈るっていうんだ?)
Bリーグでは白熱した戦闘が観客を魅了していた。
片や一般人でありながら空軍のエリート相手に無敗で一回戦を突破した謎の集団。
片や特撰兵士・周藤晶直属の陸軍特殊部隊の兵士達。誰が見てもなかなかも好カードだった。
陸軍チームのリーダー輪也は燃えていた。兄が見ている前で敗北の二字などありえない。
兄の名誉の為にも、二回戦でもたもたすることは許されない。
相手は軍人でも工作員でもない。
ちょっと格闘技をかじっただけの素人集団だ、輪也にとっては勝ち負け以前の問題だった。
だが輪也は知らなかった。彼らが相手にする人間は決して素人集団などではない。
そして輪也同様に負けられない理由を背負って、この大会に出場している。
「北斗」
直弥はつんとした冷たい口調で切り出した。
「彼ら、随分と苦戦してるって話だよ。やはり試合前にやっておくべきだったね」
直弥が言いたいことを北斗は即座に理解した。
「仕方ないじゃないか。科学省の連中は隙が無い。その上、休憩中は特撰兵士の薬師丸涼がついている。
そんな状態で、いつ、どこで彼らを襲えっていうんだい?第一、もう遅いんだ。
終わった事にいつまでも不満を訴えるのはいい加減にやめたまえ、耳が痛くなる」
北斗はそんな事よりも特別席から凝視している晶の視線の方が気になっていた。
(今度は派手にしない方が賢明だ。彼にも『くれぐれも正体は悟られるな』と厳命されているしね)
「よし行け雨宮」
川田は良樹の背中をポンと軽く叩き闘場に送り出した。
(あんな女の子が俺の相手?)
戦う前から良樹は気が重くなった。
結衣は美緒と違い、好戦的でも気性が激しくも無い普通の女の子にしか見えない。
満夫達は何を考えているんだろう?結衣は震えている、こんな女の子を戦わせて平気なのか?
(俺達は光子さんでさえ、そんな目には合わせられないってのに)
確かに一回戦での結衣の強さは異常だった。
しかし、今目の前にいる結衣のか弱さには、そんな記憶簡単に消し飛んでしまう。
「雨宮、相手の顔を見るな」
そんな良樹の心情に気づいたのか、川田が強い口調で檄を飛ばしてきた。
「忘れるな!俺達にも負けられない理由がある、守る人間がいるんだ。
いいか、誰かを守るということは他の誰かと戦うということなんだ」
「……川田」
わかってる、わかってるよ!と良樹は何度も心の中で叫んでいた。
結衣はというと、やや俯いており良樹の顔を見ようともしない。
(どうして私がこんな目に……科学省には他にも強いひとがいるのに、それなのに)
結衣の耳に審判の非情な声が聞えた。
「はじめ!」
「……え?」
ただ恐怖にとらわれて試合に全く集中してなかった結衣には、それはあまりにも唐突だった。
良樹は迷いはあったが、それでも試合開始と共にダッシュしていた。
(すぐに終わらせてやる!そうすれば、あの子に怪我させることだってないだろう)
良樹の筋書きは決まっていた。結衣の足元に滑り込み彼女の体勢を崩し、そのまま床に押さえ込む。
後は審判がカウントをとってくれる。それで試合終了だ、このいたいけな少女を傷つけずにすむ。
夏生の特訓の成果か、スピードといい動きといい素晴らしいものがあった。
流れるような動作で結衣は驚くだけで立ち尽くしているだけだ。良樹は内心ガッツポーズをとった。
「ジャンプ!」
突然、誰かが叫び、結衣は反射的に飛んでいた。おかげで良樹のスレイディングは不発に終わった。
結衣はくるっと一回転して着地、まるで体操選手のような華麗な動きだ。
(しまった、ならば!)
良樹の次の行動も素早かった。即座に立ち上がり腕を伸ばす。
結衣の右肩をつかみ、そのまま押し倒し寝技に持ち込む作戦だ。
「ダック!」
だが、また声がして結衣は反射的に上半身を下げた。良樹の手は目標を失い空を掴んでた。
(クソ、腕を!)
良樹は咄嗟に右手をのばした。結衣の左手首をつかもうとしたのだろう。
「今だ、やれ!」
まただ、その声にスイッチが入ったように結衣は右拳を握り締めると全力で突き出していた。
良樹は一瞬目を大きく見開いたが、直後に何も見えなくなた。
結衣の右ストレートが完全に良樹の顔面に入っていたのだ。
防御の体勢をとってなかった良樹は避ける事すらできなかった。
そして、そのまま床にダウンした。川田達は愕然としたが、それ以上に驚愕したのは結衣だった。
声の方向に振り向くと、いつの間にか起床していた満夫が親指を立ててニコッと笑った。
「ユーアー№1♪」
【B組:残り45人】
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